眠っているもの
3
ある地方の騒動の鎮圧に赴いた時のことだった。
遠目に見る限り、リェンは常に走り回っていた。あちらこちらへと、見ようによっては逃げ回っているだけ見える。彼が率いる部隊は四散しかけているようだったが、実はこれは意図的なもので、秩序を失っていなかった。
リェンを捉えようと敵が前に出てくると、逃げるどころか、リェンは立ち向かっていった。その行動を待っていたかのように、逃げ散ったと思われた者が戻って来て、気付くと見事に敵を取り囲んでいた。
リェンは戦わず、移動を繰り返していただけなのに、部隊全体としては密かに包囲の準備を進めていた。敵の動きを読み切って、最終的にこの形に落ち着くように謀っていた、ということになる。リェンとは、恐るべき深読みができる男なのである。
ジルもまた只者ではない。
戦闘はおろか、指示すら出さず、ただ立っているように見える。命のやり取りをする戦場にあって、星でも眺めているのではないかとまで思えたほどだ。
ところが、ある時、その評価は一転した。
その日は風が強い上に冷え込みが厳しかった。雪が降り出し視界が利かなくなれば、土地に精通した敵の動きに付いて行くのが難儀となる。
案の定、動きが鈍くなり、そこを敵に突かれて、後手に回りかけていた。そんな中、後方の部隊が急襲を受けたと聞き、サイトは自ら救援に向かった。危機に陥ったその部隊は、ジルが率いていたからだ。
サイトが駆けつけた時、彼女が率いていた隊の大半は倒れていた。同程度の敵もまた、倒れ臥している。その中にあって、ジルはいつものように突っ立っていた。
周囲の者は粗方討ち果たし、後は女が一人きり。何も躊躇することはないだろう。だが、敵は動かない。それどころか、辺りを落ち着かなく見渡して、今にも逃げ出しそうに見える。
粉雪が吹き付ける中、ジルは強風に煽られているかのように、ゆらゆらと舞いはじめた。右手は小さい円を描き、左は不規則な円形の動きを見せている。
ジルの左手が素早く振り下げられた。と、同時にまた手を上げる。
突然、敵の一人が姿勢を崩し、倒れこんだ。まるで、ジルが手を振り上げたことにより、その結果が生じたようだ。
狂乱にかられた敵が一人、奇声を上げて突進していった。今度はジルの右手が迅速に動く。拳を繰り出すように前に突き出され、すぐにまた、元の位置へと戻す。その手が届く範囲でないのに、敵は顔が歪ませ、膝を付いた。
まるで何もなかったように、ジルは一人で舞っている。ただ、ジルはこの時、無手で舞っていたわけではなかった。
その手にはとても細く、長い紐が握られていた。それは、距離を置いては殆ど目視できないほど細く、それでいて頑丈に編みこまれていた。そしてその先端についた錘には棘が設けられ、どうやら、即効性の高い猛毒が仕込んであるようである。
絶妙な手捌きで紐を操り、先端の錘、もしくは棘で相手を引っ掻き、絶命と行かないまでも相手の動きを奪う。それがジルの技だった。
これは、あの無気力そうだった小娘にできることなのか。これではまるで、命のやり取りに慣れた暗殺者ではないか―――。サイトは呆然とジルの一人舞を見つめていた。
敵が引き、脅威が去っても、ジルは一人舞いをやめなかった。ふだん眠そうにみえる眼は見開かれ、獰猛な光を宿している。
―――まだ足りない。もっと多くの者に、この毒を注ぎたい。彼女の瞳は、そう言っている気がした。
そして、その視線が、こちらを向かないとは、言い切れない―――。
*
「二人とも、あんな境遇に甘んじるような者達じゃない。偶然あそこにいて、たまたま声をかけられたとは、到底思えない。オウに付随して綜に来るために、入り込んでいたんだ。それも、あの時、不自然に見逃されたことからして、ショウ・源らに指示されてーーー」
ええ、とソンヴは軽く頷いた。「その辺りは隠そうともしていないわね。それどころか、只者ではないと、積極的に示してきた」
「そう。彼らは使える。そして、オウ・青はまだ若く、周囲に有能な者は少ない。使えるものがあれば、無視できるものではない。それで―――」
