第54話 【完結】未来へ
JR西日本の北新地駅から徒歩数分。関西でも有数の好立地に、そのラーメン屋はあった。
この古びた建物は、再開発計画で商店街ごと姿を消す。
店の前には、どこまでも続くような長い行列が伸びていた。
今日は最終営業日だ。
国内外に二百店舗を抱える大規模ラーメンチェーン、その本店の最後の日だからだ。
行列の熱気から少し離れて、俺たち夫婦はその光景を眺めていた。
遥香ちゃんの足に、第三子の娘がしがみついていた。
「敦史くん、立て替えもできたと思うけど、再開発計画に賛同しちゃって良かったの」
実は大阪市や再開発計画のデベロッパーからは、俺たちにかなり配慮があった。
俺はテレビへの出演が多く、それなりの影響力がある。ゴネられたら計画に影響が出る。だから向こうも腫れ物に触るような扱いだった。
ゴネれば中止に追い込めたと思う。
「でも、街のことを考えたらビルは必要だよ」
商店街は大都市の中心部にあると、構造的に効率が悪くなる。
商店街は、商いの場であると同時に住まいでもある。
ウチの本店の建物も、二階を持て余している。
商売を続けられる年齢と、住み続けられる年数は噛み合わない。
例えば七十歳で店を畳んでも、二階には住み続けることになる。
二階に人が住んでいる以上、一階も簡単には別用途に回せない。
こうした構造が、全国の商店街をシャッター街へ追い込む一因になる。
「きっと、ここにできる新しいビルは何千人もの人々の職場となって、街に活気をもたらしてくれるよ」
残念ながら、再開発で大きなビルを建て、街を画一的なビル群に変えることには経済的な合理性がある。
それが分かっているから、俺は最終的にハンコを押したのだ。
そりゃ、この店が残っていた方がグループにとっていいだろう。
でも、建物は器にすぎない。本当に大事なのは文化だ。
文化は建物がなくても残るんだ。
ふと足元を見ると、娘が寄ってきていた。少し不機嫌そうだ。
抱き上げてあやすと、子供扱いが気に入らなかったのか、余計にむくれた。子供って難しいなぁ。
「パパ、お店見てても面白くないー」
娘がグズリ出したので、近くにある喫茶店へ移動することにした。
タバコの匂いが染みついた純喫茶に入ると、若い店員が迎えてくれた。
「あら, 火神さん。夫婦で来られるなんて珍しいですね」
「まぁ、お店の最終日なんで、最後にお客さんの顔を見ようと思いまして」
この子は子供の頃からよく知っていた。
昔は行列に飲食物を売りつけていた商売っ気のある小さな女の子だった。今じゃ立派な女子大生だ。年月の早さを感じる。
今は実家の家業を手伝ってお小遣いをもらい、語学留学の費用を貯めている。
この喫茶店も、いずれ再開発で無機質なビルに置き換わる。
タバコの煙で煤けた壁紙。昭和に取り残されたのかと思うほど安いメニュー。
俺にとっては、亡き父に何度も連れて来てもらった思い出の店だ。
でも、それでも良かったのかもしれない。
この子は昔からの憧れであるキャビンアテンダントになるために外国語学科に通っている。絶対に店を継がないだろう。
時代は変わる。街は変わる。
俺の店も昔とは変わっている。
値段も上がった。消費者の好みに合わせて微調整もしている。
時々、限定メニューなんてものを出して客の反応を伺っている。
限定メニューといえば――そういえば。
「そういや、この前出した元祖令和ラーメンの売上ってどうだったの?」
「うーん、あれは売上自体は悪くなかったんだけど、リピート率は悪いわね」
本店閉店のメモリアルメニューとして、関西地区の店舗で『元祖令和ラーメン』を出した。
父が作っていたラーメンを再現したメニューだ。
母と俺が非常に乗り気で出したメニューだったが、期待外れの結果に終わった。再販の許可は、遥香ちゃんから降りないだろう。
「でも、あのラーメン美味かったなぁ。きっといつか売れる日が来るよ」
あれを冷蔵スープで再現するのはかなりの努力が必要だった。久しぶりの母との共同作業で楽しかった。
俺の言葉に遥香ちゃんが小さく微笑む。
「うん、そうだといいね」
父のラーメンは流行から外れた。けれど、流行は巡る。
きっと再評価されるだろう。だが、今ではないようだ。
