夫たちを侮辱されたのでブチ切れました
――レイラの幻術の最深部――
光も、影も、境界さえ失われた場所。
声が……聞こえる……
聞き慣れた……
ずっと、そばにあった――
二人の声。
「お迎えにあがりました」
「帰るぞ」
温かい声。
拒絶しない声。
迷わず、こちらを選ぶ声。
導かれるように、
闇の底で――
レイラの瞳に、
わずかに光が戻る。
魄喰
《……! 余計なことを……!!》
焦りを隠しきれず、
魄喰は幻術の濃度を、さらに濃くする。
ただ、争わせるだけでは足りない。
ただ、傷つけ合うだけでは――
心は折れない。
次の瞬間――
大鎌と双剣が、
互いの身体を、確かに貫いた。
「――っ!!!」
噴き出した二人の血が、
レイラの頬に飛び散る。
匂い……
鉄の匂い……
生々しく、逃げ場のない、血の匂い……
「……う……レイラ……」
「……レイラ様…………」
その言葉を最後に、
二人は、崩れ落ちた。
動かない。
息をしていない。
レイラは、膝をついたまま、
ゆっくりと俯く。
魄喰
《大切なものは……もう、なくなった》
《もう……なにも考えなくていい》
レイラの肩が、かすかに震える。
「…………」
「…………ふっ」
魄喰
《? ……笑った?》
レイラ
「はははははは……」
乾いた笑いが、闇に響く。
だが、その声音に――狂気はなかった。
魄喰
《? どうした? 壊れたのか?》
レイラは、顔を上げた。
その瞳に――
恐怖はない。
絶望もない。
あるのは、
静かに燃える、確信だけ。
「……はぁ……」
「面白い冗談だ」
低く、しかし揺るぎなく。
「こいつらが」
「こんなことで」
「死ぬわけがないだろう?」
魄喰
《!!!》
レイラ
「確かに、二人が死んでしまうこと……」
一拍、置いて。
「それは、一番恐ろしい」
「だが――」
声は、凛と響いた。
「“それ”は、この世で一番あり得ないことだ」
(……そうだ)
(最強の、二人だ)
(そして――)
(絶対に、私を置いていく選択をしない)
影が、ざわりと揺れる。
「許すものか……」
「テュエルを……シャガルを……」
「傷つけ……踏み躙った……お前を……!!!」
レイラは、影へと手をかざす。
次の瞬間――
視界が白く塗り潰されるほどの、
圧倒的な霊力が、溢れ出した。
―――――
六歳のレイラの幻影に、
声をかけていた二人の前で。
突如――
レイラの姿が、眩い光を放った。
溢れ出した霊力に押し流されるように、
影は、霧が晴れるように音もなく消えていく。
その刹那――
二人の視界に残ったのは、
どこまでも澄み渡る、青空。
――そうだ。
ここは、昼の皇族の庭。
青空の下で、
テュエルとレイラが出会った場所。
すべてが、始まった場所。
……だが。
光が、微かに揺らいだ。
空の青が、ほんの一瞬、翳り、
世界が、息を止める。
次の瞬間――
夕焼け。
ほんの刹那、
青空の奥に滲むように、
茜色の光が差し込む。
それは、
消えゆく幻術が、最後に見せた――
もう一つの真実だった。
ほんの一瞬、
光の中に、立つ現在のレイラ。
そして、その視線の先に――
夕日に照らされ、
穏やかに微笑む
シャガルの姿。
ここにあるのは、
レイラの心が、最も深く触れている光景。
テュエルは、言葉にできない感覚を覚える。
懐かしさとも、安堵とも違う。
(……始まりだ)
そう、直感的に理解していた。
説明は、要らなかった。
この場所、この景色、この配置。
ここで、
彼女の心は――動き始めたのだと。
そして。
シャガルは、はっきりと悟る。
自分もまた、
この光景の中に組み込まれている。
理由は分からない。
だが、拒まれていない。
それどころか――
最初から、そこに在ったかのように。
知らぬまま、
だが確かに。
余は、
レイラの“核”の一部だったのだと。
―――――
光が、すべてを包み込む。
そして。
次にレイラが目を開けた時、
そこは――
レイラの自室。
紛れもない、現実だった。
――――
三人が現実へと引き戻された瞬間。
そこは――
テュエルが首筋に牙を立てた、あの場所。
