第52話 止まった風車と、風読みの少女
北への街道は、想像以上に険しいものだった。 ゴツゴツとした岩肌が剥き出しになった山道。 標高が上がるにつれて気温は下がり、吐く息が白くなり始める。
『さっむ……!』
リゼルは毛布を頭からすっぽりと被り、ミノムシのような姿になっていた。
『おいおい、まだ雪も降ってねぇぞ』
トムさんは平気な顔で手綱を握っている。 さすが、冬でも薄着で薪割りをしていただけのことはある。
『トムさんの皮膚感覚がおかしいんです! ここはもう冬ですよ、冬!』 『ははっ、大げさな奴だな。……でもま、そろそろ見えてくるはずだ』
トムさんが鞭で前方を指し示した。
『「風の谷」ウィンダリア。一年中、強い風が吹き抜ける場所だ。そこを抜けりゃ、国境だ』
馬車が峠の頂上に差し掛かる。 視界が一気に開けた。
『わぁ……!』
リゼルは寒さを忘れて身を乗り出した。 眼下に広がるのは、巨大な谷底の村。 そして、その特徴は何と言っても「風車」だった。 大小様々な風車が、谷の斜面や家々の屋根に立ち並んでいる。 数百、いや千はあるかもしれない。 壮観な景色だ。
……けれど。
『あれ?』
リゼルは首を傾げた。
『トムさん。……風車、回ってませんね』
そう。 あれだけの数の風車があるのに、一つとして動いていないのだ。 それどころか、谷底からは音が聞こえてこない。 風の音も、風車が回る音も。 不気味なほどの静寂が、谷全体を覆っていた。
『おかしいな……。「風の谷」で風が止まるなんて聞いたことがねぇ』
トムさんの表情が険しくなる。 ペンダントの青い石が、ドクンと小さく脈打った。 やはり、ここにも「何か」がある。
*
馬車はつづら折りの坂道を下り、村の入り口に到着した。 村の中も静まり返っていた。 人通りはなく、家々の窓は閉ざされている。
『すみませーん! 旅の者ですがー!』
リゼルが声を張り上げるが、返事はない。 ゴーストタウンのような雰囲気に、背筋が寒くなる。
その時。
『……誰?』
頭上から鈴のような声が降ってきた。 見上げると、巨大な風車の点検台の上に、一人の少女が座っていた。 短い銀髪に、風になびくような薄緑色の民族衣装。 年齢はリゼルより少し下、15歳くらいだろうか。 彼女は鳶のような鋭い目で、じっとこちらを見下ろしていた。
『あ、こんにちは! 怪しい者じゃありません!』 『怪しくない人は、自分で怪しくないとは言わない』
少女は冷たく言い放つと、身軽な動きで点検台から飛び降りた。 タンッ、と音もなく着地する。
『旅人? 悪いことは言わないから、引き返した方がいいよ』 『えっと、どうしてですか?』 『見て分からない? 風が死んだの』
少女は、止まったままの巨大な風車の羽根を見上げた。
『一週間前から、ピタリと止まった。おかげで粉挽き小屋も動かないし、井戸のポンプも動かない。この村はもうすぐ干上がる』 『一週間前……』
それは、王都の空が割れた時期と重なる。
『原因は分かっているのですか?』 『……「風の神殿」よ』
少女は、谷の最奥、切り立った崖の上に建つ古びた神殿を指差した。
『あそこに、黒い雲みたいなのが引っかかったの。それ以来、谷に入ってくるはずの風が、全部あそこで吸い込まれてる』 『黒い雲……』
リゼルとトムさんは顔を見合わせた。 間違いなく、あの「影」の同類だ。
『大人はみんな怖がって家に閉じこもってる。……情けないよね。風と共に生きる民が、風がなくなったくらいで』
少女は悔しそうに唇を噛んだ。 その手には、ボロボロになった整備用のスパナが握られていた。 彼女だけは諦めず、風が戻った時のために風車の手入れを続けていたのだ。
『君の名前は?』
リゼルが尋ねると、少女は少し躊躇ってから答えた。
『……シルフィ』 『シルフィちゃんね。私はリゼル。こっちはトムさん』
リゼルは馬車から降り、シルフィの前に立った。
『私たち、その「黒い雲」を何とかできるかもしれないわ』 『は? 何言ってるの? あれは魔物よ。村の自警団だって逃げ帰ってきたんだから』 『知ってるわ。でも、私たちはその魔物を追い払う専門家なの』
リゼルはペンダントを取り出し、ニッコリと笑った。
『止まった風、もう一度動かしてみたくない?』
シルフィは狐につままれたような顔をしたが、リゼルの瞳に嘘がないことを見て取ったのか、小さく溜め息をついた。
『……もし本当に直せるなら、村中の小麦粉をあげる。パン一年分』 『一年分!? トムさん、聞きました!?』 『おう、悪くねぇ報酬だ!』
トムさんがニヤリと笑う。
『よし、商談成立だ。案内してくれ、シルフィ。その神殿まで』
リゼルたちは再び動き出した。 止まった風の谷に、新しい風を吹き込むために。
(第52話・終)




