第5章 森の娘 3
「ちょっと待って。あんた本気で言ってるの?」
我に返ったあたしは半眼になりつつ声のトーンを落としてミオに尋ねる。
「何が?」
ミオはミオで、キョトンとした顔で訊き返してきた。
「いや、あたしの理解が間違っているのかもしれないから一応確認するけど、あんたがさっき言った事ってこれから数日の間人里には近づかずに森の中で野営を続けながらして過ごすって事だよね?」
ミオの言葉に対するあたしの理解が間違っていないか、あたしなりの解釈を加えて訊き返したつもりだったが、結果的にミオの言葉をほぼそのまま繰り返しただけになった。
何故そんなアホな事をしたかと言えば、元々ミオの発した言葉自体は誤解の生まれる余地が無い程明瞭な事だったのだが、その内容があたしにとっては非常識過ぎて脳が理解するのを拒んだからだろう。
案の定ミオは、彼女の発した言葉を大袈裟に繰り返しただけのあたしを、小首を傾げつつ不思議そうに見た。
「いや、何も間違っていないよ?そのつもりで言ったけど。」
あたしは思わずレジーナと顔を合わせると、彼女と一緒に大きなため息を吐いてしまう。
するとミオは、あたし達の反応に対して不本意そうに唇を尖らせた。
「いやさっきからあんた達の話を聞いて思ったんだけどさ、その『スカーズ』って連中、この辺りに出没する魔物共より随分と強いんだろ?そいつらが居座るこの村と、より弱い魔物しかいない森の中じゃ、どっちが安全か明白じゃないか。」
「魔物の強さだけを考えるならね。でも、森で過ごす間の水や食料は?長期間に及ぶ野営の備えは?
あたしは正直、しばらくこの村で過ごすつもりだったから、野営の準備なんて必要最低限しかしていないよ。」
「水や食料は現地調達でどうにでもなる。それにあんたが天幕やら寝袋やらを準備していないのはあたいだって知っているけど、あたいはドルイドだし、あんただってレンジャーだろ?なら数日間の野宿くらいどうとでもこなせるだろ?」
そう言われても、あたしは低レベルのレンジャーだ。
高レベルのレンジャーなら最低限の装備しかなくとも、様々な必要物資を現地調達しながら長期間、森の中でのサバイバル活動と冒険活動の両方を並行して行う事も出来るが、あたし程度のレベルだと1日における全ての活動をほぼサバイバル行為だけに限定したとしても数日間生き延びるのがやっとだ。
同意を得ようとルカの方を見ると、彼女は同僚のレジーナとは違ってあたしと同調する様子を見せる事なく、何やら考え込んでいた。
「確かこの村の前の村長って高レベルのドルイドって聞いたけど?」
「ええ、そうだけど。」
ルカの問いに嫌な予感を覚えつつも、あたしは頷く。
「その前村長さん、今は森の奥で独りで隠棲しているって聞いたわ。つまり高レベルのドルイドにとっては、この森の環境ってさほど苦にならないって事なのかもしれないわね。」
ルカに指摘されるより前に、あたしもその事には気づいていた。
高レベルにまで到達した者は、クラスにかかわらず全員が超人と言ってよい。
そしてその超人の一人である高レベルのドルイドは、未開の森や湿地の様な環境の中でも『普通に』生活出来る。
レンジャーの様にサバイバルする必要すら無く、日常生活を送れるのだ。
森や湿地のような、植物や昆虫を含む多種多様な生物が密集する環境下では、高山や極地とは別の種類の危険が存在するが、ドルイトはレベルが上がるにつれその手の危険に対する抵抗力を数多く身に着けていく。
具体的には生水をそのまま飲んでも病気になる事もないし、毒虫や蚊、蛭の様な集団に襲われる事も無くなるらしい。
ミオを援護するような発言をしたルカに、大人気なくジト目を向けながらあたしは尋ねる。
「ルカは何の準備もせずに1週間、いえ2週間この森で過ごす事は出来る?」
「いえ、私のレベルでは無理ね。」
ルカは全く悪びれる事なくあっさりとした口調で言う。
ルカは他のパーティメンバーより5、6年は長く冒険者をしている上に単一クラスなので、他のメンバーよりレベルも頭一つ抜け出て高い。
おそらく中レベル帯に入りたての他のメンバー対してルカは、中レベル帯のど真ん中くらいだろう。
そのルカでさえ、何の準備もせずに長期間森の中で過すのは無理だという。
「でも、ミオには可能だと?」
それはつまり、ルカよりミオの方が1回り以上レベルが高いという事を意味するのだが。
「そこまでは分からないわ。むしろその辺はあなたの方が詳しいじゃないの?」
呆れたようにルカに言われ、あたしは閉口してしまった。
ミオの人格に初めて出会ったのはつい昨日の事だが、そういった事情を知らないルカからすれば、一緒に行動しているミオの事をあたしがよく知らないというのは奇異に見えたのかもしれない。
特に今、あたしは追われている立場であり、その状況下でよく知らない相手と行動を共にしているとなれば危機感が欠如していると言われても仕方がない事だろう。
ルカの怪訝な視線をわざとらしい咳払いで誤魔化しつつ、あたしはミオのレベルを推測してみる。
ミオと肉体を共有するナギは、大器晩成型のクラスであるモンクでありながら、不意を突いたとはいえ準高レベルのベクターを一撃で倒したし、その能力は同レベルのクレリックの半分しかないと言われる神聖魔法で重傷と言って良いあたしの傷を瞬時に塞いでみせた。
同じくマヤも、接近戦能力は余技レベルのバードでありながら、ドラゴンであるテンペストの攻撃を全て回避していたし、同じく余技レベルの秘術魔法の一撃で短時間とはいえそのテンペストの動きを止めてみせた。
この事からナギもマヤもおそらく高レベルだろう。
彼女達と同じ肉体を共有するミオも、高レベルである可能性は高い気がする。
あたしが黙ったまま考え込んでいると、ルカが少し口調を和らげて言った。
「私は別に、ミオさんの意見に賛同している訳じゃないのよ。ただ、最初から選択肢から外すのは良くないと思っただけ。
まあ、これからどうするかは最終的には2人で話し合って決めるしかないけど、私としてはいつ『スカーズ』が帰ってくるか分からない以上、一刻も早くこの村を出る事を勧めるけどね。」
「そうね、そこは決まっている。問題は行き先を何処にするかよね。」
あたしはそう答えてから、大事な用件を失念していた事に気づいた。
「ねえ、村を出る前に村長のアーウィンに会う時間はあると思う?」
あたしの問いに、ルカは首を傾げた。
「まあ、今までの行動パターン通りなら『スカーズ』の連中が村に戻ってくるのは日が落ちる寸前だろうし、短時間なら大丈夫だと思うけど?
