05 名前。
夕焼けの空に、同じく夕焼け色に染まった髪を透かして見る。
綺麗な赤だと、しみじみ思う。
「アダムとは誰だ?」
「えっ?」
ノークエルティス様が、その名前を出したことに驚いてしまった。
「寝言で呼んでいたぞ」
「私がアダムを? まさか。あはは」
面白い冗談だと笑ったが、ノークエルティス様は笑わない。
嘘でも冗談ではないのだろう。本当に寝言で呼ばない限り、昨日会ったばかりのノークエルティス様が、その名前を知っているわけがない。
「……アダムは、三つ年上の友だちです。街の領主の息子でして……父親同士が結婚の約束をした仲です」
「何? なんでその許嫁に頼らなかった?」
「……」
私が俯いて黙り込むと、ノークエルティス様が顔を上げさせてきた。
「我は保護者になるのだぞ。ちゃんと話せ」
「……はい」
真剣な眼差しに負けて、私は話すことにする。
「実は継母に貴族の男性が言い寄ってきていて、結婚することになるから、私のことはいらないと話していたのです。アダムも貴族の息子……どうしても、継母と同じのように感じてしまい、アダムには頼れませんでした」
今でも嫌悪を覚えて、顔をしかめてしまう。
「そもそも、来ないで、と前に拒んでしまいましたから……」
「好いていなかったのか?」
「え?」
「アダムとやらを好いていなかったのか? 許嫁関係なのに」
単純に興味本位で訊いているようで、ノークエルティス様は片手で私の髪を撫でつつ問う。
「お父さんが喜んでいたから、まぁ許嫁関係でもいいかなとは思ってましたが……見ての通り私はまだ子どもですし、好いているかどうかは……」
「子どもと言うわりには、大人びているよな」
「よく言われますね」
「だが、許嫁関係を受け入れたのなら、嫌いではなかったのでは?」
ノークエルティス様に振り向いた顔を歪ませてしまった。
「嫌いなのか?」
ノークエルティス様は、不可解そうに首を傾げる。
「いや……これは父にも言ってないのですが……始めは手紙のやり取りでした。私から自己紹介の手紙を送ったら、返事が”君に興味ない”と一言」
「第一印象最悪じゃないか」
「ええ、だからあらゆる悪口を丁寧な口調で書いて、送ってやりました」
私はまだ膨らみのない胸を張って見せた。
あれはすっきりしたことだけを覚えている。
内容はあまり覚えていないが。
「それで、どうなった?」
「アダムから会いに来ました。直接怒られるのかと思ったのですが、それもなく、ただにこやかに自己紹介し合いました」
「悪口を書いた手紙の件は?」
「触れることなく……そのままですね。何回か会ったら、私を好きだと言われました。どうやら、面白いと思ったらしくて、そこが気に入ったみたいです」
「ほーう?」
あれは雨の日だった。
抱き寄せてきたかと思えば、好きだなんて言われたのだ。
全く持って脈絡のない告白で、疑問だらけだった。
「いつも会うと面白そうに見ては笑っています」
「ほーう……相手もゾッコンのようだが、嫌ってはいないようだな」
アダムがゾッコン。そこまでではないとは思うけれど。
第一印象は最悪ではあるけれど、確かに別に嫌ってはいない。
「ところで、ノークエルティス様。いつまで注入しているのですか?」
昼に昼食をとると、ずっと魔力を注入するためと、ずっと髪を撫で続けられた。
「ん? もう少しだ。……しかし、そなたの継母達はともかく、アダムが知ったらさぞ心配するだろうな」
「そうかもしれませんが、アダムが家に来ない限り、知ることはないでしょう」
拒んだし、手紙も返事してない。家に来ない限り、知りようもないだろう。
「世間体もあるから、継母も捜索依頼をしていたはず。そうなると、領主の息子なら、耳に入るだろう。一応でも許嫁関係なのならば、知らせが届くはず」
「それも、そうですね……」
「なるべく早く帰せるように努力をしてやる」
「?」
帰す。どうやって?
