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星火燎原  作者: 更紗 悟
第二章 【烙道】
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危うさを見つめて


     2


「入るぞ、ソンヴ」

 見慣れた扉の前に立ち、サイトは外から声をかけた。返事がないが、お構いなしに戸を開く。見えずとも内側の人の気配は感じられるし、嗅ぎ慣れた匂いも中にある。元々感覚は鋭い方で、さらに戦場で鍛えられたことにより、サイトはこのぐらいの芸当は自然に行える。

 明暗に眼が順応する前に、サイトは人影に目を向ける。

「ん」 とだけ、反応があった。振り返りもしない。誰が来たのか、何の用であるのか、確かめもしない。

 こちらも慣れたもので、サイトの口調と雰囲気により状況を察してくれる。机から眼を離さず、何事かを猛烈に書き付けつつ、そのぐらいは同時に処理できる。それが、このソンヴ・識という女だった。

 細い四肢は衣と同化してしまいそうなほど白く、儚さを感じさせる。文字を追う眼の素早さと、一見すると静止もしくは微動しているだけのように見える手の動きが無ければ、真の籠もった混成とは思えないほど浮世離れしている。

 身なりに構わないのは相変わらずで、同年代の娘は比べるまでもなく、むしろ、幼子の方が着飾っているように思える。

 サイトはそんな娘の後姿に目を留める。正確には、その後ろ髪に。

 腰まで届く豊かな黒髪は、うなじ辺りで括ってまとめてあった。光量の乏しい室内にあっても、艶やかな光を帯びていた。

「で?」 と、ソンヴは端的に促す。

「あぁ、変わりはなさそうだな」 とサイトは答えて、それまで腰に帯びていた長剣を外して側に置いた。

 一見無造作であるようでいて、再び手に取り、鞘から引き抜き、刃が弧を描けるように配慮されている。これはもう場所と時を問わない習いとなっている。

「そうよ。相変わらず、みなの理解を得るために努力しているのよ、私」 と、ソンヴは小さく呟いた。

 ――――二十歳にしてすでに、シト階に自力で登った偉才が、まだ評価されていないと言うのか。

 微かに眼を開き、サイトは呆れた顔を作ってみせた。

 そのサイト自身も、規定の年齢に至るより早く第二階シトとなっている。それは、息子の奪還に対する、クスル・青の褒賞の一つだった。

 本来なら今のサイトの年がシト昇格となる頃合となるのだが、その常識を破り、目覚ましい躍進を遂げたことになる。そうした者を希人という。ただ、上には上がいるもので、この目の前の女は、五つ下の年齢にして、すでにサイトと同じ階にいる。

 ただ、サイトは戦闘を生業とする『統』分に属し、ソンヴは学師・政司などが属する『考』分という縦の違いがある。通常、『考』分の者は、十年程かけて研究や政務を積み重ね、それらの成果を評価されてようやく、階を上げることができる。

 『統』と『考』では、階を上げる年代に差があるわけだが、ソンヴはその通例をあっさり破って見せて、希人としてその名を国中に広めていた。



「―――戦場で生き残れる奴は、結局、何が違うのだろうか」 と、サイトは思いついたことを口にした。前置きを不要とするのは、二人にはいつものことだ。

 闘いの場に立てば、人の命を左右する者として毅然と振舞うサイトだが、こうして幼い頃から悲喜こもごもを供にしてきたソンヴといると気持ちも和らぐ。部下の前では見せない、弱気が顔を出すこともある。

 膨大な文字の中から何かを見出だし、書き付けながら、ソンヴは口を開く。

「―――人も獣も、混成(まなり)であることは同じ。ならば、答えも同じ。持てるものを最大限利用できて、かつ、危うさを見極め、ぎりぎりで避けられる。そうした者が、少しだけ、長生きできる」