ただ、『スカーズ』の連中が今日も同じ行動を取る保証は無いし、村長にしたって都合があるだろうから、すぐ会えるとは限らないわよ?」
微妙に渋い表情になるルカを見て、彼女もエルフ至上主義者のアーウィンとの関係に苦労しているのかもしれない、とあたしは勝手に想像した。
「なるべく短時間で済ませる様にする。実を言えば、直接会って話を通しておけなければならない用件もあったのよね。」
「そういう事なら一応村長の家まではあたし達も一緒に行くわ。私が間に入れば幾らか話はスムーズに通ると思うし。」
あの気難しいイメージのアーウィンとの強いコネを匂わせるルカの発言に驚いていると、ルカが苦笑を浮かべた。
「私がどうこうじゃなくて、私が預かってきたギルド長直筆の紹介状の威光のおかげよ。」
「ああ、そういう。」
あたしは一応納得したが、すぐにアーウィンがソニアの威光を気にするのも意外な気がする、という疑問も浮かぶ。
ただその疑問は口に出さずにルカの提案に従い、一応周囲を警戒しながらアーウィンの家へと向かった。
これまでもアーウィンとは何度となく顔を合わせてきたが、彼の家に用事も興味も無かったのでその場所など知らなかったし、当然訪れた事も無い。
そのアーウィンの家は村の奥まった所にある、あまり日当たりの良くない場所にあった。
玄関扉には木の葉をリング状に繋げたデザインの金属製のノッカーが付いていたが、小柄なルカやレジーナにとっては明らかに高過ぎる位置にあった。
彼女達が無言のまま向けてきた視線を受けて、あたしがゴンゴンとノッカーを鳴らす。
暫く待っても反応が無いのでルカを見ると、彼女は肩を竦めた。
「村長はノッカーを1回鳴らしたくらいじゃ大抵出てこないわ。もう一回鳴らしてみて。」
面倒くさい奴だな、と思いつつルカの言葉に従ってもう一度ノッカーを鳴らすと、しばらくして玄関扉の向こうから足音が聞こえてきた。
やがて玄関扉が開いたが、扉はほんの少し開いただけでその動きを止め、その細い隙間の内側から誰かが覗いているのが見えた。
こちらもその隙間から中を覗いてみると、そこにはいつも通りの不機嫌そうな表情のアーウィン本人がいた。
「何だ、お前らは?」
相変わらず玄関扉を少しだけ開けた状態を保持したままのアーウィンは、その細い隙間から睨みつける様にあたしとミオを見ると、喧嘩腰と呼ばれても仕方がない口調で問いかけてきた。
「何度も訪問して申し訳ありません、アーウィン様。」
ルカが慇懃な口調で声をかけると、アーウィンは視線を下げた。
どうやら声を掛けられるまで背の低いルカ達の存在には気づかなかったようだ。
「ああ、お主か。こ奴等はあんたの知り合いか?」
ルカの存在を確認するとアーウィンの表情が多少柔らかくなった気もするが、かなり微妙な変化なのでもしかしたら気のせいかもしれない。
「そうよ。さっき偶然会ってね。」
「そうか。それでこ奴等をここに連れてきた理由は?」
あたし達に視線を戻しつつ発せられたアーウィンの言葉には再び棘々しさが含まれていたので、やはりさっき表情が和らいだように見えたのは気のせいだったのかもしれない。
ともかく話を早く進める為にも、あたしは先程口髭の付け髭を剥がした時にも剥がさずに残していた顎髭の付け髭を、アーウィンの目の前で剥がしてみせた。
それでようやくアーウィンもあたしが誰かを認識出来たようで、ほんの少しだけ警戒心が和らいだ様な表情と口調になる。
「何だ、お主か。男の変装なんかしてどういうつもりだ?」
「それも含めてちょっと話がしたいんだけど、いいかな?なるべく時間は取らせないから。」
あたしの言葉にアーウィンが露骨に嫌な顔をしたので、断られるか、そうでなくともゴネられるくらいは覚悟したのだが、彼は大きくため息を一つ吐いただけで、それまで僅かしか開けていなかった玄関扉を大きく開けた。
「取り敢えず入れ。」
アーウィンはそう言うと玄関扉が閉じないように手で押さえつつ後ろに下がり、あたし達が通れるよう場所を開けてくれた。
「じゃあ、あたし達は門の所に行くね。」
ルカがそう言うとアーウィンは僅かに眉を顰めた。
「何だ、お主達は入らんのか?」
「ゾラは今朝話した『スカーズ』と因縁があるので、連中と顔を合わせないようにしなければいけないのよ。
だから、『スカーズ』が戻ってきたらすぐ分かる様に門の近くで見張っているわ。どの道、門衛さんに伝言しなきゃいけない事もあるし。」
ルカの言葉にアーウィンの眉間の皺が更に深くなる。
「面倒事はゴメンなんだがな。」
アーウィンは独り言なのか、それともあたしに聞かせるつもりなのか判断がつきかねる微妙な声量でボソボソと呟いた。
取り敢えずあたしは、今の言葉が聞こえなかった振りをしつつノエルに言った。
「ノエル、暫くルカ達についていってくれない?」
「また連絡係?仕方ないなあ。」
ノエルはボヤきつつも素直にあたしの右肩からルカの方に飛んでいく。
「カラス君、こっちにおいでよ。」
一旦ルカが差し出した左腕に止まりかけたノエルだったが、レジーナにそう言われると不器用に方向転換し、レジーナが左腕で保持している大盾の上に止まった。
「それじゃあ、よろしく。」
あたしはルカ達と挨拶を交わすと、アーウィンの後に続いて家の中へと入っていく。
玄関から短い廊下を歩いてすぐの所にある客間に、あたし達は通された。
「お茶でも出すから、座って待ってろ。」
アーウィンはぶっきらぼうに言うと奥へと去っていく。
村長という立場上来客はそれなりに多いのだろう、中央にあるテーブルはそれ程大きくはないが、椅子だけは10人分くらいはあった。
部屋の中は綺麗に掃除が行き届いる一方で、物は少なく生活感があまり感じられない。
