三十九の巻 古の戒め
[三十九]
幸太郎と日香里は、伊澤という男と役場の担当者と共に、曰くがある場所へと向かった。
そこは集落からは少し離れた山中らしく、車での移動となった。
ちなみに移動は、耶摩蘇村が所有する一般的な公用車である。
幸太郎達を乗せた車は、舗装がされておらぬ砂利道を進んでゆく。
しかし、ガタガタとやかましい道じゃのう。
じゃがとはいうものの、車内は互いがよそよそしく静かじゃった。
口数が少ないのは、幸太郎と日香里が少しギスギスしておるからかもしれぬな。ほほほほ。
それを裏付けるように、日香里は例の事に対して気を揉んでるのか、ずっともどかしい表情のままじゃわ。
幸太郎もどうしていいかわからぬのか、困り顔であった。
面白い人間模様じゃが、それもこれもこのアホウの所為じゃな。
幸太郎はもう少し女子の扱いを覚えねばならぬのう。
とはいえ、こ奴の場合、濃い陰の気の所為で、女っ気のない人生じゃったから、無理もない話かもしれぬがな。
まぁそんなどうでもええ事はさておきじゃ。
幸太郎達を乗せた車はその後、山中を暫く進み、森の奥にある目的の場所へと辿り着いた。
そこは木きな杉が並木のように幾つも聳える、森の小道であった。
道幅は人が通る程度のモノ。
よって、ここからは歩かねばならぬのじゃろう。
日香里はそこで幸太郎に耳打ちをした。
「三上さん……なんか凄い所に来ましたよ。まさか、こんな山奥に来るとは思いませんでした。こんな所にリゾートなんて本当に作るんですかね?」
「さぁどうだろうね。でも、俺もこんな奥深い場所に来ると思わなかったよ。それに……なんか忌まわしい雰囲気を感じるんだよね。何もなけりゃいいが……」
ほう、幸太郎も嫌な気を感じるようじゃな。
まぁこ奴は敏感じゃからのう。
「え、本当ですか。私……なんだかドキドキしてきました。ナニかが、出そうな感じですか?」
日香里は微妙に嬉しそうじゃ。
変わっとるのう。
「さ、さぁ……でも俺は、あんまりオススメしないけどね……というか、変なモノに興味持つと不幸になるよ」
幸太郎も若干引いておるわ。
2人がそんなやり取りをしていると、そこで助手席の伊澤が後ろを振り返り、前方を指さした。
「北条さんに三上さんとやら、ここから先は歩かにゃならん。悪いが、車移動はここまでだな。ン?」
伊澤はそこで助手席の窓へ目を凝らした。
すると少し離れた所に、1台の車が止まっていたのである。
それはワンボックスタイプの黒い高級車であった。
ふむ、どうやら先客がいるようじゃな。
「あんな所に車があるぞ……誰か来ているな。山田さん、貴方が呼んだのか?」
運転席の山田は頭を振る。
「いえ、呼んでませんよ。でも、見覚えがある車ですね……あ! 思い出した。あれは……確か、県議会議員の下川先生の車だ。何をしに来たんだろう……」
「県議の下川だと……フン、なら、村長も一緒だな。アイツ等は馴染みの仲だからな」
昨夜の伊澤の喧嘩相手が来ているかもしれぬようじゃ。
少しは面白い事がありそうじゃな。
しかし、この辺り……幸太郎ではないが、不穏な陰の気が漂うておるのう。
それも、死に纏わる嫌な気配がの。
耶摩とか言うておったが……これは厄介そうじゃぞ、幸太郎よ。
我の予想では、触れてはならぬモノのような気がするわ。
何もなければよいがの。
とはいえ、この山全体としては、かなり良い気を感じる所じゃ。
耶摩蘇村か、不思議な所じゃわ。
「まぁいい、どの道、ここからは歩かねばならんからな。北条さんに三上さんとやら、目的の祠はこの先だ」
「わかりました。ご案内よろしくお願いします」
さて、嫌な気配の場所じゃが、まぁそれはそれよ。
楽しませてもらおう。
*
