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壊れかけのオルゴールと騒がしい家族たち  作者: 連句貢茶


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幕間2 今日最後の癒やし 

――帝国暦三五〇年・夏中頃 サザ子爵家邸――


 演奏会が終わり、屋敷が静かになった夜。


 プラムは、エルナリアの部屋の前に控えていた。


 少なくとも、本人としてはそのつもりだった。


 扉は完全には閉じられていない。


 奥様が何か必要とされた時、すぐに声を聞けるように。


 そういう理由で、ほんの少しだけ開けてある。


 だから、その隙間から部屋の中が見えるのは仕方がない。


 仕方がないのだ。


 寝台には、エルナリアとクロウが並んでいる。


 エルナリアの金色の髪が、枕の上へ柔らかく広がっていた。


 澄んだ青い瞳も、いつもより少し眠たそうに見える。


 その隣にはクロウがいる。


 髪は母親ほど長くない。


 けれど、こうしてすぐ隣に並ぶと、やはりよく似ていた。


 目元。


 鼻筋。


 静かにしている時の表情。


 親子だと知らない人間でも、血がつながっていることくらいは分かるだろう。


 プラムは扉の脇に立ったまま、わずかな隙間から二人を眺めていた。


 控えているだけである。


 決して、覗いているわけではない。


 たぶん。


 今日最後の癒やしだった。


「今日、楽しかった?」


 エルナリアが小さな声で尋ねる。


「うん」


「久しぶりに、みんなで弾けたものね」


「うん」


 クロウも布団の中から答える。


「ミアも嬉しそうだった」


「そうね」


「ちょっと大変そうだったけど」


「それでも、頑張っていたでしょう?」


「うん」


 短い会話だった。


 それでもプラムには十分だった。


 演奏会の時のことを、母と息子が並んで静かに話している。


 時々、エルナリアが笑う。


 クロウもほんの少しだけ表情を緩める。


 扉の外からそれを見ているだけで、一日の疲れが抜けていく気がした。


「……」


 プラムは満足していた。


 その時だった。


 背後から、妙な音がした。


 ごそっ。


 続いて、何かが壁に軽く当たる。


 こそこそ。


 夜の屋敷には、あまり似合わない音だった。


 プラムが振り返る。


「……」


 少し離れた廊下の角から、皇太子カデリオンが顔を出していた。


 その後ろにセフィリア。


 さらにその下からティナリア。


 三人とも、なぜか廊下の角からこちらを覗いていた。


「皇太子殿――」


「しっ」


 カデリオンが口元へ指を立てた。


 セフィリアも同じように指を立てる。


 ティナリアまで真似をした。


「静かに」


 カデリオンが小声で言う。


「エルナリアたちに気づかれる」


 プラムは一度、扉の隙間から寝台を見る。


 幸い、二人はまだ話していた。


 それから皇太子親子へ視線を戻す。


「……何をなさっているのですか?」


 プラムも小声になった。


 カデリオンは静かにこちらまで歩いてくる。


「それはこちらの台詞でもあるのだが」


「私は奥様のお部屋の前に控えております」


「そうか」


「はい」


 カデリオンは、半開きになった扉を見る。


 それから、その隙間から中を眺めていたプラムを見る。


「……控えているのだな?」


「控えております」


「ずいぶん中がよく見える場所で」


「偶然でございます」


「なるほど」


 カデリオンはそれ以上追及しなかった。


 自分も見たかったからである。


「少しだけ見せてくれ」


「何をでしょうか」


「分かっているだろう」


 分かりたくなかった。


 しかし、カデリオンの視線は完全に扉の隙間へ向いている。


 プラムは小さく息を吐き、少しだけ横へ動いた。


「本当に、少しだけでございますよ」


「ああ」


 カデリオンがプラムの隣へ立ち、そっと中を覗く。


 そして。


「……おお」


 声が漏れた。


「殿下」


「すまない」


 カデリオンは慌てて口を押さえた。


 だが、視線は扉の向こうから離れない。


 金色の髪を持つエルナリア。