「海外の店舗もいい感じだし、そっちで展開してみてもいいかもね」
ウチはアジア各国に店舗をどんどん広げている。
インスタントラーメンの爆発的な普及によって、ラーメンは世界に根付きつつある。
だが、日本の既存のラーメン店は海外挑戦を躊躇している。まさにブルーオーシャンだ。
特にアメリカでの事業の成長は著しい。
日本ブームに乗っかって西海岸に上陸してからは、東に東に店舗を増やしていってる。
アメリカは世界の文化の発祥地だ。
インスタントだけではないラーメンの魅力を世界中に発信する足がかりになるだろう。
「あ、そろそろ店が閉まる時間だね」
遥香ちゃんの言葉に、ガラケーを開いて、時刻を見る。
21時。今日は最終日なので短縮営業にさせてもらっている。
俺たちはカウンターで手持ち無沙汰にしている女の子に挨拶して、喫茶店を後にした。
そのまま本店の前へ戻り、『閉店』と書かれた木札を見つめた。この木札がもう裏返ることはない。
中では母が待っていた。
娘は「ばーば!」と叫びながら母に抱きついている。
これから家族だけで、ちょっとしたパーティを開く。
楽しそうに母と話す遥香ちゃんと娘。
その二人を横目に、俺はカウンターテーブルへ目を落とした。
父が大事にしていたカウンターテーブル。この店は何回も改築しているが、これだけは昔から変わっていなかった。
父が開業祝いに親戚から贈られた、立派な杉の一枚板だ。
記憶の中で父は宝物を扱うように、丁寧に拭き掃除をしていた。
きっと倒れた日も、同じように磨いていたんだろう。
俺はそっとそれを撫でる。
「父さん、俺はラーメン屋で食っていけてるよ」
ピカピカに磨き上げられたカウンターテーブルが、ほんの一瞬、光ったように見えた。
◾️完結
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◇あとがき◇
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この作品は家系ラーメンに感動したただの素人が、その情熱を共有したいと思って書いた話です。
その日は奈良県の天理市に用事があって、昼ごはんを探していました。
そしてなんとなく、ロードサイドにある一軒のラーメン屋に入りました。店の名前は『我道家』です。当時は知りませんでしたが、有名な家系の系譜の店だったんですね。
僕は家系ラーメンがあまり好きではありませんでした。
当時、関西にはチェーン系の店しかなく、本物の家系を食べたことがなかったんです。
本当は、僕が大好きな天理ラーメンの『彩華』で食べるつもりだったのに、なぜわざわざ、なじみのない店に入ったのか自分でも分かりません。
正直、関東で流行っているのを、ちょっと馬鹿にしてやるかくらいの気持ちで入ったんだと思います。
表に並んでいる人がいなかったので、すぐ食べられると思って店を決めたのですが、実は店内に行列があり、食べるまで20分くらい待ちました。
待つのが嫌いな大阪人としては、帰ろうかとも思いましたが、あのとき帰らなくて、本当に良かったと思います。
そのラーメンを一口食べた瞬間、複雑なスープに脳がノックアウトされました。
スープって、こんなに複雑にできるんだ。
今まで食べていた家系って何だったんだ、って思いました。
そんな一口の衝撃をきっかけに書いたこの作品は、歴史ジャンルにわけの分からない作品を放り込んだにもかかわらず、大成功することができました。
コメントも本当に多くて、皆さんのラーメンにかける思いには、僕のほうがびっくりするほどでした。
もしこの作品が面白いなと思ったら、僕をフォローしてもらえると嬉しいです。
皆様に、この作品のような怪作しかお届けできませんが、面白いと思う作品を、自信を持ってお届けします。
P.S. よければ新作も読んでくれると、泣いて喜びます。
少しジャンルは違いますが、主人公が自分の夢のために研究開発を進めるという意味では、この作品と共通点があると思います。(核開発の要素があるので苦手な人は注意です)
『飛べない少年は空を夢見る 〜灯火魔法すら使えない俺が、飛行機を作るまで〜』
(ごめんなさい、カクヨムオンリーです)




