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追放聖女は、サンドイッチを買いに行く  作者: m


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1/3

アステラは国を追放される


「本日をもって、お前を国外へ追放する」



 国外追放を言い渡す王子の声を聞きながら、聖女アステラの胸には、いつも唱える聖句がふっと浮かび上がってきた。


 聖女たる者 いつだって慈悲の心と哀れみを持ち 聖女たれ 清廉なる魂…


 子供の頃から何度も繰り返し、繰り返し、魂に刻みつけるように唱えてきたその言葉。


(聖女たれ 我は聖女なり…)


 そんなもの、この国と一緒に捨て去ってしまおう。

 

 用済みの聖女には、きっともう不要なものだろうから。




 澱みなく追放を告げた王子に、顔を伏したままでアステラは話しかける。


「恐れながら、理由を聞くことは叶いますでしょうか」


「ならぬ、お前に教えられる理由などない」


 鬱陶しそうに答える王子の眉間には、今日も皺が寄っているのだろう。

 天使のように美しい金の髪を持つ彼は、アステラが聖女になってからもう十年の付き合いだが、いつだって不機嫌な顔を隠さなかった。


 朝の祈りを終えてすぐ、王宮から話があると呼び出しを受けたのだ。

 急な召喚は珍しく、朝食をとる間も無く登城した先、小謁見の間で待っていたのは、王子と、その横に控える数名の側近達だった。


 そして今、アステラの国外追放が告げられたのだ。


 一月後には建国祭を控えた、その最中での突然の追放だった。


 毎年王都で開かれる建国祭では、聖女が天に、雨を乞う祈りを捧げることになっている。

 昔、この地で聖女が雨を呼び、それが建国の礎になったという伝説に倣うものだった。


 それなのに、このタイミングで聖女追放とは。


 ああ、とアステラは思い至る。


(新しい聖女が、生まれたんだ)


 最近神殿がどこか落ち着かない雰囲気だったのは、祭りの所為ばかりではなかったらしい。



 それは唐突で、突然に、前触れもなく、託宣によってのみ告げられる。

 八歳で託宣を受けた、アステラの時もそうだった。


 新しい聖女が生まれ、そして国に聖女は一人だけ。

 二人同時に存在することはないと聞いている。



 灰色の髪にそばかす顔のアステラを、この美しい王子が忌々しく思っていることは知っていた。


 歴代の聖女の世話人を、王族の年若い王子が務めるのは伝統だった。

 そして時にはその王子達が、聖女を伴侶として娶ることもあったという。


 それ以外の聖女達は、こうしてどこかにやられていたのだろうか。


「国境までは見張りの騎士が連れて行く。これまでお前に与えてきた我が国の恩情に感謝するがいい。以降は二度と、この地を踏むことはならぬ」


「承知いたしました」


 小謁見室の入り口の方で、人が増えた気配がする。

 アステラの背中側で見ることは出来ないが、それが見張りの騎士だろう。

 逃げることは叶わぬ、という言外の圧を感じる。


(猜疑心の強い王子様らしい)


 この国の孤児院からそのまま神殿に入ったアステラに、逃げる宛などあるはずがないのに。



「御前を失礼いたします…永遠に」


 最後の言葉は聞こえないくらいに呟いて、これだけは叩き込まれたカーテシーで頭を下げる。

 つくづく自分は根が平民なのだろう、言葉遣いや作法も結局身に付かず、唯一及第点をもらえたのがこのお辞儀だった。 


 これが人生最後のカーテシーになればいいなと。

 見納めになるだろう、王宮の美しい寄せ木細工の床を眺めながら、そんな風に思っていた。




 聖女であったアステラは、この王都の、城下までなら自由に行き来していいことになっている。

 といっても、週に一度、昼の間のほんの僅かな時間だけだったけれど。

 その貴重な自由時間が、アステラの唯一の楽しみだった。


 週に一度のその日は、いつもアステラの食事の支度をする者達の安息日でもあり、自分で昼食をとらねばならなかった。

 その為にと渡されるお金は微々たるもので、パンを一つ買うくらいのことしか出来ない。

 聖女に賃金という概念はなく、衣食住の世話を受けているとはいえ、こういう時には困るのだった。

 

 けれど時折、臨時収入を手にする事があった。

 神殿にお布施を積んだ貴族の為に、特別に祈りを捧げる時などに、アステラの服にこっそりと、心付けを捻じ込んでくる者がいたのだった。

 

 彼らは皆、そうした方が、奇跡が発現し易くなると信じていたようだった。

 

