僕の夢
最終稿です。
「ねえ、絶対ズルしたでしょ」
「してないって。そもそも僕バスケ経験者だし」
「やっぱりズル。そんなの聞いてない」
「聞かれてない」
「絶対勝てると思ったのに……」
頬を膨らませ、いかにも納得のいかないような顔を見せる。
深読み浅読み世論戦争の影響で開始早々、十五秒ほどロスをしてしまったわけだが、持ち前のシュート力を活かし、不利な状況の中でも見事、勝利を収めたのだ。
ちなみに経験者というのは本当で、中学のとき所属していたバスケ部でも、シュートだけはそこそこ長けているとプチ評判になったほどだ。
「次はどこに行く?」
「次って……お前な。もう二時間以上経ってるぞ」
「おっ、本当だ。時間のことなんて忘れてたよ」
まるで今日はここまでデートしに来たみたいだな。
「そろそろ暗くなるから帰るぞ」
「うん。そうだね」
頷く彼女。そして――。
「その前に、話があるの」
おそらく、今日の本当の目的。
突然だった。
だが、なんとなく……察しはついていた。
「……歩道橋のど真ん中まで行こうか」
だから、どうせならあのときと同じ場所でと思った。
それに対し、美成子は、
「君はやっぱり私のファンだね」
と、愛想笑いを浮かべながら、辛そうにつぶやいた。
歩道橋の真ん中あたりまで来ると、美成子は手すりによりかかり、沈み始めている橙色の太陽を見つめるように明後日の方向を見る。
そして、こちらを振り返ると、
「私さ――もう夢、叶えたんだ」
なんの前触れもなく。
忽然と。
一番言ってほしくなった言葉を。
神坂水名子は、あっさりと言い放った。
「君に初めて出逢った日に約束した夢。叶えたんだよ、私」
今にも消えかかりそうな声。
だが決して語りを辞めない。
「だからもう、私は……」
「まてよッ‼」
それ以上言わせてしまったらダメな気がした。
だって、それは……。
「僕は絶対に認めない。歌うことを辞めるだなんて絶対に」
一度は考えた。けど、考える前に自分自身が拒絶していた。
「そんな、ただ一人のファンのわがままを聞くと思うのかな?」
「聞くさ。だって君は今、どんな顔してその言葉を口にしているんだ?」
美成子の言葉一つ一つは平然を装っている。
が、顔だけは眉をひそめ、辛そうな表情を見せていた。
――彼女には自分を受け入れる時間が必要だ。
「考えるために少し……たとえ話をしようか。最果ての地にある一人の男がいるとする。男は一度病んでいた時期があったが、ある歌を聴いたことがきっかけで、様々な経験を通して女の子の魅力を知った」
「……どうして女の子?」
「男はその魅力をどうにか世界中のみんなに伝えられないかと試行錯誤した。結果、たどり着いた答えは本を書くことだった」
「本、ね」
「男は本を書く際になぜか、自分の理想の歌手を求めた」
「…………本に歌手は要らない」
「そう、誰もが同じことを思うでしょう。しかし、男の本筋は本ではなく、その本の内容を映像化することだったのです」
「……最果ての地なのに?」
「そこは目をつぶって。男はその歌がなければこの作品は完成しない。僕だけじゃ彼女の魅力を伝えきれない。と豪語するほど大切だと言いました」
「…………」
「そして男は……」
「もうやめて」
静かだけど強くこもった声で制止を促す。
「虫唾が走るよ。君は私を利用したいだけだったんだね」
「……なんと言われてもいいさ。僕の本当の夢は――」
これだけは絶対に曲げられない。
もう彼女と共に追い続けることを約束してしまった夢。
「僕を救ってくれた君の最高の歌で、君と最高の作品を作ることだ」
「ラノベ作家にでもなって恋愛劇を描くのかな?」
「そうだよ。ラノベ作家でもどんな形でも、僕が今まで味わってきたすべての感情を文に叩きこんで、あの頃の僕みたいなやつら……いや、世間全体に教えてやるんだ」
あのシグナルを。
※ ※ ※
『ごめん、待たせた』
『…………』
『えーっと。もしかして、俺を励ましに来てくれたのか?』
『そうだったら?』
『そうだったら、も、もう一度、俺とやり直してくれないか?』
『……なんで?』
『ほら、俺たち中学を卒業すると同時に自然消滅みたいな形で終わっちゃっただろ? だからまだそっちに気があるならやり直せるかなーって思って』
『……く……なこと……るね』
『え? 何か言っ……』
『よくそんなこと言えるね。このレイプ魔が』
『え?』
