惑う群れ
3
ダウスを出て北上すること数日、昂国全土の中心に位置するダロル湖、その北辺にある町ムネリに到着した。そこからクス高峰に到る過程にあるというツークスを目指し、山中に入った。
人が住むと言われても、煌の道はそれほど整っておらず、大勢で向かうには適さないと思われていた。文化など持っていない原始の生活をしているのだと思い込んでいる者もいる。断絶もあって、それほど煌についての知識は少ない。
ところが、実際踏み込んでみると、そうでもないようである。さすがに石が整然と敷いてあるということはないが、道幅分は土が堅く踏みしめられ、途切れることなく奥へと続いていた。枝道はあるが、主筋との差は大きく、迷うことはなさそうだ。
深い森を掻き分け進むか、急峻な山登りをせねばならぬと想像していたため、九十九折でなだらかに登っていく道に緊張感も緩みがちだ。
まだ麓近くであるため、この先はどうなっているか分からないが、煌の案内役であるサン・ノジによれば、しばらくはこうした道が続くという。進むにつれ高度が上がり、息苦しさを感じるが、まだそれほど苦になるものではない。
空は高く、吹き抜ける風は心地よい。夏の粘つく空気は吹き飛ばされて、清廉になっていくかのような心地よさに、足取りも少しは軽くなる。あまりにも順調に進軍できたため、真穿十獅の一人、リェン・太は、返って不審がっていた。
「てっきり、道が厳しいために到達が困難となっていると思っていたんですが。思いのほか、歩きやすい。煌の攻略が難しいと言われるのは他に何か要因があるってことでしょうか」
歩を進めながら、首を傾げて、リェンは言う。
サイトとリェンとの付き合いは長く深い。人質であったオウを瑗から奪還した時からである。リェンは飄々として波風を立てない人物であるが、未だに、どこか気を許せない所を残している。そんな事はないのだが、見えない所に刃物を仕込んでいるような緊張感を覚える事がある。
共に闘う内に、大事な者を失い、狂気に落ちかける所も見た。今では立ち直って見えるが、その陰りが垣間見え、そう思えるのかもしれない。
リェンの役目は後方部隊長であるが、ただの後詰めではなく、状況に応じて動ける器量もある。異国のものらしい武芸も非凡な腕前で、隊長として申し分のない人材である。
その才を買って、リェンは今、サイトの副官の立ち位置にいる。本来ならトオワ・迅がその役に就くのだが、彼はクウー・骸と共に河津に残っている。
放って置くと際限なく敵を見つけて蹴散らそうとするクウーを制御する為と、モウ・牙を暗殺したという謎の女を追う為である。女はソンヴと名乗ったらしいが、当人はその頃遠く煌の山地にいたはずだ。別人だとは思うが、それでも心配の絶えないサイトの心中を察して、トオワ自らがこの調査を名乗り出てくれたのだった。
「確かに、これまでの所は、思っていたほどではないな」
ムネリを出て数日、拍子抜けするほどの順調な行軍に、サイトも違和感を抱いていたと告げる。
「これでは、アヌン攻略戦で山を迂回した時の方が難儀だった」
サイトが口にしたアヌンは、河津西部の町で、真穿は山地の西端を迂回して遠征、陥落させようとした。その闘いは苛酷で、リェンの心に深い傷をつけた。
「確かに」 と、頷いたリェンは、いつもと変わらないように見えた。
「分かりやすく進みやすい道を設けておきながら、他国との関わりを拒絶している。ならば、これは何のための道なのか、と考えたくなる。不慣れな者なら、まずここを伝って登ろうとする。果たしてその先は、ちゃんとツークスまで続いているのか。サンノジの案内は、罠への誘導であると思ったほうが良いのでしょうか」
サンノジは、煌からやってきた若者である。ソンヴの危難と失踪を知らせてくれた。さらには、彼女を危険な目に合せてしまったと負い目を感じているので、その償いに、捜索に行くのならば案内をしようと申し出た。
「識のお嬢さんの身に起きた事を知らせてくれたのはあり難いのですが、それは、果たして個人の判断なのか。出入りを厭う煌の人間が、他国の者をわざわざ呼びに来るというのも、ねぇ。裏に誰か指示しているものがいると、思わずにいられない。その可能性に気付いていたから、この話、すぐに飛びつかなかったんでしょう?」
