魔王ちゃんと決意の聖女ちゃん
「誰だよそれ」
「強くて格好良い大魔王ぞ」
「聞いたことねぇなぁ」
ロイから離れてこちらに飛び退いてきたガイルと拳を合わせて喜びを分かち合った僕は、肩から血を流す血冠魔王を横目に、私の世界で長きにわたり人気のバトル漫画に想いを馳せる。
「いやぁ、私って小さい時に漫画すら読んだことがなくてね。子どもの時に見たからこそ大人になって改めて読んでさらに感動するなんて聞いていたんだけれど、それは嘘だったね、大人になってから読んでもすっごく楽しめたよ」
「まんがってなんだ?」
「まあきっかけはさ、アンリたんがすっごく推してたから私も読み始めたんだけれど、そのあとにアニメまで見ちゃって、貴様といた数か月、悪くなかったぜ。とかは涙なしでは見られなかったね」
「あにめ? あんりたん? 新手の魔王か?」
あの頃の何もかもが懐かしい。
私は所謂、萌えアニメだのその手の漫画やラノベも読んでいたが、男同士がバチバチする漫画も好きだった。
というか、入り口はそれらだ。私が自ら選んだわけではなく、アンリたんが良いと話していたものばかりであったし、その頃彼女は昔のアニメや漫画の話ばかりしていたし、何より彼女は。
「アンリたんちょっと腐ってたし」
「え? 腐敗を司る魔王とかヤバいじゃねぇかそれ」
「誰が魔王の話をしてると言いましたか! アンリたんはアイドルです!」
「魔王じゃねぇか」
「アイドルは魔王じゃ――あ、僕か」
ガイルたちには再三アイドル宣言をしていたために、彼にはアイドルは魔王だと思われているようだった。
「というか腐敗ってすっごい失礼では? アンリたんはただ、男たちをおかずにちょっとご飯数杯いけるくらいの浅目な感じだよ多分。ガイルとテッカなんて大好物なんじゃないかな?」
「え? 人肉を食す系の魔王ってことか」
「いや確かに夏と冬は本を出して、生き残るためとはいえ彼らを食い物にするのは申し訳ないとは言っていたけれど」
「アンリタン、やべぇ奴だな」
「レヴィアタンみたいな発音しないでくれる?」
僕はガイルと一通り漫才のようなやり取りをした後、彼を引っ張って僕の背後に移動させ、顔を引きつらせているロイに目を向けた。
「おっと失礼、あまりにも血思体を失って呆然としていたものだから、空気を和ませようと思ってね」
「……ふざけないでください。あなたたちは、絶望しなければならない。私に戦き、世界に、主に声を届けなければならない! そうでなければ、この世界に救いは、奇跡は――」
「いい加減にしろロイ=ウェンチェスター!」
僕はついに声を荒げた。
この男は本当に魔王か。
世界を恨んでいる癖に、未だにその世界に縛られている幸福に縋り続けている。
世界を壊せば幸福すらなくなってしまうと恐れている。
けれど彼は世界を蹂躙しなければならない。魔王だからではなく、ただその過去を取り戻したいなどと夢想し、ありもしない救いに手を伸ばし続けている。
「お前は奪い過ぎた、お前は殺しすぎた! だから僕はお前が嫌いだ、いつかのファンを奪ったあんたなんて大っ嫌いだ!」
僕はチラと入り口でルナちゃんとアヤメちゃん、そして僕たちから一切目を離さないエレノーラに目をやった。
「例え今僕たちがこの状況に、あんたに絶望しようとも、それは僕たちの救いの声にしかならない。あんたを救うための声になんてなるはずがない!」
「そんなことは、そんなことは――っ!」
「いい加減理解しろ。あんたは60年前に妻と子を失くした。いや、殺された。貴族主体の公国では教会の力なんて邪魔でしかないし、今でこそグリムガントが貴族と教会を取り持っているけれど、それすらなかったあなたの時代では、それはもう酷い差別だったんだろうとしか想像することしか出来ないけれど、あなたはその日、全てを失い、最後まで世界だけを呪った」
「知ったような口を」
「ああそうだよ、これは口伝だ。感情やその時の気持ちなんかは語り手の表情を僕が読み解くことしか出来ない。でもね、確かに彼女は言ったんだよ! あんたは優しいって!」
「――」
「その日、あなたがどれだけ喉をからして救いを求めたかは知らない。優しいあんたは最後まで祈り続けたのかもしれない。誰かのせいではなく、あくまでも神が救いの手を差し伸べてくれるための必要な声が足りないと言い聞かせた。血が足りないと懇願した」
「……あなたは、あなたは何を知っているのですか」
「知らないよ。僕はロイ=ウェンチェスターじゃない。でも、魔王とブラッドヴァン、この2つのギフトを得たのは同時期だね。そんで、奥さんの方は知らないけれど、娘の方には、ブラッドヴァンの第4スキル、血操糸を使ってるね? 他の肉体に血を流しこむことで肉体を操ることの出来るスキル。まるで人形遊びだ、あんたは自分でエレノーラを動かして、毎日お菓子を与えて、いつの日かの光景を繰り返していた」
「止めろ……」
「いつまでおままごとを続けているんだ。いつまで、いつまで――」
「止めてくれ」
ずっとずっと、ただ奇跡によって戻ってくることを願いながら、どれだけ救いを求めても叶うことのなかった奇跡を起こしたいがために、神が救わなければならないほどの絶望を起こすことで、ギフトという奇跡を与えてくれた神々を引っ張り出したいがために魔王となったロイ=ウェンチェスターを僕は許す気はない。