『気持ち悪いんだよ。私の純粋な気持ちを弄びやがって。私が受験で辛いとき、君は何をしてた? 傍観していただけだよね? 勉強ができない私を嘲笑っていただけだよね?』
『違うよ。あれは君のためを思って……』
『言い訳はいいよ‼ ……私、ショックだった。気配りができる彼氏、優しい彼氏、かっこいい彼氏、頭がいい彼氏、面白い彼氏、夢を追う彼氏。そんな理想的な彼氏を求めていたのに、どれにも当てはまらない‼ 結局、理想は理想に過ぎなかった』
『お、俺だって理想を目指してがんばって……』
『レイプががんばり⁉ 笑わせないでよ』
『……っ。違うんだ。信じてくれ、俺は……』
『私の初めてを返してよ』
『え?』
『初めての気持ちを返してよ』
『き、君だって僕のことをあんなのも好きだって……』
『嘘だよ、まやかしだよ。全部全部全部全部全部――』
『君を好いたこと自体が偽物だった』
『に、せ……もの……』
『さようなら。レイプ魔さん』
『………………。……俺はただ、ただ――』
初めて好いてもらった人に、大丈夫の一言をもらえればそれでよかったんだ。
『……ぁ……』
足が重い。
酷く頭がくらくらする。
悲しいことに嗚咽も出ない。
あれから何分、いや何時間、経ったのだろうか。
歩道橋の手すりにもたれながらも、未だに歩けているのが不思議でならない。
眼から見える視界で階段が見えていても、脳の中では、ひたすらになにも存在しない無の境地を彷徨っていた。
白も黒もない、モノクロな世界。
そんな不透明な世界でも不思議と悪い気分ではなかった。
浸食していく感覚。
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱と広がる世界。
自分という存在が否定され、次第に消えていくのを肌で感じる。
シャットダウンらしい。
そう、悟った瞬間。
消えかかっていた自分の脳に、存在に何かが響くのを感じた。
しばらくすると、音の鳴る方へ、声が鳴る方へと。
自動的に足が向かっていった。
狂気だと思われてもいい。
変態だと思われてもいい。
あの、感覚を覚えてしまったのだから。
「神坂水名子という人物の影響劇を」
※ ※ ※
「そこまでなんだね」
「そうだよ。だから、そのためには君の歌が……」
彼の瞳は、
「神坂水名子の歌がないと成り立たないんだよ‼」
傲慢で。
「君をいつまでも歌わせていたいだけの体のいい口実に聞こえるかもしれない」
強欲で。
「けど、僕には君が必要なんだ」
意地っ張り。
「だから……僕を選んでくれ」
だけど、決して芯の折れないまっすぐな、瞳。
……真摯に答えなければならない。
「正直に言うとね、私――」
夕陽を前にし、彼に背を向けてから。
「もう、歌えないんだ」
真実を告げる。
「……な、なにを言ってるんだよ。先週だって僕の前で歌ってくれたじゃないか。綺麗で微細、心を包んでくれるような歌声で、僕にまた光を照らしてくれたじゃないか。それがどうしてそんなこと……」
「ふふ……。そんな風に褒める人は、君で二人目だよ」
懐かしさと馬鹿らしさとともについ、頬が緩む。
「……あの時、歌えたのは、君が特別だからだよ」
「どういうことだよ?」
鍵を壊さないで。
「そのまんまだよ」
「……そんな曖昧な言葉じゃ分からない」
わざと曖昧にしているんだよ。
「神坂水名子の活動休止の本当の理由は、怖くなったから。だよ」
「僕を納得させるにはそんな言葉じゃ足りない」
納得させるつもりなんて端からないよ。
「怖くなったから。ただそれだけ。もう諦めて」
「何に対してだよ! もっと詳しく教え……」
「ぜんぶだよッ‼」
鍵が壊れる音がした。
「観客の目、私を知らない人の目、そういった世間の目が全部全部気になって怖くなったんだよ‼」
「きっかけは『冷暖歌姫』からだった。昔から私は笑顔が上手に作れなかった。医者からは表情筋が固いのかもしれないなんて戯言を言われた。でも、歌っているときだけは自然と笑顔の表情になれた。ありのままの自分を見せることができた」
「だから、そんな呼び名も最初は、気にも留めていなかった。それで知名度が上がって私の曲を聴いてくれる人が増えるならいいとまで思っていた」
「でもある日、普段使わないインターネットを見る機会がたまたまあった。そのとき、私は世間からどういう目で見られていたのかをきめ細かな情報を細部まで、初めて知った」
『今日の収録、なんでサビ前の音程外したんだ』
『ごめんなさい。どうしても気になることがあって』
『言い訳は不要だ』