「いや。迂闊な動きをしたくなかっただけだ」
「ほぅ。しかし、気が気じゃなかったのでは?」 にこやかにリェンは言う。
サイトは顔を顰めて見せ、小さい声で言った。「……心配はしている」
「そうです、か」
じっと心中を読もうとするように見てくるリェンに、サイトは話題を変えていう。
「ノジの言う幻獣、太獣の話。どう思う? 瑗でも同じように、今でも畏れられているものなのか」
「私は生まれがこっちじゃないんで、よくは知りません。確かに瑗にも同じような言い伝えはあるし、北の森や山に住む者達は、忌むべき獣として畏れていますね」
「人が非力であった時代とは違う。今では道具も武芸も発達している。獣ごときにいつまでも遅れを取るものか、とは考えないのだろうか」
「そういう者もいましたよ。えっと、何て名だったかな。レノガの森辺りでは伝説的な剣豪と謳われているんです」
「そうではなくて、実際に切り拓こうとしたものはいなかったのか」
「切り拓いたとまでは言いませんが、煌の土地に寄って行った者はいますね。瑗の北、ダロル湖東端のターナ。今はステモン・誉という華属が収めています。業突く張りな人で、領土を北へ押し上げようと、キョウを圧迫していた。ところが今回、逆に煌からの南下の流れに押しやられ、街を滅茶苦茶にされたみたいです。人が急に増えすぎて、物資は一気に底をつき、職にあぶれるものも大勢出た。病を持ち込まれたという噂もある。街の機能は完全に麻痺して、嫌っていた瑗の中枢・源家の援助を受けざるを得なくなった。すがり付いてきたステモンの訴えを受け、ようやく瑗の側もハライ・コウへの対策を講じ始めた、と言う次第らしいです」
「ターナか……。結構な規模だったはずだな」
サイトも一時瑗環国内に入った事がある。その際に得た情報では、レノガの森の木材と、ダロル湖の水産資源を上手く捌き、繁盛していると聞いていた。
「まぁ、それ以前に、ステモンは、煌に向かって領地を広げようとして、間にいるキョウの民に圧力をかけていたそうです。鬱憤が堪っていた所に、ハライ・コウが乗り掛かり、さらにキョウまでも暴れ出した。それで鎮圧のための戦力が分散してしまい、ままならなくなった、と」
「キョウか……。そこまでされても、山への反抗という選択肢は選ばない。彼らも、やはり、山を恐れているのだな」
「ええ。そう聞かされて育つからでしょう。とはいえ、今回の遠征でも、かなりのキョウが同行しています。土地勘や環境に慣れているというのは強みですが、その実、頑固で扱いが難しい」
ツークス征圧に差し向けられた綜の軍勢は四千人。部隊は、大きく四つに分けられる。綜正規の統士が二千と、サイト率いる真穿が七百名。
さらには別の道を登ってくる部隊がいる。南の河津から徴兵したとしても、高地では戦闘能力が落ちるだろうと判断して、ダウスより北の地からかなりの人数が集められた。主に西方の街ルブラから数百人の援軍を要請してある。また、瑗も同調して東から山を登り、ツークスで落ち合う予定になっている。
四つ目はキョウの部隊である。
山に生きる誇り高き煌の民は、自らをコウジュウ〈高みに従うもの〉と呼び、低地に幅を利かせる群集を、ワグン〈惑う群れ〉と見下す表現を使う。そしてそのどちらでもない者達、綜の端に生きる者達は、自らをキョウ〈狭間に生きる者〉と自虐的に呼んでいる。
今回、そのキョウで編成された千人の部隊の長となったのが、ユジ・ドウゴという男である。
サイトと同年代のシイド級であるが、国境を守り戦い続けた歴戦の統士である。〈紅針〉という異名を持ち、険悪な目つきに、顔に刻まれた皺が印象的である。ある戦いで右腕を切られ、片腕は満足に動かない。それでも、腕に固定できるように改良した剣を用い、彼は最前線で戦い続けてきた。
案内役のノジにより、主幹の道以外は絶対に通らない、森には踏み入らない、という方針を聞かされた時、真穿の隊長格からは疑問の声があがった。その反対を強固に押し留めたのが、このドウゴである。彼とその配下達があまりに切実に訴えかけるので、山でのことは山に住む者の方針を聞いた方が良いとの判断が下った。
