第8話 恥
カーテンの隙間から差し込む朝日が俺の顔を容赦なく叩き起こす。意識が覚醒すると同時に、脳内の再生ボタンが勝手に昨日の記憶をリピートし始めた。
『ほら、どうした! 相手はただのピエロだぞ!』
『ああ……最強だ。俺』
「うわああああああああああああああ!!」
俺はベッドの中で絶叫し、毛布を蹴り飛ばした。
昨日の自分。あの、三色チェック柄のスーツを着て、銀色の靴でステップを踏みながらラビットウルフを蹂躙し、挙句の果てに「最強のピエロ様」などと宣ったあの男。
誰だ。あいつは誰なんだ。俺じゃない。俺であってたまるか。
「死にたい……てか精神的に死んじゃう……」
枕に顔を埋めて悶える。
ジョブスキルの全能感は、一度味わうと麻薬のような中毒性がある。あの圧倒的なキレ、あの冴え渡る五感。
一度あの『高み』を知ってしまった以上、地味な格好で第1階層をうろつくのが、全裸で戦場に立つように思えてくる。
「クソっ! 生き残るためだ。これは、生存戦略なんだ」
自分にそう言い聞かせ、俺は渋々ベッドから這い出した。朝食を流し込み、リュックにあの『視覚的暴力』を詰め込む。
黒いマスクもしっかり持った。これだけが俺の尊厳を守る唯一の盾だ。
外は快晴。絶好の探索日和だが、俺の心は曇天そのものだ。
マンションから歩いて数分の探索者協会へ向かう。
平日の朝ということもあり、ロビーは現役探索者たちの熱気で満ちていた。俺は更衣室の個室に駆け込み、音速で着替えを済ませる。
鏡の中には、今日も今日とて狂った色彩のピエロが立っていた。
背中のハートマークが「お前、今日もやるのか?」とニヤけている気がする。
俺は無言で黒いマスクを装着し、リュックを背負って更衣室を飛び出した。
銀色の靴がカツン、カツンとロビーに響く。
周囲の視線が突き刺さるが、『道化の心得』が発動する。それが恥ずかしさを全能感で塗りつぶす。
「さて、まずは……」
俺はロビーの隅にある鑑定機へと向かった。
探索者カードを差し込み、魔法陣の描かれた鑑定台に乗る。
ホログラムのパネルが空中に浮かび上がり、俺の最新のステータスを表示した。
【道化師 Lv.3】
ステータスボーナス:110P(未割り振り)
生命力:29→34
持久力:13→14
筋力:11
技量:12→13
知力:13→14
俊敏性:7→9
肉体強度:21→24
魔力抵抗:19→21
戦気量:23
魔力量:22
「お、レベル3になってる」
昨日のモンスター狩りが効いたらしい。
相変わらず生命力と耐久面の伸びが良いな。
「よし、行くか」
俺は槍を手に、第1階層へと足を踏み入れた。
今日の目的地は、草原地帯のさらに奥。
最近話題になっている崩壊した大砦からは距離を置いた、比較的人の少ないエリアだ。
砦周辺はモンスターの質も量も上がっているらしいが、今の俺にはまだ早い。
だが、ダンジョンという場所は、いつだって俺の予想を裏切ってくれる。
草原を歩き始めて三十分。
点在する岩場の陰から、そいつらは現れた。
「……ゲッ、まじかよ」
そこにいたのは、三体の『ホブゴブリン』。
普通のゴブリンより二回りほど大きく、筋骨隆々の身体に、粗末だが金属製のこん棒を握っている。
そしてその中心に鎮座するのは、さらに巨大な影。
肥満体型ながら、丸太のような腕を持つ豚頭の亜人。
「オーク、か」
第1階層でも中堅クラスのモンスターだ。
本来なら大砦周辺にいるはずの連中が、なぜこんな草原の外れにいる。はぐれか?
ホブゴブリンたちが、俺の奇抜な格好を見て「ギャハハ!」と下品な笑い声を上げた。
オークもまた、鼻を鳴らしながら俺を値踏みするように見ている。
(……注目されてる。それも、かなり強い敵から)
身体の奥から、昨日以上の熱が湧き上がる。
全ステータスが、面白いように跳ね上がっていく。
だが、同時に冷や汗が止まらない。
相手は、ラビットウルフとは比較にならないほどのパワーとタフネスを持っている。
「グルアァッ!!」
オークの咆哮を合図に、三体のホブゴブリンが一斉に走り出した。速い。そして、一歩一歩が重い。
俺は槍を構え、迎え撃つ覚悟を決めた。
「ギャギャッ!」
先陣を切ったホブゴブリンが、金属製のこん棒を横なぎに振るってきた。だが、今の俺の目には、その軌道がはっきりと見えていた。
「遅いんだよ!」
俺は銀色の靴で地面を強く蹴り、ホブゴブリンの懐へと滑り込んだ。槍の石突をホブゴブリンの顎に叩き込み、そのまま流れるように穂先を心臓へと突き立てた。
ズシュッ!
