第1章 冒険者パーティー「ホワイトドーン」 3
今回はほぼ全編が戦闘シーンです。
暴力描写が多々あるので、予めご留意下さい。
2025年6月5日
細かい修正を行いました。
「いた……。」
あたしと冒険者パーティー『ホワイトドーン』の面々は、相手に気付かれる事なくゴブリンロードの群れを見下ろせる位置に移動していた。
案内してくれたのはイリアさんにテイムされた小鳥で、風下でかつ群れ全体を見下ろせる絶好の位置に案内してくれた。
ゴブリンロードの群れは、ヌーク村からそれ程離れていない場所に簡単な野営地を作っていた。
ギルドから事前に伝えられた位置とは全く違う場所だったので『ホワイトドーン』の面々が見つけられなかったのも仕方がない。
野営地といってもゴブリンの事なので、木の支柱にボロ布を張ったテントもどきが3つと、石を組んで作った竈門のようなものがあるだけだ。
野営地の中心に、倒木に腰掛けた巨大なゴブリンがいた。
通常のゴブリンに比べてその体格は三倍は大きいように見える。
あれがゴブリンロードだ。
ゴブリンロードは何かの毛皮を身に纏い、傍には鉈を巨大化したような形の大剣を立て掛けていた。
切れ味は悪そうだが、あの大きさと重さなら切れ味など関係なく一撃で致命傷を受ける可能性もある。
そしてその周りを通常種のゴブリン共がうろついている。どうやら食事の準備をしているようで熊っぽい獣を解体中だ。
その数は8体。事前情報より1体多いが、これは誤差の範囲だろう。
そしてイリアさんに伝えられた通り、群れ自体も事前の情報より大きくなっていた。
ゴブリンの群れにブラックウルフの群れが加わっていたのだ。
ブラックウルフはゴブリンの盟友的存在で、丁度エルフとムーンウルフの関係に似ている。
なのでゴブリンの群れが番犬代わりにブラックウルフを飼っている事は珍しくないが、そういう場合でも両者の絆は緩い。
戦いの時、優勢ならば積極的に共闘するが、明らかに不利な状況になると互いに相手を見捨てて逃走しようとする程度の関係だ。
しかし今回、ブラックウルフの群れの中心にいるのはゴブリンだった。
体格こそノーマルのゴブリンよりやや大きい程度だが、腰布一枚の他のゴブリン共と異なり、おそらくブラックウルフのものと思われる黒い毛皮を全身に纏い、およそ武器にはなりそうもない木の棒を持っている。
「あいつが……?」
小声で尋ねてくるイヴァンにあたしは頷いた。
「『テイマー』のクラス持ちゴブリンでしょうね。」
奴が持っている武器になりそうもない木の棒は、ブラックウルフを操る指揮棒代わりで、時に鞭の代用品となる代物だろう。
元々、ブラックウルフは群れでの闘いに慣れてるが、テイマーが指揮すれば更に機能的な連携を取るのに加えて士気も上昇し、無茶な命令にも従うようにもなる。
「あのブラックウルフ、大きいわね……。」
一方デボラはゴブリンロードの足元に伏せている、通常のブラックウルフの3倍はあろうかという個体に注目していた。
あれはおそらくゴブリンテイマーの『相棒』だろうが、その巨大なブラックウルフは騎乗用の鞍や轡を身に付けている。
おそらく、ゴブリンロードの乗騎でもあるのだろう。
ブラックウルフに騎乗したゴブリンロードの脅威度は更に増す。
テイマーの相棒として強大化した個体は、厄介な事に主人のテイマーが死んでも通常種にレベルダウンしたりはしない。
ゴブリンとブラックウルフの生態からしてあの巨大なブラックウルフは、相変わらずテイマーの相棒でありながらも、忠誠の優先度をロードに向けてる可能性もある。
テイマー達の合流からそう時間が経っていなければ相変わらず巨大ブラックウルフの忠誠心がテイマーだけに向いてる可能性もあるが、時間が経つ程明らかに群れの中で上位のロードに忠誠心の優先度が向く可能性が高くなる。
どちらか分からない以上悪い事態を想定して行動するべきであり、テイマーだけを倒して他のブラックウルフがテイマーの指揮下から開放されたとしても、ロードが生きてる限り巨大ブラックウルフだけはその指揮下に完全に残ると考えた方が良いだろう。
眼前に広がる光景は、イリアさんの事前の偵察により既に頭の中に入っていた情報通りだ。
その事を確認すると、『ホワイトドーン』の連中と事前に立てた作戦の最終確認を行う。
作戦の第1段階は、不意討ちの利点を最大限生かしてあたしが弓でゴブリンテイマーを無力化する事だ。
同時に、メイジのオーウェンが秘術魔法で、ゴブリンロードと他の連中を可能な限り分断する。
その後、オーウェン以外の『ホワイトドーン』の面々はゴブリンロードに突進し、あたしとジーヴァとで生き残った雑魚の相手を行い、オーウェンはその場で呪文の維持に集中する。
この作戦の肝は戦場を2分割し、ゴブリンロードの統率能力をノーマルゴブリンに及ぼさない事だ。
その為、一見オーウェンの負担が一番重いように見えるが、その実あたしがゴブリンテイマーを一撃で倒す事が肝の作戦であり、あたしの責任が一番重かったりする。
あたしサポートメンバーのはずなんだけど、そのあたしに一番の重責を負わせるのはおかしくない?とも思うけど、それ以外の作戦を思い付けなかった以上仕方が無い。
ゴブリンテイマーに自由にブラックウルフを指揮されたら、こちらの勝算は限りなく低くなるのは確かだ。
あたしは背負っていた長弓を取り出す。
あたしが長弓を用意している傍では、デボラが仲間に防御や能力上昇の補助呪文を掛けている。
「聖なる盾よ、この者を守り給え。」
「聖なる恩寵よ、この者の肉体に祝福を。」
「聖なる光よ、この者を邪悪なる魔術より守り給え。」
デボラのようなクレリックが使う神聖魔法は、回復や防御、補助の呪文が多く、使える呪文の総数は秘術魔法に比べて圧倒的に少ないが、呪文の詠唱時間も短く、魔力の消費も少ないという長所がある。
「ゾラさんは……?」
他のメンバーに補助呪文を掛けた後、デボラがあたしに訊いてくる。
「あたしはいいよ。ピアスや呪紋の効果もあるし。」
