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プロローグ改訂版 器用貧乏と呼ばれたとあるハーフエルフの半生 後

 あたしはその日、何とか正規メンバーとして入れて貰えた某パーティの一員としてアビスへ潜った。

 そのパーティでの冒険は3度目であり、同パーティに加入してからアビスに潜ったのは2度目であった。

 ただあたし自身、上層階に限られるとはいえこのパーティに加入する以前に30回以上アビスに潜った経験はあった。

 アビスというのは不思議な空間で、魔物もアイテムもほぼ無限に湧いて出てくる。

 一定時間が経過すると自動的に魔物が湧き出すので、行きの行程で出くわした魔物を全て掃討したとしても、帰り道に魔物に出くわさないという事は決して無く、逆に帰り道の方が魔物との遭遇数が上昇する事だって珍しくない。

 あたしが右腕を失う結果となった魔物との遭遇も、まさしくその手の帰還途中に発生した。

 あたし自身はその時、『帰還途中で往路以上の数の魔物と遭遇する』というアビスの理不尽を何度か経験していた事もあり、油断していたつもりは無かった。

 ただ後で振り返って状況を考えてみると、気の緩みや集中力の欠如に繋がる点が幾つか重なっていた様にも思える。

 新たなパーティメンバーに対して良い所を見せたいという下心。

 同パーティに加わって3回目という事で最初の緊張感が抜け始めた頃合い。

 行きの行程での冒険がいつも以上に上手くいった事でつい予定以上に深く潜ってしまい帰り道では疲労が溜まって集中力が落ちていた事。

 その一方で行きの行程での上首尾過ぎた冒険の成果によってテンションが上がり自身の疲労と集中力の低下への自覚が乏しかった点。

 そしてその現場がアビスの出口まであと少しの場所であり、無意識の内にもう冒険が完了してしまった気分になってしまった事。

 そのどれもが決定的に集中力を削ぐ程の要因とは言えないが、これら細かな要因が幾つも重なった事が無自覚な気の緩みを生んでいたのだろう。

 物陰に潜んでいた人間程の大きさを持つ巨大カマキリ型の魔物の存在に、あたし達は誰も気づかなかった。

 巨大カマキリの魔物自体、アビスの浅い階層には滅多に出ない魔物だが、それでも以前に出現した例が皆無という訳ではない。

 それでも滅多に出ない魔物が最悪のタイミングで現れたという、自分の不運を恨む気持ちは未だにあたしにはある。

 不幸中の幸いだったのは、直前になって『レンジャー』の危険察知能力が働き、反射的に回避行動を取った事だったろう。

 そうでなければ巨大カマキリの鎌に斬り落とされていたのは、あたしの右腕ではなく首になっていたかもしれない。

 反射的に回避行動をとったあたしだったが、自分が何に対して回避行動を取ったのか全く分からないくらい、状況を把握していなかった。

 加えて自分の右腕が失われている事にも、数秒間全く気づいていなかった。

 右腕を斬り落とされた事に気づいた瞬間、あたしはパニック状態に陥り、その後の記憶は曖昧だ。

 その為、その後の状況については断片的で曖昧な記憶と、同行していたパーティメンバーの証言頼みとなる。

 あたしが右腕を斬り落とされた時、パーティメンバーもあたし程ではないにせよ、それなりに混乱した事は容易に想像がつく。

 それでも遭遇した巨大カマキリが一体だけだった事もあり、他のパーティメンバーは何とか巨大カマキリを撃退する事が出来た。

 不幸中の幸いだったのは、襲撃された場所がアビス唯一の出入り口であるテレポーターのすぐ近くだった事だった。

 この時、パーティのクレリックもメイジも既に魔力が底を尽きかけており、残り少ない彼らの魔力ではあたしの傷を癒す事は出来なかった。

 そこであたしは最低限の止血処理だけされるとパーティメンバーに担がれ、事情を説明する為に先行するパーティメンバーの1人がテレポーターに飛び込んだ後、その他のパーティメンバーの手によってあたしもテレポーターに放り込まれた。

 乱暴なように思えるかもしれないが、アビスに出入りする唯一の手段であるテレポーターには一度に1人ずつしか入れないので、これは仕方がない。

 アビスに出入りするテレポーターは冒険者ギルドによって厳重に管理され、テレポーターを覆う通称『テレポーター棟』と呼ばれる堅牢な建物も建造されている。

 そのテレポーター棟にはそこを守護する警備兵以外に、そこそこレベルの高いクレリックが救急要員として常駐しており、テレポーターから転げ落ちるように出てきたあたしも、そのクレリックにすぐに治癒呪文を複数回掛けてもらい、そのお陰で一命を取り留めた。

 結果として上腕部の半ばから先の右腕を失ったが、もし治癒呪文を掛けられるのが更に遅くなっていたら間違いなく失血死していただろう。

 ただ一命が助かったとはいえ、右腕の殆どを失うという事態は、そのまま冒険者を引退してもおかしくはない重大事であった。

 メイジやクレリックのような呪文のスペシャリストなら片腕でも冒険者として生き残る可能性はあるが、それの場合でも長らく続けられた者が極少数である茨の道だ。

 ファイターのような戦士系や両手を使った作業が必須のシーフ等は片腕のままで冒険者を続けるのはほぼ不可能だろう。

 あたしの様な器用貧乏タイプなら冒険者として生き残る道は更に狭くなる。

 あたしが左利きで、失った右腕が利き腕ではなかった事はあたしが冒険者を続けようとするモチベーションの1つにはなった。

 ただあたしが決死の思いで冒険者続行の決意を固めた所で、あたしとパーティを組んでくれる者がまだいるのか、という問題もあった。

 ただでさえ当時既に役立たずの悪評が立っていたあたしを加入させてくれるパーティは、両腕が揃っていた時ですら少なかった。

 そのあたしが片腕となったのだ、加入させてくれるパーティが更に減るどころか皆無になる可能性は十分あった。

 その状況を打破する為の選択肢は限られていた。

 斬り落とされた右腕を呪文で接合する事自体は可能ではあった。

 事実、その時のパーティメンバーはその可能性を考慮してあたしの斬り落とされた右腕を探したが、結局見つからなかった。

 混乱した精神状態から始まった戦闘の中で、魔物か或いはパーティメンバーの誰かが蹴飛ばしてしまったのだろう。

 そして、無から魔物を生成するアビスは逆もまた然りで、アビスでの『落とし物』は半日も放置すればまず間違いなく消滅してしまう。

 どの道、『接合』の呪文は斬り落とされて20分も経過すると成功率が加速度的に低下していくと言われており、最初に治療を受けたあの時が『接合』の呪文による回復の唯一の機会であったはずであり、その機会を逸した以上この方法での回復は望めない。

 ただ、斬り落とされた部位が無くとも失った四肢を『再生』させる呪文は存在する。

 しかし『再生』の呪文は『接合』の呪文より遥かに難しく、この呪文を発動出来るのは最高レベルのクレリックかメイジに限られており、西方世界全体で5人いるかどうかというレベルだ。

 それ故、『再生』の呪文を唱えられる者とアポイントメントを取る事自体が王族とのアポイントメント並に難しいし、有り得ない程の幸運が重なって彼らとの面会が実現出来たとしても『再生』の呪文を発動してもらうのには莫大な費用がかかる。

 というのもこの手の極端に高度な呪文は使用に際して膨大な魔力を必要とする為に術者単独で発動するには魔力が足りない事も多く、不足分の魔力を補う為に長時間の儀式を行ったり、膨大な数の助手なり協力者を雇ったり、大量の魔法のアイテムを使い潰したりする必要があるからだ。

