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船乗りシーク

 大海原の只中、頭上で鳴く海かもめ達の甲高い声を聞きながら、シークは甲板を磨いていた。揺れる船の上でデッキブラシを使うのにはコツがいるが、今となっては慣れたものだ。

 上から下へ、中から外へと行う船の掃除では甲板の掃除が最後だ。錆を予防するためにも港に停泊する際には清水できちんと流すのが大事なのだ。

 一仕事終える爽快感と共に抜けるように青い空を見上げると、シークはふと自分が自由なのだと実感できた。


「おーいシーク、お前は次の港で降りるのか?」


 兄貴分の船員に話しかけられ、シークは笑顔で頷く。

 どうやらこの港での補給が終わったので、みな休憩時間をとっているようだ。


「ああ、ここの王国が祖国だから、この機に帰るつもりだよ」


 そう笑うシークの真っ黒に日焼けした肌から覗く白い歯に日光が反射して眩しい。右眉頭から左頬まで続く大きな傷跡が印象的だが、その物騒な傷跡に似合わず真面目な働きぶりで、船員達に信頼されていた。

 シークは船の乗組員としてはひよっこだったが、この数ヶ月でだいぶ様になって来ていたのに。と船員達はシークを惜しんだ。何より、船の上という逃げ場のない閉鎖空間の中、些細なことでぶつかりがちな船員たちをそれとなく宥めて落ち着かせるのがシークはとても上手かった。


「でもまあ、いい時期に帝国を出れたかもしんねえな。まさかあの『うつけ皇子』が政変を起こすなんて誰も思っちゃいなかったからなあ」


 ほらよ。と投げられたリンゴを受け取って齧りながらシークは相槌を打つ。

 頭に巻いていたバンダナをとると、潮風に晒され続けてガサガサな髪が風を含んで広がる。汗を孕んだ地肌を風が通り抜けるのは何とも言えず心地よい。


「帝国はしばらくは荒れるだろうよ。まったくよう、ボンクラのくせに余計な事をしてくれたもんだぜ。『うつけ皇子』と『我儘皇女』が治める帝国なんてお先真っ暗じゃねえか!」


 男は自らもリンゴを取り出すと、服が濡れるのもお構いなしでシークが磨いたばかりの甲板の上に大の字で寝転んだ。

 でかいガタイがデッキに転がる様はどこかユーモラスだ。男は青い空を流れる雲を眺めながら大きな口でリンゴを齧る。


「でも、やっと帝国の情報が出てきたな。この間の港で聞いた話じゃあ、意外にも軍の総司令官となんか偉い大臣が『うつけ皇子』の味方になったらしいぜ。皇妃と宰相は更迭だか処刑だからしいけどよ。ま、鬼神の皇帝がいらっしゃる間は何とかなっちまうかも知んねえな」


 三口でリンゴをまるっと飲み込んだ男に少し遅れて、芯まできれいに飲み込んだシークは、そんなもんですか。と相槌を打つ。


「ま、港が封鎖されてもう帝国に帰れないかと思ってた時期に比べりゃマシだけどよ。船長なんて妻子を帝国に残しているもんだから、その心配ばっかしてしばらく上の空だったからなあ!とりあえず平民への被害はないみたいだからその点は安心だけどな。でも、まだまだ不安定な情勢だろうからよ。お前は国に帰って正解だよ。おう、じゃあまたな」


 話し相手が欲しかっただけらしい男は、言いたいことだけ言うとさっさとどこかへ行ってしまった。シークは先程男がしていたように、ごろんとデッキに寝転ぶと遠い空を見上げる。


 どうやら、エイトバーンは頑張っているようだ。

 シークは宮殿脱出の際に離れ離れになった仲間のことを思った。シークがまだシーズクリフだった頃、数ヶ月に渡ってどうやって宮殿から脱出するかを試行錯誤し協力し合ったエイトバーンとアリアローゼはシーズクリフにとって紛れもない仲間だった。


