コウの遺産②
コウの遺産②
ソンヴは、仲間を連れ、煌の深部を目指した。目指すは中心地と言われるツークスという街である。
実は煌に入り込むことは、彼女にとって初めてではない。公にはしていないが、密かに踏み入り、どういう所であるかという感触を確かめていた。コウ・ウの研究をしているというだけではなく、実際に彼の足跡を辿っていたのだ。
そうして可能な限りの情報を集め、対策を熟慮して、時間をかけて準備をしてきたが、やはりこの旅路は困難を極めた。ただ、予想外の出来事が起きるだろうということは、ソンヴには織り込み済みである。動じず、諦めず、諸々の問題に対して、適切な対処を目指した。その甲斐あってか、困難と犠牲は避けられなかったが、ソンヴ達はついに目的地に到達した。
煌の中心地ツークスらしき街に辿り着いた時、女が険しい山道を登って来た事に驚いたのか、コウ・ウの跡を追う異才だと言う評判がここまで届いていたのか、ソンヴは歓待を受けた。
街を仕切っているというサンという名家より、ノジという若者が世話役として遣わされてきた。煌滞在中は、彼が諸郷との仲立ちをしてくれるという。
同年代のノジは、聞きもしない事を調子よく喋ったかと思えば、どれだけ問い詰めても知らないの一点張りの時もある。また、ノジの案内する場所以外には立ち入りを許されなかった。それには一応、理由はある。凶暴な獣が出没するから、現地をよく知る者がそうした場所を回避しているので、ということだが、これは嘘だった。ソンヴが余計な事を知り過ぎないように、ノジが監視役として遣わされているのだろう。
行動の自由を制限されつつも、ソンヴはできるだけ煌の実態に迫ろうとした。その中で、まず気になった事がある。異国人に対する反応が、聞いていたものと違うのだ。
煌の民は、自分たちはハライ・コウの時期は横暴に南下してくるのに、逆に煌の領土を侵そうとする異国人に対して激しい拒絶を示す、と聞いていた。
だが、明らかに自分達と違うソンヴを見ても、害意を示す所か、関わり合いを持とうとすらしない。誰がやってこようが関係ないといったように、まるで反応を見せない。異分子であるソンヴは勿論、おそらくは支配力の強い家系の一員であろうノジを見ても、全く興味がないという風である。賑やかなツークスを離れ、周辺の集落まで赴いても、聞いていたような激しさは見られない。ソンヴたちを一瞥した後は、顔を上げる事も無く、小さな畑などを耕しているのだ。
*
ある日、ノジに見せたいものがあるので来てくれないかと言われた。放置していれば、ソンヴがどんな行動に出るか分からない。ある程度の情報解禁は必要だと考えての妥協なのかもしれない。
ツークスより半日ほど歩いた先にあるその集落は、これまでに眼にした集落同様、慎ましい暮らしぶりだった。道具も木製で簡単な造りのものが殆どだ。小さな耕地が周囲にあるが、収穫の成果は芳しく無いらしく、どの村人も痩せて細い体格の者ばかり。これでは、麓にあるキョウの郷と大差が無い。綜や瑗の進攻を完全に防ぎきったという国力は、一体どこにあるというのか。
一見するとここも、同じような景色と反応しかない。だが、ソンヴの眼はこれまでと違うものを捉えていた。
切り出した巨岩が集落の端々に転がっている。直線で構成された面を持ち、自然のものでは無い形状をしている。完全に直方体に加工されたものもあるが、その途中と思しき物が多い。どれも近年で切り出され加工されたものではなく、永く放置されて、ほとんどが苔生している。
巨石の周囲の地面は、どこも均されている。これは運ぶ際に抵抗を少なくしていたからではないだろうか。ただ、これだけの重量では、ただ引き摺るにしても、引っ張る紐に相当の強さと長さがいる。それが可能な広さが、今は確保されていない。住居や小屋が好き勝手に建っているので、動かすとなると障害となり、移動は容易ではないだろう。
つまり昔は、石を切り出してきて、ここで加工して、どこかに運ばれた。今はその作業は途絶え、放置されて長い時がたった、という風景に思えた。
「見せたいものは、この先です」 と、苦笑いしながらノジが言う。ソンヴの目聡さに呆れているといった感じで、棘はない。これまでと違い、ソンヴが観察の目を向ける事を容認しているようだ。
あれだけの物を動かして作れたということは、少なくとも昔は、洗練された文化とかなりの技術を持っていたということだ。今はどうなっているのか、さらに進化しているのかは、ここだけでは窺い知れない。今の国力は詳らかにできないが、往時の様子は見せても構わない、という事だろうか。元々学術的調査に来たのだから、一向に構わないとソンヴは思った。
集落の外れに近付くと、開けた場所に出た。そこには、二人の子供が元気よく走り回っていた。
遊びに興奮して呂律が回っておらず、しかも訛りもあり、何と言っているのか分かりにくい。ただ、詳細は分からずとも、表情を見るだけで大体の事は伝わる。楽しい、悔しい、くすぐったい、堪えきれないほど、おかしい。豊かな感情を、子供達は内から溢れ出るままに表わしていた。違和感のある衣装であっても、見慣れない顔つきであっても、内に秘めた純粋さは、煌であっても綜であっても、大して変わらないらしい。
数は少ないが、子供たちは活力に溢れている。煌の誰もが無気力、という訳では無いらしい。ほっとした気分で、ソンヴは子供たちを眺めていた。