 その隣には、母親によく似たクロウ。


 二人とも同じ布団に入り、穏やかな声で演奏会の話をしている。


 カデリオンの顔が緩んだ。


「素晴らしい……」


 プラムは何も言わなかった。


「まるで絵画ではないか」


「……はい」


「金色の女神の隣に、小さな天使がいる」


 言い過ぎではないか、と少しだけ思った。


 しかし、プラムも似たようなことを考えていたので否定はしなかった。


「父上」


 後ろからセフィリアの声がする。


「私たちにも見せてください」


「私も見たいです」


 ティナリアも顔を出す。


「待て。今、私が見ている」


「父上だけずるいです」


「そうですよ」


「静かにしろ」


「父上が一番お声が大きいです」


「……そうか?」


 プラムは頭が痛くなってきた。


 このままでは、せっかくの癒やしの時間が台無しになる。


「順番にお願いいたします」


 仕方なく言った。


 カデリオンが扉の前を譲る。


 まずセフィリアが、半開きの扉から中を覗いた。


「……」


 少しの間、何も言わなかった。


「どうだ?」


 カデリオンが嬉しそうに聞く。


「本当に、よく似ていらっしゃいますね」


「そうだろう」


「叔母様がお美しいのは知っていましたが、こうしてクロウと並んでいると……本当に絵画のようです」


「そうだろう、そうだろう」


 なぜ皇太子が褒められたような顔をしているのだろう。


 次はティナリアだった。


 セフィリアと場所を交代し、扉の隙間から顔を覗かせる。


「わあ……」


「ティナ」


 セフィリアが小声で注意する。


 ティナリアは慌てて自分の口を押さえた。


 しばらく眺める。


「本当に似ています」


「そうだろう」


「叔母様、すごく綺麗です」


「そうだろう」


 またカデリオンが答えた。


「クロウも可愛いです」


「そうだろう」


「父上のことではありませんよ?」


「分かっている」


 たぶん分かっていない。


 カデリオンは満足そうだった。


 しばらくして、皇太子がプラムを見る。


「プラム」


「はい」


「君はこれをいつも見ているのか?」


「これ、と申しますと」


「この光景だ」


 カデリオンが半開きの扉を指す。


「エルナリアとクロウがこうして並んでいるところを、いつも見ているのか?」


「いつもではございません」


「そうなのか?」


「はい。クロウ様がこちらでお休みになる時だけでございます」


「時々あるのか」


「たまにでございますが」


 カデリオンが真剣な顔になった。


「羨ましい」


「……申し訳ございません」


「なぜ謝る?」


「いえ……」


「私は君を咎めているのではない」


 カデリオンは再び扉の隙間へ目を向けながら言う。


「むしろ、君の気持ちがよく分かった」


「私の気持ち、でございますか?」


「あれは見ていたくなる」


 プラムは少しだけ目を逸らした。


「……はい」


 否定できなかった。


「私も、この時間が好きでございます」


「やはりそうか」


 カデリオンは大きく頷きかけ、途中で思い出したように動きを小さくした。


「次にまたこういうことがあったら、私にも教えてくれ」


「父上」


 セフィリアが割り込む。


「私にもお願いいたします」


「私もです」


 ティナリアも続いた。


 プラムは三人を見る。


「……皆様に、でございますか?」


「ああ」


「お願いします」


「絶対に教えてください」


 自分だけの癒やしだったはずなのだが。


 いつの間にか、皇太子一家と共有することになっていた。


「分かりました」


 プラムは小さく答えた。


 その時、部屋の中から再びクロウの声が聞こえた。


「父様、やっぱりすごかった」


「そうね」


「兄様もエナ姉も、いつも通りだった」


「クロウもでしょう?」


「僕は普通」


 エルナリアが笑った。


「そういうことにしておきましょうか」


「うん」


 廊下の四人は黙って聞いていた。


 カデリオンが小さく息を吐く。


「……癒やされるな」


「はい」


 プラムも素直に答えた。


「私も、こうしてお二人が話しているのを眺めるのが好きでございます」


 ティナリアも扉から中を覗きながら言う。


