第27話:対称性に満ちた我が家
両手いっぱいに大きなショッピングバッグを抱え、僕たちはようやくマンション最上階の部屋へと帰ってきた。玄関の鍵が静かに解錠され、重厚なドアを開ける。
「ふぅ……さすがにこの量を持ち運ぶのは、私の筋力リソースの限界を超えていたわ」
「荷物を持っていたのはほぼ僕です……。天ノ川さんは外でずっと僕の腕を掴んでいたので疲れたんじゃないでしょうか」
「それは不可抗力よ」
美鈴はツンと顔を背けると、さっそく買ってきたばかりの同一規格のアイテムを嬉しそうに引っ張り出す。その様子を見ながら僕は恐る恐る声をかけた。
「天ノ川さん、これ本当に部屋に置くんですね。本格的に新婚夫婦みたいな部屋になっちゃう……」
「質問の意図が理解不能よ。これらのアイテムは使用するために購入したはずでしょう。それに、この部屋を観測するとしたら私と君、それか春崎くらいのものよ。他個体に何らかの感情を想起させる余地はないわ」
「そう言うとは思いましたけど……!」
彼女は僕が小さく溜息をつくのも意に介さず、お揃いのアイテムをテキパキと部屋に配置し始めた。
まずは玄関。無機質で磨き上げられたタイルの上に、新しく並べられた二足のルームシューズ。デザインは全く同じだが、僕の大きめのサイズと、美鈴の少し小さくて可愛らしいサイズが、仲良く寄り添うように並んでいる。
次はリビング。広々とした高級本革ソファの左右に、淡いサクラ色とシックなネイビーのクッションが、寸分の狂いもなく左右対称に配置された。
そしてキッチン。白を基調とした洗練された吊り棚の特等席に、色違いのペアマグカップが二つ、並んでフックに掛けられる。
一ヶ月前、僕が初めてこの部屋に来た時は、ゴミに埋もれた魔窟だった。掃除をして綺麗になった後も、どこか高級ホテルのような、生活感のない冷気が漂っていた場所。
それが、今日買ってきたお揃いのアイテムたちが加わったことで、一気に変わった。まるでどこかの雑誌に載っている幸福な家庭のような、優しくて温かい色彩が、部屋のあちこちに満ちていく。
「うん、やっぱりこうなっちゃったな。完全に新婚夫婦の部屋だよ」
僕はもはや諦めて無我の境地に達している。一方の美鈴はといえば部屋を見回して誇らしげに胸を張っていた。
「満足のいく実験結果ね」
「天ノ川さんが満足ならいいんですけどね……。この部屋、本当に春崎さんに見られて大丈夫かなぁ。雇い主に手を出したと勘違いされて粛清されたらどうしよう。あの人、身のこなしからして何かの格闘技をやってそうなんですよね」
「空手と柔道とジークンドーとシステマをマスターしているそうよ」
「知らない格闘技の名前まで出てきましたが」
「それはともかく、彼女には私が決めた人事を覆すような権限はないわ。安心してちょうだい」
彼女は長い睫毛に縁取られた銀色の瞳で僕を見上げ、小さく微笑んだ。
「……手、出してみる?」
甘い囁き声。僕の心臓がどきりと跳ねた。
「あ、天ノ川さん! 冗談でもそういうことを言うのはやめてください!!」
「君のその焦りようからすると、『手を出す』という言葉には物理的に手を繋いだりハグをしたりする以上の何らかの意味があるようね。今、検索するわ」
「しなくていいです!というか、絶対にしないでください! 僕はご飯支度があるのでキッチンにいますね……!」
彼女から逃げるようにして僕はキッチンへと向かった。
***
その日の夜。全ての家事を終えた後、僕たちはリビングのソファに腰掛け、夜景を眺めていた。
テーブルの上には、昼間買ったばかりのマグカップ。
僕のネイビーのカップと、美鈴のサクラ色のカップからは、温かいココアの湯気がふわりと立ち上っている。
「……ねえ、天ノ川さん」
「なに、高丘くん。ココアの糖分濃度なら完璧よ。脳の疲労回復に最適な――」
「いえ、そうではなくてですね」
僕はマグカップの持ち手に指をかけ、部屋を見渡しながら小さく笑った。
「なんだか、すごく『家』らしくなりましたね。この部屋」
「……家らしい?」
「はい。最初はただの仕事場って感覚でしたけど……お揃いのものも増えましたし。僕、ここにいていいんだなって、改めて思いました。散々文句を言っておいて今さらかもしれませんけど、今日お揃いのものを買ってよかったです」
親に捨てられ、ずっと自分の居場所を探していた僕の口から、自然とこぼれ出た本音。
美鈴は驚いたように目を見開いた。それから、照れ臭そうにサクラ色のマグカップを両手で包み込み、口元をカップの縁に半分ほど埋めてしまう。
窓の外から差し込む都会の夜景の光が、彼女の銀髪を淡く照らしていた。
「……当然よ」
カップの向こうから、くぐもった、けれどいつになく小さくて愛おしそうな声が聞こえた。
「君がこの空間に最適化され、心地よさを感じることも……全て私の計算の内よ。……私の計算に、狂いはないわ」
理屈っぽくて、不器用で、けれど絶対に僕を離さないという確固たる意志。彼女の瞳が、熱を帯びた優しい光を宿して、じっと僕を見つめていた。
部屋の中に少しずつ増えていく、僕と彼女のお揃いという名の対称性。
かつて孤独だった僕たちの世界は、その対称性が増えるたびに混ざり合い、心の距離をさらにゼロへと近づけていくのだった。




