学舎までは何マイル?
時刻は朝。
時間的に少し余裕を持って、僕は通学路を歩いている。
「今日は綺麗に晴れたなぁ」
言葉を吐くと、開いた口からは白が抜けていった。
気温は低く、時折身体を叩くように、冷たい風が抜ける。
だけど、嫌じゃない。
冬の晴れた空は、寒さの中にもほんのり日光の暖かみが感じられて、僕は好きだ。
時期的には年も変わって二月近くなるので、もう少しすれば春の兆しもあるだろう。
「ふぉあっ!?」
「おっと!?」
上を見ていたら、人とぶつかってしまった。僕は慌ててその娘を抱き留めて――気付いた。
「ルフ?」
「は、はぃ〜」
名前を呼ぶと返事が帰ってきた。
銀色のポニーテール。紫色の大きな瞳。
彼女が大切にしている銀色の『鍵』は今は付けていないけれど、恐らく、ポケットかカバンに入っているだろう。
蘭堂 ルフ。
僕の幼馴染みだ。
「ごめん、ルフ。怪我しなかった?」
「これくらい何でもないです!」
ルフはそう応えると僕の腕から素早く抜け出して、三度ほど飛び跳ねた。
「ルフ、スカートスカート」
指摘するとルフは右親指を力強く上げ、こちらに示してくる。
本来なら男らしい仕草だが、彼女がやるととても可愛らしい。
「問題ないです! ルフ、スパッツ履いてますから! ぱんつじゃないから恥ずかしくないであります!」
「そういうニーズもあるし、女の子だからもうちょっと大人しくするのも良いと思うよ?」
「ふぉあー。九郎大佐は相変わらず紳士であります!」
どうやらルフの中で僕は大佐らしい。それ、階級としてはかなり上だよね。
「まぁ、紳士かどうかは解らないけど……とりあえず、せっかくだし一緒に登校しよっか、ルフ」
「喜んでお供させていただくであります、大佐殿!」
そう言うとルフは直立不動でびしりと敬礼した。
なんだか子供が『兵隊ごっこ』をしているみたいで微笑ましかった。
「大佐殿、お風邪はもう良いのでありますか?」
「嗚呼、うん。大丈夫だよ」
昨日、僕は風邪を引いていて学校を休んだのだった。
それでも、引き始めにしっかり養生したのが良かったのだろう。今日はこうして元気に登校出来るようになっている。プリマリアさんに感謝しないといけない。
「それは良かったです!」
「うん。ルフ、昨日はお見舞いに来てくれてありがとう」
「上官を心配するのは当然でありますよ!」
元気に応えるところを見ると、風邪が感染っていたりはしないようだ。良かった。
歩幅が短いルフに合わせて歩きながら話をしていると、唐突に背中に感触が来た。
「ん……?」
誰かに、制服を引っ張られているみたいだ。
なんだろうと思い、振り向く。
「あ……」
そこには、見知った顔の女の子がいた。僕と目が合うと、その子は口を開き、
「おはよう、くー」
「茉莉。おはよう」
彼女は、新都 茉莉。
僕の、僕たちの仲の良い友達の一人だ。
髪は黒のショートボブ。
ダークブラウンの瞳はたれ目で眠そうな印象を受ける。
身長はたぶん、160センチの手前だ。
彼女のことを詳しく話すと少し時間が必要なので、それはまたの機会にする。
「ふぉあっ! おはようございます、茉莉少尉!」
「少尉……? よく、解らない。けど、おはよう」
茉莉は首を傾げつつ、ルフとも挨拶を交わした。
どうやらルフの中では茉莉は少尉らしい。僕とは結構な階級差があった。
茉莉はルフに対して傾げた首を動かして、今度はこちらを見上げてきた。
続く言葉はあまり抑揚というものがなく、力が入っていないような声で、
「くー。風邪、もう平気?」
「うん。大丈夫だよ。茉莉、お見舞いに来て感染らなかった?」
「大丈夫。感染ってない」
