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クライマックスの前の部分のお話です
翔と紗枝里のお話です
改稿してから著しく下ネタが増えてきている気がしました。
全力の力で屋上のドアを閉め、ドアにもたれかかる形でその場に座り込む。
「ったく……言いにくいこと言わせやがって」
改めて深沢の五七五を思い返してみる。
「『人類を 理解し得る 人間に』か……」
深沢の夢は分からない。
だけど、それが深沢にとって難しく、実現困難な夢だということはなんとなくわかった。
それを踏まえたうえで舞い上がった僕は自分と結びつけて、無責任に約束してしまったのだ。
「一緒に夢を追い続けよう」と……。
間違ったことは言っていないと思っていた。
今まで、言えばよかったと後悔するくらいならば、思ったことはすべて言ってしまおうという精神で過ごしてきた。
だが今回はそれが逆手に出てしまい、その意図はなかったにしろ、深沢に夢をあきらめることを許さないと捉えてしまう発言をしてしまったのだ。
僕も覚悟を決めなければならない。
言ってしまった以上、悔やんでも仕方がない。
僕も夢を追うんだ。
そう、僕の夢である……。
ピロン
ケータイから通知音が鳴る。
「ったく。間が悪いな……」
画面を開くと、メッセージが一件。
ドア一つ挟んだ向こう側にいるはずの神坂美成子からだった。
『放課後、話があるから付き合って』
放課後?
「おい、今じゃダメなのか?」
屋上のドアを開け、美成子に放課後の意味を問う。
が、
「あれ」
すでに屋上には、美成子の姿は見えなかった。
※ ※ ※
「なんで今じゃダメなんだか」
昼休みも残り数分にまで差し掛かっていたため階段を下がり、教室へと足を運ぶ。
だけど……。
「あいつから呼び出しなんてめずらしいよな……」
今まで一度も美成子から話があると言われたことはなかった。
それにタイミングがタイミングで、僕と深沢が覚悟を決め、宣言した後なのだ。
だからより一層、なにか疑念のような不信感をつい、抱いてしまいかねなかった。
「何、話すんだろうな……」
自分が覚悟を決め、宣言したからにはおそらく、聞かなければならないだろう。
いや、おそらくではなく、聞かなければならない。
たとえ怖くても、耳が痛くても。それが――。
後ろを向きたくなるような暗い話でも。
決して、道理というものを忘れてはいけない。
「しばらくお店来れないの⁉」
すると、廊下から誰かを問い詰めるような、大きな声がフロア中に響くように聞こえ、思わず足を止める。
足を止めた理由としては、聞こえてきた女性の声が好きな声優さんの声に似ていたとか、昨日観たエッチなビデオのお姉さんの声に似ていたとかそういう欲とか不純な理由ではなく。
僕の耳に入ってきた妙に甲高い声は、どうしようもなく聞き覚えのあるなじみの声だったのだ。
「じゃあお兄さんのこと、それにかけ君の報告は……」
「僕がどうかしたか、紗枝ねえ」
「ギクッ⁉ …………か、かけ君どうしたのかな? もう授業始まっちゃうよ?」
後ろから突然声を掛けられた女性、九条紗枝里はおそるおそるとこちらを振り返る。
「僕は特例生だから遅刻しても問題ない。それより紗枝ねえだよ。なんでこんなとこにいるんだ?」
「特例生ってなに……? わ、私はあれだよ、あれ……OB‼ そう、ここのOBだからちょっと生徒の様子を拝見しようと思ってさ……」
「ふーん、そう。で、そっちのお子さんはどなた?」
先ほどから紗枝里のお腹あたりに両手でしがみつき、顔だけ出してこちらをずっと睨んでいる女の子に焦点をずらす。
「お子さんじゃない。雪」
小さく小声でそうつぶやく。
「紗枝ねえ、この子は? 妹? 隠し子?」
「えーと。こ、この子は親戚の子で……。この子のお兄さんのことで相談を受けていたの。それで話しているうちにお姉さんと仲良くなったって感じ? かな……」
「へー、そう。ま、なんでもいいけど」
見たところ、不格好ながらも制服を着ている。
背丈的にも一年生だろう。
紗枝里が相談を受けていたというより、逆に相談に乗ってもらっていたようにも見えたが。
「そんじゃ。僕、もう行くから」
だが、そんなことを確かめる余裕も欲求も、今は全く湧かず。
とにかく、今は彼女のことで頭がいっぱいだった。
だから――。
「かけ君……。なにかあったの?」
姉からの、鋭い問いかけが来る前にこの場を去りたかった。
※ ※ ※
『俺、ちょっと外出てくるわ』
『かけ君、いきなりどうしたの? まだバイト中でしょ?』
『悪い。それどころじゃなくなった』
『さっきの人たちが何かしたの?』
