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王の亡骸が静かに崩れ落ちると、玉座の間には深い沈黙が満ちた。レオンは剣を下ろし、しばらくその場に立ち尽くしていた。
扉が開き、セランが駆け込んできた。彼の外套には教会の白い粉塵が付いていた。
「遅れたか」
「いや、間に合った。教会は?」
「制圧済みだ。神官長は退いた。新たな神官長を任命した」
レオンは頷き、剣を鞘に収めた。
「これで、王も祈りも、民の手に戻った」
二人は互いの肩を叩き合い、兵たちに向かって声を上げた。
「我々は勝った! この国は、今夜から変わる!」
歓声が広がる中、玉座の間の奥から、静かに足音が響いた。
楓だった。
白い衣をまとい、静かに歩いてくる。
その姿は、王宮で見慣れたもののはずなのに、どこか異質だった。
「……楓」
セランが声をかける。楓は微笑んだ。
「お疲れさま。よくやったわね、二人とも」
レオンは楓を見つめたまま、言葉を探していた。彼女の姿は見慣れているはずなのに、どこか違って見えた。
「君は……ここに来るべきじゃなかったはずだ」
「そうね。でも、見届けたかったの。この国が、どこへ向かうのか。あなたたちが、どう選ぶのか」
その言葉に、レオンの胸がわずかに高鳴った。
彼女の声は、どこか懐かしく、遠くから響いてくるようだった。
セランは眉をひそめた。
「楓……君は、何者なんだ?」
楓は微笑を崩さず、玉座の前に立った。
「ただの異界の者、と思っていた?」
レオンの目が細くなった。
「“この地に降りた者は、すべてを見届ける”」
楓はレオンに視線を向けた。
「気づいたのね。やっぱり、あなたは鋭い」
セランが一歩踏み出す。
「……君は、最初からこの国を見ていたのか?」
楓は少しだけ目を伏せ、静かに言った。
「この国は、私の箱庭よ。ずっと見ていた。ずっと、黙っていた。でも、異世界人召喚なんてくだらないことを始めたから、少しだけ、顔を出してみたの」
レオンは楓の言葉に、ふと眉を寄せた。彼女が言った「この国は、私の箱庭」という一言が、頭の奥に引っかかった。
「……箱庭と……言ったか?」
楓は微笑を崩さず、レオンを見つめた。
「ええ。そう言ったわね」
「それは……どういう意味だ?この国は、誰かの所有物じゃない。民のものだ」
楓はゆっくりと玉座の階段を降りてきた。その足取りは、まるで何かを確かめるようだった。
「所有物。そうね。でも、あなたたちが思っている“民のもの”って、誰が定義したのかしら」
セランが口を挟む。
「定義? 君は、まるで……この国の構造そのものを知っているような口ぶりだ」
楓はセランに目を向け、軽く首を傾げた。
「知っているというより、見ていたのよ。ずっと、外から。この国の教養レベルも、神官たちが崇める石板も。私にとっては、箱庭の中で育ったものを眺めていただけ」
レオンは言葉を失った。彼女の言葉は、冗談にしては冷静すぎた。
「……石板も、見ていたのか?」
楓は小さく笑った。
「ええ。あれは、私が昔書いた落書きよ。神託なんて呼ばれてるけど、実際はただの思いつきの断片。退屈な午後に、気まぐれで書いただけ」
セランは息を呑み、レオンは静かに目を伏せた。その言葉は、この国の根幹を揺るがすものだった。
レオンは言葉を失った。彼女の言葉は、冗談にしては冷静すぎた。
「……君は、ずっとこの国を見ていたのか」
「見ていたわ。でも、黙っていた。人間がどう動くか、どう壊すか、どう救うか——それを見ていたの」
セランが静かに言った。
「それでも、君は手を出さなかった」
「ええ。でも、あなたたちが動いたから、私は決めたの」
その瞬間、楓の姿が変わった。衣は光に包まれ、髪は銀に染まり、瞳は星のように輝いた。背後には、形容しがたい光の輪が浮かび、空気が震えた。
「私は楓ではない。この世界の創造主——オーレリアよ」
兵たちは息を呑み、セランは言葉を失った。
オーレリアは一歩、玉座の階段を降りながら、ふといたずらっぽく微笑んだ。
「ねえ、うまく“楓”を演じられてたでしょ? ちゃんと人間っぽかったと思うの。ちゃんと、人間の心理状態まで考えたんだから。すごいでしょ?」
その言葉には、神々しさの中に、どこか子どものような無邪気さが混じっていた。
だが、空気は依然として張り詰めていた。彼女が何者なのか——誰もが、まだ理解しきれていなかった。
「この国、あまりにもくだらない人間ばかりだったら、全部消すつもりだった。でも、まだ見込みのある者がいた。あなたたちよ」
レオンとセランを見つめるその目は、慈悲と試練を含んでいたが、感情はなかった。
「だから、任せる。王はレオン。宰相はセラン。この世界を、私の箱庭を、守りなさい」
レオンはゆっくりと歩み寄り、オーレリアの手を取った。その目は、完全な忠誠と、抑えきれない感情に満ちていた。
「……あなたのために、すべてを捧げます。あなたがこの世界にいる限り、私は剣を置きません」
オーレリアはその手を見下ろし、しばらく沈黙した。そして、静かに微笑んだ。
「人の心って、ほんとうに熱いのね」
その声には、驚きも拒絶もなかった。ただ、遠くから炎を見つめるような静かな響きがあった。
「私はそれを持たないけれど……見ているのは、嫌いじゃないわ」
レオンはその言葉に、わずかに目を伏せた。それでも、手を離さなかった。
「それでも、私はあなたに仕える」
オーレリアは目を細め、少しだけ首を傾けた。
「そう。なら、見せてちょうだい。あなたの選んだ道が、どんな形になるのか」
そして、彼女はそっと手を引いた。その動きは拒絶ではなく、終わりを告げる儀式のようだった。
オーレリアは微笑んだ。
「私の箱庭を、荒らさないでね。……あ、そうだ。次に来るときは、もっと上手に人間っぽく振る舞えるようにしておくわ。……そのときは、ちゃんと褒めてね?」
その瞬間、光が広がり、彼女の姿は消えた。残された者たちは、ただ静かにその余韻を見つめていた。
レオンはその場に立ち尽くし、空を見上げた。その瞳には、忠誠と、届かぬ想いが静かに燃えていた。