 危険と隣り合わせながらも何とも愉快な日々だった。

 3人は共謀すると、まずはアリアローゼが襲撃されたとでっち上げた。夜中に皇女の寝室に曲者が入って逃げたと。


 警備兵は一体に何をしていたのか!犯人と対峙して殺されるところだった!と、恐怖からアリアローゼは手のつけられない癇癪を起こした。そして現場の様子から内部犯の可能性が高いと断定されたら、アリアローゼがそれは上手に駄々を捏ねた。


「宮殿の誰が犯人かもわからないのに怖くて1人でなんて寝れないわ!警備兵も信用ならないわ!そうだわシーズクリフ様と一緒に寝るわ!!私の夫となる方ですもの。問題ないでしょう!?」


 さすがにまだ幼いとはいえ未婚の男女が2人で寝るのは・・・と周りが難色を示し出したところで、エイトバーンがすかさずこう申し出た。


「しょうがないなあ、じゃあ兄である私も付き合うよ」


 いかにも嫌々で仕方ない様子で言うエイトバーンの姿にシーズクリフは笑い出さないようにするのが大変だったぐらいだ。


 こうして、シーズクリフが薬漬けになるのを回避すると同時に、毎晩作戦会議ができるようになってからは手分けしてあの手この手で準備を進めた。エイトバーンとアリアローゼの芸達者ぶりにシーズクリフは舌を巻いたものだ。

 兄妹は、その気まぐれと我儘で上手に周りを煙に巻きながら、着々と下地を固めていった。もちろん、シーズクリフも人畜無害な笑顔で欺きながら手を尽くした。

 いつ消されてもおかしくない環境に長年いた2人の観察眼は凄まじかった。どんな細かいことも見落とさず、細かいカテゴリーごとに影響力がある者を絞り出すばかりか、頼れる者。嘘は言わない者。正義感がある者。金に弱い者。権力に弱い者。あの兄妹にかかれば丸裸だった。


 しかし、後ちょっとで準備が整うところで宰相に嗅ぎつかれてしまった。それでもエイトバーンは何とかシーズクリフだけは逃がしてくれた。1人だけ逃げるのに躊躇するシーズクリフを怒鳴りつけてくれた。


「お前には守りたいものがあるんだろう!それはこの帝国でも俺達でもない。間違えるな!!無駄死にせずに見届けろ!」


 それから、あの2人がどうなったかがずっと気がかりだったが、シーズクリフの心配など無用だったようだ。

 あの強かで図太い兄妹は、どうやら宰相がこちらを追い詰めようとしてきたのを逆手に取ると、そのまま宰相と皇妃をまとめてやり込めてしまったらしい。あの喰えないエイトバーンの事だ、逃げれなかった時も想定して各所と緩く繋がっていたに違いない。きっと、今の地位は面倒くさがっているだろうけど。


 顔を斜めに走る大きな傷跡を、シーズクリフは指でなぞった。

 目が無事なのは幸運だった。これは脱出の際に斬りかかってきた剣を避けれずに受けてできた傷だ。そんなに深くはなかったのだが、きちんとした治療ができなかったせいか思いの外はっきりした傷跡になってしまった。

 でもこの傷跡のおかげで男らしくなったし貴族らしさを薄めてくれるので実はシーズクリフ自身は気に入っている。

 

 ただ、これも斬りかかろうとしてきた男の足元にアリアローゼがしがみついて「やだーーっ怖いーーーっもういやーーーーっ!!!!」と泣き叫んでくれたおかげで致命傷にならずに済んだようなものだ。

 男の足に絡みついて泣き叫びながらも、「早く行きなさいよっ!!」と睨みつけてくる金の瞳は、今も瞼の裏に浮かび上がるほど力強かった。

 遠くない未来、アリアローゼが治める帝国が見られるのではないかと思いシーズクリフは笑った。


 自分はもうシーズクリフに戻ることはできない。しばらくは、帝国宰相の残党から逃げる必要があるし、辺境伯と縁深い公爵令息という存在をまた利用しようとする輩が出てこないとも限らない。ならば、宰相のせいで死んだことにした方が何かと都合がいいし、エイトバーンならきっとそうしているだろう。

