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第5章 森の娘 5

 顔中に刺青を入れた小柄な男に脇腹を刺された時、最初に感じたのは痛みではなく、灼けるような熱い感覚だった。

 後から思えば自分でも不思議だったが、自分を刺した男の存在を認識した瞬間、あたしはそれまで感じていた得体の知れない恐怖心が消え去り、むしろ落ち着きを取り戻した。

 肉体的に自分を害されるというかなり最悪の状況とはいえ、それまで正体不明だった不安感の原因が明白になったからだろう。

 不安の原因が分からなければ対処の仕様も無いが、原因が具体的になればそれに対処する最初のきっかけを得る事ともなる。

 あたしは考えるよりも速く、ナイフを握っていた男の右手首を左手で掴むと、その手を振り払うのではなく、むしろ逆にあたしの身体に引き寄せるように動かす。

 あたしのこの行動は男の意表を突いたらしく、ほんの一瞬ではあったが男の顔に戸惑いの感情が浮かんだ。

 その一瞬で、あたしの心と身体は攻撃態勢へと入った。

 刺青男もすぐに我に返ると左手で腰から2本目のナイフを抜こうとする動きを見せるが、その動きはあたしが臨戦態勢に入るのより僅かに遅れた。

 その手がナイフの柄に届く前に、あたしは右手の義肢でその手首を掴んで締め上げた。

 両手を拘束された男の動きが一瞬止まる。

 あたしはその隙を見逃さず、男が次の行動を起こす前に、男の鼻っ柱めがけて頭突きを繰り出した。

 人の顔面のパーツの中では比較的柔らかいはずの鼻を狙って頭突きをしたが、どういう訳か男の鼻はやたらと硬く、頭突きを繰り出した側のあたしも一瞬気が遠くなりかけ、男の手首を掴んでいた手を両方共離してしまった上にフラフラと2、3歩後退してしまった。

 朦朧としたのはほんの数秒間だったが、戦闘中においては致命的な結果を招きかねない状況だ。

 だが幸いにも、やたらと硬い鼻をした刺青男もしっかりとダメージを受けたらしく、その場で膝をついていた。

 あたしが意識を取り戻したのと同時に男も顔を上げ、あたし達はほぼ同時に腰からそれぞれ武器を抜いて右半身(はんみ)の構えを取る。

 同じ右半身(はんみ)の構えとはいっても、男はナイフを持った右手を前に出しているのに対して、あたしは金属製の義肢の右腕を前に出し、短剣を持った左手を後ろに引いた構えだ。

 一呼吸置いたせいか、それまで熱いとしか感じられなかった左脇腹が急に激しく痛み始める。

 あたしの左脇腹には未だに男のナイフが突き刺さったままだ。

 それなりに身体が動くという事は恐らく急所は外れているのだろうが、危険な状態に変わりはない。

 一方、男の方も派手に鼻血を流しており、そのせいで呼吸が乱れてはいたが、あたしに比べればかすり傷も同然だ。

 「おい、ゾラ!」

 あたしが戦闘状態に入った事に気づいたらしいミオの声が耳に入ってきた。

 少しでも男から視線を逸らすのは致命的に感じられたあたしは、ミオの方を一瞥すらせずに怒鳴り返す。

 「こっちは何とかする!それよりイリア様を頼む!敵はまだ他にいる!」

 あたしが怒鳴り返した直後に、ミオ達がいた方向から閃光と共に轟音が轟いた。

 何らかの魔法が炸裂したのは間違いない。

 ミオの返事は轟音にかき消されたのか、そもそも彼女自身返事をする余裕がなくなったのか、理由は定かではないがあたしには聞こえなかった。

 最悪、最早ミオが返事する事さえ出来ない状態に陥っている可能性すらある。

 ミオ達の状況はかなり気になるが、正直あたしは目の前の刺青男に対処するのに精一杯だ。

 「お前、あのゾラだったのか。男の振りしやがってすっかり騙されたぞ。だが、こいつは予想外の幸運だ。」

 男の口元に再びサディスティックな笑みが浮かぶ。

 ほぼ確信はしていたが、やはりこいつは『スカーズ』所属のシーフ、ハイドだ。

 こいつの鼻がやたらと硬かったのは顔に彫った刺青ならぬ呪紋の効果で顔面全体の防御力が上がっているせいだろう。

 鼻ではなく、より硬いこいつの額に頭突きが命中していたら、あたしの方が深刻なダメージを受けていたに違いない。

 「今更気づくなんて、シーフとしては観察眼が乏し過ぎない?」

 あたしは強がって無理やり笑みを浮かべた。

 ミオが相変わらずの迂闊さを発揮して安易にあたしの名を呼んだ事で連中に正体がバレてしまったが、今回ばかりはあまりに状況が切羽詰まっていたので彼女を責める気にはなれなかった。

 それに『スカーズ』にとって、あたしがここに居たのが完全に予想外だった事がミオの呼びかけによって判明した事は収穫と言えなくもない。

 十中八九、連中はあたしとは関係無くこの魔力溜まりなり、エヴェンの廃村なりを目的にしていた事になる。

 ただこの情報も、この死地を脱する事が出来なければ何の意味もないのだが。

 ハイドはちょこちょことナイフを突き出してあたしとの距離を測りつつ、精神的にあたしを揺さぶろうとしているのか挑発的な口調で話しかけてくる。

 「しかしまあ、普通なら冒険者同士の殺し合いはご法度だが、犯罪者相手となりゃ話は別だ。滅多に無い機会だし、楽しいませて貰うぜ。」

 あたしも動揺していない印象を与える為に、敢えて日常会話のテンションを意識しつつ答える。

 「あたし、あんた達に恨まれる覚えが無いんだけど?」

 「俺やヨキなんかはお前なんぞどうでも良いが、グレンとアリエノールは本気で同性愛者を憎んでいるからなあ。まあ、アリエノールもグレンも自らの偏った信念を盲信している狂信者だと俺も思ってはいる。」

 ハイドは一瞬あたしに同情するような口調で言ってから、再びサディスティックな笑みを浮かべた。

 「ただ同時に、あいつ等には感謝もしてるんだ。あいつ等がお前の様な奴を社会のゴミ認定してくれるお陰で、俺やヨキも人を殺せる大義名分って奴を手に入れられるからなぁ!」

 挑発の為のブラフか、単に自分が真の快楽殺人者である事を告白したのかは分からないが、そう言うとハイドはいきなり距離を詰めてあたしの右脇腹辺りをめがけてナイフを突き出す。

 しかし明らかに距離が遠すぎたせいで、あたしは比較的余裕をもってその一撃を躱せた。

 追撃が来るかと思ったがそれは無く、ハイドはあっさりと再び距離を取ってしまう。

 しかも引き足は妙に鈍く、わざとらしく急所を曝す様な隙も見せている。

 誘っているのは明らかだった。

 恐らく、あたしが右腕の義肢を前方に伸ばしているお陰で距離感が掴めないでいるのだろう。

 高レベルの戦士ならこの邪魔な義肢を力尽くで叩き潰して排除する事も可能だろうが、力より技で戦うシーフ相手には、金属製の義肢を前に突き出すこの戦法は有効だ。

 だが一方で、右腕の義肢を前方に出して距離を保つこの戦法は、あたしの側でも効果的な攻撃的は出し難い。

 一応、あたしの右腕の金属製義肢は、ナイフ程度が相手であれば多少の傷はついても壊される事はまず無いので、ハイドがナイフを突き出す動きに合わせてそれを掴み取ろうと何度か試みたが、その度に気配を察知されてスルリとナイフは逃げてしまう。

