不正か、それとも運命か――姫が選んだのは“2番”の男だった
――あの日、手合わせをしてから四年。
レイラの生活は、何も変わっていないように見えた。
けれど――
執務室の窓から東部族の稽古を覗くと、
いつも一番見やすい位置に、
あの時手合わせをした黒髪の少年がいる。
背は伸び、
体つきも大人へと近づいていた。
それでも――
誰よりも熱心に、
誰よりも愚直に、
剣を振るその姿だけは、変わらない。
まるで、
何かに取り憑かれているかのように。
⸻
やがて。
レイラの十歳の誕生日が近づき、
専属護衛の志願者を募る知らせが、兵士たちに届いた。
「あの瞳が怖い」
「心を読まれたことがある」
「何を考えているかわからない」
そう忌避する者もいれば、
「収入が上がる」
「宮中に敵が侵入することなんて、そうそうない」
「子守みたいなものだろ」
「美しい姫様を近くで見られる」
――そんな、自己中心的で貪欲な声もあった。
そのどれにも当てはまらない顔で、
ただ一人。
テュエル
「……そ、そんな……
十七から……?」
その言葉が、やけに遠く聞こえた。
――年齢制限。
頭では、理解しているはずなのに。
(……は?)
思考が、追いつかない。
(……あれだけ、やってきたのに)
朝から晩まで、剣を振った。
誰よりも早く起きて、誰よりも遅くまで残った。
ただ、それだけを考えて。
(……ここまで来たのに)
東部族の長――
その座に就かないかと、声をかけられた。
それを。
迷いもなく、捨てた。
部族の頂点。
地位も、名誉も、安定も。
すべてを手にできる道を――
(……いらない)
ただ一人のために。
(……あの方の隣に立つために)
それなのに。
(……届かない?)
わからない。
(……来年は、あるのか?)
わからない。
(……あの方の隣に、立てると――)
――思ったこと自体が、間違いだったのか?
⸻
音が、遠のく。
周囲の声が、何も入ってこない。
立っているのか、座っているのかすら分からない。
ただ一つだけ、
胸の奥に残ったものがあった。
(……奪われた)
それだけだった。
⸻
その日。
皆勤だった彼は、
初めて、稽古に現れなかった。
部屋の中。
何もせず、ただ天井を見ている。
体は動くはずなのに、
指一本、動かす気にならない。
(……ここで、終わるのか)
小さく、そう思った。
⸻
そして――
試験の日が、来る。
筆記と実技。
成績順に並び、最優秀者が選ばれる――はずだった。
「おい!!」
「今年、合格者いなかったらしいぞ!!!」
テュエル
「……え?」
落ちていたはずの元気が、
一気に戻る。
テュエル
「……どういうことだ!?」
兵士A
「いや、そのまんまだよ……
姫様が、“この中からは選べない”ってさ」
「陛下も困惑してたけど、
また一年後に持ち越しになったらしい」
テュエル
「………………っっ」
一瞬、意味が分からなかった。
(……選ばれなかった?)
(……違う)
(……誰も、選ばれていない?)
理解した瞬間――
「――っしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
誰よりも歓喜したのは、テュエルだった。
――まだ、終わっていないと知ったからだ。
そこからの一年は、これまでと大きく変わらない日々だった。
朝から夕までは、東部族の兵として稽古に出る。
誰よりも早く来て、誰よりも遅くまで剣を振る。
それは、あの日よりも前から続けてきたことだ。
ただ――
違いがあるとすれば、その後だった。
日が落ちても、すぐに休むことはなかった。
座学を重ねる。
裁縫を覚える。
着付けや調髪を学ぶ。
料理や洗濯、手当も。
本来であれば、誰かが担うはずのものまで、
一つひとつ、自分でできるようにしていった。
(……念のためだ)
理由を問われれば、そう答えるだろう。
護衛として、できることは多い方がいい。
それだけの話だ。
けれど――
(……任せたくない)
ふとした瞬間に、そんな感情がよぎることがあった。
誰に、というわけではない。
ただ、
他の誰かの手が入ることを、
無意識に避けている自分に気づく。
その理由を、
深く考えることはしなかった。
一年。
積み重ねたものは、確かに力になっていた。
⸻
そして――
手合わせから五年。
最初の試験から、一年。
レイラ十一歳の誕生日を前に、
第二回専属護衛選抜試験の実施が告げられた。
――――――
試験会場
――――――
空気が張り詰めている。
ざわめきの奥に、
どこか焦りの混じった気配があった。
(……今度こそ)
静かに息を整える。
(俺を覚えていなくてもいい)
(目に留まれば、それでいい)
それだけで――十分だった。
その時、
視界の端で、ひとりの男が口元を歪めた。
「………………ニヤリ」
(……なんだ、あいつ)
一瞬、引っかかる。
だが――
(関係ない)
意識を切り替える。
座学は問題なく終わった。
ここまでは、想定通り。
――あとは、技能。
それだけだった。
――そのはずだった。
テュエル
(はぁ??!!)
