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星火燎原  作者: 更紗 悟
第三章【悪意の凝り】
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焚き付け


     4


 原始、火は夜陰に潜む野獣を退けてくれる、人間の味方だった。昼間のような安心感を与えてくれる、太陽の使いだった。食べ物に多様性を与えてくれる、生命の保護者だった。火を用いることを知らなければおそらく、人の未来に光はなかった。そう言い切るのは、過言だろうか。

 そのように火が尊重されてきた所はありふれている。しかし、そうでもない土地もある。昂国では、火という存在に対して、古くから特異な対応が取られていた。

 ここでは、火は“あってはならぬもの”として扱われる。自然に生じたものであれ、誰かが呼び起こしたものであれ、とにかく発生すると同時に、目を離してはならない。

 もちろん、食物の調理には欠かせず、極寒の冬には暖を取るために用いられる。それがなければ生存率は格段に下がる。それでもやはり、その存在に対する敬意は低い。

 なぜ火だけは格段に蔑視され、“管理されるべき”として扱われるか。

 火の素は最初、ほんの小さな姿である。だが、少し目を離している内に、それはどこまでも成長し、貪欲に全てを飲み干そうとする。森を焼き、山を焼き、家を焼き、そして人を焼く。

 それだけではない。自由になったジバは、()()()()()()()()とされる。

 あれは、昂国の民にとって恐怖そのものである。その名は、言葉として口にするものも忌み嫌われる。名を呼ぶだけで、()()()()()()()と思うと、躊躇が生まれる。いつ起きるか分からないから、少しでも関係のありそうな事は避けるのである。

 あれは久しくやってきていない。だが消え去ったわけではない。身を潜め、じっと『その時』を待っている。再び、誰にも止められない、暴虐の限りを尽くした絶望の時が訪れる。この思いだけは、昂の民の心深く、根付いている。

 火の素ジが集ったジバ、そして、ジバの最も苛烈な姿である陽真ジラは、あまりにもあれと近い性質を持つ。そのため、まだ微弱なジですら、あれを呼び出しうる。そう思われ、火の素自体を恐れ、見張るようになったのだ。

 そんな昂の民にとって、ジバ信者は、完全に理解の範疇を超えている。

 異国の血を身に宿すサイトとて、昂の民として育ってきた。火というものの扱いは心得ている。しかも、大切なものを奪っていった、憎むべきものである。

 その火を、己のためだけに解放する、そんな暴挙が許されるだろうか。ありえない。あってはならないものなのだ。だが―――。

 サイトにとって、この世の秩序が崩壊したような、衝撃的な景色が目の前に広がっていた。

 背の丈よりもはるかに高い針葉樹の、その天辺に至るまで、炎が舐るように張り付いている。天をつく巨大な紅蓮の化け物が、立ちふさがっているかのようにも思える。多くの仲間達があの怪物の中に飲み込まれて帰ってこない。

 光輝く無数のジが宙を自在に舞い、次なる得物を探している。目が痛くなるほどの輝きに包まれ、さっきまでの牧歌的な景色は消え去ってしまった。尖った物でも仕込んであるかのような空気が喉を痛めつける。

 立ち向かおうにも、抗う術など思いつかない。サイトは呆然と立ち尽くしていた。

「サイト様、指示を下さい! サイト様!」 と、擦れた声がした。振り返ると、煤で汚れた部下達の顔が見えた。

「は、早く、脱出の指示を。どちらに向かえばいいのですか」 と、甲高い声で咎めるように言ったのは、トラル・険だ。

 サイトはゆっくりと首を回して、炎のない場所を探した。サイト達本隊の周囲にはまだ炎は至っていない。だが、四方はどこも紅い。逃げ道など、どこにもそんなものは―――。

 いや、あった。一箇所だけ、まだ色が残っている所があった。やけに、穏やかで清廉な緑に見えた。

 サイトの視線を追って、部下達も顔を向ける。先ほど自分達が通ってきた草原の入り口、そこはまだ火の手が及んでいないように見える。すでに仲間達が、その狭い道へと殺到している。ああ、あんな所に、逃げ道が残されている。ぼんやりとした頭でそう思った。

 次に続いた発想は、それはまずい、だった。

 論理に沿った思考ではないが、直感でその道は危ういと気付いていた。昔どこかで味わったことがある、人を希望から絶望へと叩き落そうとする悪意。今この状況は似ていると、サイトは思った。ならば一見、逃げ道が残されていると思えるそこは、きっと、罠だ。

 それでも、声は出なかった。自分の思考に自信が持てず、多くの人命を動かす勇気も乾き、涸れ果てかけていた。

 と、突然に視界が右へとすっ飛んだ。強引に捩じられた首の違和感、張られた頬の痛みが遅れてやってくる。サイトは、正面に向き直った。そこには、張り手をした姿勢のまま、ジルが立っていた。