 何と言ってもハイドの方がレベルはかなり上なのだ。

 シーフは戦闘メインのクラスではないが、ここまでレベル差があると真っ向勝負で勝つのは難しい。

 加えてハイドが変則的なタイミングで繰り出す攻撃を躱そうとする度に、それ程大きく動いていないにもかかわらず、ナイフの刺さったままの脇腹に激痛が走る。

 持久戦では明らかにこちらが不利だ。

 ミオ達がいるはずの方向からは相変わらず派手に閃光が光ったり、轟音が轟いたりし続けており、あちらでも戦闘が継続中である事を示していた。

 戦闘が続いているという事は、少なくともミオなりイリア様なりが応戦しているという事で、どちらかは無事なのだろう。

 あたしは少し考え、近くの藪の中に潜んでいるはずのノエルに念話で短く指示を与える。

 それから意を決すると、僅かに横目でミオ達の方に視線を向けた。

 わざと隙を見せてハイドの攻撃を誘ってみたのだが、案の定ハイドは誘いに乗ってナイフを突き出してきた。

 しかしその動きは鈍く、ハイドの方もあたしの誘いに乗った振りをして逆に罠を仕掛けてきたのは明らかだった。

 それでも長期戦を避けたいあたしは敢えてその罠に乗り、右腕の義肢で攻撃してきたハイドのナイフを掴もうとする。

 呆気なくと言うべきか、これまでと違って簡単にナイフは掴めたが、同時に直前まで何も持っていなかったはずのハイドの左手に、いつの間にか別のナイフが握られているのに気づいた。

 しかしその行動は、あたしが予測していたハイドの行動の中の1つだった。

 右手のナイフに注意を引き付けておいて、隠し持っていた左手のナイフで刺す、というのは対人戦でシーフがよく使う戦術だ。

 あたしは咄嗟に右脚を引き、右半身(はんみ)から左半身(はんみ)に移行しながらその姿勢変更に伴う動きを利用して右手の義肢で掴んだハイドのナイフを引く寄せ、同時に左手に持った短剣をハイドに向けて突き出した。

 こうすれば同じ左手に持った武器の刺し合いでも、あたしの側は自然な体移動で攻撃出来るのに対して、ハイドの側はあたしの方に右半身(はんしん)を引っ張られつつ左手のナイフで攻撃する事になるので、あたしの攻撃の方がハイドより速く届くはずだ。

 だがこの身体の捻りを伴うこの大きな動きは、ナイフが突き刺さったままの左脇腹に激痛をもたらした。

 あまりの痛みに動きが止まりかけるが、あたしは脂汗を流しつつ歯を食いしばって痛みを抑え込み、動きを加速させた。

 その瞬間、右手の義肢で掴んでいたナイフが急に軽くなった。

 ハイドがナイフを自ら手放したのだ。

 だがもう遅い。

 今になって右手のナイフを手放した所で、左手の武器同士の刺し合いでは初動に優るあたしの方が勝つのは明らかだった。

 だが、すぐにあたしは自分の見通しの甘さに気づく。

 続いてのハイドの行動が完全に予想外だったからだ。

 ハイドが僅かに右手首を動かしたかと思うと、その袖口から4本目の小型のナイフが飛び出し、ハイドは器用にそれを掴むとあたしの首筋目掛けて突き出してきた。

 身体の左右を入れ替える大きなモーションのあたしに比べ、ハイドは曲げた肘を伸ばすだけという必要最小限の動きだ。

 当然ハイドのナイフの方が早くあたしに届く。

 今度はハイドの方が、勝利を確信したサディスティックな笑みを浮かべた。

 その瞬間、ハイドの体勢が僅かに崩れた。

 そのせいでハイドのナイフの軌道が逸れ、あたしの喉笛を切り裂くはずだった刃は、首の皮一枚を僅かに斬っただけだった。

 一瞬遅れてあたしの短剣がハイドの首筋に達した。

 手応えはあまりなく、ハイドが浅傷(あさで)しか負っていないと直感したあたしは奴の反撃に備えて半歩後退し、再び右半身(はんみ)の構えを取る。

 ハイドは妙にゆっくりとした動きであたしを見据えると、サディスティックな笑みを浮かべパクパクと口を動かし何か言いかけた。

 しかし口を動かしても声は出ず、代わりにヒューヒューと空気の漏れる様な音だけがした。

 次の瞬間、ハイドの首筋から大量の血が吹き出し、文字通り周囲を血の海にする。

 あたしは大量の返り血を浴びながら、目の前の光景に現実感が持てずに呆然と立ち尽くしていた。

 やがてハイドはゆったりとした動きで膝から崩れ落ちると、膝立ちの姿勢のまま上体が傾き始め、そのまま静かに地面に横たわった。

 やがて噴き出した血が収まるとハイドの顔が顕になるが、その表情は相変わらずサディスティックな笑みのままだった。

 呆然と立ち尽くしていたあたしだが、ハッと我に返って周囲を見渡す。

 「ノエル?どこ?」

 「……ここだよ〜。」

 少し離れた場所からノエルの情けない声が聞こえた。

 あたしは声のする方向を見回し、ハイドの遺体から少し離れた場所に転がっているノエルを見つけると、駆け寄って彼を抱き上げた。

 「よくやった、ノエル!あんたのお陰で命拾いしたよ!ありがとう!」

 「ここ最近、本当に無茶し過ぎだよ、もう……。」

 あたしの腕の中でノエルはボヤく。

 ハイドがあたしの喉を切り裂く直前、下生えの中に隠れていたノエルが飛び出し、ハイドの脚に体当たりしてくれた。

 そのせいで、あの時ハイドは僅かだがバランスを崩した。

 あたしが事前にノエルに念話で指示した内容は、可能ならハイドの不意を討ってくれというザックリとした内容で、手段もタイミングも完全に彼に丸投げしていた。

 しかしノエルは彼に出来る最高の手段とタイミングでそれを実行してくれた。

 あの絶妙なタイミングでのノエルの体当たりが無ければ、血の海で転がっていたのはあたしの方だったのは間違いない。

 あたしはノエルを胸元から離すと、彼の事を見回した。

 「あんた、大丈夫?どこも怪我は無い?」

 「ちょっとフラつくけど大丈夫だよ。僕よりゾラの方が重傷じゃない?」

 「ああ……。」

 心配そうなノエルの言葉に曖昧な返事だけを返すと、あたしはミオ達がいる方を見た。

 そちらからは派手に稲光が閃き、時折ここまで局地的な突風の余波が吹き付けてきた。

 暗闇と閃光が交互に訪れるせいで向こうの戦況は限定的にしか分からないが、どうやら敵らしい人影が3人、おそらく『スカーズ』の生き残りだろう。

 一方こちら側はグリンガとジーヴァが前衛で敵と接近戦をしつつ、後衛のミオが呪文で攻撃しているように見える。

 取り敢えずここからでは距離があり過ぎて詳しい戦況は分からない。

 戦況を確認する為にも、もっと近づく必要がある。

 「ノエル、もう一働きしてもらうよ。」

 「それは良いけどさ。それより、まず刺さったナイフを抜いたらどう?」

 ノエルの心配気な声に、あたしは首を振った。

 「今抜くと、傷口が開いて血が吹き出してしまう。あたしの治癒呪文ではこの傷口を完全に塞ぐのは無理っぽいし、そうすると結果的に血が足りなくなって動けなくなる。だから後回しだ。」

