4 そうと決まれば
ルドルフの珍しい笑みを見て少しばかり固まっていたカティだったが、彼はまたもとのツンとした表情に戻っていた。それよりも彼の追撃に目を回しそうである。
「今までと何かを変える必要はない。妻の勤めとかそういうのは求めていない。きみは家の事をやって、給金をもらっていればいい。通いでもいい」
給金をもらう? 通いでもいい? 頭が疑問符で埋め尽くされる。彼のいう『結婚』は一般的なものとだいぶ異なっていそうだが、ルドルフの妙な迫力にそういうものかと納得しそうだ。
「僕との結婚について、明確に拒否したい理由があれば言ってくれ」
そんな事を言われても、拒否したい理由は特に思い浮かばない。代わりに「なぜ」とか「どうして」は出てくるけれど、それは口に出してはいけないと思った。ルドルフが求めているのは質問に対しての答えだ。
カティは必死に考える。
ルドルフとの結婚について、自分が拒否したいと思うことはない。そこまでルドルフの事をよく知らないのだ。むしろカティのことを知るうちに彼の方が嫌になってくるのではないかと不安になってくる。
「イヤではありません。私はルドルフ様のことをまだよく存じませんので、その判断は難しいです」
「僕は死にかけの役に立たない男だ。それに関しては?」
「ルドルフ様は私に乱暴いたしません。理不尽なこともおっしゃいません。安心しておそばにいることができます」
ルドルフはそれを聞くと、なぜか不満そうに目を細め「ふうん」とつぶやいた。カティは今だと思い慌てて口を開く。
「ルドルフ様も私のことをよくご存じないと思います。後になってガッガリされるのが、ひどく怖いです。それにその、いろいろ事情があって、私は周囲から敬遠されていますので……ルドルフ様にもご迷惑になるかと」
知らなければお互いに落胆せずにすむ。言葉尻が小さくなったことを情けなく思いながら、カティはエプロンの前でぎゅっと両手を握った。しかしルドルフの答えは、カティの予想以上のものだった。
「僕はいつ死んでもおかしくないんだ。そんな些末なこと問題にもならない」
その淡々とした言葉が胸をえぐる。
「そんなこと、おっしゃらないで下さい。ルドルフ様が死んでしまうなんて……」
「事実だ」
ルドルフは疲れたように大きく息を吐くと、視線を窓の外へむけて語りだした。
「魔術の研究をやり過ぎた。術式を生成する際に発生する副次的エネルギーが体内に蓄積された結果だろう。不眠、食欲不振、倦怠感、それに伴う体重や筋力の機能低下。何をやっても改善しなかった。そして死へ向かう僕へ充てがわれたのがこの療養地だ。そんな僕に雇われているんだから、きみだって哀れなものだよ」
なんと声をかけていいか分からず、でも哀れではないと言い返したかった。唇をかんでぐっとこらえたが、ルドルフはその様子をみてイライラしたようだ。
「デメリットについてちゃんと理解してるの? きみは確実に未亡人になるんだよ」
詰問するような強い口調に、ついにカティも言い返す。
「それは違いますルドルフ様。人の死期は誰にもわかりません。病を患っていなくても、事故であっけなく死ぬこともあるのです。私がルドルフ様より長く生きる決まりなどありません。明日ここへ来る途中で馬に蹴られて死んでしまうことだってあります」
げんに、カティの両親はもう亡くなってしまった。ふたりとも突然すぎる死だった。自分が言い出したにもかかわらず、気持ちと一緒に視線が床へ落ちる。
「……それは考えたことがなかったな」
そうか、そうだな、とぶつぶつ小声でなげくと、ルドルフは考え込むようにじっと一点を見つめた。なんとも言えない無言の空気が辺りにただよった。五分ほどそうしていただろうか、熟考が終わった彼はぱっと顔を上げた。
「この町では結婚はどうやってやるの」
