まみえる
2
真穿は、横列の中には組み込まれていない。けれども、自由に行動することもできない。東の森に潜んでいる事が、与えられた任務だった。
もしレクトの不安が当らず、そのまま押し勝てれば、直に闘えない真穿は華々しい戦果を上げることは出来ない。日陰を行く任務だが、バイローは素直に従った。けれども、トゼツらが大人しく待機しているかどうか、トオワは不安だった。
無理だろうな、じっとしてなんかいられないだろうな。内心では、そう諦めていた。トオワ自身も、テイスグの無念を晴らし、レクトの統道に協力したいと思っている。
「本当に来るのかな」
トラルがまた話しかけてきた。対応が面倒なので生返事をしていたら、いつまでも繰り返してくる。しかも、力を振るう場があるのかと心配しているというより、来ないでくれればなという魂胆が透けて見える。どうにも頼りない小隊長殿である。後で置き去りにされた配下達を宥めにいかないとな、とトオワは考えていた。
ただトラルがそわそわする気持ちは分かる。ここにいるとどうにも落ち着かないのだ。自分の位置を見失いそうになるほど未知に溢れる森を、トオワは体験した事が無い。これほど植物が密集している所は、綜に生きる者たちの大半とっては不慣れな場所なのである。
「トオワ、見ろよ」 と、トラルが指差したのは、はるか上空だった。頭上高くでは、鷹がずっと旋回して眼下を窺っている。高みの見物ということだろうか。
「あの鷹、ずっと付いてきているな。死体を狙ってやがるのか、気味の悪い奴だ」
戦の気配を察したのか、死肉を食らう鳥獣などが寄ってきている。姿を見せないが、早く始めろという期待が篭ったような不吉な鳴き声だけが聞こえてくる。
「普段は逆だからな。たまのご馳走というわけだ」
うぇぇ、とトラルは顔を顰める。「待っていてくれるだけ、ましか?」
そうとも限らないぞ、とトオワが言うと、本気とも冗談とも付かない。
遠く開戦の銅鑼が鳴り響いてきた。何百もの靴音がここまで響いてくる。味方の前進に合せて、河津攻団も向かって来ている。日を遮るものの無い場所が、やけにまばゆい舞台であるような気までしてくる。
「見ろ、ガデロだ」
向かって左側に迫る幹隊、それはガデロの旗を掲げていた。そしてその最前列には、自ら隊を率いてガデロが居た。長身痩躯で、禿げ上がった額、長い後ろ髪と、聞いていた特徴どおりだ。遠く離れた所から見ていても、多くの死を招いてきた不吉な雰囲気が感じられる。
「うわ。できれば、あいつとはやり合いたくないな」 と、トラルは臆病風を吹かせた。
気を許したトオワにだけ聞こえる声であることが、せめてもの救いだった。配下達の耳に入りでもしたら、士気が下がること甚だしい。
聞かなかったことにして、トオワは観察を続ける。ガデロの配置は定番の右爪であるようだ。となると、真ん中にいるのが、セイ・靭のはずである。目を凝らすと、ガデロと並ぶようにして、進んでくる幹隊がある。セイは識別できないが、多くの旗が翻っている辺りにいるのだろうか。そして、一番遠く、左爪に当たる位置にソンギ幹隊がいるはずだが、こちらは辛うじて旗が見える程度である。
「やるなら、俺は真ん中が良いな」 とトラルは呟く。
ソンギは爪の中でも一番の猛者だと聞いている。真穿で言えば、トゼツかクウーのようなもの。トラルではまるで相手にならないだろう。
今ソンギは一番遠い場所にいて、しかも大規模な移動は望めない。彼の部隊と遭遇する確率が低いことは、幸いなことなのかどうか。
「始まるぞ!」
河津攻団が、仕掛けてきた。綜守団は守りに徹している。下手に駆けて陣形を崩すより、待ち構えて押し返した方が良い。攻める側としたら、できるだけ勢いを付けて、突破しようとする。河津の幹隊は、其々駆け出し、一気に迫ってくる。