 無論ナイフが刺さったまま動き回れば傷口が抉れて更に傷口が広がったり、何かの拍子にナイフが内蔵まで到達してそれを傷つけたりする可能性も決して低くは無い。

 とても最善の策ではない事は自覚しているが、今は自分が動ける状態である事を優先した。

 それでもノエルは心配そうだったが、あたしは無視して話を続ける。

 「あたしは戦場を大回りして敵の背後に忍び寄る。ノエルは真っ直ぐミオ達の背後に移動して。時間がかかっても良いから敵に見つからない事を優先してね。」

 「それは良いけどさ。それからどうするつもり?」

 「それは戦況を確認してから決める。もしかしたら呪文を使ってもらうかもしれないから準備だけはしておいて。」

 「僕の呪文が通用するとは思えないけど?」

 「そこは使い方次第よ。じゃあ頼んだ。」

 あたしはノエルの頭をさっと撫でると、気休め程度とはわかっていたが自らに姿隠しと消音の呪文をかけ、更に『カメレオン』でシーフのクラスをコピーすると、身を低くして下生えの中を足を忍ばせつつ移動し始めた。

 脚を動かす度にナイフが刺さったままの脇腹が痛むが、アドレナリンが出ている為か我慢出来ない程ではない。

 とはいえ脂汗は相変わらず吹き出るし、集中力も削がれてしまう。

 それでもあたしは、気付かれない事を最優先してゆっくりと移動しつつ、同時に戦況を観察した。

 こちら側の前衛はやはりグリンガとジーヴァで、動き回って敵を撹乱しようとしているジーヴァと対照的に、グリンガはその場からほぼ動かずに戦っているようだ。

 そして敵側もやはり『スカーズ』の残りの3人だ。

 グリンガと正面から戦っている巨大な両手剣を持った重武装タイプのファイターのヨキは、パワーで優るグリンガの攻撃を上手くいなしつつ、時折嫌らしいタイミングでカウンターを仕掛けており、今の所状況は五分五分に見える。

 クレリックのグレンは動き回るジーヴァが後衛のアリエノールに近づかないよう上手く牽制しつつ、防御呪文と回復呪文の発動を優先し、隙をみてジーヴァやグリンガに近接攻撃や呪文で攻撃している。

 意外だったのは後衛のエルフのメイジのアリエノールで、あまり攻撃魔法は繰り出さずに防御魔法中心で戦っていた。

 意外ではあったが、アリエノールのその行動にすぐ納得してしまったのは、ミオの攻撃魔法が凄まじかったからだ。 

 ミオがメインで使っている呪文は、おそらく高レベルの自然魔法『雷雲』だろう。

 噂では聞くが、実際に見るのは初めてだ。

 あたしがたまに使う秘術魔法の雷の呪文と異なり、『雷雲』の呪文はまず小型の雷雲を生成する必要があり、それにはそれなりの準備時間と大量の魔力を必要とするが、一度雷雲を生成してしまえば以後はその雷雲から少ない魔力で雷や雹、突風を発生させる事が出来る。

 完成した『雷雲』から無数に放たれるこれらの猛威から身を守る為には、防御魔法中心の戦い方になるのは仕方がないのだろう。

 ただやはりというか、イリア様の姿が全く見当たらなかった。

 そこでふと、その場から動かずに戦っているグリンガの姿に違和感を感じた。

 最初、攻撃の中心であるミオが呪文発動に集中出来るよう、彼女を守る為にその場から動かずにいるのかとも思ったが、ミオ自身はグリンガの背後からしばしば離れる様な動きを見せている。

 どうやらミオは、グレンやヨキに対して奇襲気味に近接攻撃を仕掛けようと試みているようだ。

 何故ミオが呪文発動に集中せずにそんな余計な行動をしているのか理解出来なかったが、重要なのはミオの行動の動機ではなく、グリンガがミオの動きに全く反応していない事だ。

 実際、ジーヴァの方はミオの動きと連動して動き、グレンやヨキを多少慌てさせる程度の戦果は上げている様に見える。

 まあ、ついさっき出会ったばかりの2人に連携した動きを期待する方が間違いなのだろうが、その事を差し引いても頑なに脚を止めて戦っているグリンガの動きにはやはり違和感を感じる。

 そこであたしの頭の中で、姿の見えないイリア様の存在とグリンガの頑なな行動が結びついた。 

 胸を射抜かれたイリア様が軽症のはずがない。

 下生えの陰で見えないが、グリンガの足元にはイリア様が倒れているのではないだろうか?

 その倒れたイリア様を守る為にグリンガはその場から頑なに動こうとしないというのは納得のいく理由に感じる。

 納得はいくが、グリンガの動きが制限されるのは、こちら側としてはかなり不利な点だ。

 ただ逆に、こちらに有利な点もある。

 霊樹の傍にいる事により、ドルイトのミオには際限なく魔力が供給され続けるので、彼女は魔力切れの心配無く強力な魔法を連発出来る。

 実際ミオは、維持するだけで結構な魔力を消費し続ける『雷雲』の呪文と並行して、下生えの草を絡ませて敵前衛の動きを一時的に封じる『蔦絡み』の呪文や、武装したグレンやヨキと互角に接近戦闘する為だろう、自らの両腕を熊の腕に変化させる『熊の手』の呪文も使っている。

 霊樹無しの状態だったならミオの魔力はあっという間に枯渇してもおかしくないくらいの魔法の大盤振る舞いだ。

 一方で敵の呪文使いであるクレリックのグレンとメイジのアリエノールには霊樹の魔力供給は無い。

 もしこのままミオが無尽蔵の魔力に物を言わせて強力な魔法を連発すれば、グレンやアリエノールの魔力の方が先に底を尽き、防御魔法すら唱える事が出来なくなるはずだ。

 だが力押しの魔法連打で勝利が確定している状況なのに、実際にはミオは、自らリスクを冒して安全なグリンガの背後から突出して、ヨキやグレンに近接攻撃を仕掛けている。

 彼女がそんなリスキーな行動を取る理由は、グリンガがその場から頑なに動かずに戦っている理由と恐らく同じだろう。

 魔力の圧倒的な差を利用したこの戦法の唯一の欠点は、どうしても長期戦が避けられない点だ。

 確実で安全な戦法から逸脱したミオのリスキーな行動も、長期戦を避けたいという理由なら納得がいく。

 そして長期戦を避けたい理由として真っ先に思い浮かぶのは、イリア様の状態が一刻を争うものだという事だ。

 あらゆる推測が、イリア様が危険な状況にあるという点に収束していき、焦りを感じた所で『スカーズ』側の戦い方が変化した。

 それまで防御的に魔法を行使していたアリエノールが一転して攻撃的に魔法を使い始めたのだ。

 アリエノールから放たれた魔法の矢が連続してグリンガに降り注ぎ始めた。

 『魔法の矢』の呪文自体はあたしでも使える低レベル呪文だ。

 準高レベルのアリエノールがわざわざ低レベル呪文を使用したのは、防御魔法を同時に展開している事や、魔力の節約を考えればそれ程不思議な事ではない。

 ただアリエノール程の使い手だとこの手の低レベル呪文でも危険な存在と化す。

 アリエノールは魔力消費が少ないこの呪文の利点を最大限利用し、大量の『魔法の矢』を生成するとそれを連続してグリンガに向けて解き放った。

 その場から動こうとしないグリンガはいい的でしかなく、その白銀色の体毛がみるみる赤く染まっていく。

 すぐさまミオがグリンガに治癒呪文を掛けたのは良かったが、治癒呪文を掛けたせいでミオの攻撃の手が緩んだ瞬間を見逃さずにヨキもグリンガに対して、それまでの防御的な戦い方から一転して攻勢に転じた。