 それに加えて呪文自体の発動料金も高レベルになるにつれて単純に上昇していくのだが、滅多に習得している者がいない呪文の場合は希少価値も加算され、天文学的金額となる。

 早い話四肢を再生させるような呪文は、王族やそれに近い大貴族、複数の国々に跨って活動し、国家権力ですらその影響力を無視出来ないレベルの大商人くらいしか事実上掛けて貰う事は出来ず、もし冒険者が掛けて貰えるとすれば、歴史的な偉業を成し遂げたような一握りの正しく『英雄』と呼ばれる人達くらいだ。

 そこで再生呪文より現実的な選択肢として、一般的に選ばれるのが魔法の義肢の購入だ。

 魔法の義肢は魔法のアイテムの一種であり、使用者の魔力を常時吸い取る事で作動する。

 また魔法の義肢は、本来の肉体よりは大分劣るが、一応装着者の意思通りに動かす事も出来る。

 装着者の魔力を動力とし装着者の意思通りに動かす為には、あくまで魔法的観点からという事になるが、義肢を装着者の肉体の一部と化す為の魔法の儀式を行う必要がある。

 これによって少なくとも魔法的な観点からは義肢が装着者の肉体の一部と見做されるのだが、明らかな異物を自身の身体の一部として強引に変換するその代償として、筋力や持久力、頑健さに反射神経といった身体的能力全般と魔力が恒久的に低下してしまうという大きなデメリットも持つ。

 この様な身体能力や魔力は、種族や個人的素養による先天的な要素で決まる部分もあるが、実はレベルアップによる後天的成長の恩恵の方がより大きく影響するものであったりする。

 この事実は義肢装着に伴う身体能力や魔力の低下がレベルアップを重ねればいずれ元の水準に戻る事を意味するが、同時にそれは、元の水準に戻るまでに要したレベルアップの回数分だけ、同レベルの者より身体能力や魔力が恒常的に劣ってしまう事にも繋がる。

 実は、既に極端にレベルアップのスピードが遅くなってしまっているあたしにとってこれは深刻な問題をもたらす案件であった。

 身体能力や魔力が、本来のレベルより事実上数レベル下の力しかなかったとしても、レベルアップに必要な『経験』の量は本来のレベルによって決まる。

 つまり、身体能力や魔力の低下に伴い安全な脅威度となる冒険も本来のレベルより数段下がる事となり、脅威度が下がれば当然得られる『経験』の量も低下する。

 これはあたしのレベルアップスピードの更なる低下を意味していた。

 それでも冒険者を続ける以上義肢の装着は必須だとあたしは判断し、この重いペナルティを受け容れる事とした。

 そうなると次の問題は、数種類ある魔法の義肢からどのタイプを選ぶかという事だ。

 最も高価なタイプの義肢は、着用者自身の髪の毛や爪といった体組織を培養して失った四肢と同様の物を作り出すもので、この手の義肢はまず一見しただけでは本物の肉体と見分けがつかない。

 更にこの手の培養魔法義肢は、装着時に発生する身体能力や魔力の低下も少なくて済む。

 ただこの手の義肢は再生呪文程ではないがそれでもかなり高価であり、ハーケンブルクの繁華街に小規模な店を出すくらいの資金は必要となる。

 しかも義肢として形になるまで培養するには最短で1年はかかると言われており、それだけの期間、冒険者としての活動にブランクを空けるのはあたしとしては考えられなかった。

 培養義肢以外の素材となると、木製で本体を作り、可動部分を中心に一部を金属で補強し、表面を革で覆ったタイプが一般的だ。

 しかし、あたしが選択したのは総金属製の義肢だった。

 木製の場合、安価だし日常生活で使うだけなら問題ないが、戦闘に耐えるだけの強度は備えておらず、一回の冒険すら保たずに壊れてしまう可能性が高い。

 冒険を抜きにしても耐久性に乏しく、数年毎に大規模な部品の入れ替えをする必要がある。

 この様に、木製義肢が純粋に冒険者には向いていないという事情に加えて、あたしの姉貴分のドワーフのダリルが金属製義肢を格安で作ってくれる事を申し出てくれた。

 しかも慢性的に金欠のあたしに配慮して、支払いは分割かつ出世払いで構わないという破格の好条件まで加えてくれた。

 それが最大の決め手となった。

 正直言えばダリルの申し出を断った場合、安価な木製義肢でさえ怪し気な金貸しから借金する必要があるくらい、あたしは経済的に厳しかった。

 両親が残してくれた遺産はまだ残ってはいたが半分以下に目減りしており、それまであたしばかりが使っていた事もあって以降は基本ヨハンナの為だけに使おうと少し前に決心したばかりだったので、冒険者として重要なこの局面でもこの遺産に手をつけるつもりもなかった。

 そう言う訳でダリルの申し出は大変有り難かったが、この金属製魔法義肢にも欠点は多かった。

 装着時の身体能力と魔力の低下は培養義肢はもとより木製義肢より更に大きく、加えて作動に要する魔力の消費量も他2つのタイプより格段に多くなる。

 その為、元々少ないあたしの魔力が装着時に大幅に低下する上に、常時一定量の魔力が義肢を作動させる為に消費される事となり、その分呪文等に使える魔力が更に少なくなってしまう。

 見た目的にもゴツくて目立つのでお世辞にもお洗練された代物とは言えず、むしろ一般人を威圧している節すらあった。

 とはいえ、ダリルが作ってくれた金属製の魔法義肢の性能はかなり高かった。

 ちょっとやそっとの事では壊れないくらい頑丈だし、パワーだって素のあたしの筋力の数倍は出せる。

 またダリルは、この義肢に戦闘で役立つ幾つかのギミックもおまけとして仕込んでくれた。

 この魔法義肢の性能が高いのは、ダリルの鍛冶師としての技量の高さが要因の1つであるのは勿論だが、もう一人ダリルと共にこの義肢の制作に関わったエンチャッターのエドガーの存在も大きい。

 ダリルは義肢の全ての部品を自ら作って組み立てたが、いかに精巧に作ろうともそのままでは単なる金属で出来た腕の模型に過ぎない。

 この金属の模型に魔法の儀式を施して魔法的観点ではあたしの肉体の一部となるように仕上げたのが、魔法のアイテム作成に特化した秘術魔法の使い手のクラスである、エンチャッターのエドガーだった。

 義肢を作ってもらうまでエドガーについてあたしほとんど知らなかったが、彼は元々ハーケンブルクではそれなりに知られたエンチャッターだったらしい。

 同じく鍛冶師としてそれなりに名の知れていたダリルとはそれまでに数回程仕事を共にした事もあったらしいが、数週間に渡って密な時間を共にしたのはあたしの魔法義肢の制作が最初だった。

 この時、義肢の持ち主となるあたしも頻繁に2人の元を訪れる必要があったのだが、時間の経過と共に2人がどんどん親密になっていくのが分かっていくのを見るのは辛かった。

 ダリルは物心ついた時からずっと格好良くて頼りになる近所のお姉さんだった。

 それでいてちょっと抜けている所もあったが、そんな所もあたしには愛らしく感じられた。

 あたしの悪癖の多くは例の元冒険者の貴婦人から影響を受けたものが多いが、その次に影響を受けたのは実はダリルだ。

 特にあたしが煙管を吸うようになったのは完全にダリルの影響で、煙管を吸う彼女の姿に憧れたのがきっかけだった。

 そんなダリルはナチュラルにボディタッチの多いタイプの人で、彼女からすればそのボディタッチには親愛の情以上の感情など当然無かったはずだ。

 しかしあたしの方は、無意識の内に彼女のボディタッチにそれ以上の感情を抱くようになってしまっていた。

 ただダリルに対しては、正直恋愛感情半分、身内感情半分な所もあり、それも彼女に対する恋愛感情を自覚するのを無意識に封印していた理由だった気もする。

 彼女への恋愛感情をハッキリ自覚したのは、例の元冒険者の貴婦人と最初に破局し、2番目の男との経験から自分が真正の同性愛者だと自覚した少し後だ。

 当時まだ異人街に住んでいたあたしは普通にダリルと近所付き合いをしていたのだが、その流れでいつもの様にダリルと会った時、あたしは唐突に彼女に対する恋愛感情を自覚してしまった。

