探偵Nの叫喚
まえがき
当作品のルビの多くは正しい読み方ではありません。
ルビのふってある文字が読めない場合は辞書を引くか、テキストにコピーして再変換するなどして、正しい読み方を確認する事を推奨します
意味が違う場合もありますので、どちらかというと辞書がお薦めです
探偵Nの叫喚探偵Nの叫喚探偵Nの叫喚探偵Nの叫喚探偵Nの叫喚探偵Nの叫喚探
「さあ、ギルマン。 星辰は法の時を刻んだ。 最後の贄を捧げよう」
まるで邪神の使いであるかのように振る舞い、ボクは怯えながらも逃げ出さないレーナの太腿へと麻酔針を撃ち込む。
少女の小さな体が痙攣するようにかすかに震え、しゃがみこむとガクガクと壊れたオモチャのように震えながら倒れる。
ショック症状がでたようだ。
この娘も運が悪い
これは早めに解毒薬を注射しないと脳に障害が残りそうだ。
最悪、死ぬ症状だが、ギルマンを処分した後に処置をすれば、なんとか助かるだろう。
ギルマンはボクの傍らでその様子を濁った魚のような眼で見ていた。
その手には70cmはあるだろう両端が鋭く尖った独鈷杵と呼ばれる儀式用の武器が握られていた。
蛙めいた大きく薄い唇は白い泡を吹き零しながら邪神を称える不気味な呪文を口にしている。
「さあ、ギルマン、星刻は来た。 誓いを果たし共に自らを贄に」
ボクはギルマンに向き直り良く見えるように手を前にかざし掌に銃口を押し付けて引鉄を引く。
針が刺さり麻酔薬が注入されていくのが、まるで時間が引き延ばされたかのように、ゆっくりと見えた。
その向こうでギルマンが邪神を謳う聖句と共に、自分の胸に独鈷の鋭い切先を突き立てる。
中央からやや左心臓の真上から入った独鈷はギルマンの人間離れした力で垂直に突き刺さり片方の刃の根元まで刺さり込む。
その瞬間、今までどうやっても通じなかった通信端末に着信音が響いた。
“ ベートーベンのエロイカ ” A級探偵専用の着信音だ。
何故か衛星回線すら通じないこの島に回線を繋げる。
そんな事ができるのは‘名無しのウィザード’くらいだろう。
それでも遠く離れた場所からでは無理だろうから、近くまで来ているのか?
ああ、でももう遅い!
全ては終わってしまった!!
必ず、事件を解決してしまうA級探偵も今度ばかりは遅れを取った。
真の探偵の勝利だ!
勝利だ!!
勝った! A級探偵に!!
勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った勝った──勝った!!
そんな悦びに溺れていたせいだろう。
ボクはその致命的な瞬間に気づかなかった。
胸から一本角を生やした怪物がその鋭利な切先をボクに向けて倒れてくるのに。
ゆっくりと流れる時間の中でその凶器がボクの喉元に突き刺さるのを、急速に麻酔が回っていくボクの体はどうすることもできずに受け入れた。
意識が途切れていく中──更に一瞬が引き伸ばされていく瞬間、ボクはどうしてこうなったかを考える。
いったい、今までボクは何をしていた?
何をしていただって?
脳裏に浮かんだ探偵が嘲笑う。 まるで、ギルマンの信じていた邪神のように。
憶えているんだろう? そう囁く。
ああ、ボクは憶えている
自分の罪を!!
ボクは探偵に操られていたのか!?
オマエはいったいナンだ──?
知っているはずだろう?
