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魔法使いの街〈ミルディア〉 04


翌日から、彼女は魔法学校で“講師”としての生活を始めた。


授業といっても、 彼女は喋らない。

黒板の前に立ち、 静かに手を上げ、 無詠唱で魔法を展開するだけ。


だが―― その一瞬で、生徒たちは息を呑んだ。

「……すごい……」 「詠唱なしで……?」 「本当に人間……?」


ざわめきが広がるたび、 彼女は少しだけ困ったように瞬きをする。


黒猫は教壇の上で尻尾を揺らしながら言う。

「にゃ、驚くのも無理ないわね。 この子、天才だから」


生徒たちはますます騒ぎ、 彼女はますます無言になる。

それでも、 彼女の授業は毎回満席だった。



授業が終わると、 彼女はまっすぐ禁忌図書室へ向かった。


許可証を見せる必要もなく、 扉は静かに開く。


古い魔道書の山。 封印された術式。 失われた魔法理論。


彼女は目を輝かせ、 ページをめくる手が止まらない。


黒猫は棚の上であくびを噛みしめる。


「にゃぁ……また朝まで読む気ね……」


少年はその姿を見て、 胸の奥がざわついた。




ある日、少年は拳を握りしめた。

(俺も……強くならなきゃ。  彼女の隣に立てるくらいに)


そして、魔法騎士団の門を叩いた。


「入団させてください!」


門番の騎士は呆れた顔で言う。


「魔法が使えない者は無理だ。帰れ」


だが少年は引かなかった。


「お願いします!  何でもします!  訓練だけでも……!」


何度も、何度も、何度も頭を下げた。


最初は追い返され、 次は笑われ、 その次は怒鳴られた。


それでも、 少年は毎日門の前に立ち続けた。


ついに、 騎士団長が根負けした。


「……そこまで言うなら、やってみろ。  ただし、生半可な覚悟ならすぐ帰れ」


少年は深く頭を下げた。


「はい!!」



訓練は地獄だった。


魔法が使えない少年は、 他の訓練生の何倍も走り、 何倍も剣を振り、 何倍も倒れた。


悔し涙を流しながら、 それでも立ち上がった。


「もうやめろ!」 「無理だ!」 「魔法なしで戦えるわけない!」


周囲の声は冷たかった。


それでも少年は言った。


「……彼女の隣に……立ちたいんだ……!」


黒猫は時々見に来て、 あくびを噛みしめながら呟く。

「にゃぁ……ほんとにバカねぇ……  でも、嫌いじゃないわよ、そういうの」




その日は、ミルディアで年に一度だけ開かれる大きな祭りの日だった。


街中に魔法の灯りが飾られ、 空には光の花が咲き、 通りには屋台が並び、 人々の笑い声が響いていた。


少年は、 胸の奥で何度も練習した言葉をついに言った。

「……あのさ。  今日、一緒に……祭り、行かない?」


黒猫は尻尾を揺らしながらニヤニヤしている。


「にゃん、デートのお誘いねぇ」


少年は真っ赤になった。


彼女は少しだけ考え、 静かに頷いた。



夜の街は、昼とはまるで別世界だった。


魔法の灯りがふわふわと浮かび、 屋台の明かりが揺れ、 空には光の花火が咲く。


少年は緊張しすぎて、 何を話していいか分からない。


黒猫は先を歩きながら、 「にゃー、青春ねぇ」とか言っている。


彼女は無言のまま、 空に咲く光の花をじっと見つめていた。


(……やっぱり、俺なんかじゃ……)