 するとミオもますます行動をグリンガの治癒主体に移さざるを得なくなる。

 戦いの流れが一瞬の内に入れ替わってしまった。

 この辺、『スカーズ』は流石に戦闘巧者と言えるが、同時にミオも高レベルの割には戦闘の詰めが甘い様な気がした。

 ともあれ、ますます予断の許されない状況になってきた。

 あたしは心持ち歩く速度を速め、『スカーズ』の連中に見つからずに観察出来るギリギリの地点まで更に近づく。

 この僅かな距離の移動の間にも、ミオ達が『スカーズ』に押し切られるかもという焦りはあったが、ミオ達はよく耐えており、これ以上の状況悪化は避けられたようだ。

 いや逆に、ミオ達が徐々に押し返し、再び五分の状態に戻りつつある様な気配さえあった。

 あたしは安堵しかけたが、すぐに『スカーズ』の連中の不自然さに気づいた。

 先程一瞬で戦況を覆した『スカーズ』の連中にしては詰めが甘すぎる。

 手を抜いているとまでは言わないが、むしろ『スカーズ』の方が長期戦覚悟で安全策を取っている様にも見える。

 今思えば、『スカーズ』の連中が真っ先にイリア様を狙撃したのは、彼女が高レベルドルイトである事を知っており、高レベルドルイトと霊樹の組み合わせが脅威になる事を分かっていたからだろう。

 連中がここにあたしがいるのを知らなかった事からも、イリア様と同等の高レベルドルイトであるミオがいた事は連中にとって誤算だったのは分かる。

 しかし今までの戦闘で、ミオがイリア様に匹敵する高レベルドルイトである事は連中にも充分伝わったはずだ。

 それなのに、速攻で倒したイリア様の時とは違い、自分達にとってジリ貧となる可能性の高い長期戦になっても安全策を取る理由は何か?

 勿論イリア様の時とは異なり不意を討てなかったという状況もあるし、ミオとグリンガが力押しでどうにかするにはリスクの高い相手であるという認識が連中にある事は間違い無いだろう。

 だがそれだけでは、先程の絶好の機会に畳み掛ける事をせずに、安全策を取る理由としては弱い気がする。

 あたしが思う程先程の攻守の入れ替えは決定的な機会ではなかったのか、あるいは『スカーズ』の連中はもっと良い手札を保持しているのか。

 何かを見落としている気がしたあたしは、連中の立場になって状況を考察し直して、気づいた。

 連中はハイドが死んだ事をまだ知らない。

 ミオがあたしの名を呼んだ事で、ハイドが狙った相手が偶然にもあたしである事は『スカーズ』の他のメンバーにも伝わっただろう。

 そして普通に考えたら、不意討ちを仕掛けたハイドが格下のあたしに返り討ちに遭ったという発想にはなり難い。

 何しろ『スカーズ』の連中は、冒険者としてのあたしを見下しまくっているからだ。

 もしあたしの推測通りなら、『スカーズ』の連中は勝利をより確実得る為、あたしを始末し終えたはずのハイドが、ミオかグリンガに奇襲を仕掛けるのを待っているのではないか。

 確かに連中が想定している奇襲が成功すれば、戦況は比較的安全に逆転出来る。

 この推測が当たっているならば、これは連中の裏をかく絶好の機会かもしれない。

 あたしは頭の中で素早く計画を練ると、ノエルに念話を送った。

 (ノエル、今どこ?)

 (ミオの後ろ。鳥目の僕でもギリギリミオが見える位の距離だよ。)

 (分かった。出来ればもう少し近づいて欲しいけど、敵にバレそうならその場から動かなくてもいい。)

 (分かった。で、何か作戦を思いついた?)

 (あたしを襲ったシーフの男の顔、覚えている?具体的には、幻影呪文であの男の姿を再現出来る位に。)

 (まあね。僕の記憶力の良さは知っているでしょ?)

 ノエルは得意気に言うが、今回はその態度を咎めないでおく。

 カラスの使い魔は低レベルのものなら主人の使える呪文を発動出来る。

 今回はノエルに幻影呪文を発動してもらって連中の気を逸してもらう。

 呪文で幻影を作る場合、そのリアルさは術者や呪文のレベルに依存するのは勿論だがもう1つ、作り出そうとする幻影を術者が頭の中でどれだけ正確に思い描けるかも重要となる。

 そして実際、ノエルはかなり正確に幻影呪文で過去に見た事があるものを再現出来る。

 ただノエルの術者としてのレベルが低すぎるせいで、その幻影は正確に描けはしても半分透けているせいで一目で幻影と分かってしまうし、ノエル自身の魔力が低すぎるせいでほんの数秒しか呪文は持続しない。

 しかし今は夜だし、一瞬だけ連中の気を引ければそれで良い。

 それにこれから見せる幻影は連中が望んでいる上に、実際にこれから起こると連中が思っているであろう光景だ。

 連中が幻影を信じるハードルは下がるはず。

 あたしは逸る心を抑えながらノエルとの念話を続ける。

 (ノエルはあたしが念話で合図したら、さっきあたしを襲ったシーフがミオを背後から襲う幻影を呪文で作って。)

 あたしがそう言うと、途端にノエルの声が不安気になる。

 (僕じゃリアルな幻影は作れないし、幻影自体も数秒しか維持出来ないよ。)

 (一瞬、連中の気を逸らせれば充分だよ。)

 あたしが意図して励ますように念話を送ると僅かな間を置いた後、相変わらず不安そうではあったがそれでもノエルは了承した事を念話で送ってきた。

 (……分かった。ところで、ミオには知らせなくとも良いの?)

 ノエルが意外な提案をしてきて、あたしは少しだけ驚く。

 (知らせる手段も時間も無い。)

 あたしが率直に思った事を念話で送ると、ノエルは更に意外な事を言い出す。

 (念話は?今、ミオとは中途半端に契約が繋がっている状態なんでしょう?実際、ナギは念話に似た魔力的な繋がりでゾラの危機を知った訳だし。)

 言われてみればその可能性は充分ありそうな気がしてきた。

 まあ、ぶっつけ本番だと敵が驚くのと同様にミオも幻影に驚いてしまい、敵の気を逸らすだけでなくミオの気も逸してしまう可能性もあり得る。

 (……まあ、効果があるかは分からないけどやるだけやってみる。じゃあ、頼んだ。)

 あたしはノエルとの念話を一旦切ると、クレリックのグレンとメイジのアリエノールのどちらを標的にするか少し考え、グレンを目標にする事に決めた。

 メイジのアリエノールの方がクレリックのグレンより接近戦の能力は低いだろうが、エルフのアリエノールは夜目も効くし聴覚も鋭い。

 奇襲を成功させ易い相手となればグレンの方だろう。

 一撃でグレンを倒すのが理想だが、あたしの力では重装備のグレン相手にそれも難しいだろう。

 それでもグレンとあたしが交戦状態に入り、グレンをあたしの相手で手一杯にするだけで戦況は一気に変わるはずだ。

 あたしはミオに一応念話を送ってみる。

 (ミオ、聞こえる、ゾラよ。もう少ししたらもう一回念話を送る。その直後にあんたの背後に幻影を作り出して敵の気を逸らす。同時にあたしは敵のクレリックに奇襲をかけるから、上手く対応して。)