車を降りた4人は並木の小道を進んでゆく。
山中にある割に、道はなかなか綺麗じゃった。
緑の苔が青々と茂り、絨毯のようになっておる。
人里離れた山の奥深く、静かな谷となった場所の事を深山幽谷と言うそうじゃが、まさにそんな感じの所であった。
とはいえ、道の脇に枝葉が寄せられておるところを見ると、何者かが少し手入れしてるようじゃな。
恐らく、前を歩く伊澤じゃろう。
伊澤は神主じゃし、代々、この地の守り人なのかもの。
そして、そんな小道を進んでゆくと、程なくして前方に、切り立った岩壁が見えてくるようになったのじゃ。
また、その岩壁と密着するかのように、色褪せた古い祠が建立されていたのである。
その祠は神社のような佇まいじゃが、それほど大きくはない。
今の世で言う、お堂と呼ばれる程度のモノであった。
恐らく、人が入れる部屋なんぞは無かろう。
中に何があるのかは知らぬが、大事なモノがそこにあるんじゃろうの。
と、まぁそんな感じの厳かな所なのじゃが、今はその付近に数名の者達がおり、何か話をしている最中であった。
コイツ等が先客のようじゃ。
伊澤はそいつ等を見た瞬間、大きく溜め息を吐いた。
そして呼びかける。
「やはり、アンタ達だったか。村長に下川議員……こんなところに一体何の用だ? ここは一応、私有地なんだがな」
そこで屯していた連中が振り返った。
数は5人。スーツ姿の男女が3人に、作業服姿の男が2人であった。
更に細かく言うと、スーツ姿のグループは、頭の禿掛かったオッサンが2人と、妙齢の女が1人。作業服のグループは、30前後の若い男が2人といった感じじゃ。
まぁそれはさておき、スーツ姿のオッサン1人がこちらに来た。
「アンタは伊澤さんじゃないか。ちょうどよかった。アンタに話があるんだ」
「村長……昨夜の話なら、結果は同じだよ。俺の意志は変わらん! いや、俺の意志じゃない。祖先の意志だ。アンタもわかってる筈だ! 知らんとは言わせんぞ! 今はしておらぬが、イザナ神社の神事も、その昔は村を上げてしてきたんじゃからな」
それを聞き、村長とやらは天を仰いだ。
「伊澤さん、アンタも頑固な人だなぁ。俺もソレは知ってるよ。だがな、今はもう、令和だ。そんな1000年以上も前の言い伝えに縛られる時代じゃないんだよ。それに神事は既に廃れてるんだ。何を守り続けるんだ!」
カチンと来たのか、伊澤はそこで村長に詰め寄った。
「時代なんぞ関係あるか! 俺の家は代々それを守ってきたんだよ。それに今も、ちゃんと神事は伊耶那の社で行っておるわ! このバカタレが!」
「そんな事はどうでもいいんだよ! 伊澤さん! 見ろ、この耶摩蘇村を! 大昔は大きな集落だったそうだが、今じゃ時代に取り残されて、このザマだ。このままじゃ、誰もいなくなっちまうんだよ。それこそ、祖先に顔向けができねぇじゃないか! 何が耶摩だ! そんなのいるわけないんだよ!」
「なんだと!」
おほほほ、エキサイトしとるのう。
昨夜の続きじゃな。
他の者達は若干引き気味に2人を見ておるわ。
但し、1人を除いてじゃがな。
その1人とは、勿論、幸太郎じゃ。
幸太郎は2人の争いから離れ、1人でスタスタと、前方の古い社へと向かっていたのである。
心底、どうでもいいんじゃろう。
それを見て、日香里も慌てて後を追った。
「み、三上さん、ちょっと待って下さいよ」
日香里は幸太郎に駆け寄ると、後ろを指さした。
「良いんですか? あの2人を放っておいて……2人共、凄い剣幕でしたけど」
「良いよ。あんなに本音で討論してるのに、止めるなんて無粋な真似、俺には出来ない。心行くまで存分に討論した方がいい。その方が双方納得できるというもんだ。だから、今は関わらない方がいいよ。というか、俺は関わらない。不幸になるから……」