少年が落ち込みかけたその瞬間。


彼女が、 ふいに口を開いた。


「……きれい」


少年と黒猫は同時に振り返った。


「「えっっっ!!?」」


あごが外れるかと思うほどの衝撃。


黒猫は目を見開き、 少年は固まったまま動けない。


彼女は、 夜空に咲く魔法の花火を見つめながら、 もう一度言った。


「……きれい、だね」


その声は小さくて、 でも確かに“彼女自身の言葉”だった。


少年は胸がいっぱいになり、 黒猫は尻尾をバタバタさせた。

「にゃ、にゃにゃにゃ……! しゃ、喋った……! この子が……喋った……!」


少年は震える声で言った。

「……う、うん……  きれい、だね……!」


その夜、 少年は一生忘れない“奇跡”を見た。




その日を境に、 彼女はほんの少しだけ話すようになった。

「……うん」 「……違う」 「……だめ」 「……いい」


その一言だけで、 少年は天にも昇る気持ちになり、 黒猫は毎回「にゃー!!」と驚いていた。



三人の時間は、 ゆっくり、でも確実に進んでいった。



ーーーーー


ミルディアに来てから、季節は六度巡り、 街の魔法陣は何度も塗り替えられ、 塔の鐘は幾千回と鳴った。


彼女は禁忌図書の奥深くまで読み進め、 授業では相変わらず無詠唱で魔法を披露し、 少しだけ喋るようになった。


見た目も、 少女から大人の女性へ向かう途中のように変わっていった。

黒髪は腰まで伸び、 表情は柔らかくなり、 背もほんの少し伸びた。




少年は―― 身長も伸び筋肉も付き精悍な青年へと成長し、そして化け物になっていた。

魔法が使えないまま、 魔法騎士団長と互角に戦えるほどの剣技と体術を身につけてしまったのだった。


団長は笑った。

「……お前、本当に魔法が使えないのか?」


少年は汗を拭いながら笑った。

「はい。でも……まだまだです」


黒猫はその様子を見て、 しげしげと眺める。

「にゃぁ……ほんとにあんなひょろひょろだった子どもがとんだ化け物になったわね……」




禁忌図書室の奥。 六年間、彼女が毎日のように通い詰めた場所。


分厚い魔法書を読み終えた彼女は、 静かに本を閉じた。


ぱたん。


その音は小さかったが、 黒猫は耳をピクリと動かし、すぐに彼女へ近づく。

「にゃ……その顔。  もう、ここで学べる魔法は全部吸収したって顔ね」


彼女は小さく頷いた。

「...うん。」


黒猫は尻尾を揺らしながら言う。

「じゃあ……旅を再開するの?」


彼女は少し考え、 ゆっくりと立ち上がった。


“旅を再開する”というより、 ただ、ここに留まる理由がなくなっただけ。


そして―― 胸の奥にひっそりと残っていた疑問が、 静かに形を持ち始める。


「……師匠のこと」


六年間、 彼女は魔法を学びながら、 ずっと心のどこかで引っかかっていた。


街の人々が語る“裏切り者”の噂。 師匠が残した魔法の癖。 大魔法使いの死の真相。


どれも曖昧で、 どれも腑に落ちない。


黒猫が言う。

「にゃ。  調べに行く気ね。」


彼女は静かに頷いた。

「...そう」


彼女はただ師匠の過去が気になっただけ。


だが、彼女にとっては十分だった。


黒猫が肩をすくめる。

「ま、いいわ。  どうせ止めても行くんでしょ」


彼女は小さく頷いた。


その瞬間――


廊下の向こうから、 ものすごい勢いで足音が近づいてくる。


ドンッ!

扉が勢いよく開いた。


「ここにいた!!」

少年から立派になった青年だった。


息を切らし、 額に汗を浮かべ、 まるで何かに追われているような顔で。


黒猫が呆れた声を出す。


「にゃぁ……何よ、あんた。 走ってきたの?」


青年は黒猫を無視し、 彼女の顔を見つめた。

「……動き出した、と思ったんです。 来なきゃって……!」


彼女は驚いたように瞬きをした。


黒猫はため息をつく。

「ほんと、野生動物みたいな勘ね」


青年は息を整えながら言う。

「行くんですよね。」


彼女はゆっくりと頷いた。

「うん。」


青年の表情が引き締まる。

「俺も行きます。  あなたが動くなら……  俺はその隣に立つって」


黒猫は目を細める。

「にゃ。  じゃあ、三人で行くわよ」


彼女は、 ほんの少しだけ微笑んだ。


向かう先は、 大魔法使いの屋敷跡。


真相が眠る場所。


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