Side.勇者 常識の違い
聖夜は、腰に差した聖剣の柄を握りしめる。だが、かつて自分を選び、温かな力を分け与えてくれたはずのその剣は、今はただ重く、冷たい鉄の塊にしか感じられない。
あの日。あの冒険者試験。
赤黒い髪の男が放った、理解を拒絶するような「治療」。
あれ以来、聖夜の体の中には、澱のような不快感が居座り続けていた。骨の隙間に冷たい泥を流し込まれたような、生理的な嫌悪感。身体が、あの男の魔力を「毒」として記憶してしまったのだ。
「聖夜、無理しないで。まだ、まともに歩けるようになってから数日しか経ってないんだよ?」
背後から声をかけてきたのは、治癒師の絵里だった。
かつて「聖女の再来」と謳われた彼女の瞳には、以前のような澄んだ慈愛ではなく、隠しきれない怯えの色が混ざっている。彼女もまた、あの男の魔法によって「治されて」しまった一人だ。その手足には、今も時折、焼けるような幻痛が走るという。
「大丈夫だ、絵里。俺たちが止まったら、この世界はどうなるんだよ。俺たちは……勇者なんだから」
聖夜は、自分に言い聞かせるように言葉を絞り出した。
だが、その声には以前のような力強さはない。高校生としての正義感、大人たちに期待され、ちやほやされることで維持していた自尊心。それらはあの試験会場で、圧倒的な「合理的現実」という名の暴力によって粉砕された。
一階のフロアを見渡せば、あの試験で絶望を味わった他の受験生たちもいた。
彼らは、あの日彼から受けた拒絶反応の激痛から、完全には立ち直っていないようだった。聖夜と同じだ。剣を握る手が微かに震え、時折、自らの身体を確かめるように不自然な動作を繰り返している。
その瞳には、かつての輝かしい理想ではなく、泥沼のような劣等感と、彼に対する拭い去れない恐怖が澱のように沈んでいる。
「剛も、隼人も……準備はいいか?」
聖夜が問いかけると、重戦士の剛は無言で斧の柄を握り直し、隠密の隼人は視線を逸らしたまま短く頷いた。
剛の自慢の筋肉は、あの男に文字通り「解体」されかけた恐怖で萎縮し、隼人の自慢の脚は、地を蹴るたびにあの文字化けした詠唱の残響を思い出して竦んでしまう。
彼らは必死に足掻いていた。
ここで活動を再開しなければ、自分たちがただの「無能」であることを認めてしまうことになる。自分たちがこの世界の主役ではないと、突きつけられてしまう。
だから、震える足でフロアの喧騒の中に踏み出し、依頼ボードへと向かう。
「解析眼、使ってみた?」
魔導士の志乃が、震える指先をこめかみに当てながら、聖夜の隣で低く呟いた。
彼女の固有スキル『神理の解析眼』。この世界のあらゆる事象を看破するはずのその眼が、あの日、あの男を見た瞬間に何を表示したのか。聖夜はそれを聞くのが、死ぬほど怖かった。
「……いや、やめておこう。今は、目の前の依頼に集中するんだ」
聖夜は逃げるように答えた。
志乃の顔が歪む。彼女が見たのは、数値化不能なエラーの羅列と、この世界の理の外側に位置する「絶対的な異物」の断片だった。それを言葉にすれば、自分たちの存在理由が完全に消えてしまうことを、彼女もまた本能で察していた。
一階のフロアを歩く彼らの背中は、とても世界の救世主には見えない。
異世界召喚というお花畑の夢から叩き起こされ、残酷な「格の違い」を突きつけられた、ただの子供たちの成れの果てだ。
それでも聖夜は、腰の震えを必死に抑えながら、歪な歩調で歩き続ける。
彼を、あの赤黒い髪の男を「間違っている」と証明しなければならない。
そうしなければ、自分たちがこれまで積み上げてきたものが、すべてゴミのように捨て去られてしまうから。
だが、フロアの隅で交わされる冒険者たちの噂話が、聖夜の耳を容赦なく打つ。
「聞いたか? あの新人のこと。試験の負傷者を一瞬で治したってよ」
「ああ、『真の聖者』なんて呼ぶ奴もいるらしいぜ。ギルド長も一目置いてるって噂だ」
聖夜の足が、ピタリと止まる。
自分たちが地獄のような苦しみの中で味わったあの魔法が、世間では「救済」として賞賛されている。
正義とは何か。救済とは何か。
聖夜が握る聖剣の重みは、一歩進むごとに、耐え難いほど増していくのだった。
やっぱり少し破綻しちゃうなぁって感じかな?
自分が書きたいって思うことを詰め込んじゃってる節があるなと感じてます