(相手は……へ、陛下?!?!?!)
ざわめきが、一気に広がる。
次々に志願者が前へ出ては、
打ち込まれ――
一瞬で、崩れる。
一撃。
それだけで、終わる。
(……強い)
それだけで片付けていいものではない。
(……違う)
試されているのは、
技量だけではない。
覚悟。
反応。
立っていられるかどうか。
――選ばれる側に、値するかどうか。
そして。
自分の番が来た。
踏み出す。
視界の先には、ダイン王。
一切の隙がない。
――来る。
打ち込み。
受ける。
重い。
だが――
(……いける)
弾く。
踏み込む。
返す。
初めてだった。
この場で、
“崩れなかった”のは。
周囲の空気が、変わる。
視線が、集まる。
だが――
(関係ない)
見てほしいのは、
(……あの方だけだ)
⸻
打ち込みが終わり――
いよいよ、順位発表。
(……いける)
確かな手応えがあった。
あの場で、立っていられたのは自分だけだ。
胸の奥が、わずかに熱を帯びる。
名前が、下から順に呼ばれていく。
『三番――〇〇』
――問題ない。
一つ、間。
『……二番――テュエル』
(…………は?)
一瞬、音が消えた。
(……今、なんて言った?)
理解が、追いつかない。
(……二番?)
そんなはずがない。
(……何が足りなかった)
座学か。
いや、手応えはあった。
(……なら、何だ)
答えが出ないまま、
「テュエル、前に出なさい」
呼ばれる。
テュエル
「……は、い」
足が、わずかに重い。
進行役
「一番――バグジ」
バグジ
「はいっ!!!」
(……は?)
(――あの時の)
(……ニヤついていた男)
視線が、そちらに向く。
(……こいつが?)
理解できない。
一瞬、
思考の奥に、黒いものが滲む。
(……不正か?)
――どうでもいい。
(……あの方に、選ばれなければ意味がない)
視線を、探す。
すぐに、見つけた。
(……いた)
(レイラ様……!)
進行役
『では、姫様。この中からお選び下さい』
(……選ぶも何も)
分かりきっている。
(一番しか、選ばれない)
拳が、わずかに握られる。
(……くそ)
(ここまで来て――)
視線を落とす。
(……届かないのか)
場が、静まり返る。
息を呑む気配。
誰もが、その瞬間を待っている。
――そして。
レイラが、ゆっくりと手を上げた。
指が、伸びる。
一瞬。
空気が、凍りついた。
レイラ
『…………この者にします』
――ざわっ。
遅れて、音が戻る。
ざわめきが、波のように広がる。
バグジ
「え?!
な、なぜですか?!?!」
(……?)
違和感。
おかしい。
顔を上げる。
その先で。
――自分が、指されていた。
テュエル
「……へ?」
バグジは、顔を歪めた。
怒りを押し殺すこともせず、声を荒げる。
「わ、私は!1番になりました!!
なぜわざわざ2番のそいつを?!」
「……あれですね?!容姿ですか?!
才能を見ていただきたいです!!」
歯を食いしばる。
「去年も選んでくださらなかった!!!
……あ!わかりました!!」
「1年、こいつを待っていたんですね?!
仕組まれた勝負だった、八百長だったわけですね?!」
「なんとか言ってくださいよ!!!!!」
進行役
『失礼がすぎるぞ!!!言葉を慎め!!!』
(こいつ……)
テュエルの手が、ぎゅっと握られる。
(殺す――)
体が、わずかに前へ傾く。
衝動が、全身を駆け抜けた。
その時――
レイラが、ほんの一瞬だけテュエルを見る。
「……」
そして。
『気分。』
………………
全員
『え?』
レイラ
「気分だ」
…………………………。
バグジ
「な、納得できません!!!こんな八百ちょ――」
レイラ
「……そうだな」
「こんな八百長、納得できぬよな?」
「試験官、座学の答案用紙を調べろ」
バグジ
「!!!!!!!」
レイラ
「……なんだ?都合でも悪かったか?」
「……もう、文句はないな?」
バグジ
「は、……はい」
レイラは、ふんと鼻を鳴らし――
テュエルの前へと進んだ。
レイラ
「…行くぞ」
テュエル
「?!……え?」
レイラ
「…辞退するのか?」
テュエル
「!…い、いえ!」
と背筋を伸ばし姿勢を正す。
レイラ
「爺、この者の支度を頼む」
爺
「はい、かしこまりました。では後ほど^^」
レイラ
「…あぁ」
テュエル
「では、行ってまいります!」
レイラ
「………」
――――――
(……嘘だろ)
一拍。
(……選ばれた?)
遅れて――
(嘘だろ嘘だろ嘘だろ!!!)
(夢にまで見た専属護衛……!!!)
