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死にそうな魔術師と崖っぷち家政婦の結婚事情  作者: 猫の玉三郎


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3/11

3 彼と彼女のメリット

 次の日にカティがルドルフの家へ着くと、扉を開けてすぐのエントランスに人が立っていた。もちろんそれはルドルフなので、カティは慌てて頭を下げる。


「おはようございます。昨日は挨拶もせずに帰ってしまい、すみませんでした」

「……いや、いい」


 ルドルフは片眉を上げていぶかしげにカティを見ている。いつもはリビングにいて本を読むか書きものをしているのに、こんなふうに迎えられるのは初めてだった。


「あの、なにか?」


 いうや否やぐっと顔が近づけられた。鼻と鼻がつきそうな距離からまっすぐにのぞかれる。それは一瞬のことでルドルフはすぐに離れたのだが、カティはあまりのことに心臓が苦しくなった。もしかしてルドルフはまだ熱があって、それで変な行動をしているのかもしれない。やはりもう少し一緒について看病したほうがよったかもと内心反省していると、ルドルフは手を出せと言ってきた。


「手、ですか?」

「個人的な興味によるものだから無理強いはしないけど」


 目をぱちぱちと瞬く。いつも難しいことを言う人だったけれど、今日はまた違った意味でわからない。カティは恐る恐る両手を出した。手を差し出すくらいならどうってことはないが、それで何をするんだろう。今度は緊張でドキドキしてきた。


 ルドルフは腕を組み、差し出された手をじーっとのぞき込む。正面、横、斜め下から。そしてあごに手をやって考えるように首をかしげた。いったい何を考えているのかカティにはわからない。そうするとルドルフの右手がカティの手に触れようと伸びた。しかしそれは直前で引っ込む。


「……やめた、バカバカしい。こんな仮説を立てる方がどうかしてる」


 ひとりごとのようにそう言うと、ルドルフは外套をとってカティの横をすり抜けた。あっけにとられたまま、空気が動くのを頬で感じる。


「少し外を歩いてくる」


 体調がいいのだろう、こういうふうにハキハキ動くルドルフを見るのは初めてだった。それが嬉しくてカティの顔が思わずほころぶ。伏せっているときの、あの全てを諦めたような雰囲気は見ていて切ないのだ。


「いってらっしゃいませ」


 少しだけ声も弾んでしまった。ルドルフはカティの顔などは見ずにもう扉に手をかけていたのだが、見送りの挨拶にぴたりと動きを止めた。しばらく落ちる無言の時間にカティは首を傾げる。どうしたのだろうか。


「……いってくる」


 背中ごしにかけられるぎこちない言葉。それだけ言うとルドルフはさっさと外へと行ってしまった。どうやらさっきの言葉を口から出すのに時間を要したらしい。


「ふふ」


 カティは手を口もとにあてて小さく笑った。最初は怖い人だと感じた。しかし接するうちに、ルドルフのいろんな一面を見ることができた。怖くて小難しい性格をしているのも事実だし、かわいらしい面があるのも事実だ。そして昨日、雨の中で言われた言葉を思い出して、体温がじわりと上がる。


『じゃあ僕と結婚してみる?』


 あれからふとした瞬間に思い出しては考えてしまう。どういう意味なのか、考えても考えても答えはでない。それはそうだ。それはルドルフしか知り得ないことなのだから。


 昨夜もそうしてぼーっと考えていた。ひとりぼっちで過ごす自宅は暗くてがらんとしている。七年前に母を。一年前に父を亡くなってしまった。以降カティは独りでなんとか生活してきた。他に助けてくれる人はいない。


 ルドルフの家の家政婦になれたのは奇跡だったのだろう。都から療養しに魔術師が来ると聞き、飛びついたのだ。勇気をふりしぼってルドルフの家を訪ねた時のことは今でもよく覚えている。玄関の扉からでてきたのは顔色の悪いひょろっとした男で、カティを見るなり怪訝に顔をしかめた。心臓が凍りつきそうなくらいに怖かったのだが、それでもなんとか声を出し、雇ってくださいと頭をさげた。


