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壊れかけのオルゴールと騒がしい家族たち  作者: 連句貢茶
第二章 皇太子一家来訪編

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第60話 明日は母様の誕生日です

――帝国暦三五〇年・夏中頃 サザ子爵家邸――


 翌朝。


 朝食の席で、皇太子殿下が言った。


「そろそろ、我々も帝都へ戻らなければならない」


 その言葉で、食堂の空気が少しだけ変わった。


 帰る。


 皇太子殿下が帰る。


 セフィリアも、ティナリアも帰る。


 護衛も侍女も、馬車も荷物も減る。


 屋敷が少し静かになる。


 クロウは、少しだけ息がしやすくなる気がした。


 けれど、皇太子殿下はそこで終わらなかった。


「だが、その前に一つ、大切な予定がある」


 クロウは止まった。


 予定。


 大切な予定。


 その言葉は、最近あまり安心できない。


 ティナリアがぱっと顔を上げた。


「父上、あれですね」


「ああ。あれだ」


 皇太子殿下は楽しそうに頷いた。


「明日は、私の大切な妹の誕生日だ」


 クロウは母様を見た。


 母様は少し驚いたように目を丸くしていた。


 金色の髪が朝の光を受け、柔らかく揺れている。


 澄んだ青い瞳を細め、静かに笑った。


「お兄様。覚えていてくださったのですか」


「忘れるわけがないだろう」


 皇太子殿下は当然のように言った。


「今回の来訪の、二番目の目的がそれだ」


「二番目?」


 クロウは、思わず聞いた。


 言ってから、少しだけ後悔した。


 皇太子殿下がこちらを見る。


「一番の目的は、エルナリアとクロウに会うことだよ」


 クロウは黙った。


 聞くんじゃなかった。


 そう思った。


 母様は嬉しそうに笑っている。


 エナ姉も、どこか楽しそうにクロウを見ていた。


 兄様は黙って水を飲んでいる。


 ミアは黒猫を撫でながら、にこにこしていた。


 その顔は、何かが増える時の顔だった。


「それでだ」


 皇太子殿下は続ける。


「明日は大食堂を借りたい。こちらの者たちにも手伝ってもらうが、私の一行で飾りつけや準備をしたいと思っている」


 クロウは大食堂を思い浮かべた。


 広い部屋。


 大きな卓。


 高い天井。


 そこに、皇太子殿下の一行が飾りつけをする。


 たぶん、かなり増える。


 花。


 布。


 贈り物。


 人。


 声。


 全部、増える。


 父様は少しだけ考え、静かに頷いた。


「大食堂でしたら、構いません」


「助かる」


「ただし、屋敷の者とも調整をお願いします」


「もちろんだ。勝手には動かさない」


 皇太子殿下はそう言った。


 たぶん、本人は本気でそう思っている。


 けれど、すでにかなりの数の馬車が来ている。


 先遣隊も来た。


 護衛も侍女も大勢いる。


 屋敷は、もう十分に動かされている。


 クロウは何も言わなかった。


 言えば増える。


「楽しみね、クロウ」


 母様が微笑む。


 クロウは少しだけ母様を見た。


 楽しみ。


 母様は本当に楽しそうだった。


 誕生日を祝われることが嬉しいのか。


 兄様に覚えてもらっていたことが嬉しいのか。


 家族が揃っていることが嬉しいのか。


 たぶん、全部だ。


「うん」


 クロウは頷いた。


「楽しみ」


 嘘ではない。


 母様が嬉しそうなら、嬉しい。


 ただ、同じくらい不安でもある。


 かなり不安でもある。


「明日の夕食は、皆で楽しもう」


 皇太子殿下が言った。


「エルナリアのために、できる限り華やかにしたい」


「兄様、ほどほどでお願いします」


「もちろんだ」


 母様が少し困ったように笑う。


 クロウは思った。


 皇太子殿下のほどほどは、たぶん大きい。


■


 朝食のあと。


 クロウは自分の部屋へ戻っていた。


 しばらくすると、扉が控えめに叩かれた。


「クロウ、入ってもいい?」


 母様だった。


「うん」


 扉が開く。


 母様が一人で入ってきた。


「少しだけ、お話ししてもいい?」


「うん」


 母様はクロウの近くへ来た。


 いつものように、柔らかく笑っている。


「明日のことなのだけれど」


「うん」


「兄様、ずいぶん張り切っているでしょう?」


