隠棲者コルト
コルトは、辺境伯に仕える末端貴族の長男として産まれた。
なんの因果か妹が辺境伯に見初められたため、コルトもそれ相応の役職を打診されたのを裸足で逃げ出したのが隠遁生活の始まりだ。
両親も妹もやっぱりね、というだけだったし、家は予定通り弟が継いだ。辺境伯は随分と残念がってくれたそうだが。
そして、コルトは隠棲者として人里離れたこの森でひっそりと暮らすようになった。
元々この小屋に住んでいた爺さんのところへ転がり込み、1人で生きていくための術を一から教えてもらった。森での食べ物の見つけ方から畑の育て方、料理に裁縫に大工仕事。爺さんはなんでもやってのけた。
その頃のコルトはと言えば、貴族としての嗜みも儘ならない癖に庶民の生活の術なんてものも何も知らない半端者で、爺さんがいなければのたれ死んでいただろう。爺さんは金に興味はないからと報酬を受け取ることもなく、儂の小屋を継いでくれればそれでいいのだと言う変わった爺さんだった。その後コルトは爺さんを看取ってからは1人で気ままに暮らしている。
滅多に客どころか人影も見かけないような家だが、ある日、耳慣れない子どもの甲高い声が聞こえてきた。コルトが窓から外を見ると小さな子どもが2人、野ねずみを追い回している。すばしっこい野ねずみが隙間に潜り込んで逃げるのを見ては、きゃあきゃあと騒いでいる。
その子どもたちを側で見守っていた使用人が窓から覗くコルトに気づくと、ペコリとお辞儀をして懐から手紙を取り出した。
やれやれ、妹の差金のようだ。
こうして、コルトは何度かシーズクリフとカルラを預かった。
2人に会って、妹がここに寄越した理由はすぐにわかった。
「コルト伯父様、芋虫が蝶々になっちゃうのはどうしてなのかしら?」
「コルトおじ様、きのこと植物は何が違うんでしょうか?」
2人は疑問の宝庫だった。それに伸びやかなこの子達に貴族社会が窮屈であろうこともすぐわかった。
コルトはふたりと一緒に森に出ては、知っている限りの事を教えたし、わからないことは一緒に観察して悩んだ。
コルトは我儘で自分勝手で我慢のない子どもという生き物が苦手だったのだが、不思議とこの2人とのやりとりは心地よかった。今思えば、子どもが苦手というよりも自分が大人の立場を強制させられるのが嫌だったのだなと思う。あの2人は子どもではなく対等な人間として話をすることができた。
その2人が、今や1人は死に、もう1人も死んだものとなっている。
せめて、カルラにはケイティとしてでもいいから、できるだけ幸せな人生をと願うのだが・・・瞼に浮かぶのは、対のように一緒に笑う2人の姿だ。
2人とも子どもにしては相当変わり者だったはずだが、不思議とお互いがお互いにあつらえたようにピッタリで、この2人はずっと一緒に生きていくのだろうと、現実主義のコルトでさえぼんやりとそう思っていた。
その2人がこんなことになるとは。こういう権力争いに巻き込まれる様子を見るのが嫌で貴族社会から離れたと言うのに。
コルトはやれやれと頭を振ると、食事の用意をしようと立ち上がった。
と、誰かが玄関を叩く音がする。
数ヶ月前にもハノンとウォルスタが来たばかりだというのに、またハノンだろうか?
