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星火燎原  作者: 更紗 悟
第三章【悪意の凝り】
34/117

転ずる、天

 


     8


「成様!」 と、トオワが駆け込んできた。

 天幕の中で、今後の作戦に対する意見を聞いていた所である。非戦や交戦、火討ちの案までもが挙がっている。今はサーカとトゼツと話していたところだった。

 よほど焦っているのか、どういう状況下配慮する余裕も無い。

「落ち着け。何事だ?」 と、物憂げな声でサイトは応じた。ついに河津の増援が来たと聞かされても、これ以上気が沈むことはない、そんな気分でいた。

「てっ」 と、トオワは言いかけて、言葉に詰まる。「―――撤退、です。真穿、いや、全攻団に、一時撤退命令が出たと、知らせが!」

「なんだとぉ!」 と、側にいたトゼツが険しい顔をして言う。ふざけた事を言うなよと、トオワを目で脅していた。

「攻団が負けたのか?」

「いえ、違うんです。その攻団の… …」 トオワは、一度唾を飲み込む。「攻団将テイスグ・傳様が、暗殺されました!」

「あ、暗殺?」

 トオワによると、東より伝令がやってきて、テイスグ・傳が暗殺されたという知らせがもたらされたという。

 曲者の気配を察した護士が駆けつけるが、毒がテイスグの体内を巡り、もう手遅れだった。周囲を捜索したが、犯人はすでに姿を眩ましていた。

「毒……」 と、サーカが呟いた。「それは、どのような?」

「恐ろしいくらいに目を見開き、錯乱して苦しんでいたそうです。しかも、何かこの世ならざるものを見ていたそうです。それから、呼吸が止まって……」

「くそっ、またやりやがったな、外道どもが」 とトゼツは吐き捨てるように言う。

「また?」 と、トオワが不思議そうな顔をする。

「ほら、四年前、ターレイルの時ですよ。あの時も、大将の首を取っていった。同じようなもので」 とサーカが補足する。

「しかし、あれは河津の者の仕業と確定したわけでは無いはずです」

「認めるかよ、奴らが。だからこうして、正しい方を決める為、戦をしているんだ」 トゼツは口を尖らせる。

「あの時と同じ、なのか。だとすれば、これも… …」 と、サイトは呟く。

 トオワは申し訳無さそうに、話を戻してもいいですかと申し出る。

「攻団はレクト・殊様が統制の代行をなされているそうです。河津守団がこの事態につけこみ、攻勢をかけてくる前に、撤退の指示を」

 おや、とサーカが首を傾げた。

()()()()()()()()()()()のですか? 彼らの仕業だとすれば、頭を失って混乱していると知っているわけで、同時に攻撃してこなかったとは、()せませんね」

「それは、分かりません」 とトオワは答える。誰にどういう言葉遣いをするか、考える余裕も無くなっている。「どうやら、直前に行った策戦が成功したそうです。そこへ、この事件が起きたと」

「それで、暗殺が精一杯だったと? 攻める余力もなかったのか。叩く絶好の機会だったろうに」 まるで自分が実行側であるように、トゼツは唸る。

「確かに。そこまで爪を追い詰めたとは。一体何をしたんでしょう?」 と言って、サーカは首を反対側に傾げる。

 糾弾されている気分になったのか、トオワはすみませんと小さくなる。「それで、とにかく、一時撤退命令が。守団の本陣があるホデルイへ集結とのことです」

「……そうか。分かった」 と、サイトは頷いた。

「大隊長! しかし―――!」 と、トゼツが抗議の声を上げる。「折角ここまでアヌンを追い詰めたんだぜ? あれだけ犠牲を出し、火まで使われたのに、見逃せと言うんですか?」

「異常事態だ。仕方がない」

「せめてアヌンのシンレイを抜いてしまわないと、焼け死んだ部下も浮かばれん」

「ならお前はここに残るか? このままだと攻団の完全撤退もありうる。仮にアヌンを落としたとしても、ここは孤立無援になるぞ。シンレイを失ったとしても、河津の増援が来れば、彼らは外に助けを求めるだろう。安住の地を奪った我々に対して、どんな手段に出てくるか分からないぞ」

 トゼツは、思いあたることがあるのか、渋面のまま黙り込んだ。

「それは、火を見るより明らかですねぇ」 と、サーカが澄まして言う。

「俺も悔しい。だが堪えろ」

「……承知した」 と、トゼツは仕方なさそうに頷いた。それから徹底準備にとそれぞれ散っていった。

 半ば自棄で指示を飛ばす上官達の怒鳴り声が聞こえる。彼らをそうさせる苛立ちは、サイトにもよく分かった。

 ただ、撤退という事態の急変への不安や、暗殺という非情の手段を使ってきた憤りを感じるよりも、脱力感の方が大きい。部下の手前素直に従ったものの、サイト自身もアヌンでの一連の出来事をご破算にされたことに徒労感に襲われていた。