そう嘲る探偵の幻姿は既にボクのものではない。
男か女かわからない細身のスーツ姿やヘアスタイルは変わらないが、ポッカリとその貌だけが闇に覆われ、三日月のような亀裂がボクを嘲笑う。
知っているはずだ。
その貌がヨシフの鉄のような厳めしいものに変わり言う。
ああ、そうなのか──。
知らないはずがなかろう。
その貌がオードの蔑むような冷たいものに変わり言う。
探偵は──。
知らないはずはない。
その貌がツァーミンの皮肉げな憎々しいものに変わり言う。
千の貌を持つ──。
知っているはずよね。
その貌がメアリーの驕慢な妖しいものに変わり言う。
────無貌の邪神。
知ってたんだね、探偵さん。
そして、最後にその姿がレーナのものへと変わり言う。
それが、最後にレーナと言葉を交わしたときの心の棘を思い出させる。
間違えない────ボクがあの時言った台詞。
ああ、今なら判る。
レーナがあの後言った言葉の意味を、瞬時に意識を奪うような麻酔銃の副作用を医学にも精通した天才少女が知らないわけがない。
レーナは、二人で生き残る道がそれ以外にないと悟っていた。
ボクが決して譲らないだろうと解っていたから。
そう、レーナは何度も変だといっていたじゃないか。
いつものボクじゃないと。
それでも、レーナは狂ってしまったボクを見捨てずに──ああ、ダメだ!
違う! そうじゃない──ボクはこのうえまだ逃げようとしている。
邪神なんてどこにもいない。 それはただの共同幻想だ!
ここまできても、そんなもののせいにして、ボクは現実を認めまいとしている。
狂ってなんていない! 探偵は自己暗示だ!!
そう、全部──他の何かのせいでも誰かのせいでもなく、ボクのやったことだ。
ああ、ボクは間違った────間違った。間違った。間違った。間違った。間違った。間違った。間違った。間違った。間違った。間違った。間違った。間違った。間違った。間違った。間違った。間違った。間違った。間違った。間違った。間違った。間違った。間違った!!
何が“ たったひとつの冴えたやりかた ”だ。
そんなものはただの共犯意識だ。
ボクはオーベッド・ギルマンを支配しているつもりで、共犯者に成り下がったにすぎない。
本当に冴えたやりかたが、一つだけのはずがない。
ただ、苦難を嫌って安易に楽な道を選んだだけだ。
そして、オーベッドを支配しているつもりで、恐怖に支配された。
探偵がしなくてはいけなかったのは、たった一つしか正解がない悲惨な状況を、なくすことだったというのに。
何が超越しただ。
あれほど‘名無しのウィザード’に最後の一線を越えるなと言われたのに。
それを捨ててしまえば、お前はただの‘愚種脳’だと言われたのに。
人の可能性を否定して、人など皆、愚種だと決め付けて、自分だけが正解を導きだせると思い込む──そんな弱くて、哀れで、孤独な‘愚種脳’になると。
そう知っていたのに! 知っていたのにそれがこういうことだと理解していなかった。
人を愚種だと決め付ける人間が愚かだなんて、子供でも知っている言葉だ。
けれど知っているだけでは少し成長して疑う事を覚えればその意味を捻じ曲げてしまう。
一番初めに教えてもらった一番大切なものが、子供の証に見えてしまう。
小賢しいボクは‘名無しのウィザード’に出会い、大切なものを知った気になって、その生き方をただ真似ようとした。
大人ぶっただけの子供を嘲笑う事で大人になることを拒否した。
レーナのように既製品の常識に頼らずに自分で物事を考えて大切なものを見つけ出すことができる賢い子供だったなら違っただろう。
レーナは考えることをあきらめない。
正解が導きだせなくて保留しても、そんなものだと納得したふり理解したふりで諦めない。
けれど、ボクは考える事を怠け、権威や流行を盲信する事が合理的だなどというどこかの誰かの言葉を考えもせずに受け入れた。
尊敬しているはずの‘名無しのウィザード’の言葉は判ったつもりで受け入れず、もっと冴えたやりかたを選んだなどと思い上がったくせに。
合理性?
そんなものは戦場の理屈だと教わったのに!