『どう見ても、非力な女子高生が屈強な男たちに連行されてるだろ』
『そういうシチュエーションの練習をしてる人たちじゃないの?』
『どんなシチュエーションだよ、それエロ同人誌限定だろ。それに――』
『それに?』
『コンドームを買っていった。見過ごすわけにはいかない』
『……? コンドームってなn……ってもう居ないし、大丈夫かな』
『かけ君、なにかあったのかな……』
「かけ君、ぼーっとしてどうしたの? 熱中症? やっぱりなにかあった?」
「……熱中症でもないし、別になんもねーよ。紗枝ねえ、いい加減心配性にも程があるってもんだぞ」
「ギクッ⁉ 確かにそれはあるかもだけど……」
「かもじゃなくてそんなことあるんだよ。それよりも、紗枝ねえは冷蔵庫に入ったコーラの心配をした方がいいぞ」
「あー‼ あれやっぱりかけ君だったんだね⁉ せっかくギンギンにして楽しみにしてたのに……」
「逆に紗枝ねえが飲んでないなら僕以外に誰が飲んでるんだよ。それと、ギンギンの使い方まちがってますよ、お姉さん」
そこはキンキンでいいだろ。
「とにかく、心配しなくていいよ。自分の事だから」
「余計に心配するよ。私、保護者だもん」
「保護者なら息子の成長をあたたかく見守っていてくれよ」
「見守るんじゃない。私、かけ君を支えてあげたいんだよ。少しでも力になれることならなんだってする。だから、悩みがあるなら言ってみて?」
「悩みなんてないよ。大体、他人を頼りすぎるなって言ったのは紗枝ねえだろ?」
「うっ……。でも、そうは言っても――」
「かけ君が一人で抱え込んで苦しんでいるのに、それに気づかずに何の支えにもなれない無力な私はもう、嫌なんだよ」
「待っているだけじゃ嫌なんだよ。だから……」
卑屈そうに。
苦しそうに。
そう、口にした。
まさか、紗枝里のやつ、あの時のことをまだ……。
『どうしてもあの後、何があったか話してくれない?』
『何もない。あったとしても紗枝ねえには関係のないことだ』
『でも、あの件は私が協力したのもあるから私にも責任が……』
『俺だけの責任だ。俺がしたかったからした。それだけだ』
『でも私はあなたのことを思って……』
『思わなくていい。俺のことは俺のことだ』
『私はあなたの家族だから。母でもあり、姉でもある。だから……』
『悪い。他人のことには、もう首を突っ込まないでくれ』
そう言って突き放したあの後。
頼らなかった僕は、結果、心に深い傷を負った。
きっと、その時の罪悪感を紗枝里は未だに感じていたのだ。
初めて、紗枝里の過度な心配性の理由がわかった気がした。
初めて、悩んでいたことを知った。
「大丈夫。もう一人で抱え込んだりしない」
だから、受け入れることに決めた。
「かけ……君?」
「一人で全部しょい込んだら、そりゃちぎれちまうよな。一年前の僕はバカだ。大バカだ」
そう、誰かに頼ることをしなかった大バカ野郎。
「だから、今度は……一緒に抱えてもらう」
「それってどういう……」
「辛いこと、苦しいこと、悲しいこと。それだけじゃなくてもちろん、楽しいことも。そういうことまとめて紗枝ねえと暮らしている間は『共有』してもらうんだよ」
「きょう、ゆう?」
「そう。でも全部『共有』するだなんてきれいごとに過ぎない、無理な話だ。隠し事や言えないことだって生きてれば一つや二つあると思うから」
『変化を自覚してしまうと、寂しく感じちまうんだよ……』
中陳。あの言葉、今なら痛いほどわかるぜ。
「でもさ、そういうのが普通の家族だと思うんだ」
「……‼」
「全部は『共有』しなくていい。言いたくないことは言わなくてもいい。もちろん一人で無理な時は支え合おう。けど、支え合うこと全てを肯定することはしない」
だって、一人の力で成長していくことは決して悪いことではないのだから。
「だから僕たちはそういう、たまーに支え合う普通の家族になろう」
「……よくそんな臭い台詞言えるね」
「そんなの百も承知だから言わなくていいわ。あー恥ずかし」
「まったく。誰に似たんだかね」
「そりゃ紗枝ねえのせいだろ」
「私じゃないよ。私は……捻くれていたから」
「そうかい」
「でも、ありがとう。私も少しずつ変われるように努力してみるよ」
「ああ。だから……何も聞かずに彼女の覚悟を見届けさせてくれ」
「早速、なんだね」
いきなり話題を振ったにも関わらず、紗枝里は冷静だった。
「うん。それに……」
あの言葉を言うまでは。
「もう、逃げることは許されない」
「……⁉ 君もその、台詞を言うんだね……」
紗枝里は突如として動揺して見せた。
加えて発した言葉は、どこか悲痛的に感じた。
「紗枝ねえ、一体どういう……」
