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西の院の姫君  作者: 竹宮 潤
家名

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祝い

「まあ、千代さまが赤子を産むの?」

「はい、産み月は水無月のはじめ頃だそうです。」

 卯木から知らせを聞いたのは、弥生も終わりの頃だった。皆で袷(あわせ)の着物を片付けて、単衣《ひとえ》を出そうとしている頃である。

「お祝いを届けないといけないの?」

「いえ、それは無事お生まれになったからでよろしゅうございます。」

 おめでたいことなのだろうが、わたしはなんだかおっくうだった。おなかに赤子がいるおなごは、半分病人のようになってしまう。食べ物に好き嫌いができてもどしたり、転びやすくなったり、ちょっとしたことで怒ったり泣いたりする。そういうことは本人が悪いのではないから、周りの者が気を付けてやらねばならない、と言われるのだ。生まれたら生まれたで、赤子はしょっちゅう泣き声をあげる。そういうことのすべてが、わたしには気持ちをいら立たせるもとで、つきあいにくくていやなのだった。

「帯祝いをなさったそうですから、今なら千代さまも落ち着いておられ

ましょう。大滝に作っている家も、だいぶできたそうでございますよ。陽気の良いうちに、お出かけになってはどうでしょうか。」

皆に勧められて、半ば楽しみで、半ばびくびくしながらまた大滝へ出向くことになった。前回と同じく、牛方と車を借りての遠出である。前回と違うところは、亀井のお館で一晩泊めていただくことだった。秀時さまが西の領地で作っておられる新しいお館に移られたため、部屋が空いているからだという。そのため、出発は中食を済ましてからとなった。

 お祝いはまだいらない、ということだったので、白山神社にお願いして安産祈願の護符(おまもり)を作ってもらい、おみやげにすることにした。お産というものはいつどんなことが起こるかわからない。普段元気なおなごでも、突然亡くなることもあるのだ。わたしはこの地で出会った人生のもう一人の師たる千代さまが、どうか無事に出産されますようにと願っていた。

 前回と同じように、途中で光時さまが馬で出迎えてくださった。ただし場所はちがって、山道を出て大滝の荘が見えるようになってすぐの所である。光時さまは馬を下りておられて、しばらくそこで待っていてくださったようだった。

「待っていてくださいましたの?」

「ここから行く方が、姫の新しい家に近いのですよ。ここから少し、街道を離れて参った先なのです。」

 山道で一度渡った川を、もう一回渡る。ここいらは川幅も広く、橋は頑丈で大きかった。しばらく行くと竹薮が右手に見えてきた。まだ新しいと思われる道が竹薮の中を通って丘を上っている。そこを車ごと進んでいった。

「まあ、これは!」

 わたしも皆も声を上げた。周りの様子は今住んでいる家にそっくりだ。そこに木の香りがする新しい家が建っていた。建物自体は少し大きいが、雰囲気がとてもよく似ている。

「屋根は三河から取り寄せた瓦で葺くつもりです。都のお住まいには及びませぬが、少しでも姫にふさわしいお住まいになる様にと。」

「お気遣い痛み入りまする、殿様。このように立派なものを。」

 卯木がお礼を言う。

「何の。気に入っていただければ重畳でござる。」

 よく見ると、建物の壁は土のままで、上塗りもしていない。床もきちんと張ってないところもある。作りかけの家を見るのは初めてなので、おもしろくてあちこち見て回った。

「ここから亀井のお館は近いのでしょうか。」

被衣(かつぎ)の下から光時さまに質問してみた。顔を見せていないので、あまり恥ずかしくない。

「こちらからは竹がじゃまをして見えませぬが、うちの方からはここがよく見えまする。」

「まあ、それはうれしいこと。」

 なんだかするっと言ってしまった。皆が見ている前で光時さまとこんな話をしてしまうなんて、と急に恥ずかしくなる。気がつくとわたしと光時さまは、二人だけで手を伸ばせば届くくらいの近さで立ち話をしているのだった。皆は? と周りを伺うと、離れたところで家を見ている。なんだか気まずくなって、卯木の方に行こうと、振り返った。