「かなり」


 母様がくすくす笑う。


「やっぱり、そう見える?」


「うん」


「私も少し驚いているの」


「母様も?」


「ええ。昔から誕生日にはいろいろしてくださったけれど、今回は特に張り切っているみたい」


 クロウは朝食の時の皇太子殿下を思い出した。


 できる限り華やかにしたい。


 ほどほどにすると言っていた。


 たぶん、あまり信用しない方がいい。


「母様は楽しみ?」


「ええ」


 母様はすぐに答えた。


「とても楽しみよ」


 本当に嬉しそうだった。


 それならいい。


 クロウは少しだけ安心した。


「実はね」


 母様が少し楽しそうに声を落とす。


「兄様が連れてきた馬車の荷物、かなりの部分が私への贈り物らしいの」


 クロウは止まった。


「あの馬車?」


「ええ」


「たくさんあった」


「そうね」


「かなり?」


「かなり」


 クロウは、屋敷の外に並んでいた馬車を思い出した。


 箱。


 荷物。


 いろいろなものが積まれていた。


 あれのかなりの部分が、母様への誕生日の贈り物。


 だからあんなに多かったのか。


 納得した。


 納得したが、同時に少し怖くなった。


「母様」


「なあに?」


「兄様のほどほどは、大きいね」


 母様は一瞬きょとんとした。


 それから、くすくす笑った。


「そうね。兄様のほどほどは、昔から少し大きいわ」


「少し?」


「少し、ということにしておきましょう」


「無理だと思う」


「あら」


 母様がまた笑った。


 今日はよく笑っている。


 それなら、たぶんいい。


「この前の演奏も、とても嬉しかったのよ」


「うん」


「みんなで弾いてくれて」


「ミアも頑張ってた」


「そうね」


 母様の表情が柔らかくなる。


「みんなの音を聞きながら、こんなふうに家族で過ごせるのは幸せだなって思ったの」


「そう」


「クロウは?」


「楽しかったよ」


「本当に?」


「うん」


 父様。


 兄様。


 エナ姉。


 ミア。


 みんなで弾いた。


 音を合わせるのは好きだった。


 母様も喜んでいた。


 だから、楽しかった。


「よかった」


 母様が嬉しそうに笑った。


「明日もきっと賑やかになるわ」


「うん」


「かなり、かもしれないけれど」


「たぶんかなり」


「そうね」


「でも、母様が楽しみならいい」


 母様が少しだけ目を丸くした。


「クロウ?」


「僕も楽しみ」


 母様は何も言わず、しばらくクロウを見た。


 それから、そっと頭を撫でる。


「ありがとう」


「何が?」


「そう思ってくれることが」


「普通」


「そういうことにしておきましょうか」


「うん」


 母様はもう一度クロウの髪を撫でた。


「では、私はそろそろ戻るわね」


「うん」


「兄様が何を準備しているのか、少し気になるから」


「見に行くの?」


「少しだけ」


「止められる?」


 母様が少し考えた。


「……頑張ってみるわ」


「頑張って」


「ええ」


 母様は笑いながら立ち上がった。


「またあとでね、クロウ」


「うん」


 母様が部屋を出ていく。


 扉が静かに閉まった。


 クロウは、一人になった部屋で明日のことを考えた。


 母様の誕生日。


 大食堂。


 飾りつけ。


 たくさんの贈り物。


 皇太子殿下。


 たぶん、止まらない。


 かなり色々と乱れそうだった。


 でも、母様は楽しみにしている。


 それなら。


 少しくらいなら――


 こんこん。


 扉が叩かれた。


「クロウ!」


 すぐに元気な声が聞こえた。


 ティナリアだった。


 さっきまでの静けさが一瞬で消えた。


「入ってもいいですか?」


「どうぞ」


 扉が開く。


 ティナリアが勢いよく入ってきた。


 その後ろからセフィリアも入ってくる。


 二人とも、昨日の演奏会の時より元気そうだった。


 特にティナリアは、何かを決めてきた顔をしている。


 クロウは二人を見た。


 嫌な予感がした。


「どうしたの?」


 ティナリアがぱっと笑った。


「クロウ、お願いがあるんです!」


「……」


 やっぱり。


 嫌な予感がした。

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