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第1話:残高0円の放課後、拾われた先は魔窟だった

「……倒産?」


 店長から告げられたその言葉は、空っぽの胃袋に鉛を流し込まれたような重みがあった。


 僕が半年間、文字通り血を吐く思いでシフトを埋めてきた駅前の居酒屋。その入口には『諸般の事情により閉店いたしました』という、あまりに無機質な貼り紙が揺れている。


「悪いな、高丘。給料は……その、諸々の手続きが済んだら連絡する」


 申し訳なさそうに目を逸らす店長の背中を僕はただ見送るしかない。


 諸々の手続き? それはいつ? 一週間後か、それとも一ヶ月後なのか。


 慌てて財布の中を確認する。千円札が一枚と、硬貨が数枚。これが僕の全財産。


 一年ほど前に両親が蒸発し、残されたわずかな貯金も底をついた。今日、このバイト代が入らなければ――僕の人生は詰む。


「……さすがに笑えないよ」


 夕暮れの公園。僕は誰に聞かせるでもなく独り言を漏らし、水飲み場の蛇口をひねった。


 勢いよく飛び出す水を、手で受けて口に運ぶ。塩素の匂いが鼻をつくが、今はこれが唯一の晩餐だった。


 腹を膨らませるために、何度も、何度も水を飲む。


 最後に食事をしてから既に一日近くが経っていた。空腹を誤魔化すこともできずに公園のベンチで寝そべる。

 

 目を閉じると、一気に不安が押し寄せてきた。自分はいったいこれからどうなってしまうのだろう。高校二年生。将来には何も期待できない。このままただ野垂れ死んでしまうのだろうか。


「……君。高丘玲於奈たかおかれおなくんで間違いないかな」


 不意に頭の上から声をかけられた。


 目を開けると、すぐそばに場違いなほど高級そうなスーツに身を包んだ、眼鏡の女性が立っていた。二十代半ばだろうか。仕事ができそうな、凛とした空気をまとっている。


「……どちら様ですか?」

春崎はるさきと名乗っておこう。君の現在の経済状況、および卓越した家事能力については調査済みだ」


 春崎と名乗った女性は、無表情のまま一枚の名刺を差し出してきた。そこには『国立研究開発法人』の文字。


「単刀直入に言う。高丘くん、君にしかできない仕事がある。先生と同じ学校に通っていて、料理や家事のスキルが高く、雇用先が倒産したおかげで今すぐにでも働くことができる。これほどうってつけの人材は他にいない。……先生の命を救えるのは、もう君だけなんだ」

「……へ?」


 命を救う? 僕が?


 完全に不審者だと思い、急いでベンチから起き上がって立ち去ろうとする。だが、春崎が次に口にした言葉に、僕の足は止まった。


「報酬は月額五十万円。住居、および生活費は全額保証する」


 ――その条件は、溺れる者が掴むわらにしては、あまりにも太すぎる綱だった。


「……詐欺、ですよね。それか裏バイトとか」

「そのどちらでもない。雇用条件は先生がご自分で試算したものだけど、私も承認済みだし怪しくないことだけは保証する。詳細は先生が直接説明するそうだからその気があるならついてくるといい」


 凄まじい葛藤が襲う。いくら説明されても怪しすぎる。もしも犯罪にでも巻き込まれたら。人体実験の材料にでもされたら――。


 その時、僕のお腹が小さく鳴った。一瞬で顔が真っ赤になる。


 背に腹は代えられない。僕は、恥ずかしそうにうつむいたまま彼女についていくことを決めた。


 ***


 連れて行かれたのは、この街で最も高い場所にあるタワーマンションだった。


 最上階。カードキーをかざして重厚な扉が開く。春崎は鼻を指で押さえながら、一歩後ろに下がった。


「覚悟して入りたまえ。……今の彼女は、人類の至宝というよりは、ただの『自堕落の結晶』だ」

「よく分かりませんが、失礼します……」


 足を踏み入れた瞬間、僕は立ちくらみを覚えた。まず襲ってきたのは、えた匂い。そして、視界を埋め尽くす悲惨な光景。


「……何ですか、これ」


 広大なリビング。床は高級そうな大理石のはずだが、その欠片も見えない。


 散乱しているのは、中身の干からびたコンビニ弁当の容器、脱ぎ捨てられたブランド物の服、そして何かの数式がびっしりと書かれた紙屑の山。


 数千万円はしそうなサーバーラックが唸りを上げている傍らで、ピザの空箱がエベレストのように積み上がっている。


 こんなものは家じゃない。……ゴミ溜め。いや、それ以上の何か。まさに『魔窟』と呼ぶにふさわしい空間だった。


 僕は慎重にゴミを避けながら、リビングの中央へと歩み寄る。


 そこで、僕の動きが凍りついた。溢れかえった大量の資料と、空のペットボトルの山。その隙間から――。


 白く、不気味なほど細い足が、一本だけ突き出していた。


「……えっ」


 ピクリとも動かない。血の気が引くのがわかった。


 僕は、震える声で春崎に問いかける。


「あの、春崎さん。これ、もしかして……」


 彼女の顔が一気に青ざめた。


「……えっ、先生。死んでらっしゃいます?」

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