「もう諦めたのか?」

「ジル……?」

「それでいいのか? ちょっと大変になれば目を瞑ってしまう。お前は、その程度の男だったのか?」 と、容赦がなかった。

「火が何だ。お前は何だ?」

 ジルは、無言で背後を指差した。そこには、サイトの背後には、部下達がいる。

「彼らは何だ? お前は、彼らの上に立つ者だ。ならば、お前が導かねばならない。違うか?」

「そ、それは……」

「一度人の上に立ったならば、ただ踏ん反り返っているだけで良いはずがない。そんなに簡単に諦めて良いはずがない。どれだけ困難であっても、容易に諦めるな。お前の後ろに立つ者のために、どんな障害も粉砕しようとしろ。その背に付いて来る者が迷わないように、どんな状況でも動じるな。どんな時でも、どこへなりとでも、導いていけ。たとえ間違った方向であっても、最後まで導け! それが統道、それがお前の役目だ!」

 ジルの勢いに刺激され、サイトはソンヴの言葉を思い出した。

 幼い頃、今と同じように、解き放たれた炎を見て、サイトは身が竦んでしまっていた。そんな時、自分も怯えていたはずなのに、それを悟らせまいとしつつ、ソンヴが言った言葉だ。

 火には実体がない。形がない。強く吹けば、弱々しく消えそうになる。そんなあやふやなものに負けて良いのかと。

 お前はその程度かと。

 そうでないなら、飲み込まれるな! 向かい合え!

 そして、乗り越えて見せろ! と。

 サイトは今にもソンヴを飲み込みそうな炎に立ち向かい、なんとか消し止めた。無我夢中であったが、唯一炎に打ち勝った経験であった。

 その時と同じようにして、ようやくサイトの目が覚めた。

「……そうでないなら、私は、私達は、何のために……」 ジルが、呟いていた。珍しく素直に感情を表していた。思わず胸が締め付けられる。

 もう一度、素早く周囲に視線を走らせる。思っていたよりも多くの部下達が、こんな状況でも、懸命になって命を繋いでいる。狂乱にならず、統率が何とか維持できているのは、自分がいるからだ。皆の命を預かることになった自分が、まだ、健在だからだ。

 それなのに、先ほどまでは、こんなにも健気に自分の指示を待っている部下達を目にしていても、何も考えていなかった。ただ呆けていた。

 何たる醜態―――。サイトは、もう一度誰かに頬を、今度は拳で殴り飛ばしてもらいたいと思った。

 だが、今は。サイトは、思考を切り替えた。

 まだ火が向けられていない森のどこかへ逃げ込むか? 炎の街道を突っ切ってしまうか? いや、どれもこの大人数で動く前に、先手を打たれる……。

 サイトは決断して、トオワを呼んだ。

「あの先は危険だ。おそらく罠だ」 と、草原の入り口を指差してサイトは言った。同じ予想をしていたらしく、トオワは神妙に頷く。

「だから、あそこを行く」

「ええっ?」 トオワは驚いた顔をみせた。罠と知っていて、それで行くと言われたら驚きもする。サイトは構わず、生き残りを指揮して、突破の手筈を整えていく。

「成様、しかし……」

「良いんだ。このままここに留まっていても煙に巻かれて死んでしまう。森は論外。何も出来ず死んでしまう。待ち伏せがいるだろうが、人がいられるなら、そこはまだマシな方だろう」

「犠牲が出ます」

「ああ。だが、何もしなければ、炎にやられる。あれはカタチがないものだから手が出せない。しかし、罠なら別だ。敵という実体がある」

「敵、が……」

「それが何だ。敵なら、俺が切り裂いてやる!」

 サイトの言葉に完全に同意した訳ではないだろうが、トオワは頷いた。確かに今は、我が身を斬ってでも道を開かないといけない状況だ。彼も覚悟を決めたようだ。

「道を開く! 生きている奴は、俺に付いて来い!」

 サイトは叫んで、先頭に立って歩み始めた。

 

     *


 サイト達が選んだ脱出路には、やはり罠が待ち受けていた。火矢が降り注がれ、左右から襲ってきた敵の餌食となった者もいた。もちろん、罠と承知で向かっていく事を愚かと断じ、サイトの後に従わず、自ら活路を求めた者もいた。

 アヌン側としては、ここで敵が流れてくるのを待ち受け、少しずつ仕留めて行く算段であったようだ。伏兵として潜ませていた者は案外少なかった。

 それに、炎に絶対の信頼を寄せていたこともある。並の者ならこの事態に追い込まれたら、思考が止まり、足すら止まりかねない。火の接近に怯えつつ、そのまま煙にやられてしまう。草原の真ん中で燻り殺せると期待していたようだ。

 だが真穿は、予想に反して決断力を見せた。個々で逃げてきたのなら罠で仕留めていけたが、組織だって慎重に進行してきた場合は別だ。冷静さを失って素人同然になった者なら容易に討てる、というのが付け入る隙だったのだが、真穿は違った。待ち伏せにあい、仲間が倒れるのを見ても、隊形を崩さなかった。炎の熱が身を焦がして辛いはずなのに、どの統士も歩調を乱すことは無かった。

 よほど隊を率いる者への信頼がないとできない芸当だった。先頭に立ち、苛党(かと)(日本でいう鬼)のような形相で戦う男の武功も大きいのだろう。真穿は、主力を維持したまま、火事場からの脱出に成功した。

 

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