 本当のところはあまり関係がないのだけれど、分厚い法衣の、袖や後ろ襟の下に差し込まれてしまうと、正直、脱ぐ時にしか気付けないのだった。

 なのでこっそりと、ありがたく頂戴しておいた。


 それでもなるべく節約を、と思ってたどり着いたのが、この「雲雀亭」だった。

 


「マール!いつものサンドイッチ、持ち帰り用に包んでもらえる?」

 

 カウンターの中で、一際忙しく働いている、赤髪の大柄な女性に声をかける。

 この時ばかりは、普段、喋る機会自体が少ないアステラも、腹の底から声を張り上げなければならない。

 でなければ、店内の喧騒に負けてしまい、忙しく騒がしい厨房に、注文の声が届かないのだ。


 まだ昼前だというのに、賑やかな食堂の店内には、楽しそうな人の輪と笑い声が幾重にも折り重なっている。

 その賑やかさに負けぬよう、店員も客も、怒鳴りつけるように話すものだから、なおいっそうに騒がしい。


「珍しいねアステラ!食べて行かないのかい?」


 大きなフライパンを豪快に揺すりながら火の前に立つマールは、この雲雀亭の店主であり、最高の料理人でもある。


 酔っ払いを拳一つで黙らせる手腕と、全てを吹き飛ばすような明るい笑い声、そしてその人柄以上に豪快で美味しい料理。

 皆、そんな彼女と料理に惹かれて、此処に集まってくるのだった。


「そうなの!国外追放になったから、来るのはきっとこれが最後!」


「アンタなんかしたのかい?」


 アステラに返事を返しながら、その手元では野菜炒めを作り終え、空けたフライパンの汚れをさっと拭うと、すぐに別の食材を炒め始めている。

 いつ見ても惚れ惚れするような手捌きで、その間に店員に声をかけることも忘れない。


「トマス、これ持っていきな!それで?」


「聖女の役目が終わるの!一刻以内に荷物まとめなきゃいけなくて、だから挨拶に来たの」


 食堂の入り口に立っている、監視の騎士をちらりと見遣る。

 

 騎士服を着てはいるが、きっと正規の兵ではなく、アステラを護送するために雇われた傭兵だろう。

 外国人らしい浅黒い肌と黒い髪は、この国では珍しい色合いだった。


 アステラの視線を追って騎士を認めたマールの、その目が一瞬眇められたような気がしたが、見間違いかもしれない。


「アンタ本当に聖女だったのかい。リン!そこの皿さっさと下げな!」


 そこ、尻を触んじゃないよ!

 

 アステラと話しながら、不埒な客も見逃さない。

 マールには目と口が三つくらいついてるんじゃないかと、アステラはいつも思っている。


 初めてこの店に来た時、その騒がしさに圧倒されて、入り口でUターンしようとしたアステラに、目敏く声をかけてくれたのも彼女だった。


「そう聖女だったの!さっきまでね!」


 かなりの声量で話していても、誰もこちらの話など気にしていない。

 聖女という言葉に反応した者もいそうだったが、街の食堂で声を張り上げている地味な女を、本物だと信じる気にはならないだろう。


(貴き王の庇護を得て、清廉な白き聖女、清き神殿の奥深く、絶えず慈悲の祈りを捧げたもう)


 この国では子供でも暗唱できる聖典の引用句である。

 彼らが思う聖女は、穢れなき白の法衣に包まれ、何十人という神官達に傅かれた、神輿の上の神々しい聖女様なのである。


 ちなみにあの法衣、夏は地獄の暑さだった。


 

 今のアステラは、いつも外に出る時に着ている、唯一の私服を身に纏っている。

 何年も着ているくたびれたワンピースは、元はもう少しマシな色合いだったのが、洗濯で褪せてしまって何とも見窄らしい。

 そこいらの街の子供達の方が、聖女である自分よりも余程いい服を着ていると思う。



「アステラ、アンタ行く宛は?あるのかい?」


「ない!この国から出たことないから」


「どこの国境だい?」


「分からない、多分、同盟国のどっちかだと思う!」


 それはアステラも気になってはいるのだ。

 人を捨てます、と宣言しなくてもいい国というと、周辺国では条約を結んでいる二国に限られる。

 おそらく、どちらかの国境の門を潜ったら、そこで放り出されるのではないかと思っている。

 

「ちょっと待ってなアステラ。ブッカー!アンタんところの商会の荷物、今日はまだ出ていないんだろう?」


「おうよ!この後出立する予定だ。旅立ち前の一杯だよ」


 ブッカーと呼ばれた壮年の男性が、同じテーブル席の男達と笑ってそう答える。

 まあまあの数のジョッキが並んでいるようで、その状態でこれから旅とは、何とも豪快なことである。


「北と東の国境門に、ちょいと手紙を届けておくれ!」


「おう、お安い御用さ!ビール一杯サービス頼むよ」

 