『でも……』
『歌えないなら立つな。裏切ることになるぞ』
「正直、怖いと思ったよ。私の想像していた範疇を超えていた。そして――」
「異質していた」
『ねえ、相談があるんだけど……』
『なんだい、美成子。もしかして仕事、増やしてほしいのかな?』
『いや、その逆で……』
『何か言ったか?』
『……なにも』
『母さん。美成子が仕事増やしてほしいって』
『あら、親孝行者ねえ。どんどん私たちを幸せにしてね?』
『……ねえ。二人にとって、私って何?』
『そんなの決まってるでしょ』
『『お前は、俺・私たちの道具だよ』』
「でもそれでも、君なら。神坂水名子なら……」
「私は、私を支えてくれるファンのために、歌わなければならないと思った」
「そうだよ。それが、いつでも前を向いて歩くあの神坂水名子、だろ?」
「でも。私はあの事件で唯一の支えであるファンへの信用も見失ってしまった」
「そんなこと……」
「違うね。私はどうせ、もうダメになるはずだったんだ。それが早まっただけ」
「私のことを、誰が、どこで、どんな目で、見ているのか。気になって気になって仕方なくなって、自分はもうダメになってしまったと自覚した」
「だって唯一……笑顔を見せることができたあのステージでさえ、笑えなくなっていたんだから」
『綺麗で繊細な歌声だなぁ……』
『ありがとう。で、おじさんは何者?』
『どいつもこいつもおじさん呼ばわりしやがって……。って俺はもうおじさんか』
『なんでもいいよ。それでおじさん、チップは?』
『チップ? 嬢ちゃん、ガキのくせに金欲しがるのかい。悪いけど、チップはあげられねぇな』
『どうして? 歌、良かったんでしょ?』
『ああ、良かったよ。素晴らしかった。けど、君のファンにはなれない』
『理由、聞いてもいい?』
『簡単なことさ――』
『君は綺麗すぎる。きっと……野垂れ死ぬ』
今ならおじさんの言葉、理解できる気がするよ。
「これが活動休止の本当の理由だよ。私は君が思っているより遥かに――」
「弱く、脆い人間だよ」
※ ※ ※
おそらく一番の本意であろう言葉を言い放ち、遠ざけた。
迎合することもなく、自分の非をただただ認めた。
彼女は僕の理想を否定し、乖離したのだ。
だからこそ、僕は。
「…………でも笑えていたじゃないか。僕の前では」
「それは君が特別だからで。他の人には……」
「特別ってなんだよ。僕が好きってことか?」
「いや、そ……」
「違うよな⁉ 僕のことを好きなわけがないよな⁉」
「私、まだなんにも言ってないんだけど」
「それが――君の悩み。なんだろ?」
「……えっ?」
「君が否定し続けるなら僕も否定は辞めない。だから――」
「その悩み、僕が全部解決してやる」
「……私、一応人質として君の恋愛相談にのっているんだけど」
「もちろんそれも並行して。あ、深沢の相談もな」
「後輩ちゃんに本当のことを隠したままなのに、私の悩みは解決するの?」
「その話は痛いなぁ……。帰ったらそっちも改善策を練るよ。あいつにもそろそろバレそうだしな」
「後輩ちゃんはともかく、私は君に守られる価値はないよ」
「守ってなんかいねえよ。僕はただ自分がしたいようにしてるだけだ」
「私、君が思っているほどの理想の人間じゃない」
「そんなのコンドーム買ったときから知ってる。どうせ、僕がストーキングでもすると思って騙すために買ったんだろ? 用心深い奴め」
「私、親からはただの道具としてしか見られてない」
「じゃあ美成子の親は人生10割損してんな。こんなにも最高な娘を持ってるのに」
「マネージャーだって、私のことをなにもかも知っているような振る舞いして上から目線でものを言ってくる」
「美成子に似て、プライドが高いんだろうな」
「私、おっさんに野垂れ死ぬって言われた」
「ろくでもねえ奴に耳なんて貸すな。どうせただのかまってちゃんか宗教団体だろうよ」
「私、意地っ張りで強情で頑固」
「そんなことは知っている」
「そこは否定しないんだ」
「否定するもんか。僕はしっかりと覚えているんだ。美成子はあのとき言った宣言、見事に有言実行してくれたよな。だから今度は、僕が夢を叶える番だ」
「私はもう、君の前以外では歌えないんだ。だからもう、押しつけないでくれ……」
「押しつけなんてしないさ」
「え……」
もう苦しまなくていい。
「何度でも言ってやる」
もう一人で抱え込まなくていい。