後は野盗ぐらいしか心当たりがない。
コルトは、ナタを片手にドアに近づいた。
「誰だね」
「突然すいません。その・・・」
聞いたことのない男の声だ。しかも若い男だ。
迷い人かとも思ったが、その割には口籠るばかりでこちらに助けを求める素振りもない。
これは野盗だろう。コルトが話を聞くためにドアを開けるのを待っているに違いない。
コルトは辺境伯領の貴族として多少の武術の心得はあるものの、決して強くはない。隠棲してからというもの日々、労働はしても鍛錬なんてしていない。
コルトは先手必勝とばかりにドアを開けるとナタを振り下ろした。
「うわっ!」
ナタは男に避けられた。
奇襲攻撃が失敗したのは痛いが、どうやら男は1人らしい。単独ならコルトでもどうにかできるだろう。
再びナタを構えて振りかぶろうとしたコルトに、男が叫んだ。
「待ってください!コルトおじ様、僕ですシーズクリフです!」
なんと!この男はシーズクリフを知っているらしい。行きずりの強盗ではなくコルトのことを調べて狙ってきているということか。しかし、シーズクリフの死は国中に知れ渡っているというのに間抜けな男だ。
コルトは、男の声を無視してナタで攻撃を重ねる。
「おじ様の寝床にきのこを生やしたり、家の柱で芋虫を蛹にしたりしたシーズクリフです!!」
ぴたりと、コルトは攻撃を止めると構えは解かないままに男を見つめた。
「なぜ、お前がそれを知っているのだ」
男は顔に大きな斜めの傷が走り、ボサボサな身なりだ。傭兵崩れだろうか。
しかし、顔はよく見るとまだ幼さが残り・・・・シーズクリフの面影が・・・。
「本当か・・・?本当にシーズクリフなのか?」
緊張感を孕み対峙した状態のまま、シーズクリフと名乗った男は頷くと、コルトに何かを放って寄越した。
それは公爵家の紋章が入ったロケットペンダントだった。男にナタを向けた姿勢のまま、ロケットを開くと麦わら色の髪が出てきた。カルラの髪だ。
「シーズクリフ・・・お前、どうして!?」
ようやく、コルトはナタを下ろして、呆然とシーズクリフを見つめた。
「色々・・・色々あって。ほら、日が落ちて寒くなってきたし中に入ってもいいですか。おじ様」
「あ、ああ」
コルトはまだ亡霊を見ているような気分だったが、改めて男を見ると間違いなくシーズクリフだと思えた。大きな傷跡のせいで印象がすっかり変わったものの、すっと通った鼻梁も少し垂れた優しげな目元もシーズクリフのものだ。
「待て、まずは身を清めろ。ひどい格好だぞ。服も適当に貸してやる」
家の中に入り、早速語り出そうとしたシーズクリフを押し止めると、コルトはそう言って箪笥から適当な服をシーズクリフに放り投げた。
「うちの事はわかってるだろ。勝手に湯を沸かしてやるといい」
そう言うと、コルトはシーズクリフに背を向けて寝室へと引っ込んだ。
シーズクリフがガタガタと鍋やタライを出す音を聞きながら、コルトはベッドに腰掛けて顔を両手で覆った。2・3度深呼吸を繰り返すと、ゆっくりと顔から手をどかし、すっかり皺が増えた己の手を見ながら自嘲した。
自分がこんなに歳をとったのだから、シーズクリフも声変わりもすれば大きくもなるはずだ。
まさか、まさか生きていたとは。
コルトには落ち着く時間が必要だった。油断すれば涙が溢れそうになるのを深呼吸で宥めながら、コルトはベッドの木組みに残るきのこの跡をひたすら眺めた。
「おじ様、ありがとうございます。久しぶりに身綺麗になって生き返った心地です」
汚れを落とし、埃でバサバサだった髪を整えた男は、もうどう見てもシーズクリフだった。
記憶より短いプラチナブロンドは艶がなく、白かった肌はこんがりと日焼けし、身長が10cm程高くなっているものの、シーズクリフだった。
「声変わりしたお前の声は聞き慣れないな。今15歳か?」
「もうすぐ16歳ですよ」
「そうか」
当たり障りのない会話をしながら、2人で食事をとる。
食事といっても、適当に森で取れたものと庭の野菜を入れたスープに麦を入れただけのものだ。
公爵令息のシーズクリフから見れば、粗末な食事だろうにシーズクリフは昔と変わらずに喜んで食べた。時折、眉を寄せて耐える表情をするが、何を思い出してそんな顔をしているのかは容易にわかった。
「コルトおじ様、僕は帝国を脱出する必要があって、その時に死んだことにしたんです。そうしないと僕を利用しようとする者がいたもので。その後『シーク』と名乗って、船乗りとして船に乗せてもらって帰ってきたんです」
「これから、どうするつもりなんだ?公爵家に帰るのか?」
シーズクリフは寂しそうに微笑みながら首を振った。
「今更、僕が生きていた事がわかると何かとややこしいので、『シーズクリフ』はこのまま死んだことにするつもりです。両親や兄にも連絡をとる気はありません。公爵家に迷惑をかけたくないですからね」
「辺境伯のハノンにも連絡しないつもりか?」
「ええ、もちろんです。無駄な混乱を招くだけですし、お互いに会ってもいいことはないでしょうから。コルトおじ様を訪ねたのは、おじ様が貴族と距離を置いた隠遁生活をしているのと、頼めば辺境伯家や公爵家に何も言わないでいてくれると思ったからです。シーズクリフは死んだものとして、僕はこのまま放浪の旅に出ようかと思っています」