 そう念話を送り、その後数秒間待ったがミオからの返事はなかった。

 まあ、元々通じれば儲け物程度の期待しか持っていなかったので、特に落胆はしない。

 あたしは最後にもう一度戦況を確認する。

 アリエノールの魔法攻撃は先程より明らかに散発的になっていた。

 アリエノールの実力からして魔力切れには程遠い気がするので、おそらく魔力を温存しているのだろう。

 そしてアリエノールからの攻撃魔法の支援が減じたせいか、グリンガとヨキの一騎打ちもグリンガが押し返し始め、ヨキがやや防戦に回っているようにも見える。

 やはり連中にしては詰めが甘い感じが引っ掛かるが、先程のハイドがわざと隙を診せてあたしを罠にかけようとしたのと同様に、ミオ達の油断を誘う策の可能性もある。

 そしてあたしが標的に定めたグレンは、相変わらず撹乱戦法に終始しているジーヴァの対応と、防御魔法や回復魔法で手一杯のようだ。

 やはりグレンをあたしとの戦闘に集中されば、グレンの代わりにアリエノールが防御や回復に回らざるを得なくなり、ミオとグリンガはより攻撃に集中出来るようになるだろう。

 改めてグレンを狙う戦術的意味を確認したあたしは、標的たる奴を観察する。

 如何にもクレリックらしく、グレンは分厚い金属鎧に大盾、メイスで武装していた。

 普通ならあたしの短剣では鎧の隙間を狙う以外に効果的にダメージを与える方法は無いが、あたしには囓った程度とはいえエルフ剣術の心得がある。

 エルフ剣術は秘術魔法と剣技を組み合わせたもので、上級者となれば剣で接近戦を行いながら同時進行で呪文を発動したり出来るが、あたしレベルだと事前に剣に魔法効果を一時付与する程度だ。

 「嵐を纏いし風の乙女よ……。その荒ぶる魂を閃光と共に解き放て……。」

 あたしが小声で呪文を唱えると、抜身の短剣の刀身に稲妻がまとわりついて青白く輝く。

 金属鎧は雷の呪文に弱い。

 とはいえあたしの魔力では、軽い痺れや嫌がらせ程度の軽傷しか与えられないだろうが、それでもグレンの注意をあたしに引き付ける事が出来れば上出来だ。

 あたしは息を潜めて更にグレンとの距離を詰めた。

 下生えの中に身を潜めているとはいえ、あたし程度の隠密の腕ではいつバレてもおかしくない距離へと踏み込む。

 それでも何事もなく後5歩程でグレンに接敵出来る場所まで近づけた。

 グレンは未だあたしに気づいた様子はない。

 (ノエル、ミオ!)

 あたしが念話で呼び掛けると、一瞬遅れてミオの背後にナイフを持って迫るハイドの幻影が出現した。

 半分透けてしまっている出来損ないの幽霊のような幻影だが、それを見たグレンの顔に勝利を確信したかの様な笑みが浮かんだのをあたしは確かに見た。

 それを確認したあたしは、隠れていた下生えから飛び出し、一気にグレンとの間を詰めた。

 あっという間に3歩進むが、グレンは未だにあたしに気づいた様子はない。

 だが4歩目を踏み出した瞬間、あたしとグレンとの間に何者かが立ち塞がった。

 金属的な光沢を持つ美しい金髪をたなびかせた、その儚げな美貌に似つかわしくない禍々しい呪紋を顔中に彫った、黄金色の瞳を持つエルフの女だ。

 エルフの魔術師アリエノールは、高慢な笑みを浮かべつつあたしの前に悠然と現れた。

 あたしは舌打ちしつつ、稲妻を纏った短剣を突き出した。

 しかしアリエノールは腰から一瞬の内に二刀のシミターを抜くと、それを交差させてあたしの短剣を易々と受け止めた。

 彼女の抜刀はあまりに速すぎ、あたしの目では全く追えなかった。

 「あれだけ何度も念話を流しておいて本当に奇襲が成功すると思っていたのかい?おめでたい女だ。」

 アリエノールはハイドそっくりのサディスティックな笑みを浮かべつつ言った。

 確かに念話を盗聴される危険性をあたしは失念していたが、それをもってあたしは自分自身を不注意だと責めるつもりはない。

 メイジであれば確かに、格下相手に限定されるが誰でも念話を盗聴出来る事は知っている。

 しかしそれは、念話を交わしている者達を認識した上で、更に精神を集中させる必要がある。

 そもそもあたしは、『スカーズ』の連中はハイドが首尾よくあたしを始末したと思い込んでいるはずだ、と決めつけていた。

 だからこそ、死んだと決めつけているあたしの動向など連中が気にするはずがないという前提で物事を考えていたのは否定出来ない。

 その思い込みは確かにあたしの失敗だが、重要なのはもう1つの点だ。

 念話の当事者より数段上の精神集中を必要とする念話の盗聴は、普通戦闘中に行える代物ではないはずだ。

 戦闘中に念話の盗聴を行うなど、右手で白刃を交える命懸けの真剣勝負をしながら左手で精密な絵画を描くようなものだ。

 普通、そんな相反する行為を同時進行で行う事など不可能にしか思えないのだが、そこでふと、ずっとあたしが抱いていた違和感に戻り着く。

 好戦的なイメージの『スカーズ』が、手を抜いていると誤解するくらいの安全策を取り続けていた点だ。

 あたしはずっとその理由を、あたしを片付けたハイドが奇襲してくるのを待っている為とか、魔力を温存する為だと推測していたが、この女が温存していたのは魔力ではなく自身の集中力だったのかもしれない。

 目先の戦闘における火力を犠牲にしてまでも、周囲の状況の観察に魔法の力を振り向けていたのかもしれない。

 そしてよくよく考えると、順当にハイドがあたしを始末していればもっと早くアリエノール達と合流していたはずだという事に今更思い至る。

 その合流が予定より遅くなった時点でアリエノールは予定外の事態の発生を察し、目先の戦闘より全体的な状況の把握に重点を移したのだろう。

 そう思えば、唐突にアリエノールが行ったグリンガへの集中攻撃も別の意図が見えてくる。

 あれは局所的な戦闘の流れを変えるのが目的ではなく、今やあの女にとって不確定要素となったハイドが取り逃がした可能性のある存在、つまりあたしを焦らせ、拙速な行動に導く為に行ったのかもしれない。

 もしそうなら、あたしはこの女の掌の上で踊らされた事となる。

 結果的にこの女が網を張っている中で呑気に念話で会話を行い、作戦の全てをこの女に漏らしていたのだから。

 「グレン。」

 目の前の女の狡猾さに舌を巻いていたあたしをよそに、当のアリエノールはグレンに冷たい視線を送った。

 「すぐヨキの援護に戻れ。最早不確定要素は無い。この女を殺したらあたしもすぐそっちに戻る。それまで今の状況を死守しろ。」

 「あ、ああ。」

 冷たく指示するアリエノールと、怯えたように頷くグレンとの間には、明らかな上下関係が感じられた。

 そしてアリエノールの冷たい声に、殺人に慣れた者特有の冷酷さを感じたあたしは、慌ててアリエノールの2振りのシミターに挟み込まれた短剣を引き抜こうとする。

 しかしあたしの短剣は、万力で挟み込まれたかのようにビクとも動かない。

 そこであたしはアリエノールのもう1つの異常さにようやく気づいた。

 全てのエルフはクラスに関係なく弓技と剣技を習得出来るが、戦闘系のクラスでなければその力量は自身のクラスレベルの4分の1のレベルの戦闘系クラス程度のものだ。

 アリエノールが準高レベルという噂を信じるならば、メイジ単独クラスのこの女の剣技は準中レベルレンジャーのあたしと互角か、やや劣るはずだ。

 しかし、アリエノールの剣技はあたしより遥かに上だった。

 2振りのシミターを電光の速度で抜いたスピードも無論だが、そもそもあたしの短剣の一撃を受け流すだけなら2振りのシミターで挟み込む必要などない。

 そんな行為は余程格下相手にしか成功しないだろう。

 そしてそれを易々と成功させたアリエノールの行為は、剣技に於いてあたしより遥かに格上という事の明確な証拠と言えた。

 あたしは何とか2振りのシミターで挟まれた短剣を引き抜こうし続けるが、アリエノールは僅かな体移動とシミターを持つ手の角度を変えるだけで完全にあたしの試みを封じている。