あたしが大量に付けているピアスや呪紋には今デボラが仲間に掛けた呪文と同じ効果を発揮するものが含まれている。
効果が累積するなら良いが、同じ効果の魔法は高い方しか能力を発揮しない。
あたしのピアスや呪紋より、デボラに呪文を掛けてもらった方が効果は高いが、その差は僅かだし、それならデボラには魔力を温存してもらった方が良い。
「じゃあ、俺は行くよ。」
キースはそう言うと、忍び足であたし達から離れる。
ゴブリン共もまるっきり馬鹿では無いので、野営地から安全に身を隠せる場所は今居る場所以外にそう多くは無い。それに加えてブラックウルフの鼻からも逃れられる場と言えば更に選択肢は減る。
隠密の業に優れたシーフのキースだけが、ゴブリンロードを挟撃出来る位置へと密かに移動していく。
あたしも隠密の業は使えるがちょっと心許ないし、バレたら不意討ちのアドバンテージをみすみす失ってしまうので、ここは自重しておく。
「僕も行ってくる。」
肩に乗ったノエルがそう言ってから不器用に翼を羽ばたかせて飛んでいく。
ノエルの仕事は木の上から戦場を俯瞰で見下ろして気付いた事を伝えることだが、その口調に不安と不満が混じっていたのは、それ以外にもちょっとだけ危険かもしれない事を頼んだからだ。
あたしは矢筒から矢を1本引き抜き、長弓につがえるとその矢に秘術魔法を流し込む。
弓術と秘術魔法の両方が使えるエルフが発達させた『弓魔法』と言われる技術だ。
剣術も使えるエルフは同様に『剣魔法』という技術も発達させたが、どちらもエルフの非力さを補うと共に、戦術の幅を広げてきた有用な技術だ。
例によって、ハーフエルフのあたしはこの技術も中途半端にしか使えないけど。
『弓魔法』には単純に弓攻撃の威力や命中精度を上げたり、射程を伸ばしたりする業が有名だが、それ以外にも矢に呪文を込め、矢に呪文を運んでもらって目標に命中すると同時に発動させるという業もある。
上級者になればこれら複数の効果を組み合わせる(それどころか矢を有り得ない軌道で飛ばしたり、障害物をすり抜けてその向こう側にいる目標に命中させたりといった業を使えるようになる)事が出来るが、あたしはまだまだそこまで熟達していない。
なので、命中精度に関しては自分の素の技量を信じ、矢に呪文を込めていく。
「嵐を纏いし風の乙女よ……。その荒ぶる魂を閃光と共に解き放て……。」
呪文はその場で発動する事無く番えた矢の中に吸い込まれ、矢は鈍い金色めいた光を仄かに放つ。
そうして準備を整えてしばらく経った頃、頭の中にノエルからの魔法の念話が届く。
(僕もキースも準備出来たよ。)
(了解。)
あたしは短くノエルに念話を返すと、弓弦を引き絞り、ゴブリンテイマーに狙いを定めると大きくゆっくりと息を吸ってから、息を止めて矢を放つ。
風切り音と共に飛んでいった矢は、全く警戒していなかったらしいゴブリンテイマーのお腹に命中した。
狙ったのは胸の辺りだったが、これは誤差の範囲内だろう。
ゴブリンテイマーはすぐには状況を理解出来なかったらしく、自分のお腹に刺さった矢を見下ろす。
その彼が痛みを感じる前に、刺さった矢に込められた呪文が発動する。
矢を中心として四方八方に電撃が拡散していく。
ゴブリンテイマーは身体の内側から電撃に焼かれ、遠目から見ても即死だった。
更に周囲にいたブラックウルフやノーマルゴブリンにも電撃が襲いかかる。
残念ながら少し離れた場所にいたゴブリンロードや巨大ブラックウルフなどには電撃は届かなかったようだ。
ゴブリンテイマー以外の戦果は未だ不明瞭だったが、すぐにメイジのオーウェンが次の手を打つ。
オーウェンは拗くれた長い杖をかざしながら準備していた呪文の最後の詠唱の部分を唱え、呪文を完成させる。
「炎の舌を持つトカゲの王よ!我が求めに応じ地の底より天空に向け灼熱の壁を打ち立てよ!」
メイジの使用する秘術魔法は、クレリックの神聖魔法に比べて発動の手法が複雑で、魔力消費もやや多いという欠点もあるが、無論それに代わる長所もある。
その1つが、どんな優秀なメイジであっても現存する全ての呪文の内、全生涯かけても取得出来るのはその半分にも届かないと言われる程膨大な呪文数であり、もう1つの長所は発動するその呪文をその都度カスタマイズ出来る事だ。
今もオーウェンは、最終的な呪文詠唱の前に予備動作の呪文の詠唱を長々と唱える事で余分な魔力消費をせずに魔法の効果範囲を広げていた。
そして、オーウェンが落ち着かない時は常に撫でられる運命にある使い魔のトカゲ。
このトカゲの使い魔は、あらゆる使い魔に共通する能力に加え、主人の呪文の威力を1日に数回、強化する事が出来る。(回数も強化幅も主人のレベルアップにより増加する。)
シンプルだが、強力な能力だ。
そうした強化を受けてオーウェンが発動したのが『炎の壁』の呪文だ。
突然立ちのぼった炎の壁により、ゴブリン共は2分される。
ゴブリンロードと巨大なブラックウルフ、そしてたまたま近くにいたノーマルゴブリン2匹のグループと、残りのノーマルゴブリン6匹に普通のブラックウルフ6匹のグループだ。
「うおおおお───っ!!!」
イヴァンが雄叫びを上げながら、隠れていた藪の中から飛び出し、ゴブリンロード共に突進する。目立つ事で彼らの注目を集めるのも彼の役割の1つだ。
彼のすぐ後にデボラが続く。
2人共、金属鎧に大型の盾という似たような装備だが、純粋な前衛戦士のイヴァンの方がやはり身体能力に秀でており、少しづつ2人の距離が空いていく。
ゴブリンテイマーが倒れた事で、あの巨大なブラックウルフの制御が失われるかと少しは期待したが、そんな様子も無くゴブリンロードは素早く巨大なブラックウルフに跨がると、例の鉈を巨大化したような大剣を片手で軽々と掲げ、こちらも雄叫びを上げる。
「グオオオオ───ッ!!!」
その雄叫びはゴブリン共を鼓舞するだけでなく、敵であるあたし達の士気を挫く魔法的効果も明らかに備えていた。
お臍周りに彫られた、敵対的魔術に対する抵抗力を上げる呪紋の効果もあり、あたしはその雄叫びの効果を跳ね返す。
