回光
灯子の体は、その日の午後に岩のあいだから引き上げられた。かつて姉が落ちたのと同じ岩から。——双子は二十年の時を隔てて、同じ場所で海に還った。私はそれを浜から見ていた。警官たちが担架をゆっくりと運んでいった。誰も、もう唄のことは口にしなかった。
葛西は調書を閉じた。五人を手にかけたのは沖野灯子、その灯子も死んだ。事件は、これで終いだった。——けれど、葛西の調書に残るのは、五つの殺人と一人の犯人の名だけだ。二十年前に灯台から落ちた娘のことも、その家が百年、灯で沈めてきた船のことも、そこには一行も載らない。法は時効の向こうへは手を伸ばせない。
燈屋の罪は、また海の底へ沈もうとしていた。
——それをすくい上げられる者は、一人しかいなかった。
岬を出る朝、崩れかけた一本道のたもとで暁人と別れた。
「あなたは」暁人は言った。「書くんですね」
問いではなかった。私の手のなかの文箱を彼は見ていた。
「わかりません」私は正直に言った。「書けば、灯子さんを、人殺しとして世に晒すことになる。それが、こわい。——でも、書かなければ、姉さんは、もう一度、あの一行に戻る。それも、できない」
「光は、嘘をつきません」暁人は、いつかの言葉をもう一度口にした。「嘘をつくのは、光を語る人間です。——あなたは、これから、灯を語る人になる。どう語るかは、あなたが決める。誰にも、代われない」
それだけ言うと、彼は背を向けた。館を読む男は、もうこの岬に用はなかった。その後ろ姿が朝の光のなかへ遠ざかっていった。
私は、最後にもう一度灯台を振り返った。
朝の日に、白い塔が静かに立っていた。灯は消えている。——けれど、今夜も日が沈めば、あの灯はまた点るのだ。誰がいなくても。守る者も、欺く者も、もういなくても。機械が律儀に灯を入れ、レンズが回りはじめる。百年、そうしてきたように。明日も、明後日も。
回る光。回光。——船を導きもし、欺きもした光。姉の死を見届けた光。灯子が本当のことを語らせるために使った光。そのどれでもあって、そのどれでもない、ただの光が今夜もまた、何ごともなかったように海をなでるのだろう。
光は、嘘をつかない。嘘をつくのは——。
家に戻って、いく晩が過ぎても私は文箱を開けられずにいた。
けれど、ある夜、私はそれを開けた。父の手記。黄ばんだ、震える字。許してくれ、許してくれ、と繰り返す一人の男の最後の声。そして、灯台の下で手をつないだ瓜二つの少女の写真。一人は崖から、一人は海から、二十年を隔てて同じ岩へ落ちた姉妹。
私は、机に白い紙を置いた。
書こう、と思った。——灯子のためでも、燈屋を裁くためでもなく。ただ、誰のことも一行で終わらせないために。十六歳の灯台守の娘のことを。その双子の妹が、何を抱え、何をして、どこへ消えたのかを。——うまく書けるかは、わからない。書けば、私は灯子を世間の前に引き据える。その罪も引き受けるしかない。
それでも、私はペンを取った。
最初の一行を書いた。
——回光岬に、双子の姉妹がいた。
窓の外の、ずっと遠く。その岬の灯が今夜も回っているはずだった。




