如月の事件簿2
猫の夢を見た。
昔、祖母の家で飼っていた。おデブ猫。ドンちゃんと呼んでいた。
ドンちゃんの鳴き声の向こうから、聞きなれない電子音が鳴っている。
「んーーーー」
自分の声ではない伸びの声も聞こえる。もちろんドンちゃんではない。
寝ぼけた頭が嫌にひんやりと冴えてきた。目を開けたら理解したくない状況が広がっている気がする。
気がするというよりもう、左手が温かいものに触れている。嘘だろ。
うっすらと目を開けてみると、目の前に黒いサラサラとした髪の毛。そしてその下に、綺麗なまつげ。
「はぁ。」
大きくため息をつく。
昨日、こいつはソファにいたはず。
自然に添い寝スタイルになっているし。むしろ向き合って寝ているし。なにが起きてしまったんだ。寂しさって恐ろしい。てかこのうるさい電子音はこの人類の所持物からですね。
アラーム の文字と 4:20 というまだ朝と考えるには早すぎる時間帯が記されたスマートフォン。きっとこの人類は、仕事に行かねばならない時間なのだ。
「おーい」
起こされたイライラよりも、左手ががっしりとホールドされていることへのイライラが募る。
「おい、葛城!」
少し荒っぽいが自由が効く右手で頭を叩く。
「んーーーーむーーー」
この人類、寝起きが至極悪いらしい。とっとと、追い出して私は二度寝をしたいです。まだ外暗いし。
「ねえ」
体を揺すった途端、今度は違う電子音が。
スマートフォンの画面には、マネージャーの文字と鬼の絵文字。これは、モーニングコールというやつですね。さすがに起きるかな、とたかをくくってみたものの、電子音が流れ続けようがびくともしません。
疲れてるのかなぁ。でも私も疲れてるんだよなぁ。寝たいなぁ。
一度、電子音は止み、立て続けにもう一度。ここで1つの案が浮かぶ。よし、実行。
通話ボタンを勝手に押し、葛城将平の耳元にスマートフォンを置く。
「将平!どこにいるんだアホ!起きろ!」
「わっ」
予定通り、マネージャー(鬼)の声にビビったのか急に目を開ける葛城将平。
ぶっ。さすがに面白い。寝起きドッキリが生で見られちゃった。
「あー、はい、起きた、起きたよー。んー、ともだちんちにいるよー。迎えきてー。」
寝ぼけた頭で答えていくらしい葛城将平。
そしてなぜかスラスラとうちの住所をマネージャー伝える。ねえ、個人情報流出なんですが?というかなぜ我が家の住所をご存知ですか?
電話を切り、
「んーーーーっ」
と伸びをしてから、ぎゅーっと抱きしめられる。頭の位置、胸なんだけど。
「おい」
自分の声とは思えぬ低い声が出てしまった。
「はーー、久しぶりにぐっすり眠れた。きさらぎっち、サンキュ。」
「は?!」
もう色々と質問したいけどなにから話せばいいのかがさっぱりわからない。しかもまだ抱きついてるし。
「よし、じゃあ行ってきます!またね。」
一度目覚めたら、機敏に動き出す性質らしく凄まじいスピードで顔を洗い、トイレを済ます音が聞こえた。そしてガチャ。というか無機質なドアの音。
嵐のように去って行った人類、葛城将平。
もう2度と関わることのない人類。
壮大なドッキリでも仕掛けられていたのではないかと思うほど、あっという間の出来事だった気がする。
結局、頭が冴えてしまって二度寝もできぬまま目を覚ますと、葛城将平という男にまたイライラさせられることになる。
一通り朝の準備を洗面台で済ませ、居間のテーブルを見ると小さなメモが残っていた。
きさらぎっちへ
料理上手だね!冷蔵庫にあった卵焼き、美味しくて止まらなくてほとんど食べちゃった。ごめんね。
手紙にあった通り、お弁当用に作っておいた卵焼きが10切れ中8切れ食われていた。冷凍保存して来週にも持ち越す予定だったのにクソ野郎。
なんなのだろう。嵐のようにやってきて、去って行って、勝手に人の部屋を荒らしていって。ここにいた証拠を残していった。
夢の中のような出来事なのに、こんなにも存在が残っている。
帰ってきたら、大掃除してやる。あの人類(もはや異星人では?)のいた空気を一掃してやる。全部なかったことにしてやろう。だから人を招き入れるのは嫌なのだ。その招いた人が帰った後、寂しさに押しつぶされそうになるから。
私は決して強くもなければ、クールでもなければ、冷めてもいないのだ。それを痛感させられる。だから嫌だ。
誰とも仲良くならなければ、こんな自分と向き合うこともなく生きていけると信じて27年を過ごしてきた。
寂しくなんかない。
また今日から、いつも通りの日常をこなしていけばいいのだ。たまの休日には、手の込んだ料理でも作って気分転換しよう。
今日は、掃除グッズと明日の料理の材料を買って帰ってこよう。そうしよう。
土曜日の勤務はいつもより職員が少ないため、ドタバタとする。
終わったのは結局昨日よりも遅く、食材を買い物をして帰る元気なんか残っていなかった。
「はーあ。」
家について、どかっとソファに腰を落とす。コンビニで買って来たビールに手をかけ、一口飲み込んでからお弁当箱を洗う。
後ろに人影はなく、それが当たり前であるのになんだか虚しい。
お弁当箱を洗い終わるとテレビをつける。適当に番組を選んで、ビールとお弁当用に作り置きの煮物をつまむ。
CMになった途端、ビールを吹き出しそうでした。きりりとした笑顔でビールを飲む葛城将平。
今までは普通に流し見ていたただの芸能人なはずなのに。全くなんだって私の人生に一ミリでも関与したんだろう。
本当に一ミリ関与しただけなんだけど。
携帯が続けて2度震えた。1つは真由華。もう1つは真由華からのグループメッセージへのお誘い。
メンバーを見るが男子ABと思われる人々と楓さん、真由華の4人。葛城将平は個人情報を漏らさないタイプらしい。
「はぁ」
え、なんでため息ついてるんですか、私。何考えてるの、私。確か、年下らしいキラキラした芸能人に恋い焦がれてるなんてバカみたいなこと起きるわけない。
ただ仕事が最近忙しくて疲れているところに、久々に人が近づいて来たから寂しさが増してるだけだ。
そう。それだけ。