一体目が光の粒子となって霧散する。
だが、余韻に浸る暇はない。
左右から残りの二体が、連携の取れた挟み撃ちを仕掛けてきた。
「っの野郎!」
俺は槍を振り回し、右側のこん棒を弾く。
ガギィィィン! と重い金属音が響き、腕に痺れが走る。
さすがはホブゴブリン、力がゴブリンとは段違いだ。
弾いた反動を利用して体を捻り、左側の攻撃を紙一重でかわす。
頬を掠めた風が熱い。
「『火吹き芸!』」
マスクをずらし、至近距離で火球を放つ。
ボフンッ!
左側のホブゴブリンの顔面が炎に包まれ、悲鳴を上げてのけぞった。
その隙を逃さず、俺は右側の個体の喉元を槍で貫く。
二体目、撃破。
残った一体は、顔を焼かれながらも執念深くこん棒を振り回してきた。
だが、視界を奪われた攻撃など、今の俺の敵ではない。
俺は冷静にその一撃をかわし、背後に回り込んで首に槍を突き刺した。
「ふぅ……」
三体のホブゴブリンを瞬く間に片付けた俺だが、心臓の鼓動は早まるばかりだ。
なぜなら、本命がまだ動いていないからだ。
「ブモォォォォォン!!」
オークが、地響きを立てて突進してきた。
その巨体からは想像もつかないほどの爆発力。
俺は咄嗟に槍を構え、その突進を受け流そうとした。
ドォォォォォン!!
「ぐっ、うおおぉぉ!?」
受け流しきれない。
圧倒的な質量の暴力。
槍の柄を通して伝わる衝撃が、俺の全身を突き抜ける。
俺の体は木の葉のように吹き飛ばされ、草原を数メートルほど転がった。
「カハッ……!」
肺の空気が全部押し出される。
肉体強度が上がっていなければ、今の衝撃で内臓が破裂していただろう。
だが、痛みに悶える俺の耳に、オークの重い足音が近づいてくるのが聞こえた。
(死ぬ……マジで死ぬ……!)
恐怖。
だが、その恐怖すらも、道化師の才能は燃料に変えてしまう。オークの「獲物を追い詰めた」という愉悦に満ちた視線。
「……ハ、ハハッ」
俺は泥を吐き出し、立ち上がった。
口元に浮かぶのは、自分でも制御できない歪な笑み。
「アッハハハ!! いいねぇ、その豚面最高にムカつくぜ!」
俺は槍を握り直し、自分からオークへと走り出した。
オークは驚きに目を剥き、巨大なこん棒を振り下ろす。
ドォォン!!
地面が爆発したかのように土が舞い上がる。
だが、俺は既にその場にいない。
オークの腕を駆け上がり、その醜悪な顔面へと槍を突き出した。
「オラッ!」
ズシュゥゥゥッ!!
槍先がオークの右目を貫く。
「ギャアアアアアッ!!」という、鼓膜を裂くような絶叫。
オークは狂ったように暴れ、俺を振り払う。
俺は空中で体勢を立て直し、着地と同時に再び踏み込んだ。
「おかわりだ!『火吹き芸!』」
俺は『火吹き芸』を連発した。
手のひらサイズの火球が、次々とオークに直撃する。
熱と痛みに悶えるオーク。その隙を突き、俺は渾身の力で槍をオークの喉仏へと突き立てた。
「これで終わりだ!!」
槍を深々と突き通し、そのまま横に薙ぐ。
オークの巨体が、ゆっくりと地面へと倒れ込んだ。
地響きと共に、オークの体は光の粒子へと変わっていく。
後に残ったのは、拳ほどもある巨大な魔石と、オークの牙と肉。激しい疲労と、それ以上の快感に包まれた俺だけだ。
俺は無理やり笑って回復していく。
「アハハハハ!!…………ふぅ、疲れた。てか、勝った。勝っちゃったよ」
俺はその場に座り込み、天を仰いだ。
青い空が、昨日よりもずっと近くに感じられる。
ホブゴブリン三体に、オーク一体。
レベル3ではあり得ない戦果だ。さすがは希少ジョブ。さすがは俺だ。
「……さて、ドロップ品を回収して一旦戻るか」
俺はドロップしたものを拾い上げ、リュックに詰め込んだ。
これ、いくらで売れるんだろう。
そんな俗なことを考えていた、その時だった。
「……えっ?」
背後から、聞き覚えのある声がした。
それも、絶対にこの場で聞こえてはいけないはずの声だ。
「……紫灯、くん?」
心臓が、オークの突進を受けた時よりも激しく跳ねた。
俺は、ロボットのようなぎこちない動きで、ゆっくりと振り返った。
そこには、驚きで目を見開いた成瀬美緒が立っていた。
彼女の横には、ダンジョンドローンがふよふよと浮いている。
「その格好、その槍、その戦い方……」
成瀬の視線が、俺の銀の靴を、チェック柄スーツを、そして黒いマスクをなぞっていく。
「……やっぱり、あの動画の不審者って、紫灯くんだったんだ」
沈黙。
草原を吹き抜ける風の音だけが、やけに大きく聞こえる。俺は、手に持っていた槍を、そっと地面に置いた。
「……違うんだ、成瀬さん。あの動画の不審者が何のことかは知らないけど…これはその、高度な情報戦というか…」
「……何の情報戦?」
成瀬の目が、ジト目へと変わっていく。
「…………とりあえず、学校では内緒にしてくれる?」
俺の情けない声が、午後の平原に虚しく響き渡った。