ただあたしの母もそうだったが、エルフはヒューマンより物欲が少ない傾向がある気がするし、潔癖症の気質がありそうなアーウィンらしい部屋な感じもする。
「落ち着かない部屋だな。」
ミオはボヤきつつも遠慮なく椅子に座ると、体重を後ろにかけて椅子の前脚を宙に浮かせ、後ろ脚だけでバランスを取る遊びを始める。
「行儀が悪いわよ。」
絶妙なバランスを取り続けるミオを眉を顰めつつ一瞥すると、あたしは彼女から少し離れた場所にある椅子に腰を下ろした。
どうもミオと一緒にいると口煩くなってしまう様な気がして、少しばかり自己嫌悪に陥ってしまう。
あたしは本来他人は他人というスタンスで、あまり他人の行動に一々口を出すタイプではないはずなのだが。
あたしが椅子に座るとその傍にジーヴァも伏せたが、それを見たミオが椅子の後ろ脚だけでバランスを取る遊びを止めて、ジーヴァに向けて満面の笑みを浮かべた。
「ジーヴァ、こっちにおいで!」
自分の膝をポンポン叩きながらミオが言うと、ジーヴァは顔を上げてあたしを見上げた。
「いいよ、行っておいで。」
あたしが作り笑いを浮かべながらジーヴァに許可を与えると、ジーヴァは一瞬だけ首を傾げるような仕草をしたが、立ち上がってノソノソとミオに近づいていく。
ミオは椅子から降りて床に直接跪くと、ジーヴァをマッサージし始めた。
流石にお腹を見せたりはしなかったが、それでもジーヴァは目を細めて気持ち良さそうにしていた。
ぼんやりとその様子を眺めていると、お盆にお茶を載せたアーウィンが戻ってきて怪訝そうにジーヴァと戯れるミオを見た。
「あのムーンウルフはお主の相棒だろう?いいのか?」
「別に構わないよ。」
「ふ〜ん、そうか。」
あたしがあっさりとした口調で答えてもアーウィンは怪訝そうな表情を崩さなかったが、それ以上口出しする気も無さそうだった。
お茶をテーブルに並べてくれたアーウィンに礼を言うと、彼が自分の席に就いて話を聞く姿勢を取るまで待ってから、あたしは口を開いた。
「これから話す内容は時期が来るまでは基本的に内密にして欲しいの。ただ、あなたが必要と感じたら然るべき時に然るべき人物に話しても構わない。その辺の判断はあなたに任せます。」
「随分と大仰だな。」
アーウィンは、かなり芝居がかった様子で大きくため息を吐いた。
その行為は明らかに、先程彼が口にした面倒事に巻き込まれるのはゴメンだと言う言葉を、態度で繰り返したものだった。
しかしあたしは先程と同じく、それに気づかない振りをしつつ話を続ける。
「それから、あなたがルカ達とどんな話をしたのか私は知らないので、彼女達の話と重複する部分もあるとは思いますが、そこは勘弁して下さい。」
「……分かった。話を聞こう。」
わざとらしいため息の効果が無かった事を悟ったのか、アーウィンはあからさまに渋々といった態度だったがそれでも、居住まいを正して話を聞く姿勢を取った。
あたしは小さく息を吐いてから単刀直入に言う。
「アストラー王国本土の反動貴族達とハーケンブルクの旧守派が手を組み、ハーケンブルクを占領すべく現在リールという港町で艦隊を集結させています。
その艦隊は早くて半月、遅くとも1ヶ月もしない間にハーケンブルクに攻め込んで来るでしょう。」
あたしの言葉にアーウィンは顔をしかめたが、リアクションはその程度だった。
アーウィンは無言のままお茶の入った木製のカップに手を伸ばし、少しだけ口をつけてから木製カップをテーブルの上に戻す。
更に暫く間をおいてから、アーウィンは僅かに苛立ちを含んだ声で尋ねてきた。
「その事を知っているのは?」
「冒険者ギルドの上層部を始めとした、いわゆる街の支配者層は、立場にかかわらずおそらく全員知っているでしょう。
ですが、一般庶民にはほぼ知られていません。」
「そうか。」
アーウィンは苛立ちを無理矢理理性で押さえつけている様な声で頷くと、指先で神経質そうにテーブルを叩き始めた。
彼は暫くの間、テーブルを叩く自分の指先を凝視していたが、やがて顔を上げるとあたしの顔を睨みつける様に見た。
「この村から兵力を出せという話なら聞けんぞ。」
その言葉であたしは、アーウィンが危惧していた事柄に初めて思い至った。
この話をすれば、アーウィンの立場で真っ先に危惧するのが、この手の事柄であるのは当然だ。
あたしはこの前の貴族のドラ息子達が起こした騒ぎの際、図らずもこの村と冒険者ギルドとの仲介役を果たした。
今回も、あたしが冒険者ギルド側の交渉役として派遣されたとアーウィンが考えても不思議ではない。
相手の立場になって考える事を全くしなかったのは完全にあたしのチョンボだ。
「そういうつもりはありませんよ。そもそも、今の私はギルドの代理人とか使者を務められる立場にはありませんから。」
「そうか。」
相変わらずの仏頂面ではあったが、アーウィンの雰囲気は明らかに弛緩した。
「ただ、望むと望まざるとにかかわらず、この村が戦争に巻き込まれる可能性はあります。」
続くあたしの言葉に、弛緩しかけたアーウィンの雰囲気が再び緊張し始めた。
「どういう事だ?」
再び睨みつける様にあたしを見ながら、アーウィンは鋭い声で問う。
「ルカ達が村にやって来た目的について、彼女達から聞きましたか?」
話題を逸らされてアーウィンの眉間の皺が更に深くなったが、あたしとて意地悪で話題を変えた訳ではない。
終始警戒しているような彼の態度と、あたしの中での偏屈で頑固者なイメージから、アーウィンがあたしの質問に答える前に嫌味を言ったりゴネたりする事もあり得るとあたしは覚悟する。
だが意外にも彼は、渋々という態度こそ崩さなかったが素直に質問に答えてくれた。
「ああ、現在冒険者ギルドが2つに割れていて、反ギルド長派の連中がこの森で何か仕出かさないか警戒する為に来たと言っていたが。」
やはりルカ達は、詳しい話を聞かされる事なく派遣されたようだ。
