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功名

 この章からは、語り手が元の「拙」くんに戻ります。そうそう、名前も判明しますよ。

 遅い朝餉を家に戻って食べていると、妹のはるが拙を呼びながら走りこんできた。はるは、年はまだ十二だが、おまき殿の肥立ち(出産後の回復)が思わしくないため、ややこの世話、おまき殿の世話に女手が取られている大殿の館に下働き見習いで先だってから奉公しはじめたのである。

「どうした、はる。またあぜ道に蛇でも出たか。」

「んもう、ちがうよぉ。わっちはもう一人前なんだから、蛇くらいで騒いだりしないからね。お千代さまがね、西の院へお使いにいってほしいって。今すぐお館へきてほしいって。」

「お千代さま? 光時さまじゃなく?」

「んー、そこらへんはよくわかんないよぉ。わっちに言いつけたのはお千代さまなんだよ。」

 漬物と雑穀飯をかっこんで、大殿の館の横に張り出すように建て増しされている光時さまの住まいに向かう。いつものように庭先から直に光時さまの居間に向かおうとしたら、表口からお千代殿に声をかけられた。待っておいでだったようだ。

「ああ、弥太どの。殿の遠駆けのお供の後で申し訳ありませぬが、急ぎ、西の院へこの灯篭とうろうを届けていただけませぬか。わたしとしたことが、西の院のお方にも献灯けんとうをお願いするのをすっかりわすれておりましたの。お施餓鬼は今夜だというのに。」

 渡されたのは、定信寺の施餓鬼会に並べる灯篭とうろうだった。拙がこの前、秀時さま付きの小者と一緒に献灯に持って行った物と同じ大きさの物である。大殿の灯篭とうろうが別格に大きい以外は、お館の人々の灯篭とうろうはみな同じ大きさで、片手に乗るくらいだ。四角い箱のような細木の枠に三方だけ紙が貼ってある。空いているところから燈明皿とうみょうざらを入れて、火を灯すのである。紙には献灯した者の名前を書く。本人の自筆が原則だから、読み書きのできない我々は灯篭ではなく燈明皿だけだ。当然風が吹いたら消えてしまっておしまいである。

「急ぎ、お名前を書いていただいて、殿やわたしの灯篭の近くに献灯してきてくださいませ。頼みましたよ。」

 かしこまって、灯篭を布に包んでもらい、馬小屋からいつも乗っている馬を引き出した。大殿たちの出立は午後の日差しが傾いてからだろう。余裕なお使いである。帰りは大殿や光時さまたちといっしょに帰ってくればいい。馬を急がすことなく、昼前には西の院へついた。敷地の入口で一旦馬を降りる。さて、どこへつないでおくといいかと思案していると、建物の方から丑吉がやってきて、お辞儀した。なんだか偉い人になったようでちょっと気分がいい。

「丑吉、お館からのお使いで来たんだ。ちょっとおそで叔母上を呼んできてくれないか。」

 丑吉はうなずいて、建物に戻った。ほどなく叔母上がやってくる。

「まあ、弥太ではないか。暑かったろう。ささ、水を一杯飲みなされ。」

 姫君に拙の声が聞こえないよう、話は竹薮の蔭で、小声でする。井戸から汲んだばかりの水が、桶のまま持ってこられ、木の椀で好きなだけ飲めと言われた。のどを潤しているうちに院の建物から女の声が聞こえてきた。しきりに叔母上がなだめているようだ。あれが姫君の声か。けっこう大きな声で話すんだな。

「やれ、お待たせ申したの。」

小半時ほど待って、叔母上が灯篭を持ってきた。見れば、灯篭の一面だけ紙が張り替えられ、なんだか薄藤色がついている。紙自体もほかの面より薄くて、心なしかいい香りがしてくるようだ。そこに模様でもついているかのようにか細い手で名前が書いてあった。

「これ、貼りなおした?」

「縦になっておる紙に字を書くのはおいやだそうじゃ。」

なるほど、別の紙に書いたものを貼り換えたわけか。

「じゃあ、献灯に行ってくるよ。悪いけどそのあと大殿や光時さまたちが来るまで、ここで待たせてもらえないかな。もちろん建物の近くには寄らないようにするから。」

「ほうか、それやったらこの薮をまわりこんだところに丑吉の小屋がある。そこで休ませてもらいなされ。それから、中食ちゅうじきは運びますで、なるべく物音を立てぬようにな。このあとしばし姫様は笛の修練をなされるそうじゃ。」

「へえ、評判の笛の姫様の笛が聞けるのなら、話の種だ。静かにしてるよ。」

「今夜のお施餓鬼に、供養の笛を吹いてくださるそうじゃ。大殿にもそう、良しなにお伝えしてくだされや。」

 なんと、これはいい話だ。光時さまを早めにお出迎えに行って、お伝えせねばなるまい。壊さぬように灯篭を布に包み直し、急いで献灯に行く。

 ちょうど永法寺から小坊主どもが来て、灯篭やら花やらを整理しているところだった。大殿様はじめ亀井のご家中の灯篭が並んでいるはずれに、持ってきた姫様の灯篭も置く。灯篭には油の入った燈明皿もすでに置かれていたので、もらって入れておいた。これでお使いはおしまいだ。

 永法寺は大殿の館からも近く、定信寺が焼けてからはこのあたりで唯一の大きな寺になった。定信寺とは宗派も同じなので、ここのお施餓鬼の面倒も見てくれているものらしい。小坊主どもは拙が大殿の家中の者だと知ると、あからさまに丁寧になったが、実はこの暑さの中で外の仕事をさせられるのに不満をたらたら言っていた。まあ修業が足りないからこういう仕事をさせられているんだろう。もっともこの場所はただっぴろいだけの広場で、元の定信寺の威容は今いずこというありさまだから、何も知らない小坊主にしてみれば、ありがたみに欠けるのかもしれない。

 帰り道、さがしていた丑吉の小屋はすぐわかった。中では丑吉がすでに飯を食っており、拙の分もちゃんと用意してあった。なんと白米の飯だ。丑吉の飯は朝方に拙が食べたものと大差ない雑穀飯だったから、拙だけお客様待遇である。お菜も漬物だけでなく茄子の煮たものがついている。なんだか恐縮してしまう待遇の良さだった。



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