 ちゃっかり注文しているあたり抜け目がない。


「アステラ、国境の砦にいる奴らに一筆書いとくよ!何かあったら頼んな!」


「!ありがとう、マール」


「嬢ちゃん、俺らも来月砦に行くから、何かあったら言えよ」


 近くのテーブル席のガタイのいい一団から、そう声がかかる。

 彼らはおそらく、国境に派兵される騎士達だろう。

 ボリュームのある料理が多いこの店では、騎士団員や警備兵達も常連だった。


「あっちに、元は王都にいた奴らが何人もいるんだ。嬢ちゃんのこと声かけておくよ」


 やいのやいのと声がかかる。


 この店では、どんな悩みも大したことがないような気がしてくる。

 

 妻を亡くした男性を、皆が飲ませながら思い出話で盛り上がっていた事もあった。

 片腕を亡くした兵士に、労いと感謝の杯を捧げていた事もあった。

 

 食べて飲んで笑って、肩を叩き合って。

 自分の追放が、ちょっとそこまで出掛ける程度の話のように感じてくる。



 マールがオーブンで焦げ目のついたパンに、手早く具材を挟んでいく。


「残りの時間で、隣のサイモンとこで外套を一枚買っていきな!北も東も王都よりも寒いよ」


「分かった!マールは他の国に、行ったことがあるんだね」


「勿論さ!元は冒険者だからね、トマス!こっちの肉も持っていきな」


 それはさぞかし、頼れる冒険者だったに違いない。

 手に持つフライパンが武器に変わっても、何ら違和感のないマールが想像できる。


 みるみる間に仕上がった、ポテトサラダと雲雀亭の自家製ハムを挟んだサンドイッチが、美しく切り分けられ、油紙に巻かれていく。

 注文していないはずの、ナッツペーストと黒すぐりのジャムのサンドイッチまでもが一緒に。


「待たせたねアステラ、落ち着いたら連絡よこしな」


 最後に荒いざら紙で全体を包んで、カウンター越しに渡してくれる。

 思いのほか、ずしりと重い包みをしっかりと両手で受け取った。


「ありがとうマール、本当に」


 どんなにか、この味と明るさに助けられてきたか知れない。

 最後まで、マールとこの店のお陰で、湿っぽい気分を捨てて出発できそうだった。



「アステラ!」


 扉の側にいた騎士に着いて出ようとしたところで、マールから声がかかる。


「ありがとうね!この国が住み易いのは、アンタのお陰だったんだろう。今度はアンタが幸せになりな!」


 我らが聖女様に!


 そう言って店中の酔っ払い達が、手に思い思いのカップを、皿を、剣を、そしてフライパンを掲げてくれる。


「上手いもん食べなよ!」

 

「変な奴には気をつけろよ!」 


 湿っぽいのは嫌だったのに、たまらず目元が緩みそうになる。


「ありがとう!皆のお酒が今日も美味しくあるように!」


 聖女アステラの最後の祈りを、この店の、彼らのために。

 これでもう思い残すことはない。


 笑顔で手を振って、そうしてこの国を後にするのだ。 

 



「聖女たれ 我は聖女なり」


 アステラの前を歩いていた騎士が、その言葉に振り返る。

 どうやら無意識に、口に出して聖句を唱えていたらしい。

 

 長い前髪の奥から、アステラを見る切れ長の瞳が金色で、それもまたこの国では珍しい。



(私…意外と重症なのでは)

 

 口に出ていたのは完全に無意識だった。


 何しろ、祈りながらずっと唱えていたのだ。

 聖女に余暇などなかったから、寝る時と食べる時を除けば、ほぼ一日中。


 祈らなくてもいい人生など、


(考えたことも、なかったなぁ)