 そしてグレンが元の持ち場に戻った事を横目で確認すると、アリエノールはパチパチと稲妻を纏っているあたしの短剣に目を落とした。

 「おや、雷剣とは一丁前にエルフ剣術が使えるんだねぇ。ならあたしも披露しないと。」

 そう言うと、アリエノールの2本のシミターが炎に包まれ始めた。

 危険を感じたあたしは咄嗟に短剣を自ら手放すと、大きく後方へと飛び退いた。

 咄嗟の判断でシミターの間合いから素早く抜け出す事に成功したが、それでもアリエノールがシミターを振るうと纏っていた炎がそのままあたしの方まで鞭のように伸びてきた。

 あたしは反射的に右腕の義肢でその炎を払い除けるが完全には防げず、火の粉があたしの顔に降り注いでチリチリと顔の皮膚を焼いた。

 奇襲の失敗と、予想外のアリエノールの剣技に動揺しまくっていたが、それでもあたしは左手で大型万能ナイフを抜き、ハイドに対したように右手の義肢を前に出す右半身(はんみ)の構えを取る。

 アリエノールは炎を纏った2本のシミターを持った両手をダラリと下げたまま、悠然とあたしを見ていた。

 すぐに追撃してこないのは、その異形の美貌に張り付いたサディスティックな笑みから察するに、戦術というより自らの嗜虐心を時間をかけて満足させる為であろう。

 「ハイドの姿が見えない所を見ると、お前に殺られたのか?お前の様な半端者に殺られるとは情けない限りだが、まあ、あたしにお前の様な気持ち悪い同性愛者の女を殺らせる機会を与えてくれたんだ。そこだけは褒めてやらないとな。」

 予想外に底の見えないアリエノールの力量にあたしは圧倒され、どう戦えば勝てるのかその糸口さえ見えずにほぼ絶望に近い感情を抱いていたが、彼女の安っぽい挑発があたしのほとんど消えかけていた闘争心に小さな火を灯した。

 あたしは無理やり引き攣った笑みを口元に浮かべた。

 アリエノールとの実力差は圧倒的だ。

 だからこそ、勝つために必要な事は何でもやらなければならない。

 まずはせめて、気持ちだけは負けないよう自分を騙してでも気を強く持とうとする。

 次に具体的な作戦の第一歩として、あたしに対する憎悪を利用する事にする。

 憎悪は理性を失わせる原因になり得る。

 理不尽な憎悪ではあるが、だからこそあたしとしても心置きなく利用出来るというものだ。

 「一度訊いてみたかったんだけど、あんたどうしてあたしをそこまで敵視するの?あたし、あんたを口説いた覚えも振った覚えも無いのだけど。」

 アリエノールの圧に対して自らを鼓舞し、同時に彼女の理性を少しでも失わせる為の強がりだったが、実際に口にすると不思議と心がほんの少しだけ落ち着いた。

 アリエノールの自分に対する一方的な憎悪に、あたしの方が負い目を感じる必要が無いと分かったからだ。

 あたしの言葉でアリエノールのサディスティックな嘲笑が、分かり易く引き攣った。

 「お前の様な本来日陰にいるべき人間が、恥知らずにも開き直っているのを見ると、本当に虫酸が走る……!」

 アリエノールはあたしへの一方的な憎悪を吐き出しつつ、ゆらりと一歩近づく。

 気持ちを強く持って平静を取り戻したはずだったが、アリエノールが一歩近づいただけで相手との圧倒的な力量の差が改めて感じられ、本能的に生命の危険を全身で感じ取って身が竦む。

 ベクターと対峙した時は、彼があたしを生け捕りにするのにこだわったせいで、彼からの殺気は終始かなり軽減されていた。

 だが今、アリエノールはあたしに対する殺気を隠そうともしない。

 その殺気だけであたしの心は折れかけ、恐怖に駆られたままこの女に背を向けて逃げ出したくなる。

 だが僅かに残った理性が、この女に背を向ける事こそが最も自分の生命を危険に曝す行為だと告げ、自分自身を激しく叱咤しながら何とかアリエノールと正対しながらその場に踏み留まる。

 アリエノールが更に一歩踏み出す。

 彼女の持つシミターがあたしに届くまで、あと3歩程しかない。

 その時、突如声が響いた。

 「アリエノール、まずい!ヨキが殺られた!」

 その声の直後、アリエノールから放たれていた殺気が一気に消えた。

 状況からして、声の主は『スカーズ』のクレリックのグレンだろう。

 アリエノールは舌打ちすると、未だ強烈な圧を感じさせる視線で威圧したままゆっくりとあたしから離れ、グレンの方に近づくと、彼を怒鳴りつけた。

 「一体、どうした!?」

 アリエノールの怒号に対し、グレンが言い訳がましい口調で説明する。

 「俺がそいつからの奇襲に気を取られていた間に、俺が対応していた狼がヨキを背後から襲ったんだ。その攻撃は凌いだんだが、その隙を突いた正面のバカでかい狼の攻撃を回避出来ずに……!」  

 「チッ……!」

 グレンの報告を聞いたアリエノールが舌打ちするが、一方のグレンはアリエノールの舌打ちに気づいた様子もなく、堰を切ったように捲し立てる。

 「目標のドルイトを首尾よく始末したと思ったらもう一人化け物じみたドルイトがいるし、ようやく駆けつけたハイドの姿も唐突に消えるし、ハイドが始末したはずの奴にも襲われるし、もう訳分からねえ!」

 グレンの混乱っぷりから察するに、全体の状況を把握していたのはアリエノール一人で、しかもそれをパーティメンバーと共有すらしなかったという事が伺えた。

 先程垣間見えた明らかな上下関係もあるし、もしかしたら『スカーズ』という冒険者パーティはアリエノールのワンマンパーティなのかもしれない。

 「こんな奴の小細工に引っ掛かって間抜けが!」

 あたしの推測を裏付けるようにアリエノールはグレンを叱りつけ、グレンは口を閉じると身を縮こませた。

 ともあれ、あたしの奇襲が結果的にヨキを倒す事に繋がったのなら、痛みを押して行動した甲斐があったというものだ。

 グリンガやジーヴァを数に入れれば、少なくとも人数的にはこちらが優位に立った事となる。

 ミオ達と上手く連携すればこのまま押し切れるかもしれない。

 そう思って改めて状況を確認する為にミオ達の方を見ると、クレリックのグレンがジーヴァとグリンガに挟まれ身動きが取れなくなっているのが見えた。

 グレンの周囲には強力な結界が張ってあるようでジーヴァもグリンガもそれ以上近づけないでいるようだが、あの結界は確か、敵の攻撃を魔法も含めてほぼ通さない強力な代物である代わりに、術者自身も結界の外に一切攻撃は行えないし、結界を解かない限りその外へ移動する事も出来ないはずだ。

 その上、結界を維持する為にはかなりの魔力消費も必要なはずで、短時間の時間稼ぎにしか使えないはずの呪文だ。

 アリエノールの判断は速かった。

 「グレン!ここは撤退するぞ!タイミングを合わせろ!」

 そう言うとアリエノールは一瞬だけあたしと視線を合わせるともう一度舌打ちしたが、すぐにミオ達の方に視線を戻し、エルフ語で素早く呪文を唱え始めた。

 するとアリエノールの頭上に次々と火球が浮かび始める。

 1つ1つの火球の大きさはそれ程大きくはないが、数が尋常ではなかった。

 ほんの数秒の間に、確認出来るだけで10を超える数の火球が生成されていく。

 「まだこんなに魔力を残していたの……!?」

 あたしは呆然と呟く。

 確かにアリエノールは魔力を温存しつつ戦っていた様子だったが、魔力溜まりで無尽蔵に近い魔力の支援を受けたミオの魔法の半分くらいは彼女が呪文で防いでいたはずだし、魔法で周辺の状況を確認したり、いつ始まるか分からなかったあたし達の念話の盗聴にもそれなりの魔力を割いていたはずだ。