見える範囲にいる『ホワイトドーン』の連中も、デボラの支援魔法の効果もあって、耐えたようだ。
分断されたブラックウルフとノーマルゴブリン達の方を見ると、ブラックウルフの1匹が電撃に巻き込まれ、倒れて痙攣している。まだ息はあるようだが、戦線離脱は明らかだ。
残りはノーマルゴブリン6匹とブラックウルフ5匹。電撃で負傷したり、多少痺れがあるような連中も見受けられるが、戦闘能力は残っている。
あたしの電撃の呪文は派手なヴィジュアルの割には効果は限定的だったようだ。
まあ、予想通りではある。バードのレベルが低いせいで、威力も低いのだ。
これが器用貧乏と呼ばれる所以だ。
生き残ったゴブリン共はゴブリンロードの雄叫びに明らかに鼓舞されているが、炎の壁で視線が遮られているので、具体的な指示はゴブリンロードからはそう飛んで来ないだろう。
あたしは長弓を背中に戻すと、鞘から片手半剣を抜き、両手を広げて自分の存在をアピールする。
オーウェンは炎の壁の呪文で戦場を分断する役割に専念する必要がある為、その間、あたしとジーヴァとで雑魚の相手をしなければならない。
案の定、あたしの姿を見て、ブラックウルフとゴブリン共が突進してきた。
あたしの足元でジーヴァが低く唸る。
さすが、頼もしい相棒だ。
ブラックウルフとゴブリンが接近してくるまでのタイムラグを有効活用すべく、あたしは数少ないバードのオリジナル能力である『呪歌』を唄い始める。
「我が眼は冴え、身体は風に乗り、剣も槍も飛び来る幾万の矢の雨さえも我が肉体に当たる事、能わず……!」
呪歌の効果範囲は、バードの声の届く場所全てに及び、下級の呪文の中では反則的に広い。
だがその効果は低い上に、敵味方見境なくかかるという最大の欠点の為に使い勝手も悪い。
今回、あたしが唄ったのは回避力上昇の効果を持つ呪歌だ。最大の脅威であるブラックウルフに跨ったゴブリンロードは、的が非常に大きいので多少回避力が上昇しても影響力は少ないという判断から選んだ。
この呪歌に限らず、あらゆる呪歌は効果が貧弱な割に歌詞が大仰なので、使用する度に羞恥心を抑え込む努力を強いられてしまう。
一方、巨大ブラックウルフに跨がったゴブリンロードは、突進してくるイヴァンを目標に定めたようだ。
ブラックウルフの腹を軽く蹴り、イヴァンめがけて突進しようとしたまさにその時、ノエルがゴブリンロードの眼前に滑空してきた。
相変わらず不器用な飛び方だが、ゴブリンロードの不意を突けたのは間違い無い。
そして、ノエルはゴブリンロードの眼前で光輝く。
良く言えば多才、悪く言えば主人のあたし同様器用貧乏なカラスの使い魔は、初歩的な秘術魔法なら自力で唱えられる。
今も唱えたのも本来は薄暗い照明にしか使えない呪文だが、目の前で突然輝く事で目くらましとなった。
一瞬、視力が失われたゴブリンロードが反射的に手綱を引いてしまったので、ブラックウルフが突進を始めて3歩で急停止する。
落馬ならぬ落狼すれば楽だったが、さすがにそう上手くはいかず、ゴブリンロードもブラックウルフの鞍上でバランスを取る。
それでも、初手でブラックウルフの機動力を一時的にでも封じたなら上出来だ。ゴブリンロードが騎乗したブラックウルフに戦場を自在に駆け回られたら、こちらの戦線など一瞬で崩壊してしまう。
ノエルはいい仕事をした。後は木の上で周りを見張ってくれれば充分だ。
ノエルの目眩ましで時間を稼いだお陰で、イヴァンがゴブリンロードに肉薄する事に成功した。
一方でゴブリンロードの側がブラックウルフの突進力を活かした突撃を行うには距離が足りなくなってしまった。
否応無しに、ゴブリンロード共はその機動力を封印し、脚を止めての斬り合いをするしかない。
ゴブリンロードが大剣を構え、巨大ブラックウルフが牙を剥き出し、イヴァンに対する迎撃態勢を取ったその時だった。
キースが潜伏場所から素早く、しかし音を立てず飛び出すと、短剣でブラックウルフの後ろ脚の腱に斬りつけた。
ブラックウルフは悲鳴じみた咆哮を上げ、暴れ出す。ゴブリンロードは事態を把握出来ていないながらもブラックウルフを宥めようとするが、そこに突進してきたイヴァンが長剣を振り下ろす。
イヴァンの長剣はブラックウルフの右目辺りを斬り裂いた。
遅れていたデボラもすぐに追いつきそうだ。あっちは当分大丈夫そうだし、ノエルも戦場を俯瞰出来る場所に戻った頃だから何かあれば彼が知らせてくれるはずだ。
なので自分たちの戦いに集中しよう。
一斉に駆け出したゴブリンとブラックウルフ共だったが、脚はブラックウルフ共の方が圧倒的に速く、すぐに2グループに分裂する。
あたしとジーヴァは、呪文に集中しているオーウェンを庇うように前に出る。
呪歌はここで中断するが、その効果はもう暫く持続するはずだ。
そして、あたしは3つ目のクラスの能力を使う事にする。
あたしの3つ目のクラスである『カメレオン』というクラスは、他のクラスの能力を一時的に真似出来る、という一見大変便利なクラスだ。
でも、真似出来るのは自分のレベル未満の能力だけだし、能力の発動には結構な量の魔力を消費する上に、持続時間も低レベルの内は短い。
あたしの今のレベルでは、既に雷の魔法を使用した事で魔力が少し減っている事もあり、連続使用は3回が限度で1回当たりの使用時間は5分といった所だ。
完全に大器晩成型のクラスで、レベルアップの遅いあたしにはミスマッチだ。
それでも持てる能力をフル回転しなくては、器用貧乏のあたしは生き残れない。
今回あたしが真似るのは、テイマーのテイム能力。既に他者がテイムしている対象の支配権を奪い取るのは、相当な実力差が無ければ不可能だが、ブラックウルフをテイムしていたゴブリンテイマーは既に倒した。
とはいえ、既に敵対関係に陥っている相手をテイムするのも中々難しい。
難易度を少しでも下げる為、命令をシンプルかつ彼らが従い易いものにする。
「止まれ!」
あたしのテイムに従ったのは5匹中2匹だけだったが、『カメレオン』で真似た力にしては上出来だろう。
(ジーヴァ!左端をお願い!)