「そうか・・・」
聞きたいことも話したいこともいっぱいあったはずだが、お互いに胸がいっぱいでこれ以上話すことはできなかった。2人は風の音を聞きながら黙々と食事を続けた。
続きは明日にしようと、コルトは昔ウォルスタに押し付けられたソファにシーズクリフを寝かすと、自分も寝室のベッドに寝転がった。
天井のシミや蜘蛛の巣をぼんやりと眺めながら、考えるのはカルラのことだ。
なんと、死んだことになった2人は両方生きている。しかし、お互いに立場が変わってしまった今となっては、それを知ったことで何になるのだろう。せっかく生きているというのに何と皮肉なことか。
シーズクリフを辺境伯で匿いカルラと一緒に暮らすことはできるだろうが、そんな窮屈な暮らしが幸せだろうか。そもそもシーズクリフはそんな辺境伯に迷惑をかけるのは良しとしないだろうし、カルラもシーズクリフを縛り付けるような暮らしは望まないだろう。
お互いに生きていることだけでも知っていた方が幸せだろうか。それとも苦悩が増すだけだろうか。
いくら考えても、コルトには正解がわからなかった。
翌日、シーズクリフは懐かしい森を見てくると言って出かけていった。
コルトは寝不足の頭でぼーっとしながら、切り株に腰掛けて木々のざわめきを眺めていた。シーズクリフが旅立つ前に、カルラの事を話すか早く決断しなければならない。しかし、考えても考えても堂々巡りでどうしようもなかった。
こうなれば、自分が1人で抱えて墓場まで持って行くしかないだろうか。
コルトが深いため息をついていると、馬の蹄と車輪の音が聞こえてきた。どんどんこちらへと近づいてきている。
コルトは自分の心臓が脈打つ速度がだんだんと速くなるのがわかった。ここに馬車で来る人間など1人しかいない。ハノンやウォルスタはいつも馬で来る。近隣の村人が訪ねてくる時は徒歩だ。
やがて、馬車が姿を現すとコルトの家の前に止まった。
中から出てくるのは、カルラ・・・いやケイティだ。いつもの全身をすっぽり覆い尽くした姿でこちらへと近づいてくる。犬のベアトリスも一緒のようだ。
「コルト様お久しぶりです。突然すいません」
「ああ、ケイティ殿、どうしたのだ」
コルトは、動揺を気取られないように気をつけながら、ケイティの目元と思われる辺りを見つめる。こういう時は無理矢理にでも目を合わせて逸らさないことだ。
「実はビーの様子がおかしくて、朝から何かを訴えるように吠えてきて・・・馬車に乗れと言っているようなので、ここに来てみたのですが」
「ふむ。いつもと変わらないようだがな」
コルトはベアトリスの様子を見るが、特段変わった様子はない。当のベアトリスはと言えば、わんわん!とひと鳴きすると気が済んだとばかりに馬車へ戻っていってしまった。
「あら?なんだったのかしら?屋敷ではあんなに必死に吠えていたのに・・・」
困惑しながらも申し訳なさそうにするケイティに、コルトは気にするなと手を振ってみせる。ただ、いつシーズクリフが戻って来るかわからないので、早々に帰宅を進めた。
「こんな風にやって来て、ハノンが心配してる事でしょう。早く帰ったほうがいい」
「そうね。ビーは私の数少ない家族なものだから、心配性になってしまってすいません。すぐ帰ることにします。コルト様ありがとうございました」
御者台のクロードが馬を走らせ、馬車の中からケイティが頭を下げ去って行くのを見送ってから、コルトは息を吐いた。どうやら無意識に息を止めていたらしい。
まったく、なんてタイミングだろうか。
やれやれと、コルトが家に入ろうと振り向くといつの間にか人が立っていた。
ビクッとコルトの体が跳ね上がる。
視線を上げて顔を見れば、そこにいるのはもちろんシーズクリフだ。
ああ、なんて事だろうか。
「とにかく、中で座って話そう」
コルトは自分が落ち着くためにも、シーズクリフを室内に促した。
シーズクリフの菫色の瞳が揺れている。
今にも叫び出しそうな顔をしながらもシーズクリフはコルトに素直に従った。
「コルトおじ様、さっきのは・・・カルラですよね?」
テーブルについて飲み水を出されるまで大人しくしていたシーズクリフは、水を一口飲んだ途端、そう切り出した。
「なぜ、そう思う?カルラはあんな姿形じゃないだろう」
「たしかに、あの格好じゃあ顔も姿も分かりませんけど、でもあの声はカルラの声でした。それに、ベアトリスのことをビーって呼ぶのはカルラだけです。他の人がビーって呼んでもベアトリスは反応しません」
やはり誤魔化すのは無理か。
シーズクリフの迷いがない視線を痛いほど受けつつ、コルトは数秒目を閉じた。
そして、目を開くとシーズクリフを真っ直ぐに見つめ返しながらしっかりと頷いた。
「ああ、あれはカルラだ」
「どうして!?カルラは死んでなかったんですか?そしてあの格好は何なんですか!?」
こうなったら素直に話す他ないだろう。コルトは静かに決意を固めた。