 もし断られていたら、父の喪が明けたと同時にあのベンの元へ嫁がなければいけなかった。両親もおらずお金もない。拒否権はないに等しく、カティ自身もそうするほかないと思ったのだ。まだまだ女ひとりで生きていくには難しい世の中である。結婚以外での道を選ぶのなら、酒場で給仕をしながら……体を売って生活するしかない。


 カティは顔を強張らせ、両腕でおのれを抱いた。

 本来通るはずだった道が恐ろしくてたまらない。できるなら、ここでずっと働きたい。給金が得られるならひとりでも暮らしていける。どうしたって怖いのだ。体を売ることも、ベンに嫁ぐことも。



 ◇



 洗濯ものを干してひと息ついていた時、ルドルフが帰ってきた。一時間ほどの外出だった。


「おかえりなさいませ」


 外套を預かり、手洗い用に水を桶に入れて持っていく。ルドルフは少し疲れた顔をしていた。


「こまった。足腰が思った以上に衰えている」


 ソファーに座ると大きなため息をついてうなだれる。カティはその様子を横目で見ながらハーブと果物が詰められた水のピッチャーを保冷庫から取りだした。きんと冷えた天然水だ。グラスに注ぐとさわやかな風味が鼻をくすぐる。


 水を渡すとルドルフはくいっと飲み干した。疲れているようだが具合が悪いわけではなさそうだ。カティはそのことにほっとしつつ仕事に戻ろうとした。


 しかしその瞬間、ルドルフに呼び止められる。


「ねえ、昨日のことだけど。男との確執は聞いたけど、きみがあそこにいた理由は聞いてないよ」


 ルドルフの青い瞳がカティを見つめる。怒っているわけでも責めているようでもない。しいて言えば興味だろうか。隠すことでもないし、迷惑もかけてしまったので素直に白状することにした。


「タルノの実がうちになっていたんです。効果があるうちにルドルフ様にどうかと思って、またこちらへ向かったのですが……途中であの人につかまって……すみません」


 タルノという単語が出てきてルドルフの目がすっと細まる。「あれか」と合点がいったように小さくつぶやくが、その目はカティをじっと観察したままだった。奥深くを探るような視線を向けられてカティは落ち着くはずがない。


「そんなものの為にわざわざうちへ来たの。雨具まで着込んで、薄暗いみちをひとりで」


 あきれたような声にしゅんと頷くしかできなかった。しかし、胸のなかにはほのかに温かいものがある。


 昨夜つくっていたタルノ液は書置きとともにテーブルに置いていたのだが、今日見ると量が半分になっていた。書いたメモのとおり、お湯にとかして飲んでくれたらしい。そしてメモの下にはルドルフが書き足したのか『ひどい味だ』と記してあった。そして『残りは今夜飲む』とも。カティの拙い字と比べたら、ルドルフの流れるような字は学者然として美しい。


「まったく……また同じ目にあいたくなければ、不用心に出歩かないことだね」

「はい」


 それで会話は終わりとばかりにルドルフは目を閉じた。しかしそう思ったのはカティだけで、ルドルフはとんでもない言葉を次に続けた。


「ところで結婚の件だけど」


 あまりの衝撃に息がつまる。


「双方にメリットがあるのなら結婚してみるのも手だ。きみのメリットは生活が保証されるってとこかな? それにあの男を断るいい文句になるだろう」


 恋愛云々で結婚を持ち出したのではないとわかった。しかしいくらなんでも唐突ではないか。


「……私と結婚すると、ルドルフ様にもメリットがあるということでしょうか」


 ルドルフはカティの顔をじっと見た。そして珍しく

 目を細め笑みを浮かべると「まあね」と答えた。


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