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二人同時に無職になったので思い切って日本縦断サイクリングの旅に出ることにしました!  作者: 霧崎薫


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12/21

●10日目:「八甲田の風と南部の味 ~十和田から八戸へ~」

 夜明け前、十和田湖畔の民宿「湖畔の宿」から、真中清風と水上爽香が出発した。まだ暗い空の下、清風のメタリックレッドのロードバイクと、爽香のパールブルーのクロスバイクのライトが、流れる路面を照らしている。


「爽香、日の出を見ながらペダルを漕ぐなんて、贅沢だと思わないか?」


 清風の声には、新しい一日への期待が溢れていた。


「うん! まるで私たちだけの特別な朝みたい。さあ、八戸まで80km、頑張ろう!」


 爽香の返事に、清風は心強さを感じた。


 二人は静かにペダルを踏み始めた。湖畔の道を進むにつれ、東の空が少しずつ明るくなっていく。やがて、太陽が顔を出すと同時に、湖面が燃えるように輝き始めた。


「わぁ……!」


 思わず声が漏れる。爽香は自転車を止め、スマートフォンを取り出してシャッターを切った。


「ねえ清風、こんな光景、一生忘れられそうにないね」


「ああ、この旅で見る景色は、どれも特別だ。でも、今日のこの朝日は格別だな」


 二人は言葉少なに、しばらくその瞬間を味わった。


 八甲田山系に近づくにつれ、道は次第に上り坂になっていった。汗が滲み始める頃、清風が声をかけた。


「そろそろ休憩しようか。あそこに面白そうな建物があるぞ」


 清風が指さす先には、古民家を改装したような建物があった。看板には「八甲田山麓 山菜茶屋」と書かれている。


 店内に入ると、山菜の香りが鼻をくすぐった。カウンター席に座った二人を、年配の女将さんが温かく迎えてくれた。


「いらっしゃい。あら、お二人さん自転車旅行かい?」


「はい、十和田から八戸まで走っているんです」


 爽香が答えると、女将さんは驚いた様子で目を丸くした。


「まあ、大変だねえ。そんなあんたたちには、うちの『山菜天ぷらそば』がいいよ。山の恵みで疲れも吹っ飛ぶさ」


 二人は顔を見合わせてうなずいた。


 程なくして運ばれてきた「山菜天ぷらそば」は、香り豊かな蕎麦つゆの上に、カラッと揚がった山菜の天ぷらが乗っている。タラの芽、コゴミ、ウド……色とりどりの山菜が、春の訪れを告げているようだった。


「いただきます!」


 二人で声を合わせて箸を取る。


「うん! これ、すごくおいしい。山菜の香りが口いっぱいに広がるね」


 爽香が感動した様子で言う。清風も頷きながら口に運ぶ。


「そうだな。山の空気を吸っているような気分になるよ」


 食事を終えた後、女将さんが二人に話しかけてきた。


「お二人さん、これからの道中で気をつけることがあるよ。ここから先、『ヤマセ』って知ってるかい?」


 二人は首を傾げた。


「ヤマセは、太平洋から吹き込む冷たい東風のことさ。これから通る海沿いの道では、急に霧が出たり、寒くなったりすることがあるんだ。防寒着は必ず持っていくといいよ」


 清風と爽香は、女将さんの親切な忠告に感謝しながら、再び自転車に乗った。


 午後、予想通りヤマセの影響で気温が下がり始めた。霧が立ち込め、視界が悪くなる。


「清風、ちょっと寒くなってきたね。女将さんの言う通りだったよ」


「ああ、あの忠告がなければ焦っていたかもしれない。地元の人の知恵って本当にありがたいな」


 二人は防寒着を着込み、慎重にペダルを漕いだ。


 霧の向こうに、うっすらと種差海岸の岩場が見えてきた頃、突然晴れ間が広がった。太陽の光を受けて、海面がキラキラと輝き始める。


「わぁ! 清風、見て! 虹だよ!」


 爽香が空を指さす。霧雨と太陽光が作り出した美しい虹が、海岸線に沿って広がっていた。


「すごいな……こんな光景、なかなか見られないぞ」


 清風も思わず感嘆の声を上げた。


 夕暮れ時、ようやく八戸市に到着。市内に入ると、活気のある声が聞こえてきた。


「あれ、なんだか賑やかだね」


 爽香が不思議そうに周りを見回す。


「ああ、確か今日は八戸三社大祭の最終日だったはずだ」


清風が答えると、二人の目の前に驚くべき光景が広がった。通りには、金箔や色鮮やかな布で装飾された豪華絢爛な山車が、威風堂々と並んでいる。各山車の上には、歴史上の人物や神話の登場人物を模した人形が、まるで生きているかのように鎮座している。山車の周りには、法被姿の男たちが集まり、掛け声と共に山車を動かす準備を整えていた。


 祭りの熱気は、まるで生き物のように街全体に満ちていた。通りの両側には、色とりどりの提灯が吊るされ、夕暮れの空に妖しく揺れている。露店が立ち並び、焼きそばやりんご飴の甘い香りが漂っていた。