 しかし、あたしはその気持ちを伝えようとは全く思わなかった。

 冒険者となってから段々と異人街から足が遠のくようになったあたしと違い、ダリルはしっかりと異人街に根を下ろしていた。

 異人街復興の恩恵を受け取るばかりだったあたしと異なり、ダリルは積極的に復興の前線で尽力もしていた。

 その甲斐あってこの頃には既に、ダリルは異人街の取りまとめ役である7人いる顔役の中の1人の次期候補者にすらなっていた。

 冒険者には個人主義者の多く、結局は人それぞれという前提条件がつくものの、他者のプライベートに嘴を突っ込む者は少数派だ。

 しかし、横の繋がりが非常に強い異人街では事情は異なる。

 横の繋がりの強さはしばしば他者のプライベートへの干渉という形を取る事があるからだ。

 その異人街の住民達が、同性愛者という異物をどう扱うのかについて、あたしには悪い予想しか思い浮かばなかった。

 なのでダリルに対する恋愛感情を自覚した時にあたしは、浮かれた気持ちはには全くならずむしろ後ろめたさを強く感じた。

 そういう心境だったので、本当は義肢をダリルに作って貰う事にも抵抗はあったのだが、背に腹は代えられずに彼女に甘える結果となった。

 そして彼女の好意に甘える事を決めた時、余計な感情を持ち込んで更に彼女に負担を掛ける事態は避けようとも決意したのだが結局、その過程でダリルとエドガーが親密になっていく過程を目の当たりにする事になった。

 表面上は上手く取り繕い続ける事が出来たとは思うが、内面的には結構苦しい日々が続いた結果、義肢が完成すると恩人とも言えるダリルに対してあたしは、逃げるようにしてそれまで以上に距離を取るようになった。

 その後しばらくして、ダリルはエドガーと結婚したが、あたしの義肢作りが2人の縁を取り持ったという事実をあたしはどう受け止めるべきか相変わらず分からず、あたしは異人街そのものからも距離を取り始めた。

 関係性の変化と言えば、ヨハンナとの関係性もあたしの右腕の喪失が大きな転換点だったのかもしれない。

 10歳前後からあたしに、あからさまに甘える事が少なくなったヨハンナだが、丁度その時期くらいから異人街に住むとある引退したメイジの私塾に通うようになった。

 アルビノである自分の才能を活かすには、メイジになるのが一番と考えた結果らしい。

 クレリックやドルイトも呪文のスペシャリストだが、両クラス共にメイジより肉体的な能力が必要とされるので、ヨハンナはこの頃から自分の将来をメイジ一本に決めていたらしい。

 メイジの私塾に通ったからといってクラス選択の儀で必ずメイジが提示される訳ではないが、『環境がクラス選択の儀に影響を及ぼす』という俗説がある以上、15歳までの時間を無為に過すのは彼女の中ではあり得なかったのだろう。

 私塾を経営していたのは如何にも好々爺といった印象の東方人の老人で、月謝も良心的な金額ではあったが、それでも駆け出し冒険者のあたしにとってその月謝は中々の金額で、冒険者としての収入が少なかった月には例によって両親の遺産を切り崩して月謝を払った事も少なからずあった。

 特に金属製義肢を作って貰った時は純粋な制作期間だけで1ヶ月以上掛かった上に、装着してから更に半月程は義肢を思い通りに動かす為の基礎的な訓練に専念する必要があり、その間全く冒険に出られなかったのも痛かった。

 ただ実はヨハンナは、私塾の教師から見ても逸材だったらしく、教え甲斐のある生徒という事で月謝も他の生徒より特別に安くしてもらっていた事が後になって分かった。

 まあ彼も異人街の住人だったので、元々あたし達の事情や両親の事も知っており、その事も考慮してもらっていた可能性もある。

 ともかくヨハンナは、あたしが右腕を失ってから精神的に一気に大人になってしまった気がする。

 彼女の表情から甘えが一切無くなり、鬼気迫る勢いで勉学に励むようになった。

 その理由としてヨハンナは、あたしが右腕を失ったのは彼女を養う為にあたしが無茶をしたせいだと思っている節がある。

 それは完全にヨハンナの勘違いで、実際面と向かって彼女にそう言った事は何度もあったが、この件については聡い彼女らしくなく考えを変える気配は未だに無い。

 ただ、強固な決意を抱いたからといって病弱な彼女がすぐさま健康になれる訳でもなく、少し無理をするとすぐに体調を崩すのは相変わらずだった。

 そんな中、2ヶ月以上ブランクを経て冒険者として復活したあたしだが、義肢を装着した事による身体能力と魔力の低下は思った以上に深刻だった。

 安全な場所でのリハビリ中は何とか動けていた様に思えたが、いざ実戦の場に戻ると身体の動きは鈍く、すぐ疲れてしまう。

 更に義肢の作動に常時魔力を消費してしまう為に呪文を唱えられる回数も威力も激減したし、使用時に大量の魔力を消費する『カメレオン』のコピー能力はほぼ使えず、以後数年間『カメレオン』はほぼ死にクラスと化した。

 義肢の操作も、訓練ではスムーズに出来ていた動きが、戦闘の様なストレス下では思った以上にぎこちない動きにしかならない。

 実はダリルとエドガーからは、現役復帰まであと1ヶ月は訓練に費やすべきと助言は受けてはいたのだが、経済的に苦しかったあたしは早々に訓練に見切りをつけて復帰を急いでしまった。

 どこかで見切りをつける判断が必要だったのは確かだが、この時のあたしは明らかに拙速だった。

 右腕を失った時に所属していたパーティは、やはりあたしに対して後ろめたい思いを抱いていたようで、あたしの復帰が決まると当然のようにパーティに迎えてくれたが、以前よりパワーダウンしたあたしの扱いに明らかに困った様子で、あたしに対して腫れ物に触る様な態度を取るようになっていった。

 結局、あたしの方がその空気に耐えきれずにそのパーティを離脱してしまった。

 右腕を失った後のあたしは予想通り、以前より仕事のレベルを落とさざるを得ず、経済的に苦しい状況が続いた。

 ただこの状況はある意味あたしを開き直らせ、以前にも増して、冒険者としての仕事の種類を選ばないようになるキッカケにはなった。

 思っていた以上に低レベル冒険者向けのの仕事というのは件数も種類も多かったという事を知れたのは、怪我の功名と言えたかもしれない。

 無論、低レベル向けの仕事は報酬が低い上に駆け出し冒険者と競合する事も多いので、キャリアの長い冒険者がその手の仕事ばかりするのは白い目で見られがちだ。

 ただ、新人冒険者の指導役や、常に人員不足の衛兵の手伝いなど、危険度は少なくとも冒険者として踏んだ場数が重要となってくる仕事もある。

 そうした、低レベルではあっても新人冒険者と競合しない、ニッチでマイナーな仕事にあたしは冒険者を続ける活路を見出した。

 低レベル限定ではあるが、あたしの器用貧乏さはこの手のニッチでマイナーな仕事とは相性も良く、元々器用貧乏タイプのベテラン冒険者の絶対数が少ない事もあり競合相手も少なかった。