「あれ? ガデロだ」 トラルは不思議そうに言う。それはトオワも同意見だった。そもそも、三隊が同時に来れば、別の形になると予想を立てたのはトオワである。
三つの幹隊は、それぞれ得意とするものが違う。ソンギは圧力をかけてひたすら押してくるし、ガデロは急展開と急加速、意表を突く事を好む。そして、本来もっとも持久力と機動力に長けているのは、セイの部隊だ。となれば、三者一斉に駆け出せば、頭一つ抜け出るのは、中央にいるセイのはずである。
ところが、セイの部隊は、やや遅れ気味である。ソンギに抜かれはしないものの、どうにもぱっとしない。手を抜いているのだろうか。
ガデロが直前で加速し、そして綜守団と接触した。
左陣から火蓋が切って落とされたのは意外だが、レクトの配置に抜かりは無い。綜守団は、最初の突進を受け止めて見せた。中央のセイが続き、一番心配されていた右陣も、ソンギの初動に対し、どっしりと腰を下ろしてぶつかった。
各隊は縦列で一点突破を目指してくる。その圧力に負け、綜守団の壁に食い込まれる。だがレクトは揺るがない。次から次へと盾を追加し、最初の勢いを完全に殺す事に成功した。
攻団はなおも力押しで、陣形を乱そうとしてくる。多少食い込まれたが、守団も新手を投入し押し返していく。そしてそのまま、じりじりと、前進した。
ソンギの力押しには苦戦しているようで、そちら側の守団は負けている。だが、ガデロ側は押し返し始め、中央は完全にこちらが押している。それで調子に乗って、一箇所だけ出過ぎないようにと、レクトの指示が走る。陣形を崩せば、爪に内部に組み込ませる隙を作れば、どうなるかわからない。慎重に全体の足並みを揃える必要がある。レクトの采配は、これまでのところ、完璧だった。亡きテイスグの後を継ぎ、守団を任されるだけの力量はあるようだ。
「さて……」
トオワは手を合せて、手の平に滲んだ汗を拭う。ここからが、本番である。
「トラル、そろそろ位置に着け」
「く、来るかな」
観戦の興奮も一気に冷め、現実に立ち返ってきたようで、顔が強張っていた。そんなトラルに向かって、トオワは頷いて見せる。
「じゃあ……」
「セイは、あそこにはいない」
分かるのか? というトラルの問いに対して、多分、とトオワは返した。
「少なくとも、中央に主力はいない。前線にいるのは、そうだろうが……」
後方は、おそらく統士ではない。観察の結果、そうトオワは見ていた。
中央のセイの幹隊。その内、前線に配されているのは紛れも無く統士だ。戦い慣れているし、躊躇もない。足も相当速いようで、セイ隊の評判どおりだ。ただし、その後方、こちらに違和感があった。指揮系統がしっかり浸透しておらず、もたもたとして見える。滑らかに移動する前衛についていけず、それどころか、綜守団を前にすると、暴走して突進しようとしている。
あの戦いぶりは酷い。アヌン護士も喧嘩慣れした素人と言った程度であったが、それ以下だ。素人のそれにしか見えない。
どこから連れてきたか知らないが、あれはこちらを騙す為の偽装だ。やはり、レクトが読んだように、ハイルは真っ向勝負を挑んできた訳ではない。
「来るぞ。備えろ」
分かったと頷いてトラルは戻っていく。その背に向かって、トオワは声をかけた。名を呼ぶと、トラルは訝しそうに振り返った。
「あの人の眼は確かだ。俺達は良い人の下に付いた」
そう、俺達は良い人の下に付けたんだ、とトオワは心の中で繰り返した。
「正しい道だ。だから疑うな、俺達は負けない」
トラルは少しの間、何を言おうかと考えたようだ。
「迷ったことなどないよ」 と、トラルは笑って言う。「付いて行くべき器がどこにあるか、よく分かっているから」
いつになく自信に満ちた笑みは、妙にトオワの眼に焼きついた。
それから、トラルが立ち去った後、森の奥深くから敵の姿が現れるのに時間は掛からなかった。