熊と花の約束
春の柔らかな晴天。絶好のお見合い日和とでもいうのだろうか。俺はホテルのロビーで一人やきもきしながらその時を待っていた。
決して見逃さないために、常に入口に目を配りながら、ラウンジでコーヒーを飲んでいた。
そろそろ時間になる頃かという時に、探していた人物が現れた。
藤色の着物を着て、髪を結い上げて、清楚な薄化粧の理子は、まぶしいくらいに綺麗だった。
気づけば足が動き、理子に向かって駆け寄っていた。
「タケ!」
突然現れた俺に驚く理子の手を掴んで、無言で外に歩き始めた。着物姿の理子は走れず、転びそうになりながら足早についてくる。
このまま理子を抱えて走ってしまいたかった。ホテルを出て少しした所で立ち止まった。振り向いて見下ろすと、困惑した表情の理子がいた。
いつも俺が振り回されてばかりだったから、たまには振り回すのも気分がいいな。
「どうしたの?突然」
「国家試験合格したぞ」
理子は一瞬驚いたように瞬きして、その後とびっきりの笑顔を見せた。
「良かったじゃない。努力した甲斐があったわね」
「そうだな。まだ研修もあるし、開業医になるまで時間はかかるが、いちよう医者だ」
そこで理子を抱き寄せて腕の中に閉じ込めた。見上げる理子の戸惑う表情が可愛くて、もっと虐めてみたくなる。
「だから見合いなんかやめて、俺にしろよ」
「タケ……」
理子の口からこぼれる俺の名前が耳をくすぐる。何か言おうと口を開く理子を、頭ごと強く抱きしめて止めた。
「なあ。お前は恋愛なんていつか終わるって思ってるんだろうけど、俺は終わらない恋愛もあると思うよ。俺はこの10年お前の事がずっと好きだった。理子に相応しい男になりたくて歯科医を目指した。バカかもしれないけど、昔も今もこれからも俺の気持ちは変わらないよ」
そこまで言い切って、俺はやっと理子を抱きしめる力を緩めた。理子は下を向いたまま盛大にため息をついた。
「今さらね……あんたの気持なんかとっくに気づいてたわよ。高校も進路も私のために選んだ大馬鹿男だって事も。それに気づいてたのに何も言わずに甘えてた。私をずるいとは思わない?」
「ずるくたっていいよ。10年そばでずっと見てて、弱いところも情けないところも、全部ひっくるめて好きになったんだから」
理子が顔を上げて俺の顔に両手を伸ばした。頬を包み込むように触れる理子の柔らかい手が心地よい。すぐに理子の顔が自信に満ちた笑顔で彩られた。
理子の指が俺の両頬をつまんで横に引っ張った。
「医者の資格を取ったぐらいで生意気よ。私を口説くなら開業医になってからにしなさいよね」
「悪かったな。貧乏学生で」
理子は手を離して、上目遣いの一番の勝負笑顔で囁いた。
「でも私もまだ仕事辞めたくないし、タケが開業医になるまで待ってあげてもいいわよ。それまでに私に信じさせて。終わらない恋愛があるって」
一瞬理子の言った言葉が信じられずに呆然としてしまった。それって俺にもまだ可能性があるって事か?というかまさか理子も俺に気があるのか?
固まっていた俺の腕を取って、理子は歩き出した。
「さあて、じゃあ昼間からはしご酒でも行きましょ。もちろんタケの奢りでね」
「おい……。見合いはいいのか?」
「お見合いなんてとっくに断ってるわよ」
「は?じゃあ着物姿で何しに来たんだよ」
「これお母さんの着物借りて、着付けしてもらったの。似合うでしょう」
「似合う……ってそういうことじゃなくて」
そこで理子は人差し指を俺に向けて突き刺して言った。
「こっちが誘ってんのに、誰かさんが煮え切らない態度だったから、ちょっと焦らせてみただけ」
「誘うってもしかして、お見合いとかそこから嘘だったのか?」
「嘘じゃないわよ。すぐに断っただけで。タケも止めてくれるかと思ったら、自分で考えろなんて突き放すんだもん。タケが来るかどうか賭けだったけど」
可愛い笑顔を浮かべているが、悪魔だこいつ。人の心もてあそびやがって!!でもこんな手の込んだ事してまで、俺に見合いを止めて欲しかったのか。だとしたら充分俺にも可能性がある。
「飲むぞ!!今日はお前の奢りだからな。合格祝いに奢れ」
「ええー。じゃあ『よりみち』でボトル1本入れてあげる」
「だめだ。それじゃあ絶対、お前に飲み尽くされて終わりだからな。貧乏学生にたかるな。残業代一杯出てるんだろ。たまには奢れ」
「女が男に奢るなんてありえなーい」
いつもの俺たちの会話だった。今までと一見変わりがないように見えるが、しかし一つだけ違うのは、理子の手と俺の手が繋がっていた事だった。
自然と繋がれた手に、俺たちの将来が明るい気がしてきた。
完
短い話ですが完結です
お気に入り登録して下さった皆様、読んで下さった皆様ありがとうございます
こぼれ話を外伝で書くかどうか迷っています
いつか機会があればということでしょうか
理子側の視点で沢森との絡みも書けたらいいのですが、
読みたい読者様がいるかどうか