(夢が……叶った……!!)
(絶対に幻滅されないように働かなくては!!)
とテュエルは心を躍らせ、気合を入れた。
その姿を、遠目から見ている二人。
ダイン
「……いいのか?」
レイラ
「……はい」
間を置かず、答える。
ダイン
「……お前の決定に従おう」
レイラ
「……ありがとうございます」
わずかに、目を細める。
(たしかに、非の打ち所はない)
(技量、判断、精神――どれも申し分ない)
だが。
(……あれは、危うい)
胸の奥に、わずかな確信が落ちる。
(お前への執着で、身を滅ぼす)
(……周囲も巻き込んでな)
視線を、レイラへ向ける。
(……抑えも、いずれ効かなくなる)
ほんの一瞬だけ、沈黙。
(――後戻りは、もうできないぞ)
(それでもいいのか――レイラよ)
レイラは、何も言わない。
ただ――
その背を、見ていた。
――――――
テュエル&爺
――――――
爺
「では、こちらにお召し替え下さい」
テュエル
「はい」
(……この者)
(見たことは、ある)
宮内で、何度か。
だが――
(……気にしたことがなかった。)
ふと、視線が止まる。
(……距離が、近い)
レイラのすぐ側にいる。
それが、妙に自然だった。
(……大切にされている、のか?)
わずかな興味が、胸に引っかかる。
爺
「私のことなど気になさらず」
「ただの世話役に過ぎませんので^^」
テュエル
「……そう、ですか」
――一瞬。
(……気づかれた?)
わずかな違和感。
爺は、テュエルの様子を見て――
ふっと、目を細めた。
「……それにしても」
「珍しい」
テュエル
「……?」
「姫さまが」
「“目を合わせて”言葉をかけるなど」
「滅多にありません」
(……?)
テュエル
「どういう、意味ですか?」
爺は、少しだけ間を置く。
「避けられているのです」
「姫さまの“目”は」
「見透かされる、と」
「そう思われておりますからな」
(……知っている)
宮内で、何度も耳にした噂。
怯えた声も、
軽んじる声も。
その度に――
(……くだらない)
そう思ってきた。
だが。
わずかに思い出す。
あの時――
視線が合った瞬間の、感覚を。
「ですが」
爺の声が、ほんのわずか柔らぐ。
「貴方様には、話しかけていらっしゃった」
「……それが、どういうことか」
「お分かりになりますかな?」
(……)
分からない。
だが――
胸の奥が、わずかに熱を帯びる。
――護衛服に身を包む。
外套が、肩にかけられる。
その重みに、視線が落ちた。
(……紺)
深い色。
見慣れているはずの外套とは、どこか違う。
(……紅じゃない)
引っかかる。
テュエル
「……これは」
爺は、穏やかに答えた。
「紅は、陛下のお色でございます」
「――こちらは、姫さまのもの」
テュエル
「……」
(……レイラ様の)
指先が、わずかに布をなぞる。
(……違う)
直感的に、理解する。
(……他と、同じはずがない)
この色は――
(……まだ、誰のものでもなかった)
爺は、その様子を見て――
静かに、微笑んだ。
「……これから、よろしくお願いいたします」
テュエル
「……はい」
⸻
爺
「姫さま、準備してまいりました」
レイラ
「…うん」
テュエル
「お待たせいたしました!^^」
レイラ
「………」
レイラは小さくため息をつき、呆れたように視線を逸らすと、そのまま黙って歩き出した。
テュエル
「レイラ様、どちらへ行かれるんですか?お供致しますね^^」
レイラ
「…」
テュエル
「宮内、すごく景色綺麗ですねー、もちろん、レイラ様よりお綺麗な物はございませんが!」
レイラ
「…」
テュエル
「あれ、執務室ですか?お勉強熱心でいらっしゃいますね!聡明さが滲み出ていると思ってました!」
レイラ
「……はぁ」
一拍。
「……お前は」
もう一拍。
「……黙っていられないのか」
テュエル
「喋らない方が…お好きですか…?」
捨てられた子犬のような目でレイラを見つめる。
レイラ
「………………」
レイラは完全に呆れた顔で、ぷいっとそっぽを向いた。
⸻
夜
自室前
テュエル
「レイラ様!!ボク、これから頑張ります!選んでいただき、本当にありがとうございました!胸いっぱいで今夜は眠れそうにないです!おやすみなさいませ!!!」
レイラ
『………………』
レイラは何も返さず、静かに扉を閉めた。
パタン――
(……濁ってない)
(……真っ直ぐすぎる)
(口にした言葉と……心の声が……)
(……ズレてない)
(……こんな人間)
(初めてだ)
(……楽だ)
胸の奥が、わずかに緩む。
だが――
(……危うい)
レイラは、閉じられた扉を見つめたまま――
小さく、呟いた。
「……さぁ」
「いつまで、保つかな――」