我関せずじゃな。
幸太郎の言う通りじゃ。
その方がええわ。
折角晴れた不幸の気を集めてしまうからの。
「ああ、なるほど……って、ええ!? そういうもんなんですか? なんか更に溝が深まりそうに感じるんですけど……」
日香里はそう言って、言い争う2人をチラッと見た。
ほほほほ、その内、取っ組み合いに発展しそうじゃな。
まぁそれはさておき、幸太郎は祠の前に行き、そこで暫し建物を眺めた。
「なんだろうな……この祠。なんか違和感があるんだよね。なんでだろ……ン? アレはなんだ……」
幸太郎はそこで、祠の横にある細長い石に目を留めた。
人の背丈ほどある石じゃが、相当長い年月が経っているのか、色褪せて苔なども生えておった。
神社にある石灯籠のように、装飾の類ではないじゃろう。
おまけによく見れば、石に文字のようなモノも掘られておるのう。
ふむ、いつの時代のモノなんじゃろうな。
幸太郎は石に近づき、文字に目を凝らした。
「梵字が彫られてるな……ええっと、なになに……ノウマクサンマンダ……ボダナン……シッタラ……グハンダヤ……ソワカ、か。なるほどね……という事は、耶摩とはもしかしてアレの事か。でも、アレは密教の世界観だし……ン?」
幸太郎が独り言をボソボソ呟いていると、そこで日香里が傍に来た。
「三上さん、梵字読めるんですか?」
「まぁお陰さんでね。紆余曲折があって読めるようになったんだよ。とはいえ、俺は密教寺院の僧侶や門徒ではないけどね」
こ奴は我を祓う為、色んな書物を調べたからのう。
全部、空振りじゃったが。
「でも、梵字も読めるなんて凄いですね。私もオカルト関連をもっと勉強しようかな。三上さん、教えてください。私、三上さんから教わりたいです」
日香里はそう言って、幸太郎を真剣な表情でジッと見ていた。
この女子は、本当にグイグイ来るのう。
ほほほほ、こりゃ面白いわ。
幸太郎の苦手なタイプじゃからな。
「ま、まぁ、また今度ね。でも、その下の文字はちょっと読みにくいんだよね。所々、風化してる部分もあるしさ」
「確かに……これは読みにくいですね」
「おまけに、古い漢字と万葉仮名みたいなのが使われてるから、解読に時間もかかりそうだしね。ま、ここの番人に聞くのが、一番早いか……」
確かにそんな感じじゃな。
こういうのは伊澤に訊いた方が早いじゃろう。
「ところで、ここに書かれている梵字って、何のお経なんですか?」
「コレは恐らく、泰山府君の真言だよ」
「タイザンフクン? ってなんですか、それ? 初めて聞きました」
するとそこで、2人に話しかける者がいたのじゃった。
「泰山府君とは、冥府の神の事だよ、北条さん。三上さんは知ってそうだがね」
それは伊澤であった。
どうやら、争いは一時中断のようじゃな。
他の者達もこっちに来おったわ。
「そう、伊澤さんの言う通りだ。古くは道教の神なんだけどね。遥か昔、仏教と習合し、密教の尊格にもなったんだよ。それに、陰陽道の神でもあるしね」
「えぇ、そうなんですか? でも冥府の神というのが、ちょっと怖いですね」
「まぁね。ちなみに伊澤さん……この梵字の下には、なんて書かれているんですか?」
「そこは現代語に訳すと、こう書かれている。この地に住まう者よ……耶摩の眠りを妨げてはならぬ……耶摩の怒りに触れぬよう祈りを捧げ続け、静かに見守るがよい……その時が来るまで。アベノスクネとな」
幸太郎は驚き眼で振り返った。
「ア、アベノスクネだって……」
ほう珍しいの。
幸太郎がこんなに驚くとはのう。
何者なんじゃろうの、アベノスクネとは。
まぁええわ。なんか色々とありそうじゃわい。