「実は私がここに来た理由の1つはルカ達と同じものです。
ただ私はルカ達より詳しい情報を教えられていまして、反動貴族の私兵達がザレー大森林を縦断してハーケンブルクに進軍する可能性についても聞かされていました。」
あたしの言葉に、アーウィンの口元にあからさまな嘲笑が浮かんだ。
「そんな事が可能だと思っているのか?」
あたしの言葉を、アーウィンは小馬鹿にしたように斬り捨てる。
やはりザレー大森林に詳しいアーウィンも、森を縦断しての行軍は不可能だと思っているようだ。
「情報戦は既に始まっております。我々だってアストラー王国本土から大森林を抜けて軍隊を行軍させる事が容易く出来るとは思っていません。なのでこちらの戦力を分散させたり、単にこちらの動揺を誘う為のデマの可能性も考慮しています。」
「それならまだ理解出来るが……。」
アーウィンが小さく頷くが、あたしはそこで少し声のトーンを落として言う。
「ですが、『スカーズ』の連中がこの村に連泊しているとなれば話は変わってきます。連中がこの村に連泊するメリットは、普通に考えればまずありません。なので、連中にとっては普通ではない事をしようとしているのではないか、と。」
「普通ではない事とはつまり、これから起こる戦争に関わる事か?」
アーウィンの表情が陰鬱なものになる。
「ええ、正直『スカーズ』が何を企んでいるか今の所情報が少なすぎて見当もつきません。例え彼らが本当に旧守派からの依頼で何らかの工作活動をしようとしているにせよ、活動の場所は村の外だけで、この村は純粋に宿として使うだけのつもりかもしれない。でも逆に連中の目的がこの村そのもので、害を為そうとしている可能性だってあり得ます。」
あたしがそう言うと、アーウィンは圧を感じさせる目であたしの事をジッと見つめてきた。
あたしがそれを真正面から見返すと、アーウィンは先程とは異なる、自然に漏れたように感じられるため息を吐いた。
「害意を持つ者がこの村に対して企みそうな事を1つ思いついたよ。戦争に備えてこの村を占拠して、前線基地にするつもりではないだろうか?」
アーウィンの発言は、最初突拍子もない事のように聞こえた。
しかし昨夜、ヨハンナとマヤが話していたように、海戦と同時進行でザレー大森林からゲリラ戦を仕掛けてくる可能性はある。
そしてヌーク村を拠点に出来れば兵達は単に森の中で野営する時に比べて体力の回復も容易になり、補給物資だってかなりの量を安全に保管出来るだろう。
更にソニア達に兵力の余裕が無い以上、一度このヌーク村が敵の手に渡った場合、そう易々と奪還出来ない事にも気づく。
迂闊にもあたしは、アーウィンのこの発言を聞くまでヌーク村の軍事拠点としての重要さに全く思い至らなかった。
あたしが黙っていると、ジーヴァと戯れていたミオが横から口を挟んできた。
「そうは言っても村長さんよ。見た感じこの村の守りはかなり堅く見えたけど?」
アーウィンは横から口を挟んできたミオを胡散臭そうに見たが、それでも律儀に答える。
「この村は外周部とはいえ魔境の中に位置しているからな。魔物の襲撃にも耐えられるように防備は整えられておる。
だが、内からの攻撃にはそれ程強くはない。」
そこまで言ってからアーウィンはあたしの方を向いた。
「ゾラよ、率直に訊くが、その『スカーズ』とやらの実力は?」
「準高レベルと言って伝わるでしょうか?」
冒険者の強さの指針は、冒険者以外だとギルド職員か職業軍人位にしか伝わらない事が多く、門外漢のアーウィンに対しては適切な説明ではなかったかもしれないが、つい手っ取り早い表現を使ってしまった。
しかし意外にも、アーウィンには今の言葉で伝わったらしく、ブツブツと呟きながら考え込む。
「それだと壁無しで戦うのは厳しいな。正面から戦えば贔屓目に見ても勝率は5割と言った所か……。」
アーウィンの呟いた内容は、あたしの見立てとほぼ同じであった。
偏狭なアーウィンは村の外の世事には疎いと思っていたが、意外とそうでもないらしい。
「そんなにヤバいのならその連中をもう村の中に入れなければ良いんじゃないのか?幸い今連中は、村の外にいるんだろ?」
再びミオが口を挟むがアーウィンはまた、律儀に教え諭す様な口調で答える。
「その『スカーズ』とやらが本当に我々に害意を抱いているか分からんからな。今のはあくまで最悪の事態を想定しての話だ。」
「下手に藪を突いて、元々無かった連中の敵意を煽ったりしたら目も当てられないしね。」
あたしの補足にアーウィンは頷いた。
「連中に悪意があると確信したら容赦はせんが、戦いはあくまで最後の手段だ。
手っ取り早く連中を無力化出来れば良いが、話を聞く限り連中はかなりの手練れらしいし、余程の幸運に恵まれない限りは一度連中と本格的に敵対すれば長期戦になる可能性も高い。
この村で準高レベルの冒険者パーティと戦える者など数える程しかいないし、そうなれば安全が確認されるまで我々も籠城を覚悟せねばならんだろう。村には畑もあるが、我々の糧は主に森の中での狩猟や採取に頼っておる。今の蓄えからして籠城しても精々3ヶ月しか保つまい。」
「それなら充分じゃないのか?3ヶ月保つならハーケンブルクでの戦争だって結果はどうあれ、結構な確率で終わっている気がするけど?」
ミオの無邪気な発言に、アーウィンは何とも言えない苦笑で応えた。
今度の戦争が短期間で終わりそうだという事は、ヨハンナも予想していた。
長期化する可能性があるとすれば、反動貴族の艦隊が到着する前に、ソニアがハーケンブルク内の反対派を一掃して街を完全に掌握した上で、来襲した敵艦隊に対してクレタ湾を封鎖するなどして籠城した場合のみだ。
しかし短期間で反対派を一掃するのはまず不可能だろうし、平時でも食料の多くを輸入に頼っているハーケンブルクが籠城しても勝算は低い。
