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楓に与えられた部屋は、広く静かだった。窓からは王都の街並みが見渡せる。遠くに見える塔は、神殿のものだろうか。


部屋には侍女が二人ついていた。物腰の柔らかい中年女性と、少し緊張した面持ちの若い少女。彼女たちは丁寧に楓の世話を焼いたが、どこか“距離”を感じさせる態度だった。


(……監視ってほどじゃないけど、完全に信用されてるわけでもなさそう)


朝は決まった時間に起床。食事は品のある献立で、侍女が口に合うかどうかを細かく確認してくる。そして午前中は“教育”と称された時間が始まる。


案内された部屋には、数人の教師が待っていた。歴史、地理、言語、礼儀作法——この国〈エルディア〉の基礎を、短期間で身につけるための集中講義だった。


最初に教えられたのは、この国の地理と災厄の話だった。


「朝霧様、まずはこの地図をご覧ください」


教師の一人が広げた地図には、山脈、河川、都市の名が記されていた。楓は目を細めて眺める。


「魔物の出現は、主に北部の〈黒の森〉周辺です。災厄の中心とされております」


「その“災厄”は、いつから始まったんですか?」


教師は少し驚いたように目を見開いたが、すぐに答えた。


「十数年前からです。最初は小規模でしたが、近年は王都近くにも影響が及んでおります。交易路は断たれ、農地は荒れ、民の生活は困窮しています」


楓は地図から目を離し、教師の顔を見た。


「……それは、災厄のせいなんですね」


教師は頷いた。


「ええ。魔物の脅威がすべての根源です。王侯貴族の方々も、民を守るために多くの資源を割いておられますが、それでも追いつかないのです」


楓は静かに頷いた。


(この国の人々は、長い間苦しんでいる。災厄がそれほど深刻なら、私が来た意味もあるのかもしれない)


「税の引き上げも、苦渋の決断です。陛下は民の声に心を痛めておられます。だからこそ、神託に示された“鍵”——朝霧様の存在が、希望なのです」


楓は教師の言葉を真剣に受け止めた。


(私が“鍵”……本当にそんな力があるのなら、何かできるはず)


教師は満足げに地図を畳み、次の講義へと移った。午後は礼儀作法と言語の訓練。


この世界の言葉は、楓にとって不思議なほど理解できた。まるで、頭の中に翻訳機があるかのように。


(……召喚の影響? それとも、何か“力”の一部?)


礼儀作法の訓練では、王族との接し方、貴族の序列、式典での所作などが教え込まれた。教師は厳格だったが、楓の吸収力に驚いているようだった。


「朝霧様は、非常に理解が早い。まるで、以前にもこの地で暮らしていたかのようです」


楓は微笑を返した。



夜になると、部屋に戻り、侍女が湯を用意する。その時間だけは、少しだけ気が緩んだ。


窓の外には、灯りのともる街並み。遠くで鐘の音が響く。


(この国は、長い災厄に耐えてきた。もし私がその終わりをもたらせるなら——)


ベッドに横たわりながら、楓は今日の出来事を反芻する。


(……まずは知ること。次に選ぶこと。そして、動くこと)


その思考は、まるで戦略を練るようだった。だが、彼女の胸の奥には、ほんのわずかに——


(もし本当に、私に何かできるなら……)


その芽は、確かに育ち始めていた。








神殿では、神官による“精神の教育”が行われた。祈りの言葉、神託の解釈、そしてこの世界における“神の意志”について。


「災厄は、神の怒りによってもたらされたものです」


白髪の神官が、静かな声で語る。


「人々が傲慢になり、自然の摂理を忘れたとき、神は警告を与えられました。魔物の出現、土地の荒廃——それらは、神の浄化の一環なのです」


楓は神官の言葉に耳を傾けながら、思考を巡らせていた。


(……災厄は“浄化”? 人間の行いが原因なら、私が来た意味もあるのかもしれない)


「神託には、異界より来る者が災厄を鎮めると記されています。朝霧様、あなたの存在は、神の慈悲の証なのです」


神官の言葉は、静かに、しかし確信を持って響いた。


楓は頷いた。


(この世界の人々は、長い苦しみに耐えてきた。もし私がその終わりをもたらせるなら——)


祈りの時間が終わると、神官は楓に小さな石板を手渡した。そこには、古代文字で神託の一節が刻まれていた。


「これは、あなたのために用意されたものです。意味はまだ曖昧ですが、いずれ解釈が明らかになるでしょう」


楓は石板を受け取り、静かに目を伏せた。


(“鍵”としての役割。まだ何もできていないけれど、始まりはここにある)


王宮に戻る馬車の中、楓は石板を膝に置きながら、窓の外を眺めた。街の人々は忙しなく動き、子どもたちは埃まみれの服で遊んでいた。


(この国の痛みを、私はまだ知らない。でも、知る覚悟はある)


その思いは、少しずつ楓の中で形を成していた。






ある日、王都の視察が許された。


護衛に囲まれながら、楓は街の中心部を歩いた。


石畳の道。古びた建物。人々の表情はどこか疲れていた。子どもたちは埃まみれの服で遊び、商人たちは声を張り上げて品物を売っていたが、活気よりも焦燥が漂っていた。


(……思った以上に、荒れてる。災厄の影響って、こんなに広いの?)