 それに、もう懲り懲りだ。貴族や国の間の陰謀に巻き込まれて、我が身や大事な人に被害が及ぶのは。

 

 さて、これからどうしようか。と船に乗った当初は途方に暮れたが、とりあえず一度王国に帰ることにした。短期間に色々とありすぎて落ち着かぬ我が身が新たな人生を歩むためには区切りが必要だと思ったのだ。

 前に王国を離れる時は、カルラが死んだと知って絶望しかなかった。自分がカルラを死に追いやったのではないかという罪の意識で押し潰されそうだった。

 だが、今ならもっとまっすぐした気持ちでカルラの死とも向き合える気がした。


 ふと、辺境伯領外れの森の中でカルラとよく遊んだことを思い出した。

 実際に行ったのは数回だと思うが、森の中をベアトリスを連れて走り回ったり植物を観察するのはとても楽しかった。また、そこに住むおじさんが手作業でなんでも作る様は子どもの目には魔法のようで、ひどく印象に残っている。

 おじさんはまだあそこに住んでいるのだろうか。世俗と離れて暮らし辺境伯家とも一線を引いて付き合っているおじさんのところなら行っても平気かもしれない。


 いくらなんでも辺境伯家には顔を出せないし、家にも帰れない。家族に無事を知らせられないことだけは気がかりだが、次期公爵は年の離れた兄が磐石なので家門としての問題はさほどないだろう。

 とは言え、両親と兄が悲しむことに疑いはなかったし、図らずも親不孝をしてしまい心苦しかったが、こればかりは仕方がなかった。


 この船旅も終わりが近づいて来ている実感が湧いてきて、シーズクリフはふと数ヶ月に渡った船旅を思い返した。今まで外交で様々な国を訪れて色々知っている気になっていたけれども、まだまだだったな。と自嘲した。

 船だって慣れていたつもりだったけれども、普通の商船がこんなに揺れるなんてシーズクリフは思いもよらなかったし、船を動かすのがこんなに大変だなんて知らなかった。最初の頃は船酔いが酷くて使い物にならず、船長たちには迷惑をかけたものだ。


 努力して鍛えた体も海の男たちにかかればもやし扱い。この船での労働で揉まれてだいぶ逞しくなったし背も伸びた気がする。乱暴で大雑把な同僚の船乗り達への関わり方も最初は戸惑ったものだが、その大らかさがどことなく辺境伯領の戦士達に似ているとわかってからは、妙な親近感を覚えてだいぶ接しやすくなった。

 1番大変だったのは、そんな周りに合わせて体に染み付いた上品な所作を崩すことだったかもしれない。でも今では船乗りらしく振る舞うのもお手の物だし、目つきが悪い顔もできるようになった。どうしても「演技」にはなってしまうが、それはもう仕方ないだろう。

 

 王国で気持ちの整理がついたら、世界を巡る旅に出ようかとぼんやり思う。船乗りとして航海に出て色んな土地を巡れば気に入る土地もあるかもしれない。そうすればそのままその土地に住んでもいい。この船乗り生活で身につけた演技力があれば庶民に混ざって生活しても問題ないだろう。

 いつか、面白い土産話を持ってエイトバーンとアリアローゼに会いに行こう。今は何者でもない我が身が帝国の皇族に会えるようになるまでどれぐらいかかるのか、何をしたらいいのか、さっぱり当てはなかったが、ひとまずはその緩い目標があればシーズクリフは生きていける気がした。


 本当は何度も考えたのだ。このまま死んでカルラのところへ行こうかとも。

 でも、カルラの遺髪が入ったペンダントを握って想像する度に、天国でカルラに大目玉を喰らうに違いないと思ったし、泣きじゃくって怒られる様子まで目に浮かんだ。天国でまでカルラに悲しい顔をさせるのは嫌だった。

 だから、生きている間はエイトバーンとアリアローゼに面白い話をするのを目標に生きてみようとシーズクリフは思う。そして、時が来て死が訪れたなら、カルラのいる天国まで面白い話を持っていこう。


 シーズクリフはまだ15歳。先は長いな。と人知れず寂しげに笑った。

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