一方、反動貴族側も慣れない土地で慣れない海戦を仕掛けるので、長期戦になる程不測の事態が起こり易くなる以上、やはり長期戦は避けたいだろう。
両者の思惑が短期決戦で一致している以上、ミオの3ヶ月後には戦争が終わっているという予想は間違いではない。
だがアーウィンの苦笑の意図が、ミオの発言とは全く異なる場所ある可能性に、あたしは気付いた。
ミオは来たる戦いにおいてアーウィンがソニア派とは敵対しないだろうという前提で話しているようだが、正直アーウィン、そしてヌーク村にはそんな義理は無い。
『スカーズ』やその背後にいるであろう旧主派の連中がヌーク村に害を及ぼさないと確約してくれるなら、アーウィンの立場としてはそちらに付いても構わないのである。
所詮、ハーケンブルクでの内紛はアーウィンにとってもこの村にもとってどうでも良い事だ。
今アーウィンが披露したシミュレーションでは、『スカーズ』と敵対した場合村に多大な負担が生じる可能性が高い事が明らかになった。
ならば村の安全を保証するという条件で、『スカーズ』を受け入れる事を選択肢に入れてもおかしくはない。
どうしても巻き込まれるのが避けられないなら、勝馬に乗ろうとするのが責任ある立場としてはむしろ当然だろう。
まあ、この場ではその様な事は決して口にはしないだろうけど。
あたしはテーブルの上の木製のカップに入ったお茶を見下ろした。
もしアーウィンが旧主派を勝馬と見てそちらに付くつもりなら、あたしは旧主派に差し出すのに丁度良いお土産だ。
その考えが一度頭に浮かぶと、このお茶も断然怪しく見えてくる。
そんな考えに囚われかけていると、不意にアーウィンが今まで以上に大きく、そして芝居がかったため息を吐いた。
「お主が何を考えているのか何となく分かるが、私はそんな事はしないぞ。中立を保つ事はあっても、あからさまにお主らと対立する様な事はしない。
まあお主が、イリア様程私を信用していないのは分かるが。」
アーウィンの方からぶちまけてきたので、あたしは少しホッとしつつも苦笑を浮かべた。
「無論、あたしの方だってアーウィン様の事を疑ってはいませんよ。そうでなければわざわざここに来たりはしませんし。」
あたしは満面の愛想笑いを浮かべつつ言ったが、アーウィンが敵に回る可能性を頭の中から完全に排除出来た訳ではなく、それ故に薄っぺらい口調になってしまった。
「ねえ、どういう事?」
独り意味の分かっていないミオが尋ねてくるが、アーウィン本人の前で説明する気になれず、ミオに対して察しろと念を込めて作り笑いを向けるが、やはりミオには腹芸が通じないらしく、明確に答えようとしないあたしに対しミオは不満気に唇を尖らせた。
するとまたもやアーウィンが、あっさりとぶちまけてしまった。
「こ奴は私が、こ奴らの敵と手を結ぶ事を心配しておるのだ。」
それを聞いたミオが、これまたド直球にあたしに尋ねる。
「え、そうなの?」
マヤ相手の腹の探り合いも疲れるが、ミオの様に空気を読まずに際どい事を訊いてくるのもまた別の意味で精神がすり減ってくる。
「そういう可能性も排除出来ないって思っただけよ。」
面倒臭くなったあたしはつい、投げやりな口調で答えた。
あたしの投げやりな口調にミオは再び不貞腐れた様に唇を尖らせたが、何故かアーウィンもミオに同調する様にため息を吐く。
そのため息に釣られてアーウィンを見ると、彼は諭す様な口調で語り出した。
「生き残る為には勢いのある方に付くのが常套手段なのは理解している。お主の口調ではおそらく、ギルド長の陣営の旗色の方が悪いのだろう。」
アーウィンの言葉であたしは、新たな自分の失敗にようやく気づいた。
アーウィンは元々、これから戦争が始める事自体知らなかったのだから、現時点においてどちらが優勢かなど知るはずもなかったのは当然だ。
なのにあたしは、アーウィンが敵側に付く可能性に囚われて不安気な態度を取ってしまった。
あたしがあからさまに不安な態度を取った事でソニア派の劣勢がアーウィンに伝わり、計らずもあたしが危惧した事態が起こる確率を引き上げてしまったのだ。
自身の失敗に気づいて更に表情が変わったあたしを見て、アーウィンはこの会談中初めて、彼らしい少し意地の悪い笑みを浮かべた。
「私だって生き残るには勝ち馬に乗る方が手っ取り早いのは分かっている。
だが勝ち馬に乗るにしろ、その勝ち馬が必要最低限信用出来る相手なのか見極める必要がある。
この前、この村で無法を働いた連中は本土の貴族のドラ息子達だったろう?その一件だけでも我々は本土の貴族共を信用出来ん。味方した所で良いように利用された挙げ句に裏切られるのが目に見えておるからな。」
そこで言葉を切ってアーウィンはあたしを見る。
「だからといって我々は、積極的にお主達に味方をするつもりもない。あくまで我々は中立という事を肝に銘じて貰いたい。」
「敵にならないだけでも有り難いですよ。」
あくまで中立を保つというのはいかにもアーウィンらしく、だからこそ今の言葉は信用出来た。
切羽詰まったら今の言葉を翻す可能性もあるだろうが、プライドの高いアーウィンの事だ、余程追い詰められなければ今の言葉を守り続けるだろう。
張り詰めた空気が弛緩したタイミングで、ミオがのんびりとした声で呼びかけてきた。
「なあなあ。」
「何よ?」
ミオの口調からしてどうせ下らない事だろうと思い、つい投げやりな返事をしてしまった。
案の定、ミオは不服な顔をする。
「そう素っ気ない返事ばかりする事もないだろう?」
いつもの様に直球で不満を告げられ、まあ今のは確かにあたしが悪かったなと反省する。
「確かにそうだね。ごめん。」
あたしが素直に謝ると、ミオはヘラっと無邪気に笑った。
