商人の来訪
「カエデさーん、セツナさーん、いらっしゃいますかー」
この世界において、樹木に向かって話しかける人間というのは多くない。
その多くは精霊使いと称される者たちで、大地や木々、風と会話できる能力を持ったごく一部の人間のみだけだ。
そしてそういった特殊な力をもった人間というのは得てして漏れなく国軍、または国の要職に莫大な金額で雇われることになるからだ。
そしてそういった職業に就いた者はよほどのことがない限り、国の外へ出ることはできない。
これは亡命や不慮の事故を避けるための措置である。
しかし、今大樹に向かって声をかけた者、正確にはその中にいる大賢者と大魔道師に呼びかけた者はそのどちらでもなく、ただの商人だった。
ただの、と言ってしまうと語弊はあるが、カエデやセツナのような人間を半分以上卒業した存在からすればそこら辺の一般市民と何ら変わりない。
「はいはい、今行きますよ」
大樹の周りはカエデとセツナのテリトリーということもあり、危険ということはないがそれでも野生動物、それも単体で国を落とせるほどの魔獣がうろついている森だ。
万が一ということもあるためセツナが駆け足で大樹の家の入口まで迎えに行く。
「やぁよかった、この前1時間待たされた時は生きた心地がしませんでしたからね。
今回も洋服やらを仕入れてきましたよ」
そう言って商人は背中のリュックサックを指さす。
それは魔法の効果を持つ鞄で、中は亜空間へとつながっている。
その為亜空間の広さに応じて物を詰め込むことができるが、原則として生きた人間を入れることは禁止されている。
その理由として中に入ると外から引っ張り出してもらわない限り出ることができないからだ。
「薬は前回よりも少ないですけど用意してありますよ」
「あぁ、カエデさんがこぼしましたか。
今回はどうして? 」
「足を滑らせてぶちまけたみたいです」
その商人は、定期的に二人の元を訪ねて薬を買い付けていた。
その反面、洋服や食料、スパイスなどの森では入手の難しいものを売リさばきカエデたちの信頼を得ていた。
その為か、セツナからは高レベルな魔獣除けのアイテムを渡され月に一回は森を訪れていたためカエデのうっかりにも慣れていた。
「今回こちらが用意したのはこれくらいですね。
スパイスと洋服と、あとカエデさんから依頼されていたお菓子のレシピ。
それからセツナさんから依頼されていた新しい書物です。
しめて34,627エーテル、といいたいところですけど端数は切り捨てで34,000エーテルです」
「じゃあ代わりにこれが薬ね。
今回はいつもより少なくて80本の納品。
使い方はいつも通り1000倍に薄めて使えばちょうどいいわ。
基本的に怪我でも病気でも、よほどのことがない限り直るはずだから
お代は……5万でいいわ」
「では、16,000エーテルです」
「……はい確かに、いつも悪いわね」
セツナは受け取ったお金を数えてから自分のポシェットに仕舞い込む。
それは商人が持っているものと同様の品だったが、その効果は大きく違っていた。
まずセツナが持っている物は最大容量が違い、商人のカバンのおよそ30倍の物が詰め込める。
更に亜空間を複数繋げる事で、大樹の地下に設置してある倉庫と直接つなげてある。
つまりセツナは、これはカエデもだが常に倉庫にあるものを取り出すことが可能となっている。
また魔法そのものに改良を加え、外から引っ張り出さずともカエデとセツナだけは亜空間を自由にでいるすることが可能となっている。
「それで、カエデさんは実験中ですか? 」
「ん? あぁ今はちょっとお使いに行ってるところよ。
ユニコーンの角が足りなくなっちゃったから分けてもらいにね。
それとドラゴンの鱗と天馬の羽が必要だったから」
しれっと言っているがセツナが言ってのけた三つの素材は入手難易度が高すぎるために幻の素材とまで言われている。
それらをどのように使ったのか、手元の薬を見ながら商人は苦笑いを浮かべるばかりだった。
しかし、その行為が無駄だとわかっているため商人はすぐさま気を取り直し、表情を商売モードへと切り替える。
「実は折り入って相談があるのですが」
「無理のない範囲でなら」
セツナの言葉に果たしてこの人に無理、不可能という言葉は存在するのだろうかと考えながらも相談の内容を打ち明ける。
「実は近年悪質な風邪が流行っていまして、こちらで売っていただいている薬ならば問題なく効くのですが世間に出回っている薬では効き目が薄いのです。
なので次回は二週間ほどでこちらにお邪魔したいのですよ。
できれば薬の量も増やしていただきたく」
「二週間……悪質な風邪……」
セツナは顎に指を当てて頭の中で計算を始める。
二週間で今の倍の薬を作ることはできるか、答えは可能だ。
ではそれを目の前にいる商人に無事引き渡すためにはどうしたらよいか。
答えはカエデをおとなしくさせておくことだ。
カエデは天才だが同時に天災でもある。
彼女一人に任せておけば世界を征服することも、はるか昔に封印されたという魔神を討伐することも、魔王を蹂躙することもさほど難しいことではない。
しかし、彼女のうっかりを封印することはそれらすべてを合わせた状況よりも打破しがたい。
ならば、最初からうっかりが起こりえないようにしてしまえばいい。
そうだ、せっかくだから森のドラゴンに竜の里まで連れて行ってもらえばいいのではないだろうか。
それがいい、そうすれば自分一人で薬の作成に専念できる。
それならば二倍どころか三倍の量だって用意することは可能だ。
幸いカエデにとって来てほしいといった素材があれば料としては十分だ。
そこまで考えてセツナはポケットから煙管を取り出して葉を詰めて火をつける。
「いいでしょう、二週間で200個ほど用意しておきます。
それと、次回来るまでにその風邪の症状を詳しく書面にまとめておいてください。
風邪ならばいいのですがもしかしたらもっと別の病気の可能性もありますから」
「イヤーありがたい、本当に助かります。
人の不幸に付け入るみたいで気の引ける話ですが、薬というのはこういう時にこそ必要ですからね。
よろしくお願いします」
商人はそう言って頭を下げた。
その商人は、口ではそう言っているが実際自分の懐が温まることよりも病気の対策ができたことに喜んでいる。
セツナは長年生きて培った観察眼からその事を見抜いていた。
「それじゃあ私はうっかり魔神が帰ってくる前にお暇します。
よろしくお伝えください」
「えぇ、うっかり娘に一字一句たがえずに伝えておきますね」
それはやめてくださいと笑顔で言う商人に対して、セツナは無言で手を振るばかりだった。
一方カエデはというと、商人の来訪に気付かぬままユニコーンに大量のにんじんを差し出して角を分けてほしいと頼み込み、ドラゴンに適当な魔獣を差し出してうろこを引っぺがし、ペガサスの後方を飛びながら追尾して羽を拾い集めていた。