 ただ、冒険者として新しい方向性に活路を見出だせる事が出来たのは、あたしだけの力ではない。

 当時懇意にしていた冒険者ギルドのとある受付嬢のお陰でもある。

 冒険者ギルドの受付は、極少人数で回している平穏な田舎のギルドを除いてはどこも女性が多い。

 ハーケンブルクではその傾向が特に強く、男性の受付は1割に満たない。

 女性の冒険者が3割を越える事を考えればこれは不自然な事とも言える。

 ただ実際、冒険者ギルドの受付嬢はハーケンブルクの若い女性にとって、憧れの職業である事は確かだ。

 全ての者がそうではないが、高名な冒険者との玉の輿を夢見て受付嬢を目指す者も一定数はいる。

 ただあたしを助けてくれたその受付嬢はそういう玉の輿狙いのタイプではなく、真剣に仕事と向き合ってはいた。

 ただお世辞にも要領が良いタイプではなく、仕事が遅い上にミスも多いので、明らかに受付嬢の中では浮いた存在だった。

 そんな彼女を自分と重ねたあたしは、意識して彼女に優しく接するようにしていた。

 そのせいか、彼女はあたしに心を許すようになった。

 その頃は未だ低レベルど真ん中だったが、キャリアの長さだけ見れば中堅冒険者であり、それなりに色々な知識やコネを得ていた事もあって、彼女を助けた事も少なからずある。

 そんな彼女が恩返しの為かあたし向きの仕事を積極的に探してくれた結果、あたしは冒険者として新たに活路を見出せる結果となったのだ。

 この件から分かるように、彼女は決してイメージ通りの無能ではない。

 後で知った事情によると、まだ仕事に慣れていない新人時代に指導役の先輩受付嬢に目をつけられ、厳しく叱責され過ぎたせいで自信を喪失してしまい、萎縮しては仕事を失敗するという負のスパイラルに陥ってしまった結果、無能というイメージがついたらしい。

 しかし、あたしにとっては良い仕事をしてくれた彼女だったが、それは必ずしも彼女の受付嬢としての評価を上げたとは言えなかった。

 冒険者稼業はあくまで弱肉強食であり、いつまで経っても芽の出ない冒険者は潔く足を洗うべき、という冒険者の一般常識から外れつつあったあたしに肩入れする事自体が、彼女の受付嬢としてのキャリアに傷をつけるものだったからだ。

 それでも彼女のあたしに対する肩入れは続いた。

 この頃既に、あたしと彼女は共依存の関係に陥りつつあったのだろう。

 彼女のお陰でようやく冒険者としての仕事が安定し始めた頃、妹のヨハンナが15歳になり、『クラス選択の儀』を迎えた。

 無事に希望していたメイジのクラスを得たヨハンナはその直後に、自分も冒険者となるとあたしに告げた。

 ヨハンナがメイジとなる事については何の反対も無かったが、冒険者となる事については当初あたしは反対した。

 やってみれば分かるが、冒険者というのは何よりタフさが求められる。

 例えば、ハーケンブルク近郊の魔境の中では最も難易度が低いと言われるザレー大森林の外縁部は、それ故に新人冒険者が最初に通う場所となっているが、この最初の関門をヨハンナが突破出来るとは思えなかった。

 ザレー大森林外縁部は難易度が低いだけあって魔境としては魔物との遭遇率は低いが、それは逆に言えば魔物と戦闘するまで何時間も森の中を歩き続ける必要があるという事だ。

 整地されていない森の中を何時間も歩き続けるのは慣れていなければそれだけで重労働だし、魔物以前に蚊や蛭にも襲われるし、不本意なサバイバルを強いられる事もある。

 また、幼少期をほぼ屋内で過ごしてきたヨハンナは、明らかに15歳の平均的な女性に比べて体力が劣っているのも気がかりだった。

 屋外の冒険では特にクラスに関係無く、数日間のサバイバルを可能にする為の装備を持ち運ぶ必要があり、それは結構な重量となる。

 体力の無いヨハンナがその装備を背負ったまま何時間も森の中を歩き続ける事が可能であるとは思えなかった。

 実を言えばあたしは、体力や頑健さだけは生まれつき平均的な女性をやや上回っていたので、新人時代でもその手の苦労はあまり感じなかったが、同期の中には戦闘以前にそれで悪戦苦闘していた者も少なからずいた。

 幸いにもレベルの上昇は、大抵の新人時代の苦労を払拭させてくれる程強力なものであり、最初期の数回のレベルアップだけで彼らはその苦労を続々と克服し、その点でも彼らはあたしを追い抜いていったのだが、ヨハンナの虚弱さではその最初期のレベルアップが発生するまで保つとも思えなかった。

 しかし彼女は、自らの背中一面に肉体的頑健さの向上をもたらす呪紋を彫る事で自身の病弱さを克服するという解決策を申し出た。

 彼女はあたしに、呪紋を彫ってくれるエンチャッターの紹介と、呪紋を彫る為の費用を貸してくれるようお願いしてきた。

 確かに呪紋を彫れば彼女の最大の弱点を幾らかカバー出来るだろうが、あたしは彼女の願いを即座に却下した。

 その最大の理由は、ヨハンナが呪紋を入れる事に対してあたしが本能的に強い抵抗感を感じてしまったという個人的な感情であった。

 既にこの頃、あたし自身が多数の呪紋を自身の肉体に入れていた事を考えれば、どの口でそれを言うと言われても仕方がないが。

 そして案の定、あたしのフワフワとした嫌悪感から来る拒絶は、ヨハンナの理路整然とした言葉と、何より彼女の圧倒的な気迫の前にあえなく屈し、あたしはヨハンナの要請を渋々と受け入れた。

 自分の肉体に呪紋を入れる事に対する抵抗感は最初に呪紋を入れた直後に完全に無くなってしまったが、ヨハンナが呪紋を入れた事に対しては実は未だに割り切れない思いがある。

 メイジというクラスは、冒険者だけでなく研究者としても需要がある。

 ただ研究者として稼げるようになるには長い年月が必要で、長い見習い期間の内はかなりの薄給か無給、場合によってはこちらが授業料を払う必要さえある。

 その点、冒険者であればすぐ稼ぐ事が出来る。

 あたしが『クラス選択の儀』でまともにクラスを取得してさえいれば、ヨハンナが一人前の研究者になるまで養えるくらい稼げていたはずで、そうなっていたなら彼女が呪紋を入れてまで冒険者となる必要は無かったはずだ。