「危ない!」

 皆がこちらを向いた。わたしは掘り残っていた竹の根につまづいて、転びかけたのだった。とっさに光時さまが腕を伸ばして捕まえてくださった。光時さまの右手がわたしの肩から前へ向かって支え、左手が被衣(かつぎ)ごと袖を捕まえている。なんだか逃げようとするわたしを光時さまが止めているような体制(ポーズ)だ。

「あ…、ご無礼をいたした。」

わたしをくい、と立ち直させると、光時さまはそう言って手を離した。

「姫さま、大事ございませぬか。」

 卯木が急いで寄ってくる。わたしはしばらく固まっていた。こんなことになるなんて思ってもみなかった。光時さまとの距離が近すぎることに気づいて、離れようと思っていたのに、逆に光時さまに触れられることになるなんて。ドキドキしていたが、以前手を握られた時とは違って、今日のは着物の上からだ。しかも転びそうになるのを止めてくださったのだもの。大丈夫、大丈夫。ちゃんとお礼を申し上げて、何でもないところを見せないと。

「あの、ありがとう思いまする、光時さま。」

「いえ、お礼には及びませぬ。」

 わたしの立ち直りの速さに、茜と八条が驚いていた。


 千代さまはお元気そうに見えた。おなかは少し目立ってきていて、帯をもう一本下の方で結んでいた。そうしないと着物がはだけやすくなってしまうのだ。わたしは単衣の上に被衣(かつぎ)にしてきた夏の打掛を羽織っていたが、千代さまは、単衣を一枚きりだった。

「ややこのせいか、とても暑いのです。汗が出て…。」

「夏生まれのお子のときは、そうしたものでございますよ。」

 卯木は笑って、千代さまを安心させた。つわりはどうか、夜は眠れるかなどと、お産を経験したおなごたち同士の会話が続いた。わたしと、お姑さまの少し後ろに座っていらっしゃる光時さまだけが仲間外れのようだ。退屈になってきてふと顔を上げたら、光時さまと目が合ってしまった。光時さまがぱっと笑顔を見せられる。思わず目線を落としてしまった。ずっとわたしのことを見ていらっしゃったのかしらと思うと、またドキドキしてきた。

「そうでした、姫さま、あれを千代さまに。」

 突然話がこちらに振られ、わたしはちょっとあわてて持ってきた護符(おまもり)を千代さまのほうへ差し出す。

「安産を祈願した護符(おまもり)を、白山神社で作ってもらいましたの。」

「まあ、ありがとうございまする、姫さま。」

「わたしどもも、安産を祈っておりまする。」

 八条と茜がお辞儀をする。

 そこへはるの元気な声がとびこんできた。

「姫さま、皆さま、夕餉のしたくができました。」

 はるとその母親のみつ殿の手で作られた夕餉は、おいしかったし楽しかった。殿方とは別の部屋で食べるようにしてもらったので、年末の反物を買ったときのように、おなごばかりで心穏やかに食べることができた。千代さまは赤子の分も食べねばならぬからと、わたしの分の倍くらいおまわりが載っていたのには驚いたが、それをすべて食べてしまわれたのにはもっと驚いた。聞くと、このくらい食べるのは身ごもっているなら普通なのだという。

「ややこの分と、産んだ後の乳になる分と、両方食べねばならないのでございますよ。」

とおまきさまがおっしゃる。そういえば長松さまはもう部屋中を這って廻っていて、誰彼構わず、よだれを垂らしたお顔で笑いかけていた。この前会ったときは寝転がっているだけだったのに。大殿さまも長松さまだけは無礼だと思わないようで、這いずって来れば抱き上げたり笑いかけたりなさる。それにもびっくりした。よく見ていると、八条も茜も長松さまを嫌がったりしていない。抱き上げたり、腕や頬をつついたり、おもちゃを見せたりして機嫌を取っている。長松さまが泣き出せば、やれおむつだ、お乳だと皆で大騒ぎをする。 

 千代さまもあと何か月かすればこういう生活になるのだ。何がいいのか、相変わらず私にはよくわからなかった。



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