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死にそうな魔術師と崖っぷち家政婦の結婚事情  作者: 猫の玉三郎


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6 怒りと介抱と助っ人

 ルドルフの放つ怒りに背筋が凍りそうだった。

 カティはビクビクしながら、次にどうするべきかを考える。口は動かなくても家事はできる。買い物は少し難しいけれど、かごが修理できればできないことはない。少し時間を押してしまったが、順序を入れ替えてやれば大丈夫だろう。


 頭の中でそう考えていた時、ふいに声をかけられた。


「ほら、こっち来なよ」


 見れば、ルドルフは普段は立ち入り禁止となっている部屋のドアに手をかけていた。くいっとあごで指示をすると本人はすたすたと中へ入っていく。ここは素直に着いていった方がいいようだ、とカティは壊れたかごを抱いたまま中へ足を踏み入れた。足首がずきりと痛む。捻挫でもしたのだろう。


「そこに座って」


 勧められた椅子に座って部屋を見渡した。

 ここは絶対に入るなと言われているので中を見るのも今日がはじめてだ。所感としては、目が回るほど物が多い。だからカティは少し意外だった。


 書棚には本がびっちり並んでいるが、そこに入りきらない分厚い本や紙の束がところ狭しとテーブルに積んであり、その横によくわからない道具が転がっている。床にも物が多い。大きな木箱、掃除のための箒、ブリキのバケツ。バケツと言えば、きらきらと光を反射する透明な石がバケツに山のように盛ってあった。色味の違う石が同じようにバケツに入って並んでいる。かと思えば、宝石でも入れるような立派なガラス蓋のケースに地味な見た目の石が丁寧に並べられていて、見ていて非常に興味がそそられる。


 明るい窓際にあるテーブルにはペン立てがあり、似たようなペンが何本も刺さっている。その横にはインクの瓶にいろんな形の木製の定規、大きな羽根箒。そして書きかけの巨大な魔法陣があった。決まった形を書いているというより、何度も消しては書いて考えながら進めているといった感じであった。


 薄い金属板に、それを掘るために揃えたような彫刻刀。天井の梁に吊るされた乾燥植物。


 物珍しくてキョロキョロしてしまう。決して整頓された部屋ではないが、研究室や工房といった言葉がよく似合う場所だと思った。


「……!!」


 急に、頬へ痛いくらいに冷たいものが当てられた。びっくりして肩が跳ね上がるが、見るとルドルフが濡らした布巾で腫れた場所を冷やしてくれているようだった。


「傷口に泥や砂は入ってないみたいだね」


 ルドルフは手慣れた動作で湿布を作るとカティ頬へぺたりと貼った。


 それから擦りむいたヒジやすね、捻挫した足首へもろもろの処置がおわり、「やせ我慢が趣味なの?」とお小言をもらうと、問題の『声』を診察しはじめた。


 結果わかったことは。

 まず自分の意思で口が開かない。でも自分の手で開けることは可能だった。しかし開けたところで声はでない。まるで空気が口内を通り道として認識していないようだ。


「鼻からの呼吸しかできないんだ」


 口が開けられない以上、口呼吸はできないのかもしれない。でも苦しくはないし問題はないだろう。そう思っていたのに、ルドルフはとんでもない事に気付いてしまった。


「……もしかして飲食ができないのか」


 台所へ行き、水の入ったグラスをカティへ渡すと飲むように指示する。カティはそれを口元へ持っていったが、ぴたりと閉じた口に水が入ることはなかった。


「ふむ」


 ルドルフはその形のいいきれいな手をカティへ伸ばした。なんだろうと思っていると、その手で口を開き、隙間に指を差し入れてきた。


「!?」


 歯と舌先に指があたる感触がしてカティはちょっとしたパニックになった。ルドルフはさらに、この状態で水を飲んでみろと言う。


 ルドルフの指が口の中にある。それがとんでもなく恥ずかしくて、カティは涙で瞳を潤ませる。少しばかりの抵抗としてルドルフを見ても、彼は早くしろと言わんばかりに見つめ返してくるだけだ。ああ、やらなきゃダメなんだ。カティは自分を叱咤して、グラスを口元へ持っていった。すぐさまルドルフの指が引き抜かれた。隙間から入った水は飲み込めはしたけれど、気管支に入って少しむせてしまう。