「分かればいいよ。
それでさ、ゾラって両親のどっちかがエルフだろう?もしかして、そのエルフの親がこの村の出身なの?」
マイペースなミオらしく、今までの話の流れと全く関係ない質問をしてきた。
もっと言えば、アーウィンの元を辞した後でした方が良い質問だ。
だが不用意にミオを不快にさせてしまった直後なので、あたしも素直に答える。
「いや、違うよ。」
あたしが答えると、ミオは分り易く驚いた表情になる。
いや、本当に表情がコロコロ変わる女だな。
「そうなんだ。やたらこの村に馴染んでいたからこの村の出かと思った。」
「いやいや、この村に来始めたのはあたしが冒険者になってからだし。」
あたしとミオがそんな話をしていると、あたしの事になど一切興味無いと思っていたアーウィンが、意外にも口を挟んできた。
「そう言えば確か、お主は母親がエルフだったな。」
「そうですが。」
「母君の出身地は何処だったかな?」
「ロロリエンタールという村だと聞いていますが。」
「ふむ。西方世界では最北にあると言われているエルフの居住地だったな。ハーケンブルクは西方世界のほぼ南端だから、そこからハーケンブルクに辿り着くには西方世界をほぼ縦断する必要があったという事になるな。」
アーウィンの言葉にあたしは驚く。
外の世界には疎い、というよりそもそも興味が無いと思っていたアーウィンが、母親の故郷である西方世界最北端にある小さなエルフの村について知っているとは思わなかったからだ。
いやしかし、興味が無いのはエルフ以外の種族についての事柄だけであって、同族のエルフについては村の外の世界の事であっても興味があるのかもしれない、と思い直していたら、アーウィンは更に意外な事を言い出した。
「私も若い頃は結構長く冒険者として各地を放浪していたからな。船という奴がどうしても好きになれなかった事もあって海路でなければ辿り着けない東方やら南方やらには行かなかったが、陸路で行ける場所ならかなり遠くまで行ったぞ。
たった一度だけだがロロリエンタールにも訪れた事がある。あれは興味深い体験だった。そうそう、もしやお主の母君の名前はゾーリエティナではないか?」
あたしは再び驚く。
「確かにあたしの母の本名はゾーリエティナですが、ほぼゾーイという愛称で通していたので、本名を知る者は異人街の古馴染みでもほとんどいないはずです。」
あたしの言葉にアーウィンは頷く。
「まあ、そうであろうな。お主の母君に限らず、エルフ風の長い名前は他種族の多くには覚え辛いものらしい。知っておるかもしれんが、この村の名前のヌークも、前村長のイリア様も、この私、アーウィンさえも正式名ではなく、他種族向けの略称だ。」
その辺の事は何となく察してはいたが、しかし今訊きたいのはアーウィン達の正式な名称などではない。
「アーウィン様が母の名を知っているという事は、ロロリエンタールで母の話題が出たという事でしょうか?」
「そうだな。そなたの母君は故郷では中々の有名人だったようだな。」
アーウィンの顔に再び意地の悪い笑顔が浮かんだ。
それを見て、彼が聞いたという母の話があまり良いものではなさそうだと察した。
まあ母は、善人ではあったが娘のあたしから見ても結構な変人だったので、それ自体は意外な事でもない。
それよりもやはり、アーウィンが若い頃冒険者として西方各地を旅して回ったという話の方が、あたしには意外過ぎた。
前村長のイリア様はかつて村を出て冒険者として活動し、それ故に村の外の世界に理解があって積極的に村の外と交流しようとしていた。
しかしアーウィンは真逆で、村の外の世界との交流に消極的なだけでなく、村民以外とは可能な限り接触を避けたがっているようにも見える。
それ程親しくはないアーウィンに対して突っ込みすぎかとも思ったが、好奇心に負けたあたしはつい尋ねてしまった。
「その、アーウィン様は冒険者時代には色々とあったのでしょうね?」
あたしとしては本題に入る前にワンクッション置く為にした質問だったが、勘の良いアーウィンはそれだけである程度、あたしの言いたい事を察したようだ。
「私が冒険者をしていた事がそんなに意外か?」
アーウィンは相変わらず意地の悪い笑みを浮かべつつ、からかう様な口調で尋ねてきた。
「いえ、そんな事を言うつもりはありませんが。」
愛想笑いを浮かべつつ取って付けた様な言い訳をするあたしを見て、アーウィンは嘲笑じみた笑みを浮かべた。
「まあ、お主から見れば私など頭の固いエルフ至上主義者にしか見えないのだろうな。だが、私だって元からそうだった訳ではない。冒険者として外の世界を放浪している間、色々と嫌な物を見過ぎてしまったからだ。」
アーウィンは具体的な事は何も言わなかったが、あたしはそういう事もあるだろうと普通に思ってしまった。具体的な事を聞いてしまえば否応なしにアーウィンと深く関わってしまう事になるだろうし、その覚悟もなく質問するのも無礼に感じたので黙っていたが、アーウィンの方が勝手に話を続けてしまう。
「私だって、自分が偏屈になってしまった事は自覚している。だが、心の奥に溜まった鬱屈というものは自分でもどうしようもないものだ。その鬱屈を暴走させない為にも私は極力人と関わらないようにしてきたというのに、イリア様は私に村長の任をどうしても押し付けたかったらしい。」
最初は深刻そうな口調だったのだが、何だか途中からイリア様に対する単なる愚痴へと変わってきた気がする。
訥々と語るアーウィンと、相槌も打たずに黙って聞いてるあたしを交互に見ていたミオが、こそっとあたしに尋ねてきた。
「ねえ、さっきから何度か話題に出てきているけど、イリア様って誰?」
「この村の前村長よ。今は森の中で独り隠棲しているようね。」
「森の中で?」
「イリアさんはかなりレベルの高いドルイトだから。」