 アリエノールが温存していた魔力は、精々強力な魔法を後2、3発放てる分くらいだろうとあたしは推測していたが、この大量の火球を見るに、あたしの想像の10倍くらいの魔力は温存していたようだ。

 その尋常でない魔力を見るに、この女は準高レベルという従来の噂を遥かに超えた力の持ち主である可能性も出てきた。

 剣士としてもあたしを遥かに超える力量を感じさせたが、魔術師としてもかなりの化け物だ。

 アリエノールはほんの数秒の間に20個程の火球を頭上に作り出すと、その火球を1発ずつミオ達がいる方向に次々と撃ち込み始めた。

 着弾した火球は順次爆発し、轟音と白煙を発し始める。

 アリエノールはゆっくりと身体の向きを変えつつ、着弾点を半円状に徐々に移していく。

 呆然と見守っていたあたしだが、半円状に移動していく火球の着弾点が自分の方に向かってくるのに気づくと慌てて近くにあった木の陰に隠れ、身を屈めて遮蔽を取る。

 直後、あたしの近くに続け様に3発の火球が着弾し、轟音が轟いた。

 同時に熱風があたしを襲うが、予想した程の威力ではなかったようで熱や爆風による負傷は無かったようだ。

 ただ轟音のせいで耳鳴りはするし、巻き上がる白煙のせいで視界も効かない。

 「おい、ゾラ!どこだ!?無事か!?」

 耳鳴りが収まった頃、白煙の向こうからミオの声が聞こえた。

 その口調は、珍しく少し慌てているようにも聞こえた。

 あたしは白煙を吸い込まないよう袖口で口元を覆いつつ、ミオに返事をする。

 「あたしは無事よ!ただ、下手にその場を動かないで!連中がまだその辺に潜んでいて不意討ちをかけてくるかもしれない!警戒を怠らないで!」

 「分かった!」

 ミオが素直に了承した旨を返してきた。

 森の中でのミオの感知能力は高そうだったが、先程の『スカーズ』の不意討ちへの対応があたしより遅かった事を鑑みるに、その感知能力は元々森に住む動物や魔物にしか効果が及ばないのかもしれない。

 アリエノールとグレンの会話から察するに、火球の魔法を乱打したのは撤退を速やかに行う為だと考えるのが順当だろうがあのずる賢い連中の事だ、あの会話自体、あたし達を騙す罠という可能性もゼロではない。

 そのように穿った考えで警戒を続けていたが、結局何も起きないまま白煙は薄れ、少し遠慮がちではあるが襲撃の直前から止んでいた蛙の鳴き声も戻り始めた。

 あまり自覚はなかったが、それであたしの緊張も緩んでしまったのだろう、鈍かった左脇腹の痛みが急に激しくなる。

 今すぐ治療すべきなのは分かっているが、それより先にすべき事がある。

 あたしはゆっくりとミオ達がいると思しき場所に向かう。

 すぐにジーヴァが寄ってきて心配そうに鼻を鳴らした。

 いつもは膝をついてジーヴァと目線を合わせてから彼を労うのだが、この時は屈んだり立ったりを繰り返すと脇腹の傷に響く気がしたので、あたしは立ったまま彼の頭を撫でてから言う。

 「ジーヴァ、悪いけどもうしばらく周囲を警戒していて。連中が戻ってくるかもしれない。」

 ジーヴァは了承したとばかりに小さく吠えると、連中の匂いを確かめようとしているのか、鼻を高く上げた。

 ふと足元を見下ろすと、全身を金属鎧で固めた男が横たわっていた。

 『スカーズ』のファイターのヨキだ。

 ヨキは目を見開いたままピクリとも動かない。

 首が有らぬ方向に曲がっているし、頭部周辺の地面に大きな血溜まりが出来ているし、事切れているのは間違いなさそうだった。

 あたしの中では最悪の印象しか残っていない男だったが、一応ごく短時間だけ目を閉じ、冥福を祈る。

 それからすぐに顔を上げて再び周囲を見回した。

 ブナの霊樹の横にグリンガの巨体が見え、その傍らには跪いたミオの姿もあった。

 その頭上近くの枝にはノエルも止まっている。

 彼らに近づくと、ようやく霊樹の根元に横たわるイリア様の姿が見えた。

 イリア様の姿が中々見えなかったのは地上にまで張り出した、ブナの霊樹の巨大な根の間に横たわっていたからだ。

 「イリア様、重傷なの?」

 矢が刺さったのは胸元だし、場所によっては洒落にならない事態になりかねない。

 「ああ、それは……。」

 ミオは返事をしながらこちらを見たが、すぐにギョッとした表情を浮かべて言葉を詰まらせた。

 あたしはミオの表情の変化の理由にすぐには思い至らず、一瞬遅れて自分が返り血まみれな事を思い出した。

 「ああ、これはほとんど返り血だから大丈夫。」

 「いや、脇腹にナイフも刺さっているぞ。」

 「うん、取り敢えずあたしの事は後回しにしてイリア様の事を聞かせて。」

 あたしの言葉にミオは何か言いた気に口をパクパク動かしたが、すぐに諦めたように首を振った。

 それから横たわるイリア様に視線を戻す。

 「矢は急所を外れていたし、それ程深く刺さっていた訳でもない。矢も上手く抜けたし、傷もすぐ呪文で塞いだから出血も多くはないはずだ。だが、あまり良い状態には見えないな。」

 「意識は?」

 「無い。矢が刺さって数秒で意識を失って倒れ、そのままだ。」

 「抜いた矢は?」

 「その辺に転がっているはずだ。」

 あたしはミオ達の周辺を見渡し、地面に転がっていた矢を拾い上げた。

 軽く魔力探知をかけてみると、思いがけず強い反応があった。

 「……断言は出来ないけど、多分呪いね。」

 「呪い?」

 「ミオはエルフ弓術って知ってる?」

 「ああ、実際に見た事は無いが、話だけは聞いた事がある。矢に呪文を込めて放つエルフ独自の弓術だろう?」

 「アリエノールが矢に呪いを込めて射ったのだと思う。」

 「アリエノールって、さっきのエルフの魔術師か?」

 「だね。」

 あたしは頷いたが、もはやアリエノールを単純に魔術師と言って良いのか分からなくなった。

 あの剣の腕前からして、もしかしたらソニアと同じハイランダーかもしれない。

 アリエノールの正体はともかく、本当にこれが呪いとなるとかなり厄介だ。

 呪いには様々な種類のものがあり、そのどれもが対象に何らかの不利益をもたらすものだが、自然界に存在する毒や疫病等と異なり、呪いは負の魔力や秘術魔法によって不自然に作り出されたものであるという点が最大の特徴だ。

 呪いは負の魔力に長期間晒され続けた場所で無作為に発生する場合と、人為的に呪文によって作られる2つのパターンがあるが、どちらにしても自然由来の魔力を力の源とするドルイトの自然魔法とは相性が悪い。

 そして呪いは最低レベルのものであったとしても、作り出すにしろ解呪するにしろ普通は中レベル以上の秘術魔法か神聖魔法が必要となるはずだ。

 ミオは再びイリア様を診察すると渋い顔であたしを見上げた。

 「今すぐどうこうという事はなさそうだが、多分自然に意識が戻る事は無さそうだし、少しずつ衰弱している気がする。呪いという事は、自然治癒は望めないんだな?」

 「恐らくね。」

 「なら選択肢は2つだけだな。『冬眠』の呪文を使うか、何とかイリア様をそれなりのレベルのメイジかクレリックに診せて解呪してもらうかだ。」

 「『冬眠』の呪文……。」

 うろ覚えだが、高レベルの自然魔法にそういう呪文がある事は知識としては知っている。

 数日から長くて数ヶ月間、対象を仮死状態にする魔法で、その間対象は飲食を一切必要としないが、最大の利点はその効果期間中は毒や病気等の悪影響から対象を完全に守り、更に最終的にはその毒なり病気なりを完全に除去する事が出来る事だ。