「まぁ、どこまで行けるか見てみよう。別の道を選ぶかどうかは、ノジの腹の中がはっきりしてからだな。太獣とやらは、会って見ないと危険度が計れない」
「了解しました。しばらくは、山の景色を楽しみますよ。願わくは、これが最後の平穏にならないことを願って」
にこりと笑い、リェンは離れていく。その間際、この景色、どこか懐かしくて好きなのですよ、とリェンは小声で言った。
*
穏やかに雑談に応じていたサンノジだが、だんだんと言葉数が少なくなってきた。先ほど、彼が小声で語った問題の場所が近づいているのだ。緊張し始めていることが、ありありと分かる。
そして、キョウ出身の男達も、その足取りが重くなってきている。ここから先へ踏み入る事が何をもたらすか、親達から聞かされており、畏怖の心が染み出ているのだろう。
乱れがちな行軍だが、それでもキョウの統士は歩みを止める事はない。先頭を行くドウゴが全く動じた様子を見せないからだ。堂々とした後ろ姿を見る事で、統士達は不安を散らしているのだろう。戦功もあるが、彼個人がどれだけ信頼されているか、よく分かる。
道は小高くなった丘の上へと続いていた。視野が広がり、解放感が生まれる。見送るように、松ぼっくりを抱えたリスなどもいる。小鳥のさえずりなども聞こえて、穏やかな風景である。
その場所は、タン・アデオと呼ばれている。
道を塞ぐようにして、何かが長々と横たわっているのが遠くからでも確認できた。近づくにつれ、延延と続く石壁だと知れる。それほどの高さは無く、幅も大股で一歩分くらいか。何も道具を使わずとも、よじ登れる程度の石積みだ。障壁としては脆弱だが、存在が重要なのだと、サンノジは言う。
サイトは一旦進軍を止め、壁の向こうの様子を探った。壁の後ろに伏兵がいて、いきなり矢の雨が降ってくる、といった不穏な事はない。大勢の殺気は隠しきれず、周囲の小動物たちが自然と察するものだからだ。
正規軍、キョウも同様に足を止める。それぞれの長である、バシー、ドウゴがサイトと並んで立ち、彼方を眺める。
「ここから先は、コウジュウ以外が踏み入ると、たちまち獣に襲われるという話もあるな」 と、バシーが言う。その口調には、自分は信じていないが、という含みがあった。
「太獣はいる」 と、ドウゴが硬い声で呟いた。
「そうか。見たこともない獣なら、食べた者もいないのだろう。捕まえて味見してみたいものだ」
人を小馬鹿にした物言いを受けて、ようやくドウゴは無表情のままバシーを見返した。
「バシー様、土地には土地の流儀というものがあります。ここはどうか……」 と、一歩下がった所からバシーを諌めたものがいた。正規軍の将はバシーであるが、その副官的立場にいるのが、このゴウトク・ゲンだ。彼の部隊は定評があり、今回、正規軍のほぼ半数を任されている。そのゴウトクの言葉に、バシーは不満そうに唸る。
ふん、と鼻を鳴らして、バシーは両手を広げて、周囲を指した。
「獣が重武装して待ち構えているかと、不安だったんだがな。心配しすぎたな」
森で迷子にでもなったかと、ドウゴに向けて言って、バシーは笑う。
不快な笑い声を聞き流しつつ、サイトは石壁を睨みつける。特別な造りでもなく、綜の地でもありふれたものだ。だが、この壁を越えることに、妙に気が乗らない。
「障壁というには、あまりにも粗末なものです。でも、簡単には踏み越えてはいけない気もする、という所ですか?」 と、ゴウトクが声をかけてきた。
常に大量の統士に囲まれ、死線を潜ったことがあるかどうか怪しいバシーとは対照的に、ゴウトク・ゲンはそれなりの腕を持つと噂される統士である。サイトの心中を察しているようでもある。
「これまで仕掛けて来ようと思えば、幾つもの適所があった。攻め込まれていると知りつつ、見逃してきた理由は何か?」 サイトは言った。
「そもそも罠であり、引き返せない所まで誘い込むつもりである……」 ゴウトクは即答した。
「わざと低地の者を圧迫。その苦境の元凶が自分達であると知らしめて、怒らせる。周りが見えなくなり不用意に奥まで踏み入ってきたものを、大義名分のもとに、すべて抹殺する……」
北征が確定になる前に、綜統国の上層部は、探りを入れる為に斥候を送っていた。その内一人が、タン・アデオで、武装した統士団を見たと報告してきている。