あたしは思念で相棒のジーヴァに指示を送る。
リーダーを失えば、連携など忘れてしまうゴブリン共と違い、ブラックウルフは例えリーダーを失ってもそれなりに連携してくるのが厄介だ。
なので、可能な限り分断させねばならない。
ジーヴァの力は不甲斐ない主人のお陰で、普通のブラックウルフよりやや強いという程度だ。1匹を瞬殺出来る程強くは無いし、2匹相手では分が悪い。
だが、1匹を圧倒して自由に行動をさせずにおく程度の事は容易い。
だからジーヴァが1匹を抑え込んでいる内に、あたしが2匹の相手をしようとする。
だが当然相手はあたしの想定通りには動いてくれず、向こうは向こうで自分達に有利な組み合わせを目論み、3匹のブラックウルフの内1匹があたしの牽制、2匹でジーヴァを仕留めようとする位置取りで動き始める。
あたし達とブラックウルフとの間で自分達に有利な立ち位置を得ようと駆け引きが始まる。
ただ、あたしの脚の速さはブラックウルフ共には予想外だったようだ。
レンジャーの、悪い足場の上での移動力の高さはあらゆるクラスの中でトップクラスだ。ブラックウルフの常識の中の『二足歩行動物』の平均よりはずっと速いだろう。
敢えて速力を落としたジーヴァを追い抜いたあたしが突然突出するというブラックウルフの裏をかいた動きをする事であたしとジーヴァは最初の駆け引きに勝利し、取り敢えずあたし達の想定した組み合わせに持ち込む。
だがそれでも、不利な戦況は変わらない。
ブラックウルフは野生の捕食者の常として、余程飢えていない限り自分達の命を危険に晒すような戦い方はそうはしない。
現に2匹のブラックウルフは、牙を剥いてあたしを威嚇し、しばしば噛み付くようなフェイントを行うが、剣の間合いには入ろうとしないし、1匹があたしの注意を引き、もう1匹があたしの死角に回り込もうとする動きを繰り返すだけだ。
あたしが決定的なミスをすればともかく、そうでなければ後続のゴブリン共が追いついて更なる数的優位を得るまで待つつもりなのだろう。
時間が経つ程不利になるのはあたし達だ。なのでここは、あたしから仕掛ける。
あたしは左手に握った片手半剣を構えつつ、ブラックウルフの片割れに突進する。
当然、目標になったブラックウルフは後退して距離を取ろうとし、もう1匹は斜め後からあたしの脚に噛み付こうとする。
横目で斜め後のブラックウルフをチラリと見たあたしはそれを本気の攻撃ではなく、単なる牽制だと判断した。
明確な根拠が持てる程あたしの剣士としての見切りは優れていない。ただあたしと、斜め後のブラックウルフとの距離はまだ空いてるし、あたしの読みが外れても軽症で済む、という目論見もあった。
斜め後のブラックウルフの噛み付きは、あたしの左足首近くで空を切る。結構ギリギリだったので、あたしの読みが当たったのか外れたのかは今イチ判然としないが、結果オーライだ。
相方の牽制が空振ったのを見て、前方のブラックウルフがあたしに向き直り迎撃態勢を取る。
四足歩行がいくら二足歩行より機動性に優れているとはいえ、後退と前進ではいずれ追い着かれるので、ブラックウルフとしてはそうするしかない。
あたしは、右腕の義肢を前方のブラックウルフに向けて突き出す。
あたしの義肢にはいくつかギミックがある。この義肢の製作者の夫婦が悪ノリで作ったような、2度は通用しないようなチャチな仕掛けだが、初見の相手にはそこそこ通用するはずだ。
前腕部にある4つの射出口から小型のダートが一斉に発射される。4本のダートの内3本がブラックウルフの顔に命中した。
大したダメージは無いが、怯ませるには充分だ。
(ゾラ、もう1匹は右後ろに回り込んだよ!)
樹上から戦場を俯瞰で見ているはずの使い魔のカラスのノエルから思念が届く。
ダートの狙いを定める為前方に集中した隙に、後方のブラックウルフはあたしの左後ろから右後ろに移動していたらしい。
危なかった。もし、左回りに後を振り向いていたらそのブラックウルフを見失っていただろう。
この状況でそれは致命的だ。
あたしが右回りに振り向くとノエルの言う通りもう1匹のブラックウルフがあたしに噛み付こうと牙を剥き出しにしていた。
ブラックウルフにはあたしの喉元まで跳びかかる跳躍力はあるが、フェイント以外でそんなリスキーな行動をいきなり取る個体はまずいない。
奴らが二足歩行の生物を相手にする時は、まず脚を攻撃して機動力を奪いにくるのがセオリーだ。
あたしは、両手で片手半剣を握ると、振り向きざまに剣を振るう。
力は込めず、ブラックウルフの攻撃軌道に向けて剣を振るイメージだ。
あたしの剣は、あたしの右脚に噛み付こうと大きく開けたブラックウルフの口を斬り裂く。
手応えは浅く、とても致命傷とは言えないが噛み付き能力を無効化する事が出来れば充分だ。
あたしはすぐに身体を反転させ、もう一方のブラックウルフに向き直る。
ダートの1本が鼻に命中したようで、思ったよりパニックは長引いたようだ。
あたしは、無慈悲に剣を振り下ろした。
そして、すぐにジーヴァの支援に向かう。
ジーヴァが相手をしていたブラックウルフは、突進してきたあたしに気を取られた隙にジーヴァに倒された。
その頃になって6匹のゴブリン共がバラバラとやってきた。
ジーヴァがゴブリン共を撹乱するように駆け抜け、ただでさえ連携のなっていない連中を混乱させた所で、あたしがゴブリン共を剣で、時には右腕の義肢で殴りつけ、各個撃破していく。
数的不利が薄らいだ所でジーヴァも攻撃に転じ、ゴブリン共を呆気なく殲滅した。
あたしはそこで、テイム能力で動きを止めた2匹のブラックウルフに向き直る。
意志の疎通が出来る程の繋がりは無いが、2匹からは怯えの感情が伝わってきた。
「去れ!」
あたしが短く命じると、2匹はあたしが口を斬り裂いた仲間を両脇からは守るようにして戦場から去って行った。
「さすがですね、ゾラさん。」
興奮した様子のオーウェンが、少しばかり足元の悪さに苦戦しつつ駆け寄ってきた。
戦場の分断の必要が無くなったので、『炎の壁』の呪文は既に解除している。
「まだ終わっていないよ。」
オーウェンが油断しているとは思っていなかったが、あたしは一応釘を刺す。
あたしとオーウェン、それにジーヴァはイヴァン達の元へと向かう。
イヴァン達とゴブリンロードとの戦いは膠着状態に陥っていた。
イヴァン達3人は結構疲弊して見えるが、深手を負った者はいない。一方でイヴァン達も、最初に加えたキースとイヴァンの一撃以外にゴブリンロード共に有効打を与えられていないようだ。