楓が路地に目を向けた瞬間、背後から何かが動いた。護衛が声を上げる間もなく、楓は布で口を塞がれ、暗い路地へと引きずり込まれた。


──


目を覚ますと、そこは地下のような場所だった。石壁に囲まれた空間。灯りは少なく、空気は湿っている。


楓の前には、盗賊のような格好をした男たちが数人。その中には、軍服を着た者も混じっていた。


(……盗賊? いや、軍人もいる。どういう集団?)


「目が覚めたか」


低く、落ち着いた声が響いた。楓が顔を上げると、一人の男が立っていた。


年齢は四十代ほど。粗末な服装だが、姿勢はまっすぐで、目には冷静な光が宿っていた。


「俺は〈セラン〉。王都の市民代表だ。君を傷つけるつもりはない。ただ、話を聞いてほしい」


楓は警戒を緩めずに頷いた。


「……誘拐しておいて、話を聞けって?」


「そうだ。君は“神の鍵”として王宮に迎えられた。だが、君が見ているのは、王侯貴族が見せたい世界だけだ」


楓は眉をひそめた。


「災厄のせいで国が荒れてるって、そう聞いてます」


セランは静かに首を振った。


「災厄は確かに存在する。だが、それは“原因”じゃない。“結果”だ」


楓は言葉を失った。


「魔物の出現も、土地の荒廃も、民の不安も——すべては、王侯貴族による搾取の積み重ねだ。彼らは災厄を言い訳にして、税を引き上げ、民の土地を奪い、反抗する者を“神の怒りに逆らう者”として処罰してきた」


楓は目を見開いた。


「……でも、神殿では、災厄は人々の傲慢への警告だと」


「それも彼らの都合のいい解釈だ。神の言葉は曖昧だ。解釈するのは人間だ。そして、王宮の人間は、自分たちに都合のいいように“神託”を使ってきた」


セランの声は静かだったが、揺るぎない確信に満ちていた。


「君が“鍵”なら、まずはこの国の本当の姿を知るべきだ。王宮の中だけでは、何も見えない。民の声を聞いてくれ。それが、君がこの国に来た意味になるかもしれない」


楓はしばらく黙っていた。頭の中で、神官の言葉とセランの言葉がぶつかり合っていた。


(……どちらが本当? それとも、どちらも一部だけが真実?)


「……話は、聞きます。あなたたちが何を見てきたのか、知りたい」


セランはわずかに頷いた。


「それでいい。君が“選ぶ”ことができるように、俺たちは君に“見せる”」


その言葉は、王宮で聞いたどの言葉よりも、まっすぐだった。






セランの言葉のあと、楓は拘束を解かれた。地下の空間を出ると、彼は黙って手を差し伸べた。


「見てもらいたい場所がある」


楓はその手を取った。警戒は残っていたが、それ以上に、知りたいという思いが勝っていた。


──


路地を抜け、楓は王都の裏側へと足を踏み入れた。そこは、王宮からは見えない場所だった。


崩れかけた家々。水の濁った井戸。裸足で歩く子どもたち。痩せた老人が荷車を引いている。


「ここが、王都の“外縁”だ。地図には載っていないが、ここにも人は生きている」


セランの声は静かだった。


「税を払えない者は、土地を追われる。病にかかっても、治療は受けられない。それでも、王宮は“災厄のせい”だと言い続ける」


楓は言葉を失っていた。教会で聞いた“神の怒り”という言葉が、遠く感じられた。


「魔物の被害は確かにある。だが、それ以上に人を苦しめているのは、人間だ。王侯貴族は、災厄を盾にして、民から奪い続けている」


楓は、壁にもたれて座る母親と、その腕に抱かれた赤ん坊を見つめた。赤ん坊は泣いていたが、母親は声をかける力も残っていないようだった。


(……これが、“神の怒り”の結果? 本当に?)