人々の怨嗟が、血が、それを捧げることで神が救いの手を差し伸べてくれると錯覚しているこの阿呆を、僕は許すわけにはいかない。
そして何よりも、この男の行為が、この男の全てが、今を生きている血冠魔王が――。
「お前どれだけエレノーラを傷つけてると思ってるんだ!」
「止めろと言っているだろう! 揺蕩う灰の血よ、根幹を担う原初とは血、始まりを以って今こそあるべき無へと帰れ――絶慈・『安息に至る血の帰路』!」
「それが答えか血冠魔王!」
「黙れ、黙れ! あなたが、お前が、私の、私たちの、愛しい娘を、エレノーラを語るな!」
僕に攻撃をしてくるかと予感したが、真紅の蝙蝠は一斉に飛び立つと同時に僕を通り過ぎた。
ガイルとテッカ、アルマリアさんを狙ったものかと思ったが、振り返った僕の目に映ったのは、まだ隠れていた血思体の1体がミーシャの腹部にナイフを刺し、その血液を灰へと変えている光景だった。
「ミーシャ!」
「マズった……」
血思体はテッカによって切り裂かれたが、ミーシャの血液はどんどんと灰へと変わっていく。
「ロイ=ウェンチェスター!」
「いいですよ、ええその顔です! 彼女のことずっと気にしていましたよね? ええそうです、あなたにも絶望を与えなければならない。そうすれば、今度こそ」
「おいリョカ! 挑発に――」
僕の体はまさに無意識に飛び出した。
真紅の蝙蝠がミーシャに届く前にそれらを体で受け止める。
全身を貫く鋭い痛みに、声が漏れる。
「つっぅ」
「あなたが受けますか。ですがよろしいのですか? 血を流せば流すほど、あなたは私に勝つことなど出来なくなる」
「五月蠅い! 僕の幼馴染だ! 僕の聖女様だ! 奪われて良いわけないだろが!」
ガイルがミーシャの元に飛び出そうとしている。
けれどすでにいくつか放たれたその死を運ぶ真紅に届く速さでもない。
僕は体を引きづり、歯を食いしばってミーシャを見た。
「もう、馬鹿ね」
そんな声がミーシャから聞こえた。
そして幼馴染が、聖女様が、大きく息を吸った。
「ガイル! あんたはそこにいなさい! それと、こいつら貰うわよ!」
「はぁ? な、なに言って――」
「テッカ! アルマリア! あんたたち、あたしと一緒に死になさい!」
途端、ミーシャが腰をその場に落とし、胡坐をかいた。
顔を見合わせたテッカとアルマリアさんだったけれど、普段通りの顔で微笑み、同じように床に座り込んだ。
「今さらだな。ガイルとはその約束をしたが、お前でも悪くはないな」
「私、ギルドマスターですよぅ。ギルド員だけに良い格好なんてさせませんよぅ」
「上出来よ」
真紅の蝙蝠がミーシャたちに飛び掛かっていく。
僕はただ、それを見ていることしか出来ず。
「ミーシャ――」
ロイ=ウェンチェスターの勝ち誇ったような、勝利を確信したような顔が横目に見えた。が、放たれた蝙蝠が蒸発し、ミーシャのいた場所からは、聖女がいるとは思えないほどの戦闘圧が流れ込んでくる。
「ええ、いいわ。おい血みどろ魔王、いくらでもあたしたちの血を持って行きなさいよ。ただし、ここを抜けられるものなら、やってみなさい!」
ミーシャに目を向けた。
さっき話には聞いていたけれど、これほどだったのか。と、呆然とする。
「アルティニアチェイン!」
「大教会……」
ミーシャを中心に、信仰のエネルギーが渦巻く空間、疑似神域を展開し、その信仰の圧だけでロイ=ウェンチェスターの絶慈を防いでいた。
けれど、それで安心出来る状況でもないように見える。
「あ、がぁ――おいミーシャ、お前、こんなものを、体に纏った、のか?」
「これ、は……っきつい、です、よぅ」
ただその場にいるだけなのに、ミーシャたちの体から血が流れだし、少し離れているのに、ここまで骨の軋む音が聞こえる。
けれどあの聖女様は、幼馴染は、ミーシャは、その中で歯を剥き出しにし、牙を見せて嗤っていた。
「あたしたちの血、安いなんて思わないことね」
「馬鹿な、大教会を単騎で? しかも、自身の体に? あなた、頭がどうかしているのではないですか?」
「聖女舐めんな! あんたみたいな大馬鹿野郎を生み出さないためにも、あたしは強くなるしかない! 魔王の隣にいても、あたしさえいれば大丈夫だってわからせてやるためにも! 主が救わなくても、あたしがいれば、手さえつかんでくれれば全部ぶっ壊してくれるって信じてもらうためにも! あたしは誰よりも、魔王の隣で強くなるわ!」
「――ッ!」
ロイ=ウェンチェスターがたじろぎ、一歩後退した。
普段から何を考えているのかと思えば、あれはあれで聖女という役割を気に入っているのだろう。僕は幼馴染に在り方を誇らしく思う。
するとガイルもクツクツと喉を鳴らし、自身の拳と拳をぶつけて僕を見た。
「おいおい、本当にかっけぇなミーシャの野郎。俺も負けてられねぇじゃねぇか」
「だよ。のんびりしているとすぐ追い抜かれちゃうんだから」
僕も拳を握った。
これだけの覚悟を見せられた。これだけの舞台を整えられた。
僕はミーシャに振り返る。
「リョカぁっ!」
「ん――」
腕を伸ばして拳を向けてきたミーシャに、僕も返事をするように拳を彼女の方に向けた。
「やっちゃいなさい! あたしの魔王様!」
「任せなよ僕の聖女様――絶慈・『僕を愛して歌えや踊れ』」
さあ、ライブの始まりだ。