「あー。なんでもない、なんでもない。早く行って」
意味を聞こうとするも、紗枝里は無関係だと突き放し、手で制されてしまう。
「いや、なんだよ。気になるだろ。教えてくれよ」
「ダル絡みしないで。私、そーいうの昔からほんと無理。ほら、授業始まるよ? 教室戻りな」
「ああ。そういえばそうだったな」
右手の腕時計を見ると、授業が始まって五分が経過したところだった。
「じゃあ……紗枝ねえ、また」
名残惜しくはあるが、いま追及したところで教えてくれそうにないのは明確なので黙って教室に急ぐことにした。
「うん。いってらっしゃい」
紗枝里は笑顔を見せ、見送りをした。
その笑顔の表情からはどことなく、安堵している様子がうかがえた。
後方へと振り向き、廊下をジョギング程度に小走りし、紗枝里の元を後にする。
ふと気になり、後ろへ首だけ振り返る。
その光景からは、なにか突っかかるような違和感を覚えた。
先ほどとは見え方が変わったのか。
はたまた、同じ表情のままだったのか。
どちらも定かではないが、確かに言えることは――。
僕を見送った彼女の笑顔は度し難いほどに切なく見えた。
※ ※ ※
走り方が明らかに運動できない走り方をしている背中を見送った後。
「私もまだまだ、だね……」
私は自分の未熟さを嘆いた。
動揺してつい、口にしてしまった。
あの人と同じことを言うなんてズルだ。
『ねえ、おじさん。いつものお姉さんは?』
『俺はおじさんじゃねえって言ってんだろ。お姉さんは……』
『おじさん、喧嘩したんだ』
『ギクッ⁉ 勘のいい奴め……』
『やっぱり。じゃあこれでやっと私と結婚できるね』
『中二の女子中学生に付き合ってられるか。店に来たんなら飴でも買ってお家に帰んな』
『私、本気だよ。本気のプロポーズだよ?』
『そうかい。じゃあ丁重にお断りさせていただきますよ。お嬢様』
『……また来るから』
「……紗枝里、大丈夫?」
雪は心配そうにこちらを見つめていた。
「うん。大丈夫。少し昔のことを思い出しただけ。心配してくれてありがとね」
「辛いときは言ってね。あいつ絞め殺すから」
「それはやりすぎだよ」
そうかなぁと不満げにもらす。
「雪ちゃんも教室戻りな」
「はぁーい」
「ごめんね、いきなり学校来ちゃって。授業がんばってね。あ、それと……」
「なに?」
「お兄ちゃんとうまくやりなよ? この時期の女の子って引っ込み思案になりやすいから仕方がないと思うけど」
「っ……。うん。ありがとう、頑張ってみるね」
雪は両腕を頭の上にあげ、大きく腕いっぱいに手を振った後、教室へ戻っていく。
あんな積極的なのに、私以外には臆病なのが不思議に思えてならない。
「というか、兄とうまく話せなくなったのは苗字のコンプレックスが原因で喧嘩したんだっけか」
それならアドバイス不要にも思えるけど。
「まあ、いっか。さ、私も帰りますかね」
両腕を上げ、背伸びをし、背筋を伸ばすように身体を伸ばす。
『辛いときは言ってね。あいつ絞め殺すから』
雪の冗談が頭の中で繰り返される。
「一体なにで絞めるつもりだったんだろう」
……って何考えているんだか。
そんな、たわいもないことを考える私に嫌気がさした。
でも……。
『おじさん、結婚して』
『お前なぁ……。高校生になってバイトとして一緒に働いてもそこだけは依然と変わんないんだな』
『どうせまた姉さんと喧嘩したんでしょ? じゃあ……』
『そうだけど、今回はちと違うんだ』
『?』
『その……』
『その?』
『まあ、怒られちゃってさ』
『それはいつものことでしょ』
『はは、そのとおりだな。でも今回違うことが一つある』
『打開策を持ってるとか?』
『この喧嘩が仲直りするとき、もういたいけな少女の告白を聞くこともなくなるとか』
『…………いたいけな少女っていうのは誰のことだろうね』
『私、まだ遊びたいのに―なんて言われちゃってさ。もういい大人なんだから我慢しろってんだよな』
『分からない』
『もう、逃げることは許されない』
『意味が……意味が分からな』
『俺、父親になったんだ』
『…………』
『だから、悪いけど嬢ちゃん……』
『ねえ、翔悟さん。私いま、どんな顔してる?』
『……綺麗な、顔だよ』
「ほんの少しだけ、バチが当たりますように」
翔悟さん。
あなたの息子はあなたに似て、強情で傲慢で自分勝手であなたと同じ台詞を吐くくらいデリカシーゼロの鈍感野郎ですよ。
でも、どこまでも芯が強く、一度決めたことは曲げない頑固者です。
だから、責任感を感じて、一人で抱え込んでしまう。
全てにおいて、あなたの面影がちらつきます。
ムカつきます。
腹が立ちます。
だから、見届けてやってください。
彼の決意を。