 呪紋が刺青の一種である以上、彫られる時には苦痛を伴う。

 呪紋の効果はその面積が広い程高まるが、一気に広い面積の呪紋を入れる時の苦痛は、小さな呪紋を期間を空けながらチマチマ入れるのとはまるで次元が異なる。

 ヨハンナの背中一面に彫られた呪紋は、あたしの馬鹿げた選択のツケを彼女にも支払わせた事の象徴の様にも感じられた。

 ただ一つ確かな事は、ヨハンナはあたしが思っていたよりずっと強いという事だった。

 彼女の冒険者としての成長は驚異的と言えた。

 苦痛を耐えてまで呪紋を入れた甲斐があったのか、あたしの危惧をよそにヨハンナは新人時代を難なくクリアした。

 そして最初の3ヶ月が過ぎて指導役が外れると、ヨハンナはあっさり最初のパーティを離脱してよりレベルの高いパーティへと移籍した。

 ヨハンナの成長スピードは同期の中でも群を抜いており、恐らく1年も経たずに当時あたしのレベルを追い抜いてしまった。

 彼女の成長スピードはあたしだけではなく、その時時で組んだパーティメンバーをも常に置き去りにしていった。

 ヨハンナは自分の実力に見合わなくなったパーティを次々と辞め、より高レベルのパーティへと移籍する事を繰り返した。

 その結果、ヨハンナはあたしとは逆の意味での悪評を得る事となった。

 力を得る為には平気で仲間を踏み台にする冷血女。

 ヨハンナはこの頃『氷の魔女』と陰口を叩かれていた。

 だが彼女の名誉の為に言うと、ヨハンナは決して非道な事も不義理な事もしていない。

 パーティを抜ける時はきちんと筋を通しているし、パーティ仲間を私利私欲の為に見捨てた事も無い。

 ただ、当時の彼女が常にピリピリとした雰囲気を漂わせており、歯に衣着せぬきつい物言いをしていた事も確かだ。

 それに加え、彼女の容貌もその評判に一役買っていた事も確かだろう。

 あたしの容姿は、両親の容姿が同程度混ざったものだと言える。

 輪郭や鼻筋は母親似だし、目や口は父親似だ。

 一方、ヨハンナは完全に母親似だった。

 彼女は間違いなくヒューマンだが、耳が尖っていない事を除けばエルフと言われてもおかしくない顔つきをしていた。

 涼やかな顔つきとスレンダーな身体を持つヨハンナは、女性にしてはやや大柄で肩幅も広めなハーフエルフのあたしよりも、余程エルフっぽい。

 長く伸ばしたストレートの白髪と、真っ白な肌も相まって、成人した彼女はまるで雪の妖精のようだった。

 そんな容貌を持った彼女が、大抵無表情のまま常に厳しい物言いをするとなれば、高慢で冷血な女という印象を持たれても仕方のない事だろう。

 ヨハンナの目立つ美貌は、この頃は寧ろ彼女の悪い印象を強調するように働いていたのは皮肉な話だ。

 今思い返せば、当時のヨハンナのピリピリした雰囲気は、彼女の余裕の無さの裏返しだったと分かる。

 彼女は成人前の自分が、あたしの足手まといになっていたとずっと感じており、しかもそのせいであたしが右腕を失ったと思い込んでいた。

 元々上手く行っていなかったあたしの冒険者稼業が、右腕を失った事で更に厳しくなったのも彼女は間近で見ていた。

 だからこそ早く一人前になり、あたしに借りを返すだけでなく、あたしに楽な暮らしをさせたいとでも思っていたのだろう。

 だが当時のあたしは、彼女のそんな想いにには全く気づいていなかった。

 何故なら当時のあたしも、彼女と同じくらい余裕が無かったからだ。

 あの当時のあたしは最低の姉だったと思う。

 成長著しい妹を素直に祝福する事も出来ず、寧ろ自分の失敗を棚に上げてヨハンナに嫉妬さえしていた。

 あたしは冒険者ギルド近くの安宿に泊まる事が多くなり、異人街の家には滅多に帰らなくなった。

 この頃のあたしは相当荒んでいた。

 多くの女性と一夜限りの関係を結び、ただでさえ安い報酬を散財しまくり、大酒を飲む様にもなった。

 あたしの悪評はギルド中に知れ渡り、そのせいで不出来な姉を持ったヨハンナに同情が集まって彼女の悪評が僅かだが和らいだのも皮肉な話だ。

 そんな折、荷物を取りに久々に異人街の家に戻った時、ヨハンナと鉢合わせた。

 若手のエース格だったヨハンナは忙しく飛び回っている事が多かったので、彼女が在宅していたとはあたしは全く想像していなかった。

 そこであたし達は後にも先にも無い大喧嘩をした。

 きっかけは素行の悪くなったあたしに対して、ヨハンナが身内として当然の苦言を呈した事であったが、成長著しいヨハンナに嫉妬と劣等感を抱いていたあたしはそれに過剰に反応してしまった。

 この大喧嘩は、あたしが異人街のこの家を飛び出した事で終結したのだが、この大喧嘩がこの家で過ごした最後の時間となった。

 あたしはそれ以降この家に戻る事は無くなり、ヨハンナとも数年間絶縁状態が続いた。

 ヨハンナ自身はその後しばらくはこの家に住んでいたらしいが、結局彼女もこの家を引き払い、あたし達姉妹は両方共子供時代を過ごした異人街から離れてしまった。

 その後もしばらく自堕落な生活を続けていたあたしだったが、そんなあたしの耳に衝撃的なニュースが飛び込んできた。

 あたしの元カノの、例の元冒険者の貴婦人が殺されたというのだ。

 彼女とは最初の別れ以来、何度も復縁と別れを繰り返してきた。

 ただ、それを繰り返す度に復縁期間は短く、別れている期間は長くなっていった。

 それでもあたしが右腕を失い、義肢を自由に動かす為の訓練に励んでいた辛い時期に彼女は再び現れ、あたしを物心両面に於いてサポートしてくれた。

 彼女の性格から察するに、その優しさは単なる気紛れに過ぎなかったのだろう。

 それを証明するかのように、あたしが冒険者に復帰する前に、彼女は唐突に別の人物の元へと去っていった。

 その件以来彼女とは二度と復縁する事も無く、それどころか顔を合わせる事すら長らく無くなっていたので、このまま自然消滅するものだと思っていた。

 彼女が殺されたという知らせは、自然消滅した時とは比較にならない程彼女の存在を、あたしの心に強烈に残す結果となった。

 彼女を殺したのは成人したばかりの若い男だったらしい。

 彼女の愛人の1人で、元々彼女の行きつけの宝飾店の見習い職人だったという話だ。

 勤務態度は真面目だったらしいし、恐らく初心な若者を誘惑した結果、思った以上に相手が入れ揚げてしまい、暴走した結果起こってしまった事件という所があたしの想像だ。

 熱が冷めた後の、彼女の相手に対する態度は中々に酷いものだったが、それはあたしに対する態度が特別に酷かった訳でなく、歴代の愛人ほぼ全てに対してそうだったらしい。

 なのでいつか恨みを買った結果、そういう最期を迎える事は充分予測出来たし、冷徹な言い方をすれば自業自得とも言えた。

 ただ腑に落ちないのは、絡んできた複数のゴロツキ共を難なく撃退する程腕の立っていた彼女が、何の冒険者クラスも持たない若造にみすみす致命傷を負わされたという事実だ。

 余程油断していたのか、あるいは敢えて彼の一撃を受け入れたある種の自殺だったのか、という位しか理由は思いつかない。

 自己中心的で享楽主義者の彼女が自殺紛いの事をするとは一見思えないが、一方で彼女は何処か投げやりな所もあったので、その可能性が全く無いとも言えない。

 ともかくあたしはこの件について詳しく調べられる立場に無かったし、彼女が嫁いだ商家は身内の不祥事を隠そうと、かなり情報を隠蔽した。

 犯人の青年も、現場から衛兵達に連行される姿こそそれなりに多くの人々に目撃されたが、その後のどの様な刑を負ったのかも正確には知られていない。

 結局この件については、漏れ聞こえてくる真偽の不確かな噂と、あたしの知る彼女の人柄から推測する事しか出来なかった。

 ともあれ彼女の死は、あたしの中に恋愛や肉欲に対する後ろめたさを植え付けたのは確かだ。

 結果として誰彼構わず関係を持つ悪癖から逃れる事が出来たが、代わりに酒量は更に増えた。

 得体のしれない不安感が常につきまとい、それを払拭する手段があたしには、酒しか思い浮かばなかった。

 その内容が変わっただけで、相変わらずあたしの生活は荒んでいた。

 そんなあたしを救ってくれたのは、あの受付嬢だった。

 あたしに深く関われば、あたしの悪評が彼女にも飛び火する事は明白で、事実そうなってしまったが、それでも彼女はあたしに寄り添い続けてくれた。

 結果的にあたしは、彼女の優しさに甘えすぎた。

 ある夜、酒の勢いもあってあたしは衝動的に彼女を抱いた。

 あの頃はあたしが女性の身体を知って以来、かつて無かった程長らく女性の肌に触れていなかった事もあり、優しくしてくれた彼女に対し、あたしの理性のタガは完全に外れてしまった。