駆け付ける間に観察していると、ゴブリンロードと巨大ブラックウルフとの連携が思った以上に巧みだった。
イヴァン達は、イヴァンとデボラが正面に立って引き付け、キースが後方や側面から一撃離脱戦法を取るのを基本戦術にしているが、キースが接近しようとする度に、ゴブリンロードがあの巨大な大剣を振り回して牽制する為に、今一つ踏み込めず、斬擊が浅くなってしまう。
高い場所から振り下ろされる大剣はそれだけで単純に威力が増すらしく、正面で攻撃を引き受けているイヴァンとデボラの盾も鎧もボロボロだ。
ゴブリンロードの上方向からの攻撃だけで無く、正面からの巨大ブラックウルフの噛み付きも来るので、神経を張り詰め続けねばならず、精神的な消耗も激しい。
だがそれでも、最初に巨大ブラックウルフの後ろ脚の1本に深手を負わせたのは大きい。
完全に脚が動かなくなる程ではないようだが、自在に駆け回る事は不可能だろう。
もしブラックウルフに機動力が完全に残っていれば、状況は更に悪化していたはずだ。
「オーウェン!」
あたしは少し遅れて付いてくるメイジに声を掛ける。
「何です?」
「あなたは機を見て、ゴブリンロードの頭部を中心に攻撃魔法を撃ち込んで。的があれだけ高い位置にあれば、味方に誤射する心配は無いでしょ?」
「分かりました。」
オーウェンの顔には疲れが見えている。
『炎の壁』の呪文を長時間維持したせいで、かなり魔力を消費しているのだろう。
唱えられる呪文の数はかなり限られるだろうが、彼を温存する余裕は無い。
イヴァン達の攻撃はブラックウルフに集中し過ぎている。
最初にブラックウルフを落とすという戦術は間違っていないが、あれだけ攻撃目標が分かり易ければ敵も防御し易い。
デボラには数少ないながらも攻撃魔法があるし、キースも威力が低いながらも飛び道具を持っていたはず。
効かないまでも、相手の集中を散らし防御に手間を取らせればこうまで猛攻を受けないはずだ。
彼らの素直な性質は好ましいが、ここではそれが裏目に出てしまった。
そして、あたしの到着前に均衡が崩れ始める。
疲労によって集中力が切れかけたのか、デボラがゴブリンロードの大剣の一撃を、受け流すのではなくまともに盾で受け止めてしまい、それまでのダメージの蓄積もあって盾が割れ、彼女自身もバランスを崩してしまう。
その直後に、敵ながら絶妙なタイミングで巨大ブラックウルフが頭突きを行い、盾は完全に破壊され、デボラ自身も転倒してしまう。
「デボラ!」
普段冷静なキースが焦ったのか、ブラックウルフの後方から突進してきた。
イヴァンがデボラを庇うように、ゴブリンロード共と彼女の間に立ちはだかったので、焦る程の危機では無かったのだが。
あるいは、イヴァンがキースの動きに呼応して攻撃に転じていれば、相手もデボラを追撃する余裕も無く、どちらか片方の攻撃は当たっていたかもしれない。
このちぐはぐなコンビネーションの乱れは、疲労による集中力の低下のせいだろうが、イヴァンが防御に走ったせいで、キースが無駄に突出した形となり、巨大ブラックウルフは余裕を持ってキースを無傷な方の後ろ脚で蹴飛ばす。
キースにとって不幸中の幸いだったのは、ブラックウルフの後ろ脚は攻撃する動きには慣れていないという事だ。
とはいえ、この巨体から力任せに放たれた一撃は、咄嗟に防御姿勢を取ったキースを数メートルも吹き飛ばす。
「キース……!」
僅か数秒間で一気に均衡が崩れて2人が相次いで倒れた事に、イヴァンまで動揺してしまう。
そして基本的に地頭の良いイヴァンは、キースについては自分の判断ミスだと気付いたようで、顔から血の気まで引いてしまう。
一方、ゴブリンロード共はここが好機と、抜け目無くイヴァンへと猛攻を仕掛ける。主人の攻撃の合間を埋めるように、巨大ブラックウルフが噛み付きや頭突きを仕掛けてくるので、イヴァンには反撃の機会が与えられず、みるみるうちに防戦一方となってしまう。
そしてついに、ゴブリンロード共の圧力に耐えられなくなった事を象徴するかのように、イヴァンの長剣がゴブリンロードの大剣に叩き折られてしまう。
絶望の表情を浮かべるイヴァンと、サディスティックな笑みを浮かべるゴブリンロード。
ゴブリンロードは余裕にも、ここで勝利を確信する雄叫びまで上げた。
もしかしたら、ゴブリンロードにとってもストレスのかかる戦いで、決定的な勝機につい緊張の糸が切れたのかもしれない。
理由はどうあれ、この数秒間の猶予であたし達の救援が間に合わないという最悪の事態は免れた。
ゴブリンロードが悦に入った様子でゆったりと大剣を振り上げた瞬間、オーウェンの唱えた火球の呪文が奴の頭部を直撃する。
ダメージは恐らくほとんど無いだろう。オーウェンの脚は遅く、未だ距離を詰められない為、威力と引き替えに射程を伸ばしたからだ。
でも、ゴブリンロードは軽くパニックに陥っている。呪文がどこから飛んできたか咄嗟には分からない様子で、キョロキョロと周囲を見回している。
オーウェンの判断は良かった。
慎重な性格の彼の中では、残り少ない魔力をダメージを与える為ではなく、牽制の為だけに使うのは勇気がいったかもしれないが、ここは完全に彼の判断が正解だ。
今のこの状況では、ゴブリンロードの注意を逸らす事が最も重要だったから。
でもそれで、オーウェンの呪文による支援は、強力な呪文1回か弱い呪文数回分しか残っていないはずだ。
それでも、ゴブリンロードの慢心とオーウェンの呪文により稼がれた時間により、あたしがゴブリンロードに比較的余裕を持って辿り着く事が出来たのは大きい。
あたしは未だ苛ついた様子で、自分に火球の呪文を放った奴を探しているゴブリンロードに死角から近付くと、片手半剣を両手で持ち、巨大ブラックウルフに跨がったゴブリンロードの太腿辺りを思いっ切り斬り付けた。
ゴブリンロードが悲鳴を上げつつも、ほぼ反射的にあたしのいる方に向けて当てずっぽうに大剣を振り回す。
身を屈めて躱したが、当たれば一発で致命傷になりかねない威力だ。
そこに機を伺っていたジーヴァが飛び込み、ゴブリンロード共を更に混乱させる。
残念ながら今のジーヴァの力では、まともに戦えばゴブリンロード共に瞬殺されるだろう。だからあたしは、ジーヴァに決してゴブリンロード共の間合いに入らず、撹乱に専念するように厳命してある。
ジーヴァの作ってくれた時間を利用して、あたしはゴブリンロードとイヴァンの間に入り込む。
「ゾラさん!」
「イヴァン、一旦引きなさい。」
あたしの救援に表情を輝かしたイヴァンだったが、あたしの言葉に表情を曇らせる。