「水は飲めた?」


 咳が落ち着いたのを見計らって聞いてきたので、カティは小さく頷いた。


 噛むのは難しいかな、とルドルフは手帳のようなものにサラサラと字を書き込んでいた。そして目を閉じ苦々しい顔をすると大きくため息をついた。


「解除の方法は探すよ。問題ない。それよりも、水分だけでどこまできみの体がもつか、そっちが気がかりだ」


 ルドルフは立ち上がり、部屋を出るように促す。カティも続こうと立ち上がると、足首がずきりと痛んだ。早く仕事にとり掛からないと時間がかかり過ぎてしまう。そんなカティの考えを読んだかのように、ルドルフは歩きながら釘を刺した。


「当分仕事はしなくていい。そんな状態でうろつかれても迷惑だ」


 そんな。

 口がきけたのなら、きっとそうこぼしていただろう。仕事をしないのなら、カティの存在意義がなくなる。食事に用意や掃除、洗濯だって。総じて彼に不便をかける事になる。ただでさえルドルフは体調が悪いのに、自分のせいで生活がままならない事になったら……


「なにか言いたそうな顔だね。まあ安心しなよ。この前手紙を出したから、もうそろそろアイツが来ると思うんだよね」


 アイツ?

 カティが首を傾げていると、玄関の方からけたたましいノック音が聞こえてきた。来客だ。カティが出ようと一歩踏み出すが、ルドルフが手でそれを制した。「ほら来た」と彼が意味深に笑う。


『おいルドルフ、俺だ! 開けろ!』


 扉越しのくぐもった声。怒っているような、あるいは焦っているような、そんな感情が伝わってくるが一体ルドルフはなんと手紙を書いたんだろう。


 しかしそれはすぐに判明した。


『結婚したから復帰するとはどういう事だ! 今すぐに説明しろ!』



 ◇



「紹介するよ。彼はハルト・シルゼライセン。同僚だ」

「同僚なものか」


 リビングに通し、低いテーブルを挟むようにしてソファーへ座っている。対面にはハルト。カティの横にはルドルフ。自分はルドルフの後ろに立っていようと思っていたのに問答無用で座らせられたのだ。


 ハルトという男は童話に出てくるグリフォンのようだとカティは思った。鋭い目つきに大きな体。筋肉質で太い手足。その場にいるだけで威圧感がすごい。


「妻のカティだ」


 ごく短い紹介に全身がぼっと火を吹いた。きっと顔も赤くなったに違いない。


「おい、なぜその妻がボロボロなんだ。事によってはきさまを憲兵に突き出すぞ」

「早とちりしないでよ。ハルトは相変わらず考えが浅い」

「なんだと」

「……今朝やられたんだよ。以前から彼女につきまとっていた男にね。狙っていた女を僕に掻っ攫われて怒り心頭なんだろうけど、そこで彼女に報復するあたり、卑劣でゲスな最低の男さ」


 静かな怒りが孕んだセリフ。ルドルフは本当に怒っているのだろう。しかし彼はぱっと表情を変えると、ハルトへ向き直る。


「そんなわけで彼女ケガして動けないからハルト手伝ってよ」

「はぁ?」

「なに。きみ、ケガした彼女にきみや僕の世話をさせるっていうの? サイテーだね見損なったよ」

「そんなことは言っとらんだろう! きさまはいつもいつも急なんだよ」

「ねえ、なんか食べる物買ってきてよ。きみと僕の分ね。彼女にはフルーツとかそういうのがいい。ああ、蜂蜜とか樹糖があるならそれもだし、ないとは思うけどキロタスの根やマクイ茸も見かけたら買ってきて。あと町長の家に行って馬車借りてきてくれない? あんまりガタガタしないやつがいいな」

「ああもう次から次へと言うなっ!!」

「それと」


 言葉を区切ると、ルドルフの真剣な眼差しがハルトを刺す。


「術式用のペン。持ってるでしょ。貸して」

「おまえ、何を言って……」

「大丈夫だよ。回復した。少しくらい問題ない」

「しかし」

「いいから」


 あんなに体が大きくて威勢がいいハルトなのに、なぜかその顔は青ざめていた。すぐに死ぬと言って憚らない、痩せぎすな魔術師を相手に。


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