私は首を傾げたが、ノークエルティス様は「よし。これで十分だろう」と肩に手を置いてきた。
「ふぅー。想像以上に疲れるものだな」
「大丈夫ですか?」
「何、心配するな。すぐに回復する」
立ち上がって、んーっと呻き背伸びをするノークエルティス様は、翼も広げる。
「……どのぐらい注入したのですか? 魔力」
好奇心で尋ねてみた。
「残っている魔力は、だいたい四分の一だろうな」
「そんなに!?」
精霊の魔力はとんでもないほどあるはず。
それを四分の三も注入されたのは思えない。
確かに何か流れてくるとは感じていたけれど、そんな膨大な魔力をもらった暁には、私が破裂するのではないのか。
破裂しそうな予感はないけれども。
「今はほとんど髪に灯っている。それが次第にロリィベネの魔力となるのだ。この髪色は、我の加護を受けた証だ」
そう微笑んで、またノークエルティス様は髪を掬って持ち上げた。
夕暮れ色に煌めく私の髪。
「おっ。来たようだな」
ノークエルティス様の獣耳が、ぴくんと跳ねた。
何が来たのですか、と問う前に、それはずさささっと目の前に現れる。
大きな大きなワンコだ。
「はせ参じました! 我が主よ!!」
ふさふさの尻尾を激しく振り回して、大きなワンコはそうキリッとした目付きで言い放つ。
「うむ。ちょうどいい時間に来てくれた」
ノークエルティス様はその大きなワンコに返事をすると、片腕で私を持ち上げる。
「この娘が、ロリィベネ。我々の聖女となる」
「お初にお目にかかります! 聖女様! 我が名はイヴァン! この森の最強の守護者であります!」
キリリッとした目付きで威風堂々と名乗るけれど、尻尾は興奮気味に激しく振られていた。
「初めまして、ロリィベネ・ビーと申します」
私の頭を一飲み出来そうな大きな大きなワンコだと思いつつも、私は振られている尻尾に注目してしまう。
「イヴァンとお呼びください! 聖女様!」
「私のことも、どうぞ名前で呼んでください。聖女様って呼ばれるのは、ちょっと……」
きょっとんと首を傾げた大きなワンコ・イヴァン。
「わかりました! ロリィベネ様!」
私も、様付けするべきだろうか。
「イヴァン様?」
呼び方を確認する。
「ただのイヴァンでいいです! 我は守護者であります! 最強の!」
キリリッと眉を寄せて、決め顔をする大きなワンコ。
「最強の守護者・イヴァンですね」
「はいっ!!」
わっふんっと吠える大きなワンコは、胸を張って見せた。
可愛い。なでなでもふもふしたい。
「キュウ!」
ぺちぺちっと小さな爪を持つ手で、私の頬に当てられた。
這い上がったミニドラゴンだ。
次は撫でろと言わんばかりに、額をこすりつけてくる。
大きなワンコに目を奪われたことに、嫉妬したみたいだ。
額のハート型のトゲが当たるから、ちょっと痛い。
「むむっ! ミニドラゴンですか!? なんと久しい!」
「ロリィベネの元で孵ったのだ。ロリィベネよ。そろそろ、名付けをしたらどうだ?」
イヴァンは驚いて、ミニドラゴンに注目する。
簡単に教えると、ノークエルティス様は私に向って言う。
ミニドラゴンに、名前を与える。
「名前ですか……」
「キュウー」
「……」
じっと、見つ合う。
つぶらな黒目を囲う美しい緑色。
ペリドットのような瞳だ。
「ペリド。で、どうかな?」
「キューウ!」
ペリドと名付けたミニドラゴン。
翼をバッと広げて、両手を上げて、喜んだ。
ひっくり返って落ちてしまいそうだったけれど、その前に私にしがみ付いた。
しがみ付いたと言うより、抱き付いたかもしれない。
「ペリド。いい名をもらったな」
「キューウン!」
ふりふりっと尻尾を振ってペリドは、ノークエルティス様に返事した。
「よし、イヴァンも来たことだし、夕食にするか。ロリィベネも昼食を抜いたから、お腹が空いているだろう?」
「あ、はい」
お腹が鳴らないくらい、空腹である。
大きなワンコはまだいて、その子達が捕らえたであろう獲物が今夜の夕食となった。
20211002