ゴブリンロードの敵意を一身に受けているのを感じてはいたが、まだあたしには苦笑する程度の余裕はあった。
「退却しろって意味じゃないよ。あたしが時間を稼ぐから、その間に態勢を立て直せってだけ。」
イヴァンがあからさまにホッとした表情になる。
「有難うございます。デボラ!」
イヴァンが後退しつつメンバーに指示を与える始める。
「お疲れ様、ジーヴァ。」
あたしはジーヴァに声をかけると、ゴブリンロードの正面に進み出た。
ゴブリンロードはジーヴァが撹乱しかする気がないのを完全に見抜いたようで、彼の事は完全に無視してあたしだけを標的に定めたようだ。
奴はゆっくりとあたしに向き直る。
何だか、急速に奴は冷静さを取り戻してしまったようだ。これは良くない兆候だ。
あたしには両手で片手半剣を構えながら、『カメレオン』でファイターのクラス能力を得る。
純粋に近接戦闘能力を上昇させる為だ。
2つ以上のクラスを持つ場合、ファイターの近接戦闘能力とレンジャーの近接戦闘能力のように、共通する能力は累積するので、低レベルのカメレオンは、自分の習得していないクラスの能力を使うより、元から習得しているクラス能力を底上げするような、こうした地味な使い方の方が実は有効だったりする。
「風よ、剣に纏い、何者をも近付けるな。」
更に、あたしは自分の片手半剣に受け流し能力を向上させる、エルフ流の秘術魔法の応用である『剣魔法』を掛ける。
低レベルの魔法なので、効果は気休め程度だが無いよりはマシだ。
ゴブリンロードは威嚇するように唸りながら、あたしの逃げ道を塞ぐ事をアピールするように両手を広げる。
主人を載せたままゆっくりと接近する巨大ブラックウルフも主人同様に低く唸る。
さっき、ゴブリンロードの左太腿を斬った時、やたらと硬い手応えだった。
思いっ切り斬り付けたつもりだったが、あたしの力では大したダメージは与えられなかっただろう。
そしてゴブリンロードの剣術自体は全く洗練されていなかったが、それを補って余りある力があった。
圧倒的な身体能力の差は、多少の技量の差など粉砕するものだ。
ゴブリンロードが雄叫びを上げ、奴を乗せたブラックウルフも口から泡を吹きつつ突進してきた。
鉈を巨大化したような大剣を軽々と片手で振り回す。
その戦い方は先程観察済みだが、第三者視点と実際に正面から攻撃を受ける立場ではまるで受ける圧が違う。
それでも、単調な大振り攻撃中心のゴブリンロード単体相手ならその圧倒的な圧さえ耐えられればすぐに対応出来そうだが、たまに織り交ぜられる巨大ブラックウルフの噛み付き攻撃のタイミングが不規則過ぎて、つい対応が遅れがちになってしまう。
噛み付き攻撃自体の威力もハンパなさそうだが、何よりあれを喰らったら動きを封じられ、ゴブリンロードの大剣を避ける事が不可能になってしまうのが最大の脅威だ。
よくこの攻撃を耐えたものだ、と必死になって2匹のコンビネーションをいなしつつ、イヴァン達の成長を実感する。
『カメレオン』によるファイター能力のコピーで近接戦闘能力を底上げしていなければ、ゴブリンロード共の猛攻に30秒も耐えられなかったろう。
というか、底上げしてもしんどい。
一撃で致命傷になりかねないゴブリンロードの大剣の圧と、トリッキーなタイミングでの巨大ブラックウルフの噛み付きとのコンビネーションは、避け続けるだけで精神力と集中力を消耗させていく。
元から防御に専念するつもりだったが、反撃の意図が無いと悟られれば相手は自分の防御を捨てて益々勢いづいて攻撃してくるので、しばしばフェイントの攻撃を加えていたのだが、相手の勢いに飲まれてそれすらも難しくなってくる。
ジーヴァもゴブリンロード共の背後に回り込み、巨大ブラックウルフの後ろ脚に何度か噛み付くが、彼の牙ではブラックウルフの毛皮や筋肉を全く貫けず、ダメージを与えられないどころか、集中力を削ぐ事さえ出来ず、完全に無視されている。
剣での受け流しのタイミングも微妙にズレ始め、相手の大剣の一撃の威力がダイレクトに伝わる割合が増えてきて、あたしの片手半剣が悲鳴のような音を立てる。
あたしの脳裏にイヴァンの剣が折られた時の光景が蘇る。
集中力が切れかかっているのを自覚する。
もうすぐ『カメレオン』で得たファイターの能力も切れそうだ。
あたしの劣勢を察したのか、ジーヴァが巨大ブラックウルフの傷を負った方の後ろ脚に噛み付き、そのまま食らい付こうとする。
牙でダメージが与えられないなら、自らの身体を重しにして巨大ブラックウルフの動きを少しでも鈍らせようとしたのだろうが、両者の体格差は圧倒的だった。
巨大ブラックウルフが軽く脚を振っただけでジーヴァは吹き飛んでしまう。
「ジーヴァッ!」
あたしは思わず叫ぶ。
先程、デボラが倒れたのをきっかけに、僅か数秒で戦線が崩壊しかけた光景があたしの脳裏に蘇る。
その時だった。
「ゾラさん、加勢します!」
その声と共に、デボラがあたしの隣に並んだ。
壊れた自分の盾の代わりにイヴァンの盾を借りて、あたしの代わりに攻撃をいなし始める。
ゴブリンロードが苛立たし気に唸る。
奴もあたしの事をかなり追い詰めている自覚があったのだろう。
ひとまず攻撃目標が2人になった事で、ゴブリンロードの圧も減り、牽制の為の反撃を繰り出す余裕も出てきたあたしはいくらか冷静さを取り戻す。
まずは吹き飛ばされたジーヴァの様子を魔力的絆を頼りに探る。
意識はあるし、闘争心も衰えていないが四肢のどこかを痛めたらしい。
ひとまず安心したあたしは、大人しくしているように思念を送る。
続いて、イヴァンの姿を探すと、彼は予備の武器であるダガーを片手にゴブリンロードの背後に忍び寄ろうとしていた。
反対側には同様の動きをしているキースもいる。
先程、巨大ブラックウルフに吹き飛ばれたキースだが、あたしがゴブリンロード共を引き付けている間にデボラに治癒魔法をかけてもらったのだろう。
あの2人が何をしようとしているのか、あたしはすぐに分かった。
あたしとデボラが正面からゴブリンロード共を引き付けている間に、2人がかりで直接ゴブリンロードに跳びかかって奴を巨大ブラックウルフの上から引きずり下ろし、そのまま組み打ちに持ち込もうとしているのだろう。
いよいよ後が無くなればその捨て身の作戦もありかもしれないが、成功率は低そうだ。
あたし達に攻撃しつつも忙しく目を動かしている事から察するに、ゴブリンロードは2人の意図に気付いている可能性も高い。
あたしと目が合ったイヴァンは同意を求めるように小さく首を縦に動かしたが、あたしは首を振ると、隣のデボラに声をかける。