「君が僕以外の前でも歌えるようになるまで。原因がわからなくたって、うまくいかないときがあったって、君がその悩みを克服するまで僕は君のそばにいるよ」
その悩みは僕も一緒に持つから。
「なんたって、僕は――」
「君のファン一号なんだからさ」
だから、君は光でいてくれ。
「あ、あっ……ぅ」
そのとき、彼女の瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
『おいおい、男の子が女の子の前で泣くんじゃないよ』
『俺は泣いてなんか……え?』
自分の瞳から雫が零れ落ちているのにまったく気づかなかった。
そしてシャットダウンしたはずの自分が、何事もなかったかのように再起動していることにも今の今まで気づかなかった。
『いや、これはちが……』
『はいはい。よだれね。そういうことにしといてあげるから』
『目から出るよだれってなんだよ』
『で、君チップは?』
『チップ?』
『お金だよ。そんな泣くくらい感動したんならチップの一つや二つ貰えてもいいでしょ?』
『悪い。今、財布を持ってないんだ』
『なんだ。ただの文無しか。歌って損した』
『ははは、悪い。君、名前は――』
『水名子。日本のトップシンガーになる神坂水名子』
『……随分と大きく出たな』
『大きいほうがやりがいがあるってもんでしょ?』
『その発言、なんだかエッチだな』
『もしかして、君ってエッチな人?』
『そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。でも一つだけ、確かなことがある』
『それは、君のファン一号がもう生まれたってことだ』
『?』
『俺はいまから君のファンだ。その夢が何年、何十年かかろうと、俺は君のことをいつまでも応援し続けるよ』
『……! 期待してて。私は必ず――』
『夢を叶えてみせるから』
そして、君は僕のあこがれだ。
エピローグ
「うっ……ぁ……ぅ……」
彼女は声を殺すように静かに涙を流す。
涙がポロポロと瞳から零れていき、それをどうにかして誤魔化そうと必死になって腕で隠す。
この状況を収めるすべも、ハンカチも持っていない僕は、その場で彼女を包むように優しく抱擁した。
「私、抱き、しめていい……だ、なんて言ってない……」
「人目につくだろ。それに……雪も降ってる」
「雪? 今は四月……って、本当だ」
上を見上げると、僕らを覆い隠すようにしんしんと空から静かに雪が降っている。
「これでさっきのなんでもしていいってやつ終わりだから」
「おい、まじかよ……。でも、後悔はしてないかな」
「そういう口説き文句はもう聞き飽きた」
「そうかい」
すっかり暗くなってしまった歩道橋の上、季節外れの辺鄙な気候。
雪はまるで宝石のかけらが一つ一つ落ちてくるようで――。
「あのときと同じだね」
「それ、いま僕が言おうとしたのに」
あの日の出逢いを思い出させるようだった。
「夢、みたいだな……」
気がつくと、夢想にふける思いで感傷に浸っていた。
もしかしたら、雪に縁があるのかもな。
「……ねえ」
「ん?」
「ありがとう」
「まだ早いだろ」
「んーん。そっちのありがとうじゃなくて一年前」
「?」
「私、不安だったんだ。ちゃんと歌えているのかって。未来の灯が見えなくてもデビューできるのかって。本当に夢を叶えられるのかって。そんなとき、初めて人から応援してもらえた。君が背中を押してくれた。だからそのときの、ありがとう」
「素直に感謝されると調子狂うな……」
変な感じだ。
感謝しているのはこっちの方だというのに。
「でも、今日の分のありがとうは言わない。だから――」
「いつか、言わせてみせて」
彼女の目は夢を見据えるような、まっすぐな目でそう言った。
「……ああ。もちろん」
そして、彼女の顔を見ながら再度、誓う。
神坂美成子。僕は一生、君のファンであり続ける。
悩みなんてすぐに解決してみせる。
そして、いつか必ず――。
僕を救ってくれた君の歌で、君と最高の作品を作り上げて見せる。
それが、僕の夢なのだから。
* * *
「タイトルはどうするの?」
「タイトルなぁ。まだ迷ってるんだよなぁ……」
「じゃあ、私が決めるね。タイトルは――」
「修羅場好きな夢見がち不屈者」
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
まるで素人の文で読みにくかったことでしょう。
しかし、僕にとっては読んでくれるだけで励みになりました。感謝です。