      *


 撤退は恙無く行なわれた。アヌンには最早追撃をかけるほどの戦力と気力は残されていなかったようだ。

 どこからか避難する途中の民達と大勢すれ違った。おそらく、戦場となる場所から逃れて来た者達だろう。確かめると、ほとんどがイマラから避難してきた者達であった。

 綜攻団は、テイスグが殺される直前、何らかの策戦を行い、それが成功していたようである。その上、イマラから河津の民が大勢逃げてきているということは、テイスグはイマラに攻撃をかけ、制圧しかけていたということだろうか。

 大半が、妙に空ろな眼をして、ただ惰性で歩いているようだ。荷物をほとんど持たないものすらいる。逃げる用意をする時間がなかったということか、そういう発想すらなかったのか。あるいは、奪われ失ったのか。人の流れに押され、惰性で付いてきているという状態の者も多い。

 命からがら逃れたのだとしたら、まともな格好などできないものだが、彼らは妙に汚れていた。衣服は勿論、顔や手足にまで煤をつけて、そのことに頓着する余裕すらない。

 住む所を強引に奪われたとしたら、絶望し、打ちひしがれるのは不思議ではない。身の周りに気が回る余裕もなくなる。けれども、それで平穏を奪った憎き敵を見たら、怒りを覚えるものではなかろうか。

 周辺へと散っていく彼らとすれ違う際、綜の統士だと気づかれれば、只ではすまないと覚悟していた。ところが、彼らは予想外の反応をした。

 胡乱な眼でこちらを見、自分達が何者かに思い当たる。そこから、普通なら激情が持ち上がってくる。実際、攻撃的になる者達もいた。

 だが、それよりも多いのが、綜攻団と認識した後、急に怯えた顔をするのである。自分達を見ることで何かを思い出したのか、錯乱する者もいる。真穿を見ると、それが起因となり、とてつもなく嫌な記憶が掘り起こされるようである。

 サイトは、薄々と気付いていた。彼らのこうした反応を、つい最近も見た事があるからだ。

 山から降り、ホデルイへと向かうべく、北へと進路を取る。難民は、北にも向かっていたが、そちらからはやってこない。彼らは、イマラから逃れて来ているのだ。

 ここからイマラを見る事は出来ない。けれども、街の上空に立ち上る黒煙が見える気がしていた。



 心配されていた河津守団の攻撃は無かった。途中から、河津はそんな事をしている状況にはないだろうと気づいていた。アヌンから離れ仲間の元に戻ってきているはずの真穿だが、合流に向けての足が重くなっていた。

 無事国境の町ホデルイへと辿り着き、真穿は攻団に迎え入れられた。

 思っていたより、攻団の統制はしっかりしていた。受け入れ処理と最低限の報告だけして、サイトは後の事をトオワに託し、親友の姿を探した。

 テイスグの元、副将の幹隊にはシアンがいるはず。イマラからの難民から聞いて、何が行なわれたか嫌でも分かっていたが、シアンの口から事実を聞きたかった。

 テイスグが渋っていた策戦。その詳細と、それが実行されてしまったのかどうか。否定の言葉を聞きたかったが、それは無理だと察している。それでも、問い質さずに入られなかった。


 ところが、サイトはシアンと会えなかった。行方が分からなくなっていたのだ。

 彼は部下の面倒見が良いらしく、皆上官の不在を気にかけていた。浮世離れした性格を見せるのは戦時以外か、サイトら親しい者の前でのみと、使い分けていたようだ。

 部下達は、シアンの身を案じていた。その詳細を聞いて、サイトは、胸が熱くなった。

 テイスグは、最悪の選択をした。レクトの善戦により、負けはしないものの、勝利は掴めそうに無かった。そこで()れたのか、テイスグは、火を使うことを命じた。

 当然、皆からの反対にあった。最後までテイスグを諌め、考え直すように説得していたのが、シアンだった。

 彼の必死の懇願にも関わらず、テイスグは讓らなかった。乗り気では無さそうだが、止むを得ないという顔をしていたという。本意ではなく、どこかから指示されたことかもしれない。カントに嫌々命令を強いられる者が一体どれほどいるというのか、シントが報復を欲したのだ、等々の不穏な噂は山ほどあった。

 何にせよ、テイスグは決断した。そして、レクトの片腕の一人に実行させた。バトウという訳ではないだろうが、彼は忠実に従い、策戦を行った。

 レクトが爪の注意をひきつけている間に、大隊を率いてイマラに向かい、そして街に火を放った。

 真穿が帰途で見かけたのは、街を焼かれ、避難している途中のイマラの民であった。逃げる用意が無く、煤にまみれているも納得できた。突如として大火が起きたのだから、そんな準備をしている者は少なかっただろう。綜攻団が来ているといっても、頼みの爪が撃退してくれる、そう思っていたイマラの民は灼熱地獄に叩き落された。

 シアンは、最期まで抵抗し、そして命令不服従で身柄を拘束されていたという。立場を忘れて反対したと聞いて、彼らしいとサイトは思った。反抗の罪に問われるかもしれないと知りつつ、立ち向かったシアンの勇気を思い、サイトは親友の事を誇りに思った。