「危ういと承知しつつ、近づく者は?」

()()()()()()、それは運次第ね。―――彼の事?」

 サイトは、物憂げに頷いた。

「そういう形で心の釣り合いを取っているということも、分からなくはないが。やはり、際どく思えてな」

 彼―オウ・青―は、若くして、人の業の渦巻く庭に放り込まれた。支える振りをしながらも、隙あらば引き摺り落そうとする親族達。権力に擦り寄ってくる、腹の底の知れない賛同者達。聞く耳を持たない頑迷な老人達による束縛―――。

 一瞬も気を抜けない場所で、己の権勢を損なわず、意思を通そうとするには、奇麗事だけではやっていけない。生き延びる為、という言い訳の裏に隠れ、かなり手を汚して来たことだろう。

 他人に振り回され続けることに嫌気がさしていた彼ならば、全てを放り投げてしまいたいと度々思ったことだろう。だが、ひとたび積み重ねた罪は無かったことにできない。そんな日々を延々と続けることに倦んだ彼は、とんでもない事を望んだ。

 自ら命を絶つ事は矜持が許さないが、このまま薄汚れた道をただ歩き続けるのも耐えられそうにない。そこで彼は、自ら大事にしてきた命を戦場に(さら)し、生きるか死ぬかの裁定を天に(ゆだ)ねようとした。

 そのために、己の意のままになる部隊を新設した。それが、真穿である。

 これまでに何度も、彼はサイトの配下として、死地に身を置いてきた。彼の真実の姿を知るのはサイトとソンヴだけである。

 過去に真自らが戦場に立った例は枚挙に暇が無い。闘いたいなら、それはそれで、周りもそれなりの対応を考える。そうではなく、名も無き一統士として扱えと言われると、やはり気を遣ってしまう。

 また、彼は心の裏側では、破滅を願っているのではないか、という心配もある。全土の長になるという大言で皆を巻き込んでおいて、本当は、関わりのある者全てを破滅させたい、のではないか―――。

 そんな心理で戦場に居るようでは、ソンヴに聞くまでもなく、破滅しかない。それこそが真の願いであるならば、彼のために闘い、命を捨てろというのは受け入れ難い。

 手を止めて、ソンヴは諭すように声で言う。

「信じられなくても、普通は、疑わないものよ。でも貴方は、彼を真へと誘ったのは自分だからと、行く末を気にする。だけど、大多数にとっては、かの存在は、当たり前にそこにあるもの。彼が願うことは、皆が願うことになる。それが真という存在なの」

「綜の民全てを巻き込んでもか?」

「そうよ」

「本当にダロル・シンとなり、皆を統べるものとなれるとは思えない。政争に疲れ果て、一時の逃避を願うような者が、国々を統べる大器となれるはずもない」

「うん、そのとおり」

「ならば、妄信することはできない。子供でも弁えていることだ。ただ、それなら何故、()はあの時―――」

「奴、つまりショウ・源の魂胆が読めない―――?」

「ああ。奴は、オウ・青に何をさせようとしているのだろうか。それに、あの二人、彼らは何をしようとしているのか」

 二人とは、オウ・青奪還時から共に戦ってきた、リェン・太とジル・月の事だ。

 二人は、国に所属しない民・キョウであったが、オウが囚われていた屋敷で下働きをしていた。

 そもそも、先代瑗真の孫にあたるオウは、シントとして優遇されているはずである。だが、オウは不運なことに、国同士の均衡を保つための道具としての性質が強く、人の目に付かないところに幽閉されていた。

 綜への対応について瑗人の中でもブレがある。念のため純粋な瑗人は厳選されることになり、そこで政争に関わりが薄いであろうキョウの者達が使われていた。

 ただ、国に拘らないということは、逆にこちら側に引き込むことも可能となる。奪還を企てたリンズ隊長らは気長に接触を重ね、ようやく、協力の手筈を整えた。

 事が発覚すれば、瑗にはいられない。キョウとして流浪の身に戻るか、綜に留まるかを選ばされ、二人は綜に居所を求めた。

 リェンらが只者ではないことは、オウ・青奪還の際に感じていた。ただ、その評価はまだ低過ぎた。

 それどころか、意図も無く放逐されるはずのない才を持つ者達であると知ったのは、彼らを真穿に誘った後であった。




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