あまりに唐突すぎて言葉がでなかった。
しかし感情とは別の機関が働いて、無意識にルドルフの欲するものを答えていく。
結婚には30マルス必要だと言われる。これは勤め人ならひと月の稼ぎより少し多いくらいで、ひとり残されたカティが結婚に不安をもっていろいろ調べたものだった。教会へ10マルス払って誓いの儀式を行い、町長へ10マルス払って婚姻の証明を書いてもらう。そして婿でも嫁でも、もらい受ける側が相手の家族に10マルス払う。しかしカティにはもう家族がいない為、そのお金は不要だと伝えた。
カティが説明し終えるととルドルフはソファーから立ち上がり、部屋の奥へ行ってしまった。しばらくして戻ってきた時に手に持っていたのはじゃらじゃらと鳴る袋が二つ。テーブルに置くとまたじゃらりと音がした。
ぽかんと眺めていたら、次に夫の付き添いはどこまで必要かと聞かれた。すでに思考はおおむね麻痺していて、よくわかっていないまま口を動かす。
「……教会は夫婦そろってなければいけません。でも町長のところは、きっとひとりでも大丈夫です」
「じゃあ行こうか」
立ち上がったルドルフを見上げていると、彼は不機嫌そうに眉根をよせた。行くってなんだろう。どこへ行くんだろう。頭も体も追いつかない。しかし辛抱強く待つルドルフのおかげで、今から結婚の手続きを行うのだと察してしまった。
「体がおつらいのでは」
「確かにそうだけど、明日が万全な保証もない」
そう言われると弱い。カティは戸惑う心をなんとか無視して外出の準備をした。ルドルフは上等なローブをまとい、さすがは魔術師という出で立ちだった。顔色は悪く全体的に覇気はないが、それでも触れがたい高貴な雰囲気をまとっていた。
この家に帰ったとき、もう夫婦になっているのだろうか。
よぎった考えを全力で外に追いやり、先に歩き出したルドルフを追いかけるために玄関の鍵をかちゃりと閉めた。
◇
急にやってきたカティたちに少しだけ嫌そうな顔をした神父だったが、ルドルフが追加で1マルス握らせると滞りなく誓いの儀式は終わった。ルドルフは魔術師の装い、カティはお仕着せのエプロン姿だった。
誓いのキスは一瞬だった。計らずもファーストキスになってしまい、複雑な気持ちで伏せていた目を開けると、なぜか不思議そうに首を傾げるルドルフがいた。
次は町長のお屋敷だ。ひとりで任されるかと思ったが、意外にもルドルフはついてきた。アポイントもなく突然来たうえに急がせるものだから町長も嫌そうにしたが、ルドルフが追加で1マルス握らせると滞りなく書類の作成は終わった。終わってしまった。
つまり、夫婦として成立してしまったのだ。
「既婚者の証として身に着けるものはあるの?」
「いえ、特にありません」
「それなら既婚者と未婚者の見分けは」
「小さい町ですから、どこそこの二人が結婚したらしいとすぐに噂がまわるんです。それで十分なんでしょう」
「なるほど」
道中の会話はこれだけであった。
それでもじわじわと実感がわいてきて、同時にどうしようもなく不安になる。両親が亡くなって、結婚には夢も希望も抱いていなかったが、これは想像していたのとだいぶ違う。
家につくと、ルドルフは体力の限界だったようで、沈むようにソファーへ横になった。ローブもそのままで、脱がそうと奮闘したがぴくりとも動かなかい。それもそうかとカティは息をつく。前日までは家から一歩もでないような生活をしていたのだ。いくら気分がよくても体は限界を迎えていたに違いない。
ふと、静かな部屋で我に返る。
改めてルドルフと夫婦になった事実に気持ちが追い付かず、カティはその場で立ち尽くした。
「私はいったいどうしたら……?」
とはいえ、十分も放心すればさすがに何かしたくなる。いろいろ考えた結果、カティは夕飯を準備することにした。