 呪いにも効くとはあたしは知らなかったが、ミオがここで提案するという事は、そうなのだろう。

 だが、『冬眠』の呪文には大きな欠点がある。

 1つは呪文が掛かっている間、対象は全くの無防備である事。

 飢えや病気、ある程度の寒暖差からの影響は受けないが、外傷は普通に受けるし、その結果として重傷を負ったり死ぬ事も普通にある。

 また回復系の呪文としては完治するまでの時間が異様に長く、症状の重さによって期間は変わるが最短で1週間、長くて数年間に及ぶという。

 そして毒や病気が完治するまで、対象は自力で目覚める事は無い。

 術者が呪文を解除するか、第三者が強引に解呪すれば対象は目覚めるが、そうやって強引に覚醒させられた場合、それまでどれ程の期間眠らされていたかにかかわらず、毒や病気に対する治癒効果は全く発揮されず、再び対象に悪影響を与え始める。

 「大体で良いから、『冬眠』の呪文で呪いを解くとすればどれくらい時間がかかるか教えてくれる?」

 「呪いを解くなら普通は月単位の時間がかかるが、幸いここには霊樹があるからかなり速く効果は出るはずだ。10日から20日といった所だろう。」

 ミオの言葉を踏まえてあたしは更に考える。

 イリア様をここから運び出すのは2つの意味でリスクがある。

 1つは霊樹の傍を離れる事でミオの戦力が大きく低下する事。

 もう1つは『スカーズ』の目的がこの霊樹である場合、イリア様を運び出す間ここが無人になってしまい、易々とここを連中に明け渡す結果を招いてしまう事だ。

 なのでイリア様を運び出すよりかは解呪の出来る人間を連れて来る方がより現実的だが、無防備なイリア様を独り残していく訳にもいかないので、呼びに行く者とイリア様を守る者の2手に別れざるを得ない。

 だが戦力の分散ははっきり言って、『スカーズ』に襲われた方がほぼ助からないという意味で自殺行為だ。

 あたしはミオを見た。

 「取り敢えず、今ここから移動するのは危険だと思う。なので、イリア様に『冬眠』の呪文をかけるのが最善手だとあたしは思う。ただそうすると、あたし達はここから動かずにイリア様を守り続ける事になるけど、ミオ、あんたはそれで構わない?」

 「あたいは森の中に居れる方が嬉しいから問題は無いよ。じゃあ、決まりだな。」

 そう言うと、ミオはイリア様を守る様に傍に立ち尽くすグリンガにまず近づく。

 「グリンガ、これからするのはイリア様を癒す行為だから心配しないで。」

 ジーヴァやノエルに対するのと同様の優しい声でグリンガに語りかけると、グリンガは大人しく脇に退いた。

 「ここで呪文を掛けるの?野ざらしだけど大丈夫?」

 「いや、魔力溜まりに近い方が効果は高いからここで良い。それにイリア様は高レベルのドルイトだろう?野ざらしでも大丈夫だと思う。」

 ミオはそう言ってイリア様の傍に跪くと、恐らくホーライ語で呪文を唱え始める。

 ミオが呪文の詠唱に集中し始めた事で手持ち無沙汰な時間が出来ると、脇腹の痛みが急に強く感じ始めた。

 自分からイリア様を優先する様に言っておきながら、脇腹の痛みが耐え難くなるくらい強くなると、ミオに身勝手な苛立ちを感じてしまう。

 痛みに耐えながら呪文の進行を見守っていると、ブナの霊樹の地上にまで張り出した根の一部がウネウネと動き出し、イリア様の顔以外の全身を覆う様に形を変えてしまった。

 「こうすれば多少雨風が防げるし、この霊樹から直接魔力を得られるから回復も幾らか速くなるはず。」

 自分の仕事に納得したようにミオは独り言ちた。

 それから振り返ってあたしを見たが、あたしの顔を見るなり急に顔色が変わった。

 「おい、お前酷い顔色だぞ!突っ立てないで早く横になれ!」

 結構な剣幕でミオが言うが、丁度その辺りからあたしの痛みは急速に和らぎ始め、同時にまるで泥酔した時のように意識も朦朧としてきた。

 それでもあたしはノロノロと膝をついて横になろうとする。

 「ああ、そうじゃない!そっちを下にしたらナイフが深く刺さるだろうが!そう、うつ伏せだよ。」

 ミオが大声で怒鳴っているのは理解出来たが、不思議と煩くは感じなかった。

 ミオはあたしから背負い袋を外すと、革鎧を緩めた。

 「ノエル、こいつタオルかなんか持ってないか?……うん、背負い袋の中か。勝手に漁るけど良いよな?

 ……ああ、あった。

 いいか、ゾラ、今から身体に刺さったナイフを抜く。舌を噛まない様にこれを噛んでろ。」

 ミオはそう言いつつ、あたしの口の中にタオルを突っ込んだ。

 頭が更にポヤポヤしてきたあたしは、慌てふためくミオが面白くてヘラっと場違いな笑みを浮かべてしまった。

 そう言えばベクターとの戦いの後、ナギに治療して貰ったな、とぼんやり考える。

 「いいか、今からナイフを抜くぞ。1、2の3で抜くからな?」

 ミオが真剣な口調で言うが、あたしの耳には妙なエコーが掛かって聞こえ、全く切迫感が感じられなかった。

 「いくぞ?1、2の3!」

 その瞬間、遠ざかっていた痛みがいきなり復活して夢心地からいきなり現実に引き戻される。

 口に突っ込まれたタオルを噛み締め、苦痛の呻き声を漏らすあたしを見て、ミオがホッとした声で言った。

 「痛みを感じるならまだ大丈夫だ。まったく、焦点の合ってない目でヘラヘラ笑い出した時はもう手遅れかと思ったぞ。」

 そう言いながらミオはあたしの脇腹に両掌を添えながら治癒呪文を唱え始めた。

 やはりミオはかなり高レベルのドルイトなのだろう、治癒呪文がかかり始めると脇腹の痛みは急速に薄くなっていく。

 痛みが消えていくと、それと引き換えにするかのように全身が脱力感に包まれ始める。

 ミオはあたしの口からタオルを引き抜くと、あたしの顔を覗き込んだ。

 「普通は傷口を塞ぐ前に消毒の呪文や感染症を防ぐ呪文を唱えるものだが、今回は余りに出血が酷いから傷口を塞ぐのを最優先にした。後で炎症やら化膿やらを起こすリスクはあるが、その時はあたいが責任を持って治療するから安心しろ。」

 「うん……。」

 再び意識がボンヤリとし始めたあたしは、何だか治療時のミオが妙にナギと似ている気がして不自然な安心感に包まれていた。

 「取り敢えず、あんたは血を失い過ぎた。回復呪文の効果を高める為にも今は寝ろ。」

 「うん、そうだね。ありがとう。」

 素直にお礼を言うあたしを奇妙に感じたのか、あたしを見下ろすミオが困った様な表情を浮かべた様な気もするが、それを確かめる間もなくあたしは眠りに落ちた。

 こんな状況にもかかわらず、不思議と幸せな気分であり、久々の深い眠りだった。


 読んで下さりありがとうございます。

 次の投稿は11月上旬を予定しています。

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