ボランティア・エクストリーム
「あれ?」
今日は普段の時間よりずっと早く、僕は帰路に着いていた。
まだ夕の明かりも灯らない学校からの帰り道で、僕はプリマリアさんを見付けた。
「〜♪」
我が家のメイドであるプリマリアさんはノリノリで歌っていて、くしゃみしたら何処かの惑星で蝶が乱舞しそうな感じだ。
そんな彼女の手には雑巾が握られていた。
その雑巾で彼女が拭いていくのは、民家の壁。
壁には心ない若者の仕業であろう色とりどりの絵や字の羅列があり、プリマリアさんはそれを次々と消していく。
ボランティア、だろうか。
「〜♪ あら……?」
眺めていると、生き残りたくて仕方がないサビに入った辺りでプリマリアさんが手を止めた。
「…………」
彼女が見つめるのは、とある一文。
それは紫色で書かれたアルファベットと漢字の組み合わせで、『JOKER参上』というもの。
「…………」
プリマリアさんは15秒ほど沈黙していたものの、やがて再び雑巾で落書きを消しにかかった。
『上』、『参』と順に消していったところで、プリマリアさんはまた手を止めた。
そして右手の雑巾を足元のプラスチックのバケツに入れると、どこからともなくあるものを取り出した。
それは、緑色のスプレー缶。恐らくこういった落書きによく使われるラッカースプレーだろう。
プリマリアさんはそのスプレーを五回ほど縱に振ると、なんと壁に吹き掛け始めた。
自分が掃除していた壁に、自分で落書きをしていくプリマリアさん。まったく理解できない行為だった。
しかし、僕が疑問を得ている間もプリマリアさんは綺麗に文字を描いていく。相変わらず、なにをやらせても上手にこなすひとだ。
「……わふぅ。ばっちりですね」
どうやら完成したらしい。
出来上がったのはアルファベットで出来た単語。
プリマリアさんが残した『JOKER』の左上の辺りに描かれたそれは、『CYCLONE』という字だった。
サイクロン。
そして、ジョーカー。
プリマリアさんは自分の描いた『CYCLONE』と右下の『JOKER』を交互に見ると二度、満足そうに頷いた。
そして、おもむろによく解らないポーズをとり、
「マキシマム・ドライヴァー!」
「プリマリアさん、それ以上やるとたぶん落書きとは違う罪状で捕まるから止めようね」
「あら、ご主人様」
さすがに止めに入ると、プリマリアさんはこちらに顔を向けてきて、紅い瞳を細めて笑む。
素敵な笑顔だ。これで変なポーズさえしてなければ完璧だったんだけど。
「ええと、何、してたの?」
疑問を渡すとプリマリアさんは笑みのままに言葉を返してきて、
「街の保全活動を少々。以前から、ご主人様がご不在の際にたびたび行っておりまして。本日はこちらの落書きを綺麗にしようと思い、こうしてお掃除をさせていただいておりました」
「前々から、こんなことを? 全然気付かなかったな……」
「普段はご主人様がご帰宅になられる前に戻っているのですが……」
「嗚呼、なるほど」
つまり僕がいつも帰る頃には、プリマリアさんはボランティアを終わらせて僕の帰りに備えているということか。
「ご主人様、本日はお早いお帰りなのですね?」
理解したところで、プリマリアさんが追加で言葉を紡いだ。
「嗚呼、うん。今日はちょっと早く終わったんだ」
「そうですか……申し訳ございません。危うく、ご主人様のご帰宅に間に合わないところでした」
「いやいや、謝らなくていいよ」
寧ろプリマリアさんがしているのは、誇っても良いことだろう。
普段、あれだけ僕のために尽くしてくれて、僕がいない間は街の美化にも貢献する。
やっぱり、彼女は凄いひとだ。
「……ありがとうございます、ご主人様」
そんな凄い彼女は今、こちらに深々と頭を下げて――
「――って、プリマリアさん、なにしてるの?」
「道具を片付けようかと思いまして。ご主人様がお帰りになるのでしたら、こういうことをしているわけには参りませんので」
「いや、僕のことは気にしないで、続けてくれて良いんだよ?」
僕のその言葉に、プリマリアさんはゆっくりと首を横に動かした。
「私にとっての最優先はご主人様です。このお宅の方ももちろん、他のボランティア活動をしていらっしゃる方々も、それを了承してくださっています。それに――」
――それに、と。
二度目を重ね、プリマリアさんは続けていく。
「愛するご主人様を気にしないなど、私には出来ませんよ」
そうして、プリマリアさんは柔らかい微笑みを見せてくれる。
「そ、そっか」
その微笑みと、嬉しい言葉に。
胸の中で何かが跳ねるのを感じた。
「でも、ほら、やりっぱなしっていうのは良くないよね」
僕はその跳ね上がりから逃げ出すように、プリマリアさんの持つバケツから雑巾を引き揚げて、絞った。
仄かに薬品らしき匂いが鼻の中を突いてくる。
そうして僕は絞った雑巾で、『JOKER』の『J』を消しにかかる。
二度、三度と往復させただけで落書きが消えていく。
「……こんな簡単に消えるものなんだ?」
「ふふ。独自の調合でお肌に優しく、塗料には強い薬品にしていますから」
どうやら自作の薬品らしい。本当になんでも出来るひとだ。
感心していると、後ろで小さな笑い声が聞こえた。
「なに、プリマリアさん?」
視線を向けずに声のみで質問する。プリマリアさんは、いえ、と前置きして、
「私のご主人様は良い方だと、誇らしくなりまして」
言いながら彼女は僕の横に歩み寄ってきた。
その手には雑巾が握られていて、プリマリアさんは自分の雑巾で『CYCLONE』の頭文字の『C』を消していく。
「ご主人様、お手伝い致します」
「どっちかっていうと、僕がプリマリアさんを手伝ってるんだと思うけど……」
「ふふ。では、いっしょにお掃除いたしましょう、では、如何でしょうか?」
いっしょ、か。
それは――悪くない響きだなぁ。
――――――――
「ところでプリマリアさん、なんでラッカースプレーなんて持ってるの?」
「速乾性ですからマーカーとして優秀ですし、ライターと組み合わせれば簡易ながら火炎放射として使えますので♪」
「……出来るだけマーカー以外には使わないでね?」
ゾンビ倒すんじゃないんだから。