 翌朝、幾らか素面になったあたしは、彼女が事が始まる前に同意してくれたのか記憶が曖昧だった事もあり、彼女に嫌われてしまう事も覚悟したが、幸いな事に彼女はあたしを受け入れてくれた。

 多分、彼女のご機嫌だった様子からして、少なくとも悪くはなかったのだろう。

 あたしにしてみればみっともない形で始まった関係だったが、1人の女性と長く平穏な関係を続けられたのは、実は彼女が初めてだった。

 安宿暮らしだったあたしを彼女は自宅に招き入れてくれて、あたし達は同棲を始めた。

 彼女との暮らしはあたしの荒んだ心を徐々に落ち着かせていった。

 それまで、キャリアは中堅なのに新人がする様な低レベルの仕事ばかりしている事にどこか後ろめたさを感じていたが、この頃からそんな低レベルの仕事に対してもあたしなりにやり甲斐や楽しさを感じる様にもなっていった。

 一方、彼女の方もかつての無能なイメージから脱却し、順調に受付嬢としてのキャリアを積み重ねていった。

 メンタルさえ安定すれば、周りの事に良く気づき、地道な努力を惜しまない彼女の能力は高く、あたしとの噂というネガティブな要素もあったがそれでも、受付嬢として周囲から頼られる存在へと成長していた。

 そんなあたしと彼女の同棲は6年程続いたが、破局は唐突に訪れた。

 いや、あたしにとって唐突だっただけで、彼女の方はずっと前からあたしと別れる事を考えていたのは、今思い返せば明らかだった。

 彼女が、あたしとも面識がある冒険者の男と婚約し、冒険者を引退して故郷に戻るというその男と共にハーケンブルクを去ると告げたのは、旅立つ日取りが既に具体的に決まり、それに向けた諸々の準備を始めなければならない期限ギリギリになってからだった。

 突然の事にショックを受け、混乱して喚き散らすあたしに対し、彼女は泣きながらあたしに謝罪しつつ、悲痛な声で『自分はどうしても母親になる事を諦められない』と告げた。

 その言葉は、別れの言葉以上にあたしの胸に突き刺さり、今でも古傷となって疼いている。

 ただ、時間が経った今となっては彼女の気持ちも理解出来る。

 彼女は焦っていたのだろう。

 同期だけでなく、彼女の後輩も相手を見つけては続々と結婚し、子供を産み、母親となっていった。

 無論、全ての女性が子供を欲しがる訳ではないし、事実あたしは母親になる願望が薄い。

 同性愛者だと自覚した時にそれを諦めたという事もあるが、比較的容易に諦められたのは元々母親願望が薄かったせいかもしれない。

 そして彼女もあたしと付き合っていた間は、子供が欲しいといった類の事をあたしに対してハッキリ言った事はおろか、仄めかした事すらなかった。

 だからあたしは、彼女が自分の同類だと勝手に思い込んでいた。

 もしかしたら彼女も、あたしと同棲を始めた頃は、本当に子供をそれ程欲しがってはいなかったのかもしれない。

 だが、人の考え方が時間の経過と共に変わる事も良くある。

 同期だけでなく後輩までも次々と母親になっていく中で、彼女自身子供を産めるタイムリミットが刻々と近づいてくる事もあり、焦りもあったのだろう。

 そしてあたしが、ヒューマンに比べて寿命の長いハーフエルフという事も、彼女の焦りに対して鈍感だった理由の1つだった。

 メジャーな人族の中で最も平均寿命が短いのが獣人の50歳で、次いでヒューマンの70歳、ハーフキンの100歳と続き、ドワーフとハーフエルフになるとグッと伸びて300歳、エルフとダークエルフに至っては1000歳を越えるらしい。

 これには例外も多数あり、最も有名な例外としては高レベルメイジ等の非常に高い魔力を持つ者は、種族の限界を超えて長い寿命を持つ事が知られている。

 寿命の長い種族はそれだけ生殖可能期間も長くなるのだが、良く出来たもので寿命の短い種族程多産で、長い種族程出生率が低い。

 それはともかく、比較的安全に子供を産める時間が後数年しか残っておらず焦っている彼女の気持ちを、まだ150年以上余裕のあるあたしは気づいてあげられなかった。

 寿命の違いによる悲恋は昔からありふれた歌の題材であり、あたし自身何度も酒場でその手の歌を歌ってきたというのに。

 そしてあたしが同性愛者だという事が、彼女がギリギリまで別れを切り出せなかった理由だというのも、今では理解出来る。

 別れの理由が『母親になりたい』という事がどれだけあたしを傷つけるのか、彼女には分かっていたからだ。

 彼女との別れは最初こそ痴話喧嘩じみていたが、彼女に対して後ろめたい気持ちを抱いたあったあたしが別れを受け入れた後は、驚く程静かに淡々と進んでいった。

 同棲していたという事情もあって、別れ話にケリが着いた後も彼女と数回顔を合わせねばならなかったのだが、最初の時の様に修羅場になる事もなく、極めて事務的に必要な要件だけ済ませ、最後に彼女に会った時も極めてドライな別れとなった。

 しかし、別れ自体が淡々としたものであったとしても、この別れはあたしの中で長く尾を引いた。

 彼女と別れた後のあたしは、以前のように表立って荒む事こそ無かった。

 この頃は誰か特定の人物と深く関わる事も無く、広く浅い付き合いに終始していた事もあったので、周囲の人々の目からは寧ろ、あたしから角が取れ、精神的に成熟したと見られていたかもしれない。

 7、8年もの間断絶状態にあったヨハンナと和解したのもこの頃だ。

 より強力な仲間を求めてパーティを転々としていたヨハンナは、この頃ようやくとあるパーティに腰を落ち着けるようになった。

 年齢不詳のダークエルフと若手の有望株で結成されたパーティで、『シーカーズ』と名乗っていた。

 ヨハンナとの再会は、彼女がその『シーカーズ』に加入してしばらく経った後に行われたが、ヨハンナにとってその『シーカーズ』の居心地が余程良かったのか、それとも他の理由があるのか、再会した時のヨハンナからは驚く程ピリピリした雰囲気が無くなり、穏やかな表情をしていた。

 心に余裕があったからこそ、あたしと和解すべく歩み寄ろうという気持ちも湧いてきたのだろう。

 そしてあたしの方も、才能溢れるヨハンナに対する嫉妬がビックリする程消えていた。

 何故、子供の頃のように穏やかな気持ちでヨハンナに接する事が出来るようになったのか、しばらくあたし自身でも分からなかった。

 ヨハンナと和解して数ヶ月経ったある夜、あたし達は冒険者御用達のとある酒場でサシ飲みをした。

 お互い成人してお酒を飲めるようになってから随分経ったが、ゆっくりとお酒を飲みながらヨハンナと胸襟を開いて話したのはこの時が初めてだった。

 とはいえヨハンナは、あたしのイメージとは違ってかなりのザルで、アルビノ特有の真っ白な肌が結構派手に赤らんだものの、酔っているという明白な兆候はそれだけで、乱れた態度を取る事もほぼ無かった。

 それでも普段はかなり自制心の強い彼女の口は明らかに緩くなっており、珍しく愚痴めいた言葉も少なからず漏れた事からやはり多少は酔っていたのは間違いない。

 そんなヨハンナの口から散発的に漏れた愚痴じみた本音の内、今でも印象に残っているのが彼女の所属する『シーカーズ』のリーダー、ソニアについてだった。

 ソニアは典型的な南方人の容貌の女性だが、生まれは南方大陸ではなく、ここハーケンブルクのスラムらしい。

 実を言えば、あたしも彼女とは面識があった。

 彼女が新人冒険者時代、最初の3ヶ月間彼女を含むパーティの指導役だったのが他ならぬあたしだったからだ。

 とはいえ、彼女の意思の強さを感じさせる目つきだけは強烈に覚えていたものの、必要最低限の会話しかしようとしなかった彼女とは全く親しくなる事もなく、指導期間の3ヶ月が過ぎた後は彼女との交流は全く無かった。