レイラの自室だった。
淡い光が消え、重力が戻る。
張りつめていた空気が、ようやく現実のものへと変わる。
だが――
部屋の隅、壁際に蠢く影があった。
魄喰だ。
《……まずい……》
低く、焦りを滲ませた声。
影は形を歪め、
この場から逃れようと、壁へ――現実世界の影へと溶け込もうとする。
「逃がすか!!」
テュエルが即座に反応した。
双剣を抜き放ち、
オーラを纏わせた斬撃を、影へと叩き込む。
空を裂く衝撃波。
――だが。
斬撃は、影をすり抜けた。
抵抗も、悲鳴もない。
ただ、揺らいだだけ。
「……っ」
シャガルが、低く告げる。
「無駄だ」
「奴は、姿を持たぬ」
苛立ちを含んだ声。
「物理も、王羅の刃も――」
「“影”そのものには届かん」
魄喰は、確信する。
ここに、もはや留まれない。
《……退くしか……》
だが――
「待て」
凛とした声が、部屋に響いた。
魄喰の動きが、止まる。
影の奥で、
レイラが、静かに立っていた。
蒼白な顔。
疲労の色は隠せない。
それでも――
その瞳は、確かに燃えていた。
「許さないと……」
一歩、踏み出す。
「言っただろう?」
次の瞬間。
レイラの周囲から、
圧倒的な霊力が溢れ出す。
白く、澄んだ光。
影を拒絶する、浄化の力。
「――――ッ!!」
雄叫びが、空間を震わせた。
《そ……そんな……!》
《この力は……!!》
影が、悲鳴を上げる。
《まさか……霊力……!?》
《ただの雪女じゃ……なかったのか……!!》
光が、影を包み込む。
逃げ場は、ない。
浄化は、容赦なく――
魄喰という存在そのものを、削ぎ落としていく。
叫びは、やがて掠れ、
そして――消えた。
影は、完全に霧散した。
……静寂。
終わった。
シャガルは、わずかに目を見開いていた。
「……霊力が、対抗策だったとは……」
知らなかった。
いや――想定すらしていなかった。
テュエルも、息を呑む。
その力は、
暴力的ですらない。
ただ、美しく――
圧倒的だった。
三人は、自然と目を合わせる。
そして――
ふっと、力が抜けた。
だが、その直後。
レイラの身体が、わずかに揺れた。
張りつめていた糸が、
一気に切れたのだ。
「……っ……」
疲労が、押し寄せる。
視界が、滲む。
それでも――
彼女は、前へ出ようとした。
伝えなければならない。
今、言わなければ――。
テュエルへと向かおうとした、その瞬間。
首筋に、ちくりとした痛みが走る。
無意識に、そこを押さえた。
「……っ」
「レイラ様!!」
テュエルが、即座に駆け寄る。
その一瞬の仕草だけで、
彼には分かっていた。
――もう、限界だ。
とっくに、無理を越えている。
それでも。
レイラは、ふらつきながらも、
無意識に一歩、踏み出していた。
「……テュエル……」
声を出しただけで、
胸が締めつけられる。
息が、続かない。
それでも、止まらなかった。
「……お前に……伝えなければ……」
「レイラ様」
テュエルは、
声音を、意識して和らげる。
「お話は……一度、眠ってからで大丈夫です^^」
「今は……少し、休みましょう?」
一拍。
「ボクも……ちゃんと、お話ししたいです」
その言葉に。
レイラの肩から、力が抜けた。
「……そうか……」
小さく、微笑む。
その瞬間――
意識が、ふっと遠のいた。
倒れ込む前に、
シャガルが、すっと腕を差し出す。
そのまま、軽々と抱き上げた。
「……よくやったな」
誇らしげに、静かに。
「本当に、よくやった」
レイラは、
二人がいることを――
肌で感じる。
その安心感に包まれ、
ゆっくりと、目を閉じた。
「……すぅ……」
穏やかな寝息。
それを見て、シャガルが小さく笑う。
「ふ……」
「本当に、よく眠る」
テュエルも、そっと視線を落とす。
「はい……」
「でももう……“氷の姫”の面影なんて、ありませんね」
「なんて……穏やかな、寝顔だ……」
二人は、顔を見合わせる。
言葉は、いらなかった。
シャガルは、レイラの額に。
テュエルは、頬に。
そっと、口付けを落とす。
静かな部屋に、
三人分の温度だけが、残っていた。