一言一言が短く、感情が希薄ともとれる喋り方。
表情の変化もまったくなく、『暗い』印象を受ける。
しかし、これが彼女の素なのだ。
それがわかっているからこそ、僕は、彼女の頭に触れた。
「……なに?」
「いや。つい、ね」
「大佐のなでなで! 羨ましいであります、少尉!」
いや、こんなこと羨ましがらなくても。
「くー……テクニシャン」
茉莉が左の親指を上げていた。ルフとは正反対の、無表情でのサムズアップだ。意味が解らなかった。
「弾は一緒じゃないの?」
頭皮の感触を確かめるように撫でながら質問すると、茉莉は首を遅く振った。
「うー、見てない。まー、ひとり」
ちなみに彼女のいう『うー』とか『まー』というのは人の呼び名だ。
僕、泰多 九郎が『くー』。
蘭堂 ルフが『るー』。
家井 弾が『うー』。
そして彼女、新都 茉莉自身は『まー』。
……何故か弾だけ名字だった。何故だろうか。
そんな疑問を持ちつつも、この場に一人だけ揃っていない弾のことを思い、僕は少し不安になる。
「……もしかして弾に感染しちゃったかな」
「弾中尉なら、今日は先に登校したでありますよ?」
「え、そうなの?」
「はい。メールが来てたでありますよ!」
元気よくそう言われ、僕は茉莉の頭から手を離し、自分のカバンの中を探る。
固い感触を探り当てて取り出すと、出て来たのは目的のもの、携帯電話だ。
待ち受け画面を確かめてみると、着信を示すアイコンが表示されている。どうやらサイレントにしていて気付かなかったようだ。
メールの中身を確かめるとそれは確かに僕達の友人、家井 弾からのメールだった。
文面は相変わらず。とりあえず要点だけを絞ると、
「また呼び出しみたいだね」
「何時ものこと」
僕と同じように携帯を開いている茉莉が短く言うとおり、これは珍しいことではなかった。
恐らく何時も通り、学校に行けば姿が見えることだろう。とはいえ、
「なんか弾だけいないと、変な感じするね?」
四人で何時もいるというわけではないが、四人でいることが多いのもまた正解だ。
半分の二人ならともかく、ほぼ揃った状態の三人というのは、なんだかむず痒いと言うか、落ち着かない気分になる。
「くー、両手に花」
「大佐、花であります!」
茉莉がまた親指を立て、ルフが飛び跳ねていた。
たぶんルフの方は、意味がわかってないんだろうなぁ。
「ところでさっきから気になってたんだけど……僕が大佐、茉莉が少尉、弾が中尉なら、ルフの階級はなんなの?」
疑問するとルフは勢いよく敬礼して、寒空に抜けていくように大きな声で応えた。
「ルフは軍曹であります! 新米のヒヨッコどもをびしばしシゴいて泣いたり笑ったり出来なくするのがルフの仕事であります!」
「……ルフには似合わないよ」
銀色の髪を撫でてあげるとルフは気持ち良さそうに目を閉じた。
そして、「ふぉあ〜」と彼女がよく使う独特の台詞を前置きにして、
「やはり大佐の撫でテクはサイコーであります! これなら少将への昇格も近いであります!」
撫でるのがうまいと出世できるのか。どういう軍隊だ。
「くー、るー、らぶらぶ。まーも混ぜて」
茉莉は茉莉でよく解らない結論に至ったようで、僕のカバンを奪ってくる。
そうして空になった僕の左手に、茉莉は自分の頭を滑り込ませてきた。
良く解らないままに、僕はふたりの頭をしばらく撫でることになったのだった。
――――――――
「ふぉあー」
「…………」
なでなで。
「ん」
「…………」
なでなで。
「あの、これ何時まで続けるの?」
「あと五分。五分したら、また『あと五分』。エンドレスウィンター」
え、これ無限ループ? 学校は?