「なるほど。」
納得した様子のミオは再びアーウィンに向き直ると、無遠慮な口調で彼に質問する。
「それはさ、そのイリア様って人がアンタを村長に相応しいと思っているからじゃない?」
ミオのあけすけな口調にアーウィンの表情が分かり易く不機嫌になる。
彼は急に距離を縮めてくる者が嫌いなのだろう。
それでも彼は、先程からそうしているように律儀に答える。
「イリア様も昔は冒険者としてハーケンブルクに数年間住んでいたからな。この村の長には外の世界を知る者こそが相応しいという考えなのだろう。
その考えは分からぬではないが、人には向き不向きという物もあるし、何より村長を一方的に私に押し付けたイリア様自身がノンビリと隠棲しているというのがどうにも納得出来ぬ。」
気難しい顔で色々と言うアーウィンだが、今日の彼の言葉を聞いていると、いつも彼が不機嫌そうに見えるのは意外と子供っぽい理由によるものなかもしれない。
「あ〜、なんか分かるわ。あたしも他人の行動の尻拭いをやらされる事がよくあるし。」
意外な所でミオが共感してしまった。
まあ過去の事は知らないが、今現在あたしと行動を共にしている状況は正に、ナギやマヤの尻拭いと言えなくもない。
いつものようにミオの声には陰湿な響きが全く無くて、あたしへの当てつけの意図などなく、自分の気持ちを反射的に吐き出しただけなのは分かってはいたが、それでも少しだけあたしの癇に触った。
「お前に共感されても仕方がない。」
アーウィンは突き放すように言うが、唇の端が嬉しさを無理やり抑えつけているかのように僅かに震えていた。
アーウィンのその反応も、あたしをまた苛立たせたが、その苛立ちは僅かなもので、一回の深呼吸ですぐに収まった。
ただあたしが深呼吸したタイミングでアーウィンとミオの会話が途切れ、2人が揃ってあたしの方を向き、微妙な沈黙が流れ始めた。
別にこの沈黙を破る程話したい事柄も思いつかないし、そろそろここからお暇する時が来たという事なのだろう。
これからどうするかはまだ未定だが、村を出てからミオと話し合って決めれば良い。
「どうも長居し過ぎたようですね。我々はそろそろお暇しようと思います。」
「ふむ。伝え忘れた事はないな?」
唐突に辞去を申し出たにもかかわらず、アーウィンはケロリとした顔で頷く。
彼の事だから、望まぬ客が帰る事を内心喜んでいるのかもしれない。
ともかく彼に問われた事もあって記憶を探ってみたが、伝えるべき事は全て伝えたはずだ。
ここにノエルがいたらど忘れした事柄が無いか確認する所だが生憎彼は別行動中なので、彼より随分と頼りないとはいえ自身の記憶力を信用するしかない。
「無いはずです。」
「それでこれからお主達はどうするつもりだ?」
「取り敢えずすぐこの村を離れるつもりです。それから先はまだ決めていません。」
「では一つ、頼まれてくれんか?」
今日話してみて、アーウィンの事を以前程エルフ至上主義者とは思わなくなってはいたが、それでも半端なエルフに過ぎないあたしに彼が頼み事をするのは意外に感じられた。
相変わらず口元に意地の悪い笑みが浮かんでいるせいで嫌な予感しかしないが。
「私に出来る事であれば。」
一応、無茶な頼みなら断れる様に逃げ場を残した言い回しで、あたしは了承の意を示す。
「いや、大した事ではない。イリア様の元に行って、私に伝えたのと同じ事を伝えて欲しいだけだ。」
そんな事は外部のあたしではなく身内のアーウィンがやれば良いのに、とは思いつつもまあ彼らの間にも事情があるのかもしれないと黙っていると、横からミオが遠慮なしに尋ねる。
「そんな事、アンタが直接会って伝えればいいだろうに。前の村長って事はアンタの身内だろ?」
「ちょっとミオ、失礼だよ。」
あたしは口先では彼女をたしなめたが、今回だけは内心良く訊いてくれたと思っていた。
ただ、いかにも腹芸の出来なそうなミオがあたしの注意を受けて不満気な表情をしたので、ちょっとだけ彼女に対して罪悪感を抱いてしまったが。
多分、ミオの事だから根に持つ事なくすぐに忘れてくれるだろうが、あまりミオのサッパリとした気質に甘えるのも良くないかもしれない。
一方、ミオの遠慮の無い質問にアーウィンは一瞬バツが悪そうな表情をしたが、すぐに開き直ったかのように意地の悪い笑顔を取り戻す。
「この前ハーケンブルクの冒険者達がこの村で悪さをした件で呼び出された事をイリア様は根に持っていてな。あの件が収まった後、今後は何があっても自分達で解決しろと念を押されたのだ。なので私やこの村の者が報告に行っても聞く耳など持たぬだろう。
その点お主は部外者だし、イリア様も何故かお主を気に入っておる。そのお主が勝手に報告に行く分には何の問題もあるまい。」
なる程、アーウィンとしては自分達も巻き込まれそうなハーケンブルクの内紛に、あたしを利用してイリア様も巻き込もうという目論見か。
確かにアーウィンを始めとした村人よりあたしが報告した方がイリア様が動く可能性は高くはなりそうだし、イリア様が助力してくれればソニア派にとって大きな戦力になるかもしれない。
ただ、単に事態を報告するだけとはいえ隠棲したイリア様を騒動に巻き込む可能性のある行為に何となく引け目を感じていると、アーウィンは続けて魅力的な事実を提示してきた。
「この村は例の『スカーズ』とやらのせいでお主にとって危険かもしれないが、イリア様の元は安全かもしれんぞ。
最近はいささかスレてはきているが基本あの方は慈悲深いし、お気に入りのお主が頼めば保護してもらえる可能性は充分にあり得る。」
確かにあたしが泣きつけば、イリア様なら匿ってくれそうな気がするが、アーウィンの目論見を知った上でそれをするのはやはり後ろめたい。