「貴方の所に入り込んだ。オウ・青に特別視され、いずれは国の中枢にいるであろう、貴方の所にね」
「そこまで昇っていけるとは思えないが……。だとしたら、そこに至るまで待って、彼らは何をしようと言うんだ?」
「それは、私が考えたことじゃないから」と、ソンヴは素っ気なく答える。
慣れているサイトはめげない。「では、君が考えるならば、どうだ?」
「うーん、そうね……。あまり有能さを主張しすぎると、警戒されてしまう。目的が達せられないか、少なくとも、遅くなる。それでも尚、中枢に近いところにいたいと望んだ。暗殺や諜報以外にも、別の役目があるのね。それは、瑗にとって、その将来において、益となるものでなければならない……」
「いや、そんな先の事を考えているものか?」
「―――それは、今は見えない」と、答えたソンヴは、サイトのことなど見えてないようだった。
「もっと先のこと。そこまでの労を取るなら、それだけの成果が期待されている。そう、期待。他になく、彼にあるもの。ならば、やはり、あの伝承か。とはいえ、危険なら潰しておくはず。これでは逆に、彼を…………。解釈が間違っていたのか……」
ソンヴは、サイトの問いに答えるというより、ただ、思考の断片を口にしているだけだった。
慣れているサイトは、思考が一段落するまで待って、「それで、どうしたらよい?」 と声をかけた。
ソンヴは、そこでサイトの存在を思い出したかのように顔を上げた。
「サイト、私、河津の闘いには参加できない。確かめたい事があるの」
「それは?」 とサイトが問うと、「ダロル・シン。その真の意義」 と、ソンヴは真剣な顔で答えた。
「真の……?」
「ダロル・シンの伝承を語るなら、コウ・ウは避けてとおれない。彼は全土の統一を望んだと言われる。だけど彼はなぜ、そんなことを願うようになったの? 伝承によっては、彼はそこまで積極的ではなく、ただ何かに山に追われて、慕ってきた人達を保護しただけとも言われている。彼の伝承は本当に正しいのか。ダロル・シンが本当に現れるとしたら、それは何ゆえであるのか。それを、確かめたいの」
「本人がそう望んだから、ではないということか?」
「仮説はあるけども、とても口に出来なくて」
「珍しいな。自信が無いなら、仄めかしもしないのに」
「自信はあるわ。ただ、口に出来ないだけ」
「何だ、それは? ……まさか、アレか?」 と、サイトは顔色を変えた。ソンヴは、宥めるように、静かに言う。
「まだ仮説よ。それを確かめる為に、調べ事をしないといけない、というわけ」
「アレに関する事となると……。皆の前で証明するのは、相当難しいぞ」
「そうでしょうね。でも、その時は近いのかもしれない。だから、逃げるわけには行かない。それに、難しいというけども、それは貴方の方よ。私抜きで貴方が生き残れるかどうか、そっちの方が難題だと思うけど」
「俺は、死なないよ。そう誓っただろう」
―――あの時。サイトは誓った。それを、ソンヴが覚えていないはずはない。
「どうかしら、貴方にも、弱点があるじゃない」
サイトは、険しい顔をして、首を振った。
「あんなことは、そうそうあるものじゃない。いや、もう二度と起こりはしないさ」
断言するサイトだが、ソンヴは応えない。代わりに、真剣な顔をして言った。「私、煌へ行く」
「煌か……。いつか言い出すと覚悟していたが… …。コウ・ウの足跡に触れたら、本当に答えが見えてくるのか?」
「どうかしらね。でも、答えに迫れる何かが眠っているような気がする」
いつ帰って来る? という意味で、「いつ頃になる?」 とサイトは聞いた。
「分からない。そう遠くないかもしれない。でも、今はこれだけは言える。私はきっと帰ってくる」
「何を、当たり前の事を―――」
「ここには、貴方がいる。私にとって、ここは全ての始まり。ここが私の要となる場所なのだから―――」
ソンヴはそう言って、優しく微笑んだ。