「君が“鍵”なら、まずはこの国の痛みを知ってほしい。神殿の祈りも、王宮の秩序も、それだけでは何も変わらない」


楓は静かに頷いた。


「……私は、知らなかった。見えていなかった。でも、今は……見てしまった」


セランはわずかに目を細めた。


「それでいい。君が何を選ぶかは、君自身の意思だ。だが、選ぶには、まず“知る”ことが必要だ」


楓は街の空を見上げた。薄曇りの空の下、王宮の塔が遠くに見えていた。


(あの場所で、私は“希望”として扱われた。でも、本当の希望は、誰かに言われて担うものじゃない)


その瞬間、楓の中で何かが静かに変わり始めていた。それはまだ言葉にならないけれど、確かに彼女の足元を支えるものだった。







夜の王都は静かだった。路地裏を抜け、セランは楓を元の視察ルート近くまで連れて戻った。だが、護衛たちはすでに騒ぎを起こしていた。楓が連れ去られたことは、当然ながら報告されている。


「君を無事に戻すには、少し細工が必要だ」


セランはそう言うと、楓に外套をかぶせ、顔を隠した。その後、彼は王宮の兵士が使う合図を使って、近くの巡回兵に接触した。


「異界の方を保護している。混乱を避けるため、王宮に直接引き渡したい」


兵士は驚いた様子だったが、セランの落ち着いた態度と軍服を着た仲間の存在により、深く追及することはなかった。楓はそのまま、王宮の裏門から静かに戻された。


侍従たちは安堵の表情を浮かべたが、詳細を問うことはなかった。王宮内では「一時的に保護されていた」「混乱を避けるため、非公開で対応した」と処理された。


楓は部屋に戻ると、深く息を吐いた。


(……セランは、王宮の手順を知っていた。あの対応、素人じゃできない)


その夜、彼女は眠れなかった。神殿で聞いた“神の怒り”。王宮で語られた“災厄の脅威”。そして、セランが見せてくれた“民の現実”。


(どちらが本当? それとも、どちらも一部だけが真実?)


ベッドの上で、楓は石板を手に取った。神官から渡された神託の一節。その文字は、今までよりも遠く感じられた。


(私は“鍵”だと言われた。でも、誰のための鍵? 王宮のため? 民のため? それとも——)


窓の外には、王都の灯りが静かに揺れていた。その光の向こうに、セランの言葉が残っていた。


「困ったときは、王弟に相談を」


楓は目を閉じた。その言葉が、今の彼女にとって唯一の“選択肢”のように思えた。






王宮での日常は、表面上は何も変わっていないように見えた。侍女は丁寧に接し、食事も整っている。講義も予定通りに進んでいた。


けれど、楓は違和感を覚えていた。


侍女たちはどこかよそよそしく、目を合わせる時間が短くなった。部屋の外に出るたび、護衛の数が増えている。以前は二人だったのに、今は五人。しかも、無言で距離を詰めてくる。


(……監視? でも、誰も何も言わない。何かが起きてる)


講義中も、教師の口調が硬くなっていた。神殿での祈りも、どこか空虚だった。


(私が何か“危険”な存在になったみたい。何がおきたの?)


その疑念の理由が判明したのは、ある日の午後だった。


楓は庭園の散歩を許された。侍女と五人の護衛に囲まれながら、王宮の中庭を歩いていた。


石畳の道を進みながら、楓はふと回廊の方へ目を向けた。その瞬間、前方の護衛が何かに気づいて動き、後方の者も別の方向から声をかけられてそちらへ向かう。左右の二人は、侍女の転倒に気づき、駆け寄っていた。


ほんの数十秒。楓は、完全に一人になった。


そのとき、回廊の奥から声が聞こえた。


「……異界の者が、民衆の扇動者と接触したらしい」


楓は足を止め、柱の陰に身を寄せた。声の主は、身分の高そうな男たち。衣服の質、話し方、立ち居振る舞い——どれも王族か、それに近い貴族のものだった。


「名は不明だが、王都の下層で民を集めている者がいる。王宮の政策に異を唱え、災厄の責任を貴族に押しつけているようだ」


「反逆者だな。秩序を乱す者は、神の意志に背く存在だ」


楓は息を呑んだ。


(……セランのこと? でも、名前は知られていない。彼らにとっては“顔の見えない敵”)


「異界の者がそのような人物と接触した以上、放っておくわけにはいかない。陛下は、彼女を“静かに”管理できる部屋を用意するよう命じられた」


「表向きは療養。だが、実際は外部との接触を断つための措置だ」


「王弟殿下は反対されているようだが、陛下の意志は固い。異界の者が“鍵”であるなら、王宮の手の中に置いておくべきだと」


その言葉を最後に、男たちは回廊の奥へと消えていった。楓は柱の陰から動けずにいた。


(セランとの接触が知られてる。私が見たこと、聞いたこと——全部、王に伝わってる。そして、彼は“反逆者”として扱われてる。名前すら知られていないのに、危険視されてる)






その夜、楓は部屋の窓から外を見つめていた。護衛は廊下に立ち、侍女は無言で湯を用意している。


(このままでは、閉じ込められる。自由を奪われる。“鍵”として扱われるだけで、私の意思は消される)


そのとき、彼女の胸に浮かんだのは、セランの言葉だった。


「困ったときは、王弟に相談を」


楓は目を細めた。(レオン殿……あなたは、どちらの側に立っているの?)


危機は、静かに、確実に近づいていた。


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