7 きみは僕のものだから
ハルトは買い物へ出て行ってしまい、家に残されたカティとルドルフはしばし無言の空間を過ごした。カティはしゃべりようがないのだが、ルドルフも口を結んだままだ。どこか不機嫌そうに。
ソファーに座ったままなのも気まずい。でも勝手に動くと叱られる気がした。カティが伺うようにちらちらとルドルフを盗み見ると、そっぽを向いたままルドルフが力ない声をだした。
「きみが言ったんだろう。僕が先に死ぬ保証はないって。明日にでも馬に蹴られて死ぬかもしれないって」
カティは首を傾げる。確かにそう言ったけれど、それとこの状況がいまいち繋がらない。でもルドルフも理解を求めていないようだった。自分自身に言い訳をするみたいにぽつりと言葉を落とす。
「きみが先に死ぬのは、許しがたいと思ったんだよ」
向けられたルドルフの視線がカティを射抜く。
「いいかい。僕が死ぬ方が先だ」
カティを見るルドルフの青い瞳がわずかに揺れた。宣誓にも、懇願のようにも聞こえ、ルドルフがどんな気持ちで言ったのかわからない。今の状況と関係しているのかもわからない。それでもカティの答えは決まっていた。
笑って、小さな頷きをひとつ。
ルドルフの安寧が得られるのなら、どんな願いでも叶えてあげたいと思った。
◇
そして今、カティは馬車に揺られている。
なぜかわからないけれど、揺られていた。
「じゃあこの道をまっすぐ進めば道なりにきみの家があるんだね」
こくこくと頷く。
食料品を腕に抱え、御者付きの馬車を借りたハルトが帰ってくると、ルドルフはカティとハルトを連れて馬車に乗った。そしてカティの家の場所を聞くと御者に指示して出発してしまったのだ。もしかして家まで送ってくれるのだろうか。いやでもそんなまさか。ハルトはハルトで「今度はいったい何なんだ」と項垂れており、三者三様の思いで馬車はカティの家へと向かった。
着くなりルドルフ「荷物をまとめてきて」とカティに言う。カティの頭上に疑問符がたくさん浮かんだ。
「おいルドルフ説明しろ。俺にはさっぱりわからん」
カティの家はせまく、体の大きなハルトには窮屈そうだ。ルドルフはぶすっとした表情で腕を組んだ。
「だから、彼女の安全を確保するためにひとまず通勤の手間をなくすんだよ。成功するかは半々だから泊まりの荷物はそれに備えて。ハルトはその荷物持ち」
「わかった?」と片眉を上げてにらむルドルフ。正直カティもハルトもさっぱりわからない。親切に家まで送ってくれた訳ではなかったようだ。しかしやるべき事もわかったので、カティは着替えや身だしなみを整える道具を一箇所に集めた。何のためかはよく分かっていない。
大きくて丈夫なバッグへ入れると、ずっしりとした重さが手にかかる。
一方、ルドルフは家のあちこちを見た後、玄関に近い廊下の壁を調べていた。ハルトに持たせていた荷物からいくつか道具を預かると作業をはじめる。
「ルドルフ、なにをする気だ」
「うるさい」
凹凸のない薄い金属の板に、先が鋭いペンのような物で傷をつけていく。見たことのない文字や記号をそこへ刻んでいるようだ。十分ほどその作業をやっただろうか、ルドルフの額にはうっすらと汗が滲んでいた。
「石とって」
「……これか」
「それじゃない。コームリの方」
刻み終わった金属の板を壁の木材へ固定する。そして金属板にくぼませた箇所へ小さな石を五つはめ込んだ。不思議なもので、動かそうとしてもビクともしない。
「こんなものかな。さあ、ハルトは彼女の荷物を持って。疲れたから帰ろう」
立ち上がったルドルフは本当に疲れているようで、カティたちも素直に従う。帰りの馬車でルドルフはずっと目を閉じていた。無言のまま進む帰路に、一抹の不安が押し寄せてきた。
帰ってからもルドルフは無言で作業に取りかかった。家のあちこちを見て回り、ここと決めた場所は二階にある客室。その壁へ同じように刻んだ金属板と石を取り付けた。
ジッとしていろと命令されて、カティはただ見守ることしかできない。力になりたいのに、何もできない。でも、どんなに無力感を抱いてもことの発端は全て自分なのだから、悲しんだり嘆くことはしたくなかった。
カティにできることは、ルドルフの支えになることだけだ。忌々しい頬の腫れも、足首の痛みも、今すぐ消えてなくなりますようにと祈り続けた。
ぐったりしたルドルフを抱えるようにしてハルトがリビングへ姿を現した。定位置である窓辺の長椅子にルドルフを座らせると、背もたれにぐったりと体を預ける。
「無茶しすぎだ」
「……うるさいなぁ」
ハルトも心配を隠さずに諌めるが、ルドルフは煙たそうに唇を尖らせるだけだ。血の気が引いたその顔は今にも倒れそうである。
「ハルト。水に果汁と蜂蜜混ぜて持ってきて」
いつもなら文句のひとつでも言うのに、ハルトは素直に従った。従者のようにきびきびと動くと、すぐさま水の入ったピッチャーとグラスを持ってきた。
「ありがと。僕の作業部屋で休んでていいよ。もっと言うと今から彼女とやることあるから三十分は出てこないで」
「は?」
ハルトは理解不能という顔でルドルフを見るが、最終的には「さっさと行って」とどすの効いた声で追い払われていた。
「おいで」
気怠げな声がカティを呼ぶ。
言われるがままルドルフの元へ行くと、隣に座れと指示される。
「もっと近く」
合格が出たのは肩が触れ合うような距離だ。
「しばらく何も飲んでないでしょ」
ルドルフはなぜか自分でグラスをあおった。そしてカティへ迫ると彼女の唇に口付け、少しずつ水を送り出す。ぬるいような冷たいような液体がカティの口内に入り込む感覚に背中がぞくりとした。
カティも最初こそ驚いたが、ルドルフの行動を理解すると、彼がやりやすいように首を傾けた。恥ずかしくてたまらないし、心臓はドクドクうるさいし、呼吸も止まりそうになるけれど、ルドルフの親切を無にしたくなかった。
うまく口内に入らず、ぼたぼたと水がこぼれていく。お互いの喉元に水がつたい、服も濡れる。それでもルドルフは何度もカティへ水を飲ませた。
乾いていた体が満たされる。こくこくと喉を波打たせ、カティはルドルフから与えられる水分を嚥下した。彼がやっているのは人命救助なのだ。そう自分に言い聞かせるものの、頭に甘い痺れが広がっていく。
唇が離れる瞬間に目を薄く開ければ、彼の青い瞳と絡み、また口付けられて水が入り込んでくる。息つく暇をうまく見つけられず、溺れそうになる。
はぁ、とルドルフがひと息ついた時、カティは息も絶え絶えだった。鼻呼吸しかできないので肩を上下させながら必死で酸素を拾う。
「何者なんだろうね、きみは」
そう言って口元を拭うルドルフの顔には、ずいぶん余裕が戻っているようだった。




