敵でも味方でもない距離で、同じ女を守る
朝の光が差し込むと同時に、レイラはゆっくりと身を起こした。
胸の奥には昨日の緊張の余韻だけが残る。
衣を整え、扉へ向かう。
扉を開けた——瞬間。
“すぐそこ” にテュエルが立っていた。
本当に扉の横。
いつもレイラが出てくるのを待つ定位置。
しかし今日は背筋が少し固く、右頬の傷もまだ痛々しい。
テュエル
「……お、おはようございます……レイラ様」
レイラ
「……ああ。おはよう、テュエル」
レイラはそう返しながら、
ふとテュエルの口元の傷に目が止まった。
赤く腫れていて、本当に痛そうだ。
レイラ
(……昨日……こんなに……)
思わず手が伸び、
そっとテュエルの頬に触れてしまう。
テュエル
「っ……!」
痛みというより、
触れられたことへの驚きで固まる。
レイラ
「……すまない。痛むだろう」
テュエル
「い、いえ……その……」
(昨日あんなに泣かせたのに……なんで……こんなに優しいんですか……)
と、言葉にできない気持ちが喉でつかえる。
そのまま2人で執務室へ向かう。
レイラが机に向かっていると——
ギィ……と扉が開いた。
シャガルが入室してきた。
寝起きのまま無造作に髪をかき上げながら、
しかし胸のあたりを軽く押さえ、痛みに顔をわずかに歪めている。
シャガル
「……ふっ……レイラ、起きておったか……」
昨日テュエルに食らった拳の痕がまだ深く響いているようだ。
そして視線がテュエルへ。
バチッ。
空気が凍る。
テュエルも、殴り合いで痛めた肩をかばうようにしながら睨み返す。
シャガル
「…………」
テュエル
「…………」
レイラ
「……お前たち……はぁ……」
呆れの息が漏れる。
レイラ
「全く……お前たち、子どもか。
すまないの一つも言えないのか?」
シャガル
「ふん。こやつからふっかけてきたのだ。
余が謝る筋合いなど無いわ。」
テュエル
「先に殴ってきたのはお前だがな?」
シャガル
「そもそも貴様がレイラを傷つけねば、
こんなことにならぬわ!!!」
声に露骨な怒気が混じる。
テュエル
「それは『レイラ様に』は謝罪いたしました!
でも貴様に謝る理由はない!!」
シャガル
「あれほど余に拳を振るっておいて、
謝罪ひとつできぬのかこの男は!」
テュエル
「ボクの拳がそんなに痛かったんですね??
今度はもっと加減して差し上げましょうか??」
シャガル
「赤子の手叩きのような拳、痛くも痒くもないわ!!」
低く唸るような怒気が滲む。
レイラ
「…………うるさい」
ピタッ。
2人が同時に固まる。
シャガル
「うっ……」
胸の痛みでほんの少し姿勢を崩す。
テュエル
「……っ」
肩がじんわり疼く。
レイラは——
その情けなく、でも愛しい“いつもの2人” に
思わず笑ってしまう。
レイラ
「……ははっ……」
その笑みに、
シャガルもテュエルも胸を撫で下ろした。
そして——また目が合う。
バチッ。
そっぽ向く。
だが、2人の口元もわずかに緩む。
レイラ
「……ふふ……」
シャガル
「……気に食わんな、その笑いは」
テュエル
「……ボクは別に……」
次の瞬間。
なぜか3人同時に
ふっと笑ってしまった。
痛みは残っている。
けれど“日常” が確かに戻ってきた朝だった。
――――
レイラが執務室へ戻り、扉が閉まった瞬間——
外に残されたテュエルは、ふっと肩の力を抜いた。
(……良かった……レイラ様が笑ってくださった……)
だが胸の奥の痛みは、消えていない。
壁に背を預けてゆっくり座り込みながら、
昨日の“拳”の記憶が、じわりと脳裏に蘇る。
(シャガル……
あいつの拳……)
あの一撃は、ただの怒りではなかった。
愛しいものを傷つけられたという怒り。
レイラを大切に想う“本気”の熱。
そして——
絶対に”渡さない”とする強烈な独占の気配。
それらすべてが混ざった“重み”だった。
(……まいったな。
思ったより……ずっと……重い……)
悔しさでも嫉妬でもない。
ただ、正面からぶつけられた想いの圧に、息が詰まるような重さ。
拳の熱が、まだ腕の奥で疼く。
(……レイラ様が……
“お前も必要だ”と……言った……)
その言葉を思い返すだけで、胸がきゅっと締めつけられる。
(なら……俺も……
身の振り方を変えなきゃいけないのかもしれない……
あいつと……共にレイラ様を守るために……)
静かに目を閉じる。
昨日の痛みも、今日の安堵も、嫉妬も、全部抱えたまま。
――――――――――
一方その頃——
レイラの執務室から離れた庭、皇族専用の大岩の上。
シャガルはいつもの“特等席”に腰を下ろし、
腕を組んだまま、じっと空を見上げていた。
「……ふん。」
口では不機嫌そうに吐き捨てながら、
どこか心の奥は静かに波立っている。
(あいつの拳……
軽さなど……一切なかったな……)
殴り合いの感触が拳にまだ残っている。
あの瞬間、レイラを巡る想いが全部ぶつかってきた。
(生半な気持ちなら……
本当に殴り殺していたところだったが……
そうではなかった。)
テュエルの拳には、迷いのない痛みがあった。
それはそのまま、レイラへの気持ちの深さでもあった。
「……忌々しい。」
そう呟きながらも、
胸の奥に広がる感情は単純な怒りではない。
(余には埋められぬ傷……
あやつと積み上げた時間……
レイラが……壊れた人形のようであった頃……
余は知らぬ。)
昨日泣きじゃくったレイラの姿がふっと脳裏に浮かび、
胸の奥がぎゅ、と痛む。
(……あやつがいたから……
今のレイラがおる……か)
(それは……分かっている。)
その認めたくない事実に、苛立ちが走る。
「……くそ…………」
だがその呟きには、
レイラへの深い愛情と、
テュエルへの不本意な敬意が滲んでいた。
拳を膝に置き、目を細める。
(レイラ……
もう……悲しむことなど、ないと良いが……
お前が悲しむ姿は……見たくない……)
風がそっと髪を揺らし、
不機嫌そうな横顔のまま、
その瞳だけは柔らかくなっていた。