 その彼の行方が知れないのが、気がかりだった。

 イマラの凶報を聞き、ハイルは取り急ぎ戻った。さすがにその背後は無防備そのもので、そこをテイスグは突くつもりだったのだろう。卑劣な策戦だが、そこまでは完遂できなかった。その前にテイスグが暗殺されたからだ。

 そして、その混乱の中、士気の回復を図る為、人望のあるシアンが求められた。ところが、縛陣に入れられていたはずのシアンの姿はなかった。外から何者かが襲ってきたようで、見張りは全員殺されていた。シアンがいた所にも血の跡があった。彼もまた、襲われたという事だろうか。傷を負った身で、どこへ向かったというのか。


 サイトは、必死になってシアンを探し回った。

 統士だけでなく、『支』分や『考』分の者にまで聞いて回った。町を我が物顔で使う統分に対して、他の分の者は良い顔をしなかった。それでも、サイトは誠意を尽くして、情報を求めた。ついには、ビドやキョウにまで声をかけた。『統』分の、それも高位にあるであろう者の頼みに、キョウらは迷惑そうな顔をした。関わりを避けようとした。仲間達は、そんな恥知らずの事をするなと、サイトを諌めた。

 サイトは退かず、言葉が通じる限り、問いかけた。

 その甲斐あって、有益そうな情報を二つ、得る事が出来た。

 一つは、関係あるのか無いのか分からない。端地に屯するキョウが、普段見かけない集団を目撃していた。自分達と同じみすぼらしい格好をしていたが、あれは偽装だという。見かけは似ているが、キョウからすると、明らかにそのように取り繕っているだけだと分かるらしい。彼の言によると、それは瑗の人間であるという。

 それは、なんとなく雰囲気で、というあやふやな根拠だから、信用することはできない。だが、ちょうどテイスグ暗殺が発覚し、街が騒然とする前に見かけて、それ以降見ていない、という点が気になる。そいつらがテイスグに手をかけ、逃げて行ったのだろうか。

 もう一つの情報は、待ち望んでいたものだった。

 町外れで、手負いの統士を見かけたものがいた。怪しい集団の目撃談から少し後。一人で、何かに追われる様にしていたという。武装はしていなかったが、明らかにまとう雰囲気が統の者であり、衣服にはっきり現れていた赤黒い染みからして、手負いと見られる。

 それから、関連性は確実ではないが、誰かを探していた者が数人。こちらは素直に、キョウだとだけ思ったらしい。シアンの容貌を伝えるが、似ている気はする、と答えははっきりしなかった。

 テイスグを襲った者達がシアンをも襲い、そして、仕損じて追いかけていたということなのか?

 何故彼がこのような人気の無い場所に逃れてきたのか分からない。だが、彼は無頼者が集まるガーレにも馴染める。下手に統士の陣に向かおうとするより、追っ手を巻こうとして見慣れた区画を選び、潜んでいたのだろうか。

 そういった所ならば、自分もある程度勘が働く。サイトは一人、その場所へと向かった。

 町外れには町外れ、キョウにはキョウの、独自の癖がある。こうした場所なら、どういう風に逃げるのが適切か。想像をめぐらして、サイトはシアンの跡を探した。

 程なくして、サイトはそれらしき血痕を見つけた。土埃がつもり、何度か踏まれていたが、まだ新しい。おそらくはここ数日のこと。転々と、どこかへ向かっている。

 この跡を追えば、いるのか。それとも、見たくない物を見ることになるのか。サイトは慎重に追跡し、そして、それを見つけた。


「シアン!」 サイトは名を呼び、思わず駆け寄ろうとした。

 それは、シアンだと思われた。倒れ伏している姿ではあるが、サイトはそれが親友だと分かった。

 シアンはうつ伏せのまま動かない。地面には、赤い水溜りが広がっている。その側には、血を吸った剣を持った女が一人、立っていた。こいつが、シアンを襲ったのか。背後から斬り付けたのか。

 長い黒髪、その後ろ姿には、見覚えがあった。

 これが、いけなかった。普段のサイトなら、親友の危機に遭遇しても、もう少し冷静だっただろう。惨状は間もないことのように見える。ならばなぜ、今倒れた所なのか。その違和感に気づいただろう。

 だが、すぐに側にいる女が誰なのか、サイトは気付いてしまった。そのせいで、サイトは動きを止めてしまった。

「お前、何故―――?」

 次の瞬間、女は振り向きもせず、掌に握っていた灰をサイトに向かって放った。反射的に体が反応して、腕で顔を庇う。次の動作までに、致命的な隙をさらしてしまった。

「何を……」

 視界は薄目程度に限られたが、それでも全感覚を使って、前にいるはずの女の動きを把握しようとする。まだ目の前にいるように思えた。だが――――。

「ちょっと、来てもらうぞ」 と予想外に間近から声がした。

 次の瞬間、背後から強い衝撃を受けた。急所を一撃され、サイトはそのまま意識を失った。


 


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