 あの後、神殿の部屋を引き払い、今は王都の北にある外門を目指している。

 そこからは馬車に乗って国境に向かうのだと、目の前の騎士が教えてくれた。


 外門に続く、大通りから一本内側に入った静かな道を、名も知らぬ騎士と二人で歩いている。


「聖女様」


 黒髪の騎士が僅かにその足を緩めて、アステラの隣に並んだ。


「少しお伺いしてもよろしいでしょうか」


「はい、どうぞ。でもあの、」


「何でしょうか」


「もう私聖女じゃなくなるので、どうぞ名前で」


 その言葉にきょとんとした大の男の顔が、ちょっと可愛い。

 近くで見ると、恐ろしく整った顔の美丈夫だった。


 見上げるようにすると、首が痛くなりそうな長身である。


「アステラ様」


「私平民なので、呼び捨てでどうぞ。敬語もいらないので」


「では、アステラ。私のこともジアードと」


 もう何年も“聖女”が自分の名のようになっていた。

 この国でアステラの名を呼んでくれたのは、あのマールくらいだった。



「アステラ、君の祈りは、雨を降らせると聞いたのだが」


「そうですね。でも、すぐに降り始めるとかでは無いです。それに雨なんて、祈らなくても、いつかは降りますし」


 乾季のないこの国では、雨は年中、いつかしら降るものである。

 それが祈りによるものかどうかは、聖女になってからずっと、休みなく祈っているので、最早分からないのが正直なところだった。


「傷が目の前で塞がるとか、そういうのもないですし」


 聖女という存在は、民達の尊敬と信仰を集める、いわば神輿のようなもの。

 力の有無よりも、ただそこに居るだけでありがたい、そういう存在なのだと思う。

 それはずっと世話役の王子から、アステラが言われてきた事だった。


「奇跡は人の手で起こせないから、多分、奇跡って言うんですよ」 


 

 それでもああして、この国で楽しく生きている人達がいて。

 「聖女が自分達のために祈っている」ということが、少しでも彼らの幸福のよすがであるのなら。

 アステラが、この国で祈っていた意味はきっとあったのだ。


 自分にも聖女としての功績があるとしたら。


 アステラのそれは全て、あの店に詰まっている。



「その力は、この国を去っても発現するのだろうか?」


「…どう、でしょう、何せ国を出たことがないので」


 そんなこと考えたこともなかった。

 そもそも、次代が見つかった今、自分がまだ聖女なのかどうかもよく分からない。

 

「私の国は雨が少ないのだ。行く宛がないなら、来て貰えないだろうか」


 なるほど、彼がこの仕事を受けたのはその為だったのだろう。

 女を一人、国境に捨ててくるなんて、こんな旨味のない面倒な仕事を、よく引き受けたものだと思っていたのだった。


 途中で売り払われるくらいはあり得ると、少しばかり思っていた。


「でも、降らないかもしれないですよ」


「構わない。…奇跡に縋りたいくらいには困っているんだ」


 軽い口調で話しているようなのは、アステラへの気遣いかもしれない。

 端正な顔に寄った眉間の皺が、本当の苦悩を物語っているようだった。


「長年の役目を終えた君から、また自由を奪うことになってしまい申し訳ないが」


 そんな事を言われたのは初めてで、少し驚いた。


 確かに今のアステラは自由になったのだろう。

 国外に行くことも出来るし、一日中祈りを捧げる必要も無い。


 けれど、


「聖女が特別、不自由だったとは思ってないですよ。だって皆同じでしょう?どこかの場所で、自分ができることで働いて、そうやって生きてる」


 自由な冒険者から、一つ所に留まる事を選んだマールが、不自由になったようには見えない。

 誰だって、生きて行く為に、同じ場所に留まることも、やりたくも無い仕事をすることだってあるだろう。

 

 だから自分も、ただ生きる為に働いてきたに過ぎないのだ。

 それがちょっと特殊な、アステラにしかできない仕事だったというだけで。


「だから新しい働き口だと思えば、有り難いくらい。まぁできれば、お給料がもらえるなら嬉しいけど」


 その場合はやはり、成功報酬になるのだろうか。

 貯金がない自分には、当面の生活を支える別な仕事も必要になるかもしれない。

 


 ジアードの眉間に寄った皺の深さが、一段階上がった気がする。

 大きく、溜め息のような息を吐いてから、長い前髪をかき上げて、その美しい顔が顕になる。

 

 そのまま真っ直ぐにアステラの顔を見つめて、


「約束しよう、ジアード・ディエ・エルシャハルの名にかけて。アステラの働きに見合うものを用意する。例え雨が降らなくても、住む所と新しい仕事の世話もしよう」


「…ありがとう。でも、いいの?」


「俺はなアステラ」


 急にガラリと、それまでの端正な雰囲気が変わって、野生の獣のような気配を帯びる。

 ニヤリと笑うその顔は、きっとそちらが素なのだろう、恐ろしい程に似合っている。


「人の働きに、正当な評価をしない奴が嫌いなのだよ」

 



 アステラの了承を得られたからには急ぎたいと、何処からか現れた黒い馬の前に座らされ、後ろから抱えられながら、初心者には些か強烈な速度で駆ける馬上で、揺れる脳みそで思い出す。


 あの名は、西の大国の名だったような気がするなと。



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