「デボラ!」
「はいっ!」
「ちょっとの間、独りで耐えられる?」
「防御魔法とか結界魔法をかけ直したので大丈夫ですよ。」
こちらを見る余裕は無さそうだが、声は落ち着いていたので大丈夫そうだ。
「イヴァン!」
あたしの呼びかけに、イヴァンはキースとアイコンタクトを交わしてからこちらにやってきた。
「デボラ、少しの間、お願い。」
「任せて下さい!」
デボラに前衛を任せ、あたしは一度後退する。
「どうしました?」
ヤキモキした様子で尋ねるイヴァンに、あたしは持っていた片手半剣を押し付ける。
「ゾラさん?」
「あたしが隙を作る。そうしたら確実にブラックウルフを倒して。ゴブリンロード単体なら、あなた達の実力なら確実に倒せるでしょ?」
「それはそうですが……。」
あたしの意図を計りかねているイヴァンの背中を軽く叩く。
「この剣は、今はあなたが使った方が役に立つ。ほら、いつまでデボラを独りで戦わせるつもり?」
あたしがデボラをダシに強引に話を打ち切ると、イヴァンは微妙な苦笑を浮かべつつデボラの隣に立つ。
デボラは明らかにホッとしていた。
魔法で自身を強化していたとはいえ、白兵戦はクレリックにとってサブの能力でメインではない。
それでも一時的とはいえ、この厳しい前線を独りで支えたのは立派だ。
あたしはキースの所に駆けて手短に打ち合わせると、ジーヴァの元へ向かい、傍に跪く。
ジーヴァはどうやら左後ろ脚を痛めたらしい。
触ってみると、骨に異常は無さそうだし、あたしレベルの回復魔法でも完治しそうだ。
でも、今は魔力を温存しなければゴブリンロード共に勝つのは難しい。
「ごめん、ジーヴァ。後で必ず治す。」
あたしが謝ると、ジーヴァは伏せたままその鼻面をあたしの膝の辺りに擦り付ける。
そこへオーウェンがようやく追い着いてきた。
彼とも手短に打ち合わせした後、あたしはゴブリンロードの側面に回り込む。
ゴブリンロードとイヴァン達の戦いはほぼ互角に見えるが、ゴブリンロードの一撃が命中すれば一発で戦況がひっくり返るのに対して、イヴァン達の一撃にはそのような破壊力は無い。
このままでは先程の二の舞だ。
ふとあたしは、ゴブリンロードがチラチラと横目であたしを観察している事に気付いた。
どうやら奴は、あたしが何をするのか気になっているらしい。
警戒されていようとやるべき事はやらなければ、あたし達に勝機は無い。
あたしは慎重にゴブリンロードの攻撃を観察し、そのパターンを読み取ろうとする。
ゴブリンロードが技巧派ではなく力任せなタイプな事を最大限利用し、攻撃が大振りになる時の癖を見抜くと、そのタイミングに合わせて右腕の義肢のもう1つのギミックを作動させる。
義肢から射出されたのは、先端にダガーに似た形の錘の付いた金属製のワイヤーだ。
強度と柔軟性、そして魔法伝導率の高いミスリルと銅の合金製のワイヤーは大剣を振り下ろそうとしたゴブリンロードの右前腕部に絡み付く。
「皆、奴から離れて!」
あたしは叫ぶと、カメレオンの能力を使ってメイジの能力をコピーし、秘術魔法の力を底上げしてから呪文の詠唱に入る。
ゴブリンロードとあたしとでは腕力に差がありすぎて、呪文の詠唱中にゴブリンロードが力任せにワイヤーを引けば、あたしは為す術無く引きずられ、詠唱は中断させられてしまうだろう。
なので、あたしはオーウェンに予め頼んでおいた。
オーウェンは杖を掲げ、詠唱の最後の文言だけ残しておいた呪文を完成させる。
「極北に住まう冷たき乙女よ!その無慈悲なる吐息にて我が敵を凍てつかせよ!」
呪文の完成と共にゴブリンロードの右上半身は白く輝く霜にみるみる覆われ始める。凍らせてしまえばその腕力も充分には発揮できまい。
しかし、恐らくオーウェンの最後の魔力を振り絞った呪文も、ゴブリンロードには完全には効いてはいないようで、一度は右上半身を覆っていた分厚い氷塊にみるみるヒビが入り始め、完全に砕けてしまった。
だが、完全に無傷ともいかなかったようで、極低温に曝された皮膚は所々爛れていた。
何よりあたしの呪文の完成まで時間を稼いでくれただけでも充分だ。
「嵐を纏いし風の乙女よ!その荒ぶる魂を閃光と共に解き放て!」
あたしは残った魔力を全てつぎ込み、威力を可能な限り高めた電撃の呪文をゴブリンロードではなく、金属製のワイヤーに対して唱えた。
同じ呪文でも、離れた相手に唱えるのと接触した相手に唱えるのとでは、後者の方が圧倒的に抵抗され難い。
この金属製ワイヤーも接触扱いになるので、魔力の低いあたしでも、格上のゴブリンロードの抵抗を破る可能性が出てくる。
更にあたしはゴブリンテイマーの時とは違い、外部に向かって放電しないように呪文をカスタマイズした。これにより、呪文はゴブリンロードと奴に接触している巨大ブラックウルフにしか作用しないはずだ。
そして効果範囲を絞る事で、呪文の威力は更に上昇する。
こうした細かいカスタマイズが可能なのが秘術魔法の長所だ。
発動したあたしの電撃呪文はまずゴブリンロードに、次いで奴が騎乗している巨大ブラックウルフにへと襲いかかる。
魔力が乏しいあたしでも可能な限り威力を底上げした呪文だ、効かないはずは無いとは思っていたが、ゴブリンロードと巨大ブラックウルフの悲鳴にも似た絶叫を聞くと、これで任務完了という思いも浮かんでくる。
実際、そうでないと困る。
魔力をバカ食いするカメレオン能力で、更に魔力を使用するメイジ能力をコピーするのは結構な悪手だ。
それでも戦闘中の高揚のせいで魔力の枯渇から目を背けていられたが、呪文発動直後からそれも難しくなった。
魔力とは精神的なスタミナでもあるから、それが尽きれば単に魔法が使えなくなるというだけでなく、体力や集中力の減少を精神力で誤魔化す事も出来なくなり、一気に表に吹き出てくる。
つまり、ここで何とかしないと後が無い。
でも現実はそうそう上手くはいかない。
トラブル、それもあたしが予測しつつも不安から目を逸らす為、敢えて意識から除こうとしていたものが現実となった。
金属製ワイヤーが魔法の負荷に耐えきれず、途中で焼き切れてしまったのだ。
義肢に様々なギミックを施しくれたドワーフのカッコイイ姐さんと、その伴侶の生っ白いエンチャッターのヒューマンの男の言葉を思い出す。
「純ミスリルのワイヤーならそんな事無いのだけど、ミスリルと銅の合金だと魔法の負荷がかかり過ぎるとすぐ焼き切れるから気をつけてね。」
全くもって正論だったけど、純ミスリル製のワイヤーだと、ミスリルとアダマンティンの合金の剣より高くつくんだよ?