 以来、凄い勢いで成長するソニアの噂は否応なしに耳に入ってきたものの、あたしにとっては別世界の出来事でしかなかった。

 ヨハンナからソニアとパーティを組む事になったと聞いても特に何の感慨も抱かなかったし、ヨハンナの方も和解後に定期的にあたしと会うようになっても、ザックリとした近況報告の中で時々、散文的にソニアの名前が出てくる程度だった。

 だがこの時のヨハンナはかなり踏み込んだ事を言っていた。

 『ソニアとあたしとでは冒険者としての格がまるで違う。あたしと彼女の差は余りに大き過ぎて、嫉妬すら起きない程だ。』

 記録的な速さでハーケンブルクでも五指に入る魔術師に成長したヨハンナの言葉に唖然とするあたしを他所に、彼女は更に淡々と続けた。

 『ソニアは冒険者で終わる器じゃない。彼女についていけば、今は想像すら出来ない景色をこれから幾らでも見る事が出来る。』

 もしヨハンナが、熱に浮かされたような口調で今の言葉を言っていたなら、ヨハンナの精神状態を心配する方が先に立ち、彼女の言った言葉自体はあたしの中をすり抜けてしまっていただろう。

 しかしアルコールのお陰でいつもより多少口が滑らかになってはいたものの、いつものヨハンナと同じように冷静な口調で彼女は言っていた。

 彼女と別れ、定宿のベッドの上に寝転んだ後も妙に彼女の言葉が耳にこびりついていた。

 そして唐突に閃いた。

 あれ程みっともなくヨハンナの才能に嫉妬していたのに、今になって何のわだかまりも無く彼女と和解出来た理由が何であるのかが分かってしまったのだ。

 それは、冒険者としてのヨハンナとの差が最早埋めようも無い程決定的に開いてしまった事を悟っていたからだ。

 別次元とまで言える程実力に差が開いてしまえば、例え冒険者同士であっても最早同じ土俵の上に立っているとは言えず、完全に別の世界で活動している事になる故に嫉妬の起きる理由も無い。

 ただ、あたしとヨハンナでは決定的に違っている事もある。

 ヨハンナは冒険者として敵わない相手の存在に気づいた後でも新たな目標をすぐに見つけ、新たな目標を定めた事で歩みを止める事なく前進を続ける事が出来ている。

 あたしは冒険者としての未来の展望が全く見えていないにもかかわらず、冒険者以外の道を見出す事が出来ない。

 思えばあたしは、冒険者となって何かを成し遂げたいと思った事は無く、冒険者となる自体事が人生の目標だったような気がする。

 つまり15歳で冒険者となりそれまでの目標を達成して以降、人生の目標を全く上書き出来ていないという事だ。

 この事をようやく自覚した時、あたしの人生が15歳から完全に停滞しているような気がしてゾッとしてしまった。

 冒険者として上を目指す事も、冒険者とは別の道を選ぶ事も出来ずに、冒険者としての入り口で足踏みをしているだけだ。

 冒険者となってこの時既に15年近く経過していたが、同期の冒険者の中でも寿命の短いヒューマンや獣人の中には既に引退した者も少なからずいた。

 冒険者が引退する理由は様々だが、その中でも常に一定数存在するのが『高レベルの壁』問題だ。

 冒険者がレベルアップする為に必要な『経験』はレベルが上がるに連れて加速度的に増加していく為、冒険者はより効率よく『経験』を得る為により脅威度の高い冒険へと挑むようになる。

 だが、当然の事ながら脅威度の高い冒険はそれだけ危険となる。

 なので効率よくレベルアップするには、ある程度安全性を担保しつつクリア出来る冒険の中で、最高の脅威度のものを選択する目が必要となる。

 この辺の見極めは、長年のノウハウを持つ冒険者ギルトもサポートしてくれる事もあり、簡単ではないが経験さえ積めばある程度は可能だ。

 なので、冒険者としてどうしても避けられない不慮の事態による脱落者は一定数存在するものの、そういった事態にさえ遭わなければ地道な努力を継続する事で、あたしの様な例外を除いた大抵の者は中レベル帯までは順調に成長出来る。

 しかし、中レベル帯からから高レベル帯に移行する辺りから、レベルアップに必要な『経験』の量が更に爆増し、それまでのセオリーを続けていても中々レベルが上がらなくなってくる。

 これがいわゆる『高レベルの壁』だ。

 高レベルの壁にぶち当たって『準高レベル』で足止めを喰らう者は多い。

 あたしの両親も『準高レベル』だった。

 そして、この準高レベルで足止めを食らった時点で冒険者を引退する者、また引退までしなくとも冒険者としての生き様を変える者は多い。

 幸いハーケンブルクでは、衛兵や守備兵も冒険者としての建前なので、そのままそういった職に移る者も多くいる。

 キャリアの最初から衛兵や守備兵になった者と異なり、準高レベルに至った者は中隊長以上で雇われる事も多く、冒険者時代のような自由こそ無くなるが、安定した収入は得られるようになる。

 ヒューマンや獣人の場合、成人直後に冒険者となると、準高レベルになった頃に丁度、男女問わず結婚して子供を産み育てるギリギリの年齢に至る事が多い事も、引退や転職の動機になっている。

 またレベルアップを諦め、冒険を生活の糧と割り切ってより脅威度の低い冒険を選ぶ事で比較的安全に長く冒険者を続けようとする者もいる。

 いわゆるセミリタイア冒険者と呼ばれる連中だが、彼等も新人の指導役や急に欠員の出たパーティの一時的なサポートメンバー等で、意外と冒険者ギルトから重宝されていたりする。

 衛兵等よりもやや収入は不安定になるが、融通が効くこの生き方を選ぶ準高レベル冒険者も少なからずいる。

 あたしの両親もこのセミリタイア冒険者だった。

 ただ、全ての冒険者が高レベルの壁で諦めたり足止めを食らう訳でもない。

 それまでに比べて膨大な時間こそかかるが、地道に活動を続ける事でいずれ高レベルに至る事は出来る。

 しかしこの地道な方法で高レベルに至れるのは多くの場合、エルフやドワーフといった寿命の長い種族だけだ。

 ヒューマンや獣人の場合、『高レベルの壁』をようやく突破し、念願の高レベルに至った時には既に老化による肉体や精神の衰えが始まってしまっており、高レベルの恩恵より老化による衰えの影響をより強く受けてしまう事も多い。

 なので、時間制限の短いヒューマンや獣人が高レベルを目指す場合、リスクを承知で危険な脅威度の冒険に挑む事となる。

 あらゆる選択肢に正解し続けても、純粋に運が悪いだけで理不尽に潰されてしまう事態も普通に発生するのが、この高レベルの壁を短時間で突破する為に必要な脅威度だ。

 高レベルの壁を突破する為には、この理不尽なレベルの脅威度の冒険を何十回と乗り越えなければならない。

 ヒューマンより基本的な身体能力が優れているはずの獣人の高レベル冒険者の数がヒューマンより圧倒的に少ないのは、この壁を突破出来ずに命を落としたり、最終的に諦めざるを得ない者が多いからだ。