 清風と爽香は、思わず自転車を路肩に止めた。二人の顔には、疲れを忘れさせるような興奮の色が浮かんでいる。


「すごい……こんな光景、見たことない!」


 爽香が目を輝かせながら呟いた。


「ああ、僕も初めてだ。八戸三社大祭の迫力は、話に聞いていた以上だな」


 清風も感嘆の声を漏らす。


 突然、太鼓の音が轟いた。低く重厚な音が、二人の体に響き渡る。それに合わせるように、篠笛の甲高い音色が鳴り響いた。リズミカルな太鼓と、哀愁を帯びた笛の音が絶妙なハーモニーを奏で、祭りの雰囲気を一層盛り上げている。


 人々の歓声が沸き起こった。「ヤートセ! ヤートセ!」という掛け声が、通りに響き渡る。山車が動き出すと、見物客からは歓声と拍手が沸き起こった。


 清風と爽香は、思わず体を揺らし始めていた。80キロを走破した疲れはどこへやら、祭りの熱気に包まれ、新たな活力が湧いてくるのを感じる。


「ねえ清風、私たちも祭りに参加しちゃおうよ!」


 爽香が清風の袖を引っ張る。


「そうだな。せっかくだし、思い切り楽しもう!」


 清風も満面の笑みで答えた。二人は自転車を安全な場所に止め、祭りの渦中へと飛び込んでいった。


 まず二人は祭りの山車を背景に、記念写真を撮った。その笑顔には、80kmを走破した達成感と、新たな冒険への期待が満ちていた。


「さあ、祭りの屋台で腹ごしらえして、明日への英気を養おう!」


 清風の提案に、爽香は目を輝かせてうなずいた。


 祭りの熱気に包まれた二人は、屋台が立ち並ぶ通りへと足を踏み入れた。夕暮れの空の下、提灯の明かりが温かく通りを照らし、活気に満ちた人々の声と匂いが入り混じる空間が広がっていた。


「清風、見て! あそこでなにか美味しそうなものを焼いてるよ!」


 爽香が指さす先には、大きな鉄板の上でジュージューと音を立てる屋台があった。


「ああ、あれは八戸名物の『せんべい汁』だ。屋台バージョンなんだな」


 清風が説明すると、爽香の目が輝いた。


「食べてみたい!」


 二人は屋台に近づき、できたてのせんべい汁を受け取った。南部せんべいが入った熱々の汁に、鶏肉や野菜がたっぷり。香ばしい匂いが鼻をくすぐる。


「熱いから気をつけて」


 清風が優しく注意を促す。爽香は慎重に一口すすった。


「んん! 美味しい! せんべいが汁を吸って、なんだかもちもちしてるよ」


 爽香の感想に、清風も頷きながら口に運ぶ。


「ああ、これは旨い。自転車で80km走った後のご褒美にぴったりだな」


 せんべい汁を堪能した二人は、次の屋台へと向かった。そこでは、大きな鍋で煮込まれる「いちご煮」が待っていた。


「いちご煮って、いちごが入ってるの?」


 爽香が不思議そうに尋ねる。


「いや、ウニとアワビを一緒に煮込んだ郷土料理なんだ。『海のいちご』と呼ばれるウニが入っているからこの名前なんだよ」


 清風の説明に、爽香は感心した様子で聞き入っている。


 熱々のいちご煮を受け取ると、ウニの濃厚な香りが漂ってきた。一口食べると、口の中にウニの甘みとアワビの食感が広がる。


「わぁ……こんな贅沢な料理が屋台で食べられるなんて」


 爽香がうっとりとした表情で呟く。清風も満足げな表情でうなずいた。


 次に二人の目に入ったのは、焼きイカの屋台だった。炭火で香ばしく焼かれたイカから、食欲をそそる匂いが漂ってくる。


「八戸と言えばイカだからね。これは外せないな」


 清風が言うと、爽香も同意した。


 焼きイカを受け取ると、その大きさに二人とも驚いた。新鮮なイカは歯ごたえがあり、噛むほどに旨味が広がる。


「清風、これ本当に美味しいね。こんなに新鮮なイカ、初めて食べたかも」


 爽香が感動した様子で言う。清風も頷きながら、


「ああ、港町の祭りならではの味だな」


 と答えた。


 屋台を巡る中で、二人は地元の人々との会話も楽しんでいた。八戸弁の独特な響きに耳を傾けたり、祭りにまつわる逸話を聞いたりしながら、その土地の文化に触れていく。


 最後に、二人はデザートとして「ポップコーン」の屋台に立ち寄った。


「ポップコーンか。懐かしいな」


 清風が少し照れくさそうに言う。


「そうだね。なんだか子供の頃を思い出すな」


 爽香も柔らかな表情を浮かべた。


 甘い香りのポップコーンを手に、二人は祭りの喧騒から少し離れた場所に腰を下ろした。


「ねえ清風、今日は本当に素敵な一日だったね」


 爽香が空を見上げながら言った。


「ああ、自転車で長距離を走破して、最後にこんな素晴らしい祭りに出会えるなんて。旅ってやっぱり素晴らしいな」


 清風の言葉に、爽香は優しく頷いた。二人は静かにポップコーンを口に運びながら、今日一日の出来事を振り返った。疲れた体に、祭りの熱気と美味しい食べ物が新たな活力を与えてくれた。そして何より、この瞬間を共有できる相手がいることの幸せを、二人は強く感じていた。


 祭りの喧騒が遠くに聞こえる中、清風と爽香は明日への期待を胸に、静かにこの夜のひとときを楽しんでいった。


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