今のあたしに手が届く訳ないじゃん!
あたしは、多分実際の時間にしたらほんの数秒だったと思うけど(というか、ほんの数秒であって欲しい)、魔力と体力の枯渇によって集中力が途切れた事で、戦闘中にもかかわらずベテラン冒険者にあるまじき現実逃避に耽ってしまったが、頼もしい後輩達は先輩の指示を守って、先輩が呆けている間に成すべき事を実行していた。
「イヴァン!
聖なる恩寵よ、この者に敵を滅ぼす力を!」
デボラが掛け声と共にイヴァンに恐らく最後の魔力を絞り出して攻撃力を上昇させる支援魔法を使う。
イヴァンはあたしから借りた片手半剣を両手で持って真っ向から巨大ブラックウルフの頭部へと振り下ろした。
電撃の呪文の副次的効果で麻痺している巨大ブラックウルフは避ける術も無く、イヴァンの剣で頭部を半ばまで断ち切られる。
巨大ブラックウルフの頭蓋骨は通常種より遙かに硬いはずだ。デボラの支援魔法の効果があっても、あたしではあそこまでは断ち切れない。
純粋な戦士としての技量は半年で完全に追い抜かれた事を実感させられる光景だった。
でも、まだ戦いは終わっていない。
ゆっくりと崩れ落ちる巨大ブラックウルフの背中からよろけるようにしてゴブリンロードが降りてきた。
さすがにかなりのダメージがある上に電撃呪文の副次的効果の麻痺も残っており、更にあたしが斬り付けた左太腿の傷のせいもあってか、歩くのもおぼつかない様子だ。
それでも何故か闘争心だけは未だ健在なようで、殺気に満ちた目をあたしに向けてくる。
敵ながら天晴れ、なんて思う余裕はあたしにはもう無い。
魔力も体力も集中力もほとんど尽きかけている。
頭も働かないし、身体も重い。
何故かゴブリンロードは『ホワイトドーン』の連中を無視し、あたしに向かってくる。
疲労のせいか狭くなったあたしの視界の隅で、慌てた様子のデボラの姿が映った。
どうやら、イヴァンに貸したあたしの剣が巨大ブラックウルフの頭部に深く入り過ぎて抜けなくなり、それを引き抜こうとしている内にイヴァンが巨大ブラックウルフの転倒に巻き込まれ、下敷きになったらしい。
そのイヴァンを必死に引きずり出そうとするデボラを、あたしはボンヤリと眺めた。
呆けている場合では無いのは分かっていても、一気に様々な疲労が吹き出したせいで集中力が極度に低下し、まるで夢の中にいるかの様に現実感が持てない。
それでも、あたしは半分無意識の内に腰から大型ナイフを抜いて構えた。
義肢を作ってくれたイケてるドワーフの姐さんの作で、武器としてよりサバイバル道具としての多機能性を重視したものだ。
妙チクリンな方向に天才性を発揮する彼女の作品らしく、本当にこんな機能必要なの?という機能まで満載された一品で、バランスが悪い上に武器として必要な強度がいくらか犠牲になってしまっている代物だ。
なのでゴブリンロードの、あの鉈を巨大化したような大剣をまともに受けたら確実に壊れる。
あたしに勝機があるとすれば、大剣が振り下ろされる前にゴブリンロードの懐に入り込み、この頼りないナイフで致命傷を負わすしかない。
でも、脚が動く気配は全く無い。
普段はそんなに重さを感じないこのナイフですら今は非常に重たく感じて、持っているのがやっとだ。
今からこれで攻撃するなんて出来そうにもない。
ふと気付くと、少し離れた場所にいたゴブリンロードがすぐ目の前にいた。
一瞬、奴が瞬間移動でもしたのか、とも思ったがそうではない。
あたしの意識が少しの間飛んでいたのだ。
ゴブリンロードは憎悪に満ちた目であたしを見下ろし、巨大な鉈の様な大剣を振り上げる。
ああ、あたしはここで死ぬんだ、とぼんやりとした頭で他人事のように考えてから、その事実が急に現実味をもってあたしに迫ってきた。
え?ここで死ぬの?
あのいかにも切れ味の悪そうな大剣で、斬られるというより叩き潰されて死ぬの?
リアルな死の恐怖に抗しようと身体を動かそうとするが、限界を超えた肉体はピクリとも動かない。
その現実が更に恐怖を呼び、精神的にも身体を竦ませる負のスパイラルに陥る。
全ての感情も思考も恐怖に塗り潰され、パニックになりつつ引き攣った顔でゴブリンロードを見上げる事しかあたしには出来なかった。
しかしそのゴブリンロードの振り上げた大剣は、あたしに向かって振り下ろされる事は無く奴の手から滑り落ち、奴の身体もグラリと崩れ落ちる。
疲労とパニックのせいで、狭まり歪んだあたしの視界に、ゴブリンロードの背後から血塗れた短剣を持った若いヒューマンの男が現れた。
あたしの疲れた頭では、彼がキースで、背後から隠密の業で忍び寄って不意を突いてゴブリンロードの喉を裂いて止めを刺した、という事実を理解するまでしばらく時間がかかった。
キースの隠密の業が優れていたのか、あたしの思考能力が余程落ちていたのか、恐らくは後者の影響がほとんどだろうが、あたしの頭の中からしばらくキースの存在が抜けていたのに今更ながら気付く。
ゴブリンロードが倒れた事で、自覚の無いまま死への恐怖によって身体にもたらされていた硬直から解放され、あたしはヘナヘナとその場に座り込む。
喜色満面であたしに駆け寄って来る若い『ホワイトドーン』の連中を見て、何だアイツらまだ余裕があるじゃないか、などと思う。
何とか引き攣った笑みを連中に向けながら、あたしはこれまで何度も感じてきた冒険者としての限界を、今日もまた改めて感じてしまった。
若い冒険者なら一足飛びに得られる成長を、あたしは今日のような死線をあと幾つ越えれば得られるのだろうか?