相手を拒否し欲望に溺れ、犠牲を求める方法論。
そんなものを “ たったひとつの冴えたやりかた ”と信じる人間が増えれば、この世は戦場になる。
‘被害者達’も‘怪物’も‘28人殺し’もそのやりかたで生きて、犠牲を産出し続けていた。
そんな人間の犠牲になることがどんなに怖ろしいことなのか、ボクは知っていたはずなのに……ボクはエセ探偵になった。
理想を、明るく暖かく優しくありふれた喜びから、眩しく冷たく厳しく遥かかなたの偶像へと置き換え、そんなものより、目の前の悦楽や優越感や怠惰さといった欲求を望んだ。
どうせ人間なんて下種なんだと態度で認めていた。
探偵を生きかたと言いながら、プライベートではただの人間だと、生きかたを軽んじた。
怪物への恐怖はただのスイッチで、ボクはエセ探偵への道を歩き続けていたのだ。
人は壊れる事はあっても急には変わりはしない。
ボクは、ただ普通にあたりまえに生きているつもりで、いくつもの間違いを犯し、幾人もの不幸を見過ごし、此処に至った。
探偵になった後、事件の度に何度も‘名無しのウィザード’が教えてくれたのに。
A級探偵が、探偵の生きかたを体現していたのに。
ボクは思い上がりながら、自分を貶めた。
ごく普通にみんなと同じように生きてるのだからと、多くの罪を見てみぬふりでやり過ごしてきた。
ああ、だから間違った!
認めよう──ボクは有罪だ。
今だけでなく、普通に生きているつもりの過去でも間違っていた。
何度も間違い、何度も間違いを正そうとはせず、怠惰さに溺れ、合理性を盲信して、とうとう深淵まで来てしまった。
人の数だけ欲望があると自分を甘やかして、理想を切り捨てるのも合理的だと、正義の意味すら考えずに否定して。
A級探偵、お前のいうことは正解だった。
ボクは、C級探偵にもなれないD級探偵だ。
どんな大きな能力があったって正しくそれを使わなければ意味がない。
A級探偵の言った事だけど認めるよ。
ボクが越えたのは探偵の限界ではなく、探偵とただの‘愚種脳’の一線だ。
恐怖に打ち克ったんじゃなく負けたんだ。
ただ独りで逃げ出し、エセ探偵に身を任せた。
欲望の奴隷から脱したつもりで合理性の奴隷になっただけの愚か者になった。
そうしてボクは探偵を穢した。
ボクは探偵だった。
世界探偵協会D級探偵、九頭竜乃亜。
信じていたものを自分で捨て……信じてくれた人を……裏切り……信じたふりを……したものに殺さ……れ……た……愚…………か…………な…………元……………………探偵。
恐怖をテーマにした勘違い系ホラー
探偵Nシリーズはこれで終了です
怖かったでしょうか?
恐くなかったでしょうか?
エンディングの後についての二つのパターン
一人称の語り手ですが探偵Nは主人公ではありません
この物語の主人公はでてこなかったA級探偵で、‘名無しのウィザード’です
だから、救いのないバッドエンドだと感じたかたは、安心してください
きっと、エンディングの向こうでは逆転劇が待っています
彼ら主人公がレーナをあるいはD級探偵を救ったでしょう
そう思ったのなら、あなたは正しくこの物語は救いを残して終わります
だから、現実にホラーが訪れても決して希望を忘れずに……
そんな御都合主義は嘘くさい、そう思った方
あなたにとっては、現実自体がホラーなのかもしれませんね
そう思ったのなら、あなたは正しくこの物語は救いのない結末を迎えます
せめて、現実であなたにホラーが訪れなければいいのですが……
最後に
登場人物名に実在の人間に近いものがあるのは
悪役が自分と同じ名前であるのは誰でもいやなので
既にそういう人物であるという印象が広まっている名前をつけただけで
その人物に悪意や偏見を持っているわけではありません
また、実在の政治家や事故などについて触れていますが
これも悪い印象や失敗の典型的な例として広まっているものとして使用しただけで
その人物に悪意や偏見を持っているわけではありません
ネットでそれらの例を検索しての結果ですので
御理解と御寛恕を