これがこの土地の者の生来の気質だとすると、大人達に見られたあの無気力は、何に由来するのだろう。大きくなるにつれ、自然とあの諦観が備わっていくものなのか。他の地でもそうであるように、しがらみに満ちた世界の窮屈さを知って、無表情が常態になるのか。だとしても、山地の上と下で、この大き過ぎる差異は、どこから生じるのだろうか。過酷な環境だからというだけでは説明できないように思える。
「ここには他にない何かがあるのだろうか。そう考えてしまうでしょう?」 と、見透かしたようにノジが声をかけてくる。
「詳しく知りませんが、ワグンでも、同じようなものだと思います。ここにはシンレイはありませんが、もう少し大きな町に行けばあります。適度に搾取して、それなりに見返りを与え、必要以上に過酷な要求はしていません。どこか違いますか?」
ワグンとは、煌の者が異国に生きる者達を差して言う言葉だと、ソンヴは承知していた。本来の意味合いだけでなく、多くは侮蔑的な響きを持たせて使う。ただノジの口調からは、見下している様子はなかった。
確かに、ノジが言うような民の扱い方は、キョウに対する国の対応と近い。けれども、やはりここまで悲観的にはなっていない。ソンヴはその通りだと答えた。
「でも、こうなってしまうんですよ」 と言って、ノジは笑みを浮かべた。その表情は、どこか虚しげだった。
「何も、原因などないというの?」
「強いて言えば、国柄、でしょうか。あるいは、土地柄……」
ノジが言いかけたその時、大地が揺れるのを感じた。巨大な何かが唸っているかのような地鳴りが伝わり、思わず息を呑んだ。驚くほど大勢の鳥や獣たちが放つ鳴き声が、本能を刺激して、恐怖を煽った。
地震いは、すぐに収まった。天災かと大騒ぎするほどではないが、それにしても、とソンヴは思った。
「多いな……」
地震いは、綜の地でも経験しているが、ここ煌の地ではその回数がやけに多い。山に入って一ヶ月、その間に何回も体感していた。それも、綜の地で起きるものとは違い、ここでは山全体が大きく身震いしているかのように感じられる。これでは、地震いはアレの寝返りの所為だと言う言い伝えを、信じたくなるのも無理はない。
子供が一人、不安げな表情で空を見ながら歩いてくる。注意が余所へ行っているので、危うくソンヴにぶつかりそうになる。はっとして、直前で立ち止まり、ソンヴを見上げた。
「大丈夫?」 とソンヴは声をかけた。
見慣れぬ顔をじっと見つめるうちに、子供は我に返ったようだ。異国の者の邪魔をしてしまったと思い至り、子供は怯えた顔でソンヴの感情を窺っている。
その子の頬にソンヴは優しく手を添えた。
「私は、大丈夫よ」
子供の表情が安堵したようにパッと輝き、大きく頷くと駆け去っていった。むしろ何か誇らしげなものを得たかのようである。
「子供が、お好きなようですね」 ノジが微笑みながら言う。「御家族は?」
「いえ……。おそらくは、誰かと添うことすらしないでしょう」
ソンヴは、強がりでは無く、本心からそう思っている。
彼女は幼い頃から、卓越した頭脳の所為で孤立しがちだった。同年代の者達の愚鈍さに嫌悪を感じ、大人でも話の分かる者は少ないと知った時には、圧倒的な孤独を感じた。他人に相談する事を無意味と思い込み、周囲の者と深く交わろうとしなかった。
それでも、共感を得られる人を得た事もあったが、すぐに喪ってしまった。自分には彼女が必要であったのに、それをあっさりと奪うなんて、運命はどこまで冷血なのか。そんな思いに囚われていた時に、ふいに目の前に現れた背中があった。幼なじみであった彼のことなど、正直、有象無象の一人としか見ていなかった。
だが、彼と触れ合う内に、人の魅力とは、知能程度は関係がない、と気付くようになった。頭が良いからトイトルを好きだったわけでない。どんな人間であれ、存在を認め、受け入れてくれる。それだけで、人とはこんなに満たされるのだと知った。
それまでは、思い上がったことに、人との係わり合いを知能程度で図ろうとしていたが、その少年はそうではないと教えてくれた。そうして、ソンヴはサイトを特別な存在として意識し始めた。
彼を失いたくない、死なせたくないと思うが、サイトは闘いの道へと突き進んで行く。ソンヴはそれを否定せず、サイトの好きにさせていた。そして、己の能力を弁え、発揮して支えあう関係を形成できれば、と思った。サイトは闘い、自分は考えるのが一番性に合っている。その為、新たな部隊、真穿の遠征に幾度か同行してきた。
ソンヴは自分に、情が薄いところがあるので、女として好かれないだろうと諦めている。やってみなければわからないと言って、自分を抑えて関係を築こうとすることに、抵抗を感じていた。仮に受け入れた場合、最初だけは楽しめるかもしれないが、直に向こうが飽きるものだと、悲観もしている。
サイトもこのソンヴの性質を熟知しているので、女としての関係は求めない。だが、ソンヴにとっては、サイトは自分が人でいられる存在である。サイトにとっては、喪失との闘いの最重要防衛点がソンヴなのである。支えあう他人ではなく、分かたれた自分という感覚に近いのかもしれない。
そう自覚しているので、今後二人の間に変わりはない。私達は、それで良いのだと、ソンヴは思っている。