 ヒューマンにしても、クラスを2つ以上取った者の高レベル冒険者の割合いは獣人と大差無い。

 高レベルに至ったヒューマンの多くは単独クラスだ。

 単独クラスであっても、高レベルの壁を突破する為の個々の冒険の危険度は変わらない。

 しかしレベルアップに必要な経験が半分で済む単一クラスのヒューマンは、乗り越えなければならない冒険の数も半分で済み、結果的にこの地獄の過程をショートカット出来るのだ。

 実際、ヒューマンで単一クラスのヨハンナはあたしとの和解の数年後、パーティメンバーと共に見事高レベルの壁を突破した。

 正確を期すならば、この時壁を突破したのはヨハンナと、同じくヒューマン単一クラスのソニアであり、パーティメンバーのダークエルフはパーティ加入時には既に高レベルに至っており、残る獣人は既に高レベルとなっていた3人の仲間のサポートを受ける事で、より少ないリスクで壁を突破出来たという事だが。

 その一方であたしは、相変わらず準高レベルどころか中レベル手前で足止めを食っていた。

 無計画にクラスを4つも取った事と、義肢の装着による身体能力と魔力の低下により、本来準高レベルで立ち塞がるべき壁が、あたしの場合準中レベルで現れ、立ち塞がった形となったからだ。

 多くのクラスを取った者に、普通より低いレベルで成長を阻害する壁が現れる事は昔からあったが、あたし程低いレベルで現れた者は前代未聞らしい。

 そして普通なら、それに気づいた時点で冒険者を引退して他の道に進むものだろう。

 だがあたしには、冒険者以外に生きていく道を知らなかった。

 もしかしたら知ろうとしなかったと言った方が正しいのかもしれない。

 あたしはセミリタイア冒険者と同じ様なスタイルで冒険者を続けたが、セミリタイア冒険者が認められるのは彼らの多くが準高レベルまで至ったからであり、準中レベルのあたしの場合、成長の見込みが無いのにみっともなく冒険者にしがみついてるとしか見做されない。

 この頃になると、余りにも多くパーティ加入を断られ続けたせいで心が折れてしまった事もあり、あたしは最早誰かと恒常的にパーティを組もうとは思わなくなっていた。

 その結果、偶に指導役やサポートメンバーで短期的パーティに加入する以外はほぼソロで活動するようになっていった。

 ソロで活躍する以上、リスク管理はよりシビアにならざるを得ず、結果冒険の脅威度を更に下げる事となり、それによって得られる『経験』はますます減り、レベルアップはどんどんと鈍化していった。

 それでもあたしは、冒険の数だけは着実にこなしていった。

 脅威度を問わずに数だけを問題とすれば、あたしは紛う事なく超ベテラン冒険者だ。

 ただそれは、目標を持った冒険というより、生きる為だけに必要なルーティンワークに近い感覚だった。

 あたしが低レベル帯を脱する事が出来ずに足踏みしている間にヨハンナと彼女の仲間達の名声はどんどん上がっていき、遂にそれまで誰も到達した事の無いアビスの最深部に至り、前代未聞のアビス完全制覇を成し遂げたヨハンナの所属するパーティ『シーカーズ』は、名実共にハーケンブルク史上最強の冒険者パーティとなった。

 偉業を成し遂げた『シーカーズ』だったが、その後あっさりと解散した。

 あまりにあっさりとした解散劇に多くの者が驚いたが、『シーカーズ』リーダーであるソニアのその後の行動は更に驚くべきものだった。

 彼女はなんと、電撃的に冒険者ギルトのギルト長に就任したのだ。

 そしてヨハンナも、副ギルト長としてソニアを支える道を選んだ。

 ギルト長になったソニアの評判は、あたしの周囲では概ね良い。

 ソニア以前にも有名冒険者からギルト長に就任した例は多くあったが、当然ながら冒険者に必要とされる能力と組織運営に必要とされる能力は異なる。

 それ故に歴代の有名冒険者出身のギルト長の多くは単なるお飾りである事が多く、実際就任直後はソニアをそういう目で見る者が多かった。

 それに自分達の影響下に無い者がギルド長に就任する事を快く思っていない印象のある四大商家側も、人気の高いソニアなら民衆のガス抜きには丁度良いと、彼女を侮った結果ギルド長就任を許可したようだ。

 しかしソニアは、彼等の操り人形で収まるタマではなかった。

 噂によるとソニアは、大商人連中の既得権益に深く切り込み、民衆の生活が向上するよう改革を断行しているらしい。

 そしてヨハンナも、少なからずソニアの改革に力を貸しているはずだ。

 ヨハンナは冒険者時代より更に忙しいにも関わらず、定期的に時間を取ってあたしと会ってくれている。

 現在の仕事に関して具体的な事は殆ど言わないが、その表情からしてかなりやり甲斐を感じ、充実している事だけはハッキリと分かる。

 かつて酔って漏らしたように、ヨハンナはソニアの元で冒険者時代には見れなかった新たな景色を見ているのだろう。

 冒険者時代もそうだったが、彼女は新しい居場所を自力で探し、そこに順応し、成果を出し続けている。

 一方、あたしは変わらない。

 冒険者になってほぼ30年が経過したが、その間あたしの周囲では様々な事が起こり、変化していった。

 だがあたし自身は驚く程変化に乏しい生活を続けている。

 まるでそれを象徴するかの様に、あたしのレベルアップはここ数年、年単位でしか発生していない。

 なのでより困難な脅威度の冒険にチャレンジする事も出来ず、同じ様な低レベルの仕事を繰り返すばかりだ。

 私生活でもここ数年は新たな出会いなど数える程しか起きていないが、それは機会が乏しいというより、新たな出会いに対してあたしが臆病になってしまっているせいだと思う。

 そして最大の問題点は、こうした停滞している状況をあたし自身、最早何の焦りもなく受け入れてしまっている事だろう。

 あたしはこれからも相変わらず冒険者を続けるだろうが、そこには若い頃のような夢も野心も存在せず、ただ単に日々の糧を得る為の手段でしかない。

 あたしを、『成長の見込みが無いのにいつまでも冒険者にしがみついている器用貧乏なロートル』とか、『優秀な妹に寄生している無能な姉』とか、陰口を叩く嫌な連中も少なからずいる事も知っている。

 でもそういった、あたしとは反りが合わない人間を愛想笑いである程度は苦痛なくやり過ごせるくらいは精神的には成熟した、と思っている者も周囲にはいるらしい。

 ただ嫌な連中をやり過ごせる様になった一方で、仲の良い人達ともそれなり以上の深い関係は築かなくなった。

 遊びの関係はたまにはあったし、例の受付嬢と別れた後も恋人が出来た事は何度かあったが、どれも短期間で終わってしまった。

 その事を考えれば、精神的に成熟したというより、単に人間関係に淡白になっただけかもしれない。

 そんな生活が、この先も淡々と続いていく事をあたしは不満も期待も無しに思っていた。

 しかしハーケンブルクを覆うキナ臭い空気は、中レベル手前で燻っているだけのロートル冒険者のあたしを否応なく巻き込み、それまで目を背けたり、蓋をしたまま忘れようとしていた現実と無理やり直面させる事となるのである。

 読んで下さりありがとうございます。

 改訂版プロローグの投稿は今回で終了で、次回から第5章の投稿を開始します。

 次回の投稿は6月上旬を予定しています。

 なお、義肢の装着によるペナルティの設定について変更しました。

 以前は

 「義肢を装着するとクラスが1つ増えたように得られる『経験』が減少する」

 としていましたが、以後は

 「義肢を装着した時に、身体能力と魔力が数レベル相当分恒久的に低下した」

 とします。

 プロットが不完全なまま投稿を始めたせいで設定の変更や加筆修正が多々発生している事、誠に申し訳なく思っています。

 おそらくこれからも多々発生すると思いますが、どうか暖かい目で見守って下されば嬉しく思います。

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