クドゥは、この守団こそがハライ・コウの起因と決め付けた。煌の統士たちが武力を持ってして、民を下の方へと押しやった。つまり、この災禍は、煌が意図的に引き起こしているもの。人災であるのなら、ただ手を拱いていてはならない。ここは一度徹底的に抗戦しないといけないと、オウ・青に詰め寄ったのだった。
「罠といっても、所詮は山猿の浅知恵。数もこちらが勝っているはず。どんな手で来ようとも、充分蹴散らせますが――――」
そのゴウトクの言葉は、本気でそう思っているというより、サイトの事を試そうとしているように思われた。おそらくは、待ち伏せという形で待ち構えているだろうと、サイトも覚悟していた。
「こちらとの武力差が開いていた場合を考慮せずに、自国まで呼び込むだろうか。喧嘩のきっかけを作ってまでして、負けたらどうするとか、考えないのか?」
「さあ。獣相手に必死になってばかりで、自分が優れていると増長したのでは? こんな山奥の者に我々が遅れを取るとは、どうしても思えない」
「どんな手で来ようとも、打ち勝ってみせるということか。バシー殿同様に、頼もしいな。ただ、ここは敵地、どんな罠があるか分からない」
ゴウトクは肩をすくめた。
どうやら決断が下されつつあると察し、本当に引き返す気は無いのですねと、サンノジが駄目押しをしてくる。煌の統士は、侵入してくる者を決して生かして帰さない。また、ここから先は魔所でもある。命を賭ける覚悟はあるのか、とも。
これらの彼の言葉に、おそらく誇張は含まれていないと、サイトは感じていた。これまで、戦場を駆けることにかなりの時間を費やしてきた。そこでは生命は不確かな状態にあり続ける。今、眼前に敵はいないものの、同じ感覚を覚える。たとえ案内役がおらず話を聞いていなくとも、直感的にここは危険だと察していた自信がある。
それでも、前へと踏み出さなくてはならない。それは、主オウ・青との誓いのためだ。
彼は四つの国を統一すると宣言した。どれだけ困難で、無謀な前進であると知りつつも、成し遂げてみせると意志は固い。主がそう望むのならば、僕であるサイトも命をかける。彼の道の前に立ち、すべての危険なものを遠ざけてやると、サイトは誓ったのだ。だから、往かなくてはならない。
「真穿、行くぞ!」
サイトは部隊に活を入れ、前進を再開した。
*
境界となる門に近づいていく。今のところ、何か起こりそうな気配はない。
「あぁ。これは、やはり……」
サンノジが、思わず、と言った感じで声を漏らした。彼が一番に気付いたのは、山育ちだけあって遠目が利く所為か、それとも見慣れた景色に不可解なものを見つけたのか。
「うわ、この匂いは……」 と、真穿十獅の一人、トン・坂も何かに気付いたようだ。彼には香りの研究を専門とする姉がいる。その血筋なのか、鼻が利くことは部隊中で随一である。風に乗って漂ってくる臭いに不穏なものを嗅ぎ取ったようだ。
サンノジは、自分が見えたものを伝えようとして、けれども、口にすることを躊躇っていた。トン・坂も不快感を伝えてくるのみだ。
「見て来よう」 そう宣言して、サイトは自ら先頭に立った。ドウゴも進み出てきて、サイトの後ろに続いた。
石壁は境界を区切ることが主な目的であるのか、超えられないほどではない。だが、その門となる場所だけは見上げるような高さだ。その門の影が届くぎりぎりの場所に、それはあった。
「……くそ」
煌の動向を探る為に送った斥候の、変わり果てた姿だった。鉄製の長槍が、二人の背を貫いている。地面に斜めに突き立った数本の槍に支えられる形で、体は宙に浮いていた。鳥にでも啄ばまれたのか、一部は崩れ落ちている。
「見せしめのつもりか」
「これ以上進むと、こうなると示したのだろうな」 と、ドウゴも同意を示した。
どうするんだと、ドウゴが視線で問うてくる。その目線を直接受けずに、サイトは言う。
「正直、気が乗らなかったが、これで腹が決まった」
「皆、ああなるかもしれないぞ」
かもな、と頷き、サイトは言う。
「だがこれは綜に対する明確な敵意だ。ならば、打ち払うのみ。それが、綜真の盾である俺の役目だ」
サイトは斥候の遺体を丁寧に埋葬するように、指示を出した。その後、再び前進の命を、より強い口調で下した。