「叔母様、本当に綺麗ですね」


「そうだろう」


 またカデリオンだった。


 セフィリアが父親を見る。


「なぜ父上が誇らしそうなのですか?」


「私の妹だからだ」


「なるほど」


 そこは納得するらしい。


 カデリオンはしばらく二人を眺めていた。


 そして、ふと何かに気づいたように言った。


「これは、テッドに描かせた方がいいのではないか?」


 プラムが反応する。


「……私も、そう思います」


 二人の意見が一致した。


「この光景を絵に残すのだ」


「素晴らしいと思います」


「できれば何枚か」


「何枚か、ですか?」


「一枚では足りないだろう」


「父上……」


 セフィリアが呆れた声を出した。


 だがプラムは少し考える。


「確かに、一枚だけでは少ないかもしれません」


「プラム?」


 今度はセフィリアがプラムを見る。


「明日、テッド様にお願いしてみましょう」


「そうしてくれ」


 そこでカデリオンは、ふと表情を改めた。


「ただし、一つだけ頼みがある」


「何でございましょう?」


 カデリオンは声をさらに小さくした。


「エルナリアには、絶対に知られないようにしてくれ」


 プラムが瞬きをする。


「……奥様に、でございますか?」


「ああ」


「なぜでしょう?」


「こんなふうに寝室を覗いて、しかも勝手に絵まで描かせようとしていると知られたら、私が怒られる」


「……」


 プラムは一瞬、黙った。


 そして。


 ほんの少し、口元が緩んだ。


「皇太子殿下でも、奥様には怒られるのでございますね」


「笑うな、プラム」


「申し訳ございません」


 そう答えながらも、プラムの声には少しだけ笑いが残っていた。


 その横では、セフィリアも口元を押さえている。


 ティナリアも同じだった。


「お前たちも笑うな」


「笑っておりません、父上」


「お姉様、笑っています」


「ティナもでしょう」


「私は少しだけです」


「同じではないか」


 カデリオンが小さくため息をつく。


「とにかくだ。エルナリアには内緒だぞ」


「かしこまりました」


「私も言いません」


「私もです」


 皇女二人も頷く。


 ティナリアが少し考えてから尋ねた。


「でも、叔母様に見つかったらどうするのですか?」


「その時は……」


 カデリオンは少し黙った。


「プラム。何とかしてくれ」


「私でございますか?」


「頼りにしている」


「皇太子殿下」


 今度はプラムも完全には笑いを隠せなかった。


 ティナリアも楽しそうに頷いた。


「私も絵が欲しいです」


「私も一枚くらいなら」


 セフィリアまで加わった。


 カデリオンが満足そうに頷く。


 その時。


 寝台脇の灯りが消えた。


 扉の隙間から漏れていた光も消える。


 部屋の中が暗くなった。


 エルナリアとクロウの話し声も途切れた。


「……」


 廊下にいる四人も静かになった。


 プラムが小声で言う。


「本日は、ここまでのようでございます」


「そうか……」


 カデリオンが名残惜しそうに答えた。


 ようやく三人が扉の前から離れていく。


 プラムは、半開きになっていた扉を静かに閉じようとした。


 すると、カデリオンが戻ってきた。


「プラム」


「はい?」


「テッドには、できるだけ多く描いてもらってくれ」


「……できるだけ多く、でございますか」


「ああ」


 カデリオンは真剣だった。


「金ならいくらでも出す」


「皇太子殿下」


「完成したら帝都にも送ってほしい」


「まずはテッド様にお願いしてみます」


「ああ。それと」


 カデリオンは再び声を潜めた。


「エルナリアには内緒でな」


「承知しております」


「本当に頼んだぞ」


「はい」


 今度こそ、カデリオンは娘たちと一緒に去っていった。


 プラムはしばらく廊下に立っていた。


 今日最後の癒やしだったはずの時間が。


 いつの間にか、絵として大量に残される話にまでなっていた。


 しかも、奥様には内緒で。


「……まあ」


 プラムは閉じた扉を見る。


 少しだけ笑った。


「それも悪くありませんね」

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