まあ、アーウィンのは目論見というよりは、自分が望まぬ件に巻き込まれてしまう以上、その自分に仕事を押し付けたイリア様もそれなりに苦労を分かち合うべきだという子供っぽい意趣返し程度の動機なのだろうし、気にする必要もないのかもしれないが。
「高レベルのドルイトなら会ってみたいな。」
ミオがボソッと呟く。
ミオが森の中でどう過ごすつもりだったのかは知らないが、同じ森の中でも既に拠点があるであろうイリア様の元の方が確かに快適に過ごせそうな気はする。
それにミオとずっと2人きりよりかは、第三者がいた方が精神的にも気楽に過ごせるかもしれない。
だが、無関係のイリア様を巻き込む事に未だ踏ん切りがつかないでいたあたしは、より詳しい情報を求めてアーウィンに更に質問してみる。
「ちなみに今、イリア様はどんな所に住んでいるの?」
「どんな所と言われても、普通に森の中としか言い様がないな。」
あたしの質問に、アーウィンが困った様な表情を浮かべつつ言う。
そんなに変な質問だったかと訝しみつつも、あたしはより質問を具体的にしてみる。
「例えば寝床はどうしていますか?長期間暮らしているなら簡素な小屋くらい建てているんじゃないですか?それとも洞穴みたいな所に暮らしているとか?」
「いや、イリア様は基本的に野宿だぞ?最低限の荷物を保管する為の物置代わりの掘っ立て小屋だけは作ってはいるが、そこは人一人が横になる広さすら無い。枯れ葉とかを布団代わりにして普通に地面の上で寝ているぞ。
まあ、時折木の上で寝られる事もあるようだが。」
アーウィンはさも普通の事の様に語ったが、あたしは唖然として言葉を失った。
高レベルのドルイトが、森の中等で文字通り野性的な生活をしているという話は聞いてはいたが、あくまで誇張された都市伝説だと思っていた。
低レベルとはいえレンジャーの端くれであるあたしだって、必要に迫られれば枯れ葉に包まって夜を明かす方法を知っているし、実際に経験した事だってある。
だがそれは非常時に緊急避難的に行った事であり、それを日常的に行うのはまた別の話だ。
森の中での隠棲と聞いてあたしが思い浮かべていた漠然としたイメージは、小さなツリーハウスなんかで生活しているといったものだったのだが。
あたしの中でのおっとりとしたイリアさんのイメージから勝手にそう想像してしまった点もあるが、実際は文字通りのワイルドな生活だった訳か。
それでもおっとりとしたイリア様のイメージとワイルドに枯れ葉に包まって眠るイリア様との乖離をどうしても埋められなかったあたしは、アーウィンが冗談を言っている可能性に賭けて彼の表情を伺ったが、彼はあたしが何に驚いているのか全く分からないといった様子であたしを真面目くさった表情で見返すだけだった。
「何驚いているんだ?高レベルドルイトならそういう生活が普通だろう?」
言葉を失っているあたしに今度はミオが、いかにも常識を知らない人間に対して呆れつつ諭すような口調で口を挟んできた。
どうやら高レベルドルイトはこれが常識らしい。
「あんたもそうなの?」
あたしの問いに、ミオはムッツリと答えた。
「可能な限りはあたいもそうしてきたよ。もっともあたいの場合は状況的に許されない事も多かったけどね。」
なるほどミオの口ぶりから考えるに、高レベルドルイトが森の中でワイルドに暮らすのは、それが可能だからではなく、むしろその方が快適だかららしい。
となるとイリア様にしてみても、村の中での生活より森の中での生活の方がストレスが少ないという事になるのか。
アーウィンに強引に村長の座を押し付けて隠棲したのもその理由が大きいのかもしれない。
それはともかく、イリア様がそういうワイルドな生活を送っているとなると、彼女に匿ってもらうという提案に当初感じていた魅力が、あたしの中で急速に萎んでいくのが感じられる。
あたしとしては一度、ハーケンブルクに戻って仕切り直しをしたい所だが、イリア様の元に行くのに魅力を感じているらしいミオを説き伏せるのは中々難しそうだ、と考えていると、アーウィンが勝手に話を続け始めた。
「イリア様が生活している場所は、外縁部の中ではそれなりに強力な魔力溜まりの1つだ。そこではドルイトやレンジャーの使う自然魔法に限って呪文の効果や魔力の回復が増幅される。だから、イリア様がいればそれ程不快な思いはするまい。」
アーウィンの口から思いがけず『魔力溜まり』というキーワードが出て、あたしはハッとした。
魔力溜まりに行って魔剣トールを回復させる事も、今回のザレー大森林行きの目的の一つだったのは確かだ。
目的の中では優先順位も実現可能性も低い方だった事もあり敢えて口にはしなかったが、事情を知らないはずのアーウィンの口から思いがけず魔力溜まりの存在が明らかにされた事で、あたしがイリア様の元を訪れるのを拒む理由が無くなってしまった。
「目的の1つが果たせそうで良かったじゃん。」
アーウィンの話を聞いたミオがドヤ顔になりつつまた迂闊に口を滑らせるが、その事を気にする前に別の事が頭に浮かんだ。
今アーウィンが口にした『外縁部にしては強力な魔力溜まり』の存在と、不自然にこの村に滞在している『スカーズ』の不審な行動。
果たしてこれは、偶然の一致なのだろうか?
『スカーズ』の目的が不明なせいで、少しでも怪しい事柄を何でも彼らに結びつけている自覚はあるが、それでも一度思い浮かんだ疑惑を気のせいとして忘れる程あたしは豪胆ではない。
「どうした?」
眉間に皺を寄せつつ考え込むあたしの顔を、ミオが不思議そうに覗き込んできた。
あたしはミオに向けて作り笑いを浮かべて返事代わりにすると、アーウィンに向き直った。
「今仰った魔力溜まりについて、詳しく教えて頂けませんか?」
読んで下さりありがとうございます。
次回の投稿は9月上旬を予定しています。




