暴れるケモノ
7
こんなのは嫌だ、と若い統士は思った。
自分は闘いに来た。誰もが己の腕を振るう場。そこでなら、こんな自分でも他者と張り合えると思って。それが、こんなことになるなんて――――。
戦場で力と技を駆使して負けるならともかく、一方的に獣に噛み殺される最期なんて嫌だと、若い統士は歯噛みしていた。
そんな彼の前にも、一匹の獣がいる。比較的小柄ではあるが、脅威である。しなやかに跳ね回り、戦場を縦横無尽に駆け回っているのを見たが、あれは手に負えない。素早い動きで翻弄してきて、隙を見せた者の首に噛み付き、息の根を止めていた。
今は小休止のつもりであるのか、顔面にへばりついた人の返り血を舌で掬っている。
そのまま満足してどこかへ行ってくれ。声なき思いを内心で叫んでいた。
ところが、そんな思いのこもった視線に気付いたのか、獣は弾かれたように顔をこちらに向けた。血肉を絡まさせたままの牙を剥き出しにして、威嚇を始めた。のそりと、獲物と認定した若者へと距離を詰め始める。
「く、くそぉ……」
これに近付かれると死ぬ。そう思わせる存在が、じりじりと迫ってくる。それでも、若者は逃げず、何とか踏み止まっていた。
「へ、へへ……。舐めるなよ、お前らなんて、すぐに毛皮にしてやるんだから」
強がりでも口にしないと、体の強張りが頭まで及んでしまいそうだった。
願いは獣には届かず、むしろ喜んでと言わんばかりに獣は身を低くして、飛びかかってこようとしている。
「あー、何だよもう! 分かったよ、さっさと来いッ!」
獣は敏捷さを駆使して、右に左にと若者を翻弄しようとする。動きに付いていけず、若者の姿勢が崩れかけた。その一瞬の遅れでも十分、やれると判断したのか、獣は一気に飛び掛ってきた。
「わぁぁぁ!」と、若者は声で死の運命に抵抗しようとした。
「―――違うだろうが」 と、若者の背後から声がかかった。耳のすぐ側を、何かが通り過ぎた。視線の端に現われ、延びて行ったたものが、人の腕だと分かった時には、その先にある拳は獣を殴りつけていた。
ぐいと肩を押しのけられた。男が前へと進み出ていく。一目で誰か分かり、思わず叫んだ。
「ク、クウー隊長!」
ずんずんと間を詰めていき、再度飛び掛ってきた獣を、クゥーは造作もなく小斧でばっさりと切り捨てた。
クウーは振り返り、仏頂面で若者に向かって、お前、違うだろ、と言った。
若者が呆気に取られていると、クウーはさらに不機嫌そうに言う。
「来い、っつたろ、さっき」
「え、あ……」いえ、と言いかけて、そういえば自棄になって口にしたかもと思い出した。それが違うとは、と若者は戸惑った。
「楽しいんだろ?」 と、クウーは同意を求めてくるが、若者は言葉に詰まる。―――楽しい?
「獲物が一杯だろ。何を考えているんだが、わざわざ姿をさらして、だぜ。全部と遊ぶには、先に日が暮れそうで心配になる。だからお前、さっき、早く来いよと呼びかけたんだろ。よく分かるぜ、その気持ち」
いえ、全然分かりませんが、と若者は心中で答えた。クウーは返事を待たず、次の獲物を求め始める。
ぽんと、背後から肩を叩かれ、若者は驚いて振り返る。そこには、クウーに負けず劣らず荒々しい統士達がいた。
「来るよな、歓迎するぜ」
どうやらクウーの配下達らしい。にやりと笑って、クウーの後を付いていく。
――――あの人の下に? 彼の隊に誘われた、ということか?
呆気に取られて、若者は再びクウーの後ろ姿を見た。と、その時。側面から、一際巨大な獣が突進してきた。小山のような巨体には刃が刺さらず、厚い肉を切るのは難儀だ。為すすべなく重量で押し潰されたものは数知れない。バシーの隊を壊滅に追いやった要因の一つだ。
側にシンバンが付いてはいるが、興奮した獣をいつまでも抑えきれず、とうに制御不可能になっているようだ。その暴走する獣の進路に、クウーは立ちはだかった。
無謀にすぎる、逃げてくれ、と思う反面、闘ってくれ、ぶちのめしてくれ! 人が勝てるのだと、見本を示してくれと、無責任な思いが湧き上がる。
「ガッハッ、でかいな、こいつは!」 と、実に嬉しそうにクウーは笑い、そして、巨体へと迷いなく向かっていく。
駆けて来るクウーに不穏なものを感じたのか、巨獣は立ち止まった。
クウーは速度を落とさず、そのまま突っ込んでいく。巨獣は足を振り上げ、小さな混成を蹴飛ばそうとしてくる。引いて見ていれば鈍い動作に見えるが、至近距離で見えればとんでもない重圧を感じることだろう。
クウーは怯まず、上手く機を合わせて、直前で横っ飛びして激突を避けた。素早く体勢を立て直し、巨獣の真下へと転がり込んでいく。多くの生き物がそうであるように、腹部は比較的防御が薄く、弱点となりうる。この獣もそうであったらしく、下に入り込み、めったやたらと斬ってくるクウーに難儀していた。
怒りのあまり、体重をかけて押し潰そうとして、巨獣が屈む仕草を見せた。そのまま潰されるクウーではなく、すでに体重をかけてくると察しており、その前にするりと抜け出た。そして、ちょうど手ごろな高さに降りて来た頭部に、止めの一撃を加えた。
この一部始終を見ていた綜の統士達は、大歓声を上げた。味方も数多く密集する地帯で飛び道具は使えず、かといって肉弾戦では適わないと思い始めていた獣を、見事に仕留めて見せたのだ。弱気になりかけていた統士たちは、希望を見出し、戦意を取り戻した。
「ふん、うるせぇな」 と、クウーは鼻を鳴らすが、満更ではなさそうだった。
「見てたろ。こうやりゃあ、大したことねぇ。とっとと仕留めろ」
とんでもないお手本だとは思うが、それでも実際に一匹仕留めてみせたのだ。統士達は、雄叫びをもって返した。
「こんなのは、お前ら向きだ。俺はもう、御免だな」
そう言ってクウーは、また別の巨獣に向かっていく。
「よぉく見ろ。それで真似するが良い」
またも獣を鮮やかに手玉に取る姿が見られるかと、皆期待していたが、今度は違った。なんとクウーは真っ向肉弾戦を挑んでいったのだ。 獣の額に肩からぶつかり、ずしんッ、と重い肉同士がぶつかり合う音が響く。
「いや、そりゃあ……」
怪力を誇るクウーですら何とか持ちこたえられる力勝負をみて、皆、先ほどの方をお手本にしようと思っていた。




