第一話 鹿島一也
そこには有史以前から天に向かってそそり立つ「塔」があった。日本海沖にある小さな島。その中央に存在する光を映さぬ闇色の塔はどこまでも高く天に続いていて、それを見た人々は「塔は神々のおわするところまで続いている」とか、「旧人類の遺産である」といったことを口々に言っていた。
実際、塔内部には世にも珍しい「遺物」や、外では見ることのできない怪物が跋扈している。そして塔の中には上へ上へと続く階段があり、昇るほどに価値のある「遺物」を手に入れることができる。
「塔」は時が流れ、科学が発達し人命が大切にと謳われるようになっても変わらず存在している。「塔」は未だにその頂上に何があるかを教えず、そこへ挑む命知らずの挑戦者たちは後を絶たない。彼らは己の経験とえりすぐられた武器、そして「魔法」を用いて塔を昇り続けるのだ。
数多の命を犠牲にして。
西暦2072年10月。「塔」の近くにある国立塔魔法学校の教室で二人の生徒が言い合っていた。
「この腰抜け!塔に入ったこともない臆病者が!」
「なんだと!」
「ちょっと、かずちゃん落ち着いて…」
かずちゃん-鹿島一也は、自身を馬鹿にする生徒に向かって精一杯にらみつけている。だがその視線を受ける生徒は顔に浮かべた侮蔑の表情を収めることはない。むしろ背後にいる取り巻きと一緒により一層ニヤニヤとした、いやらしい笑みを浮かべている。
「なぁ、俺はなぁんも間違ったことは言ってないと思うけどなぁ?」
「そうそう。鹿島が弱いのは皆知ってんだよ」
「だからいつまでたっても【三級魔法士】なんだよ」
「てめぇ…」
一也は言い返そうとしたが、何も言えない。一也の胸にある斜めに一本だけ黒のラインが入った紋章は、魔法使いとして見習いを示す【三級魔法士】のものだ。対して彼を嘲る生徒たちの紋章はラインが二本。特に中央の男のラインはラインの色は黒ではなく、黄色。これは彼が【二級魔法士】であり、「基礎3種」の上に「雷」の属性魔法が使えることを意味している。
この喧嘩はクラスメイトの一人、武者小路剣が高校2年生でありながらまだ【三級魔法士】に留まっている一也を突然馬鹿にしてきたことで始まった。
国立塔魔法学校は塔への挑戦者の育成のために作られた学校だ。彼らは小学生の頃から【三級魔法士】として魔法を学び始め、高校生に上がってから徐々に半人前と言われる【二級魔法士】に位階を上げる。
現在高校2年生の彼らはその6割ほどが【二級魔法士】に位階を上げているが、一也は一向に位階を上げることができていなかった。
だがそれは魔法使いとしては珍しいことではない。現代式の魔法は「編纂機」と呼ばれる機械を用いて行使するが、誰にでもできるというわけではない。
自分の内包する霊力を掴む能力。大気に存在する霊力を自分のもとに引き寄せる力。魔法についての知識。編纂機を操作して魔法陣を構築する技術。素早く魔法を発動させる技、適切なタイミングで適切な魔法を行使する判断力、属性があるという才能…必要なものを数え始めればきりがない。
「『防壁』しか使えない愚図の鹿島がよぉ!」
そう、珍しくないとはいえ、一也のできの悪さは群を抜いていた。戦闘で使われる魔法はまず霊力そのものを操作する「基礎3種」とそこから発展して自身のもつ属性の魔法である「属性魔法」に分けられるが、一也はその「基礎3種」の中でも初めに習う『防壁』以外の魔法が使えなかった。彼は編纂機の補助を使っても『防壁』の次の段階である『射撃』すら使うことができない。まず才能がないと言ってよかった。
「ったくさぁお前が親無しだからそんな…」
「大田!」
武者小路の取り巻きの一人大田騎士の言葉を遮ったのは今まで静観を貫いてきた学級委員長の廣崎萌だ。紋章は赤の二本線。
「あんた今なんて言おうとしたの?」
「あ…え、と」
憤然とした面持ちで歩み寄ってきた萌を前に、大田はおろおろと視線を彷徨わせる。萌がさらに言葉を重ねようとした時、一也をずっと止めようとしていた女生徒が口を開いた。
「萌ちゃん。いいから」
「月子…。でもそれは」
「本当のことだから」
丁寧に、しかし芯の通った口調で話すのは鹿島月子、小さい頃から一也と一緒に育ってきた彼の幼馴染だ。
「う、ん。分かった。…でも大田の言ったことは許せない。武者小路も涌井もどうしたの?昨日塔に行くって言ってたけど何かあった?」
「…別に。何もなかったよ」
武者小路はばつが悪そうな顔で萌から目を背ける。萌と月子のおかげで多少冷静になったらしい。
「俺はまだあんだよ!」
しかし落ち着いた武者小路とは対照的に一也の怒りは収まることはなかった。武者小路の言動も、大田の言おうとしたことも彼にとっては許しがたいことだった。
「武者小路!てめぇは俺が臆病者の腰抜けだって言ったな。ならそうじゃないって証明してやる」
「は?お前何言ってんの?」
「かずちゃん?」
「俺は明日塔に行く」
その一言に場が騒然となった。
「ちょ!あんた本気?学級委員長として許可できないわよ!?」
「うるせぇ!高校生以上は塔への挑戦を認めるってしっかり生徒手帳にも書いてあんだろうがよ!誰がいつ挑もうが勝手だ!」
「かずちゃん!さすがにそれは無茶」
「月子は悔しくないのかよ!」
それは一也が罵倒されたことではないもう一つのことだろう。月子は一也に押されて押し黙った。それと同時に教室に沈黙が満ちる。
「とにかく、俺は塔に行く」
その言葉の直後、教室に担任教師が入ってきたため、場はお開きとなった。生徒たちは皆粛々と席につく。
20名弱の教室はその人数のわりには妙に広い。
「…。よし、全員出席だな」
担任がそう言い、こまごまとした連絡があった後、ホームルームは終了する。その間に教室の中に一つだけある空席のままの机に言及する生徒は誰もいなかった。
*
その日の放課後、一也は高等部の教室を奔走することになった。
一也は朝の宣言通り明日の放課後に塔に行くつもりだった。だが一日たって多少頭も冷えたのだろう。一人で挑むのは無謀であることに気づいたらしい。「塔」は全10層構造で、その最下層である1層に挑戦する推奨人数は4人から6人である。
月子はついて行くと言ってくれたが、それでもまだ足りない。そういうことで一也は手当たり次第に生徒に頼んだのだがうなずいてくれる生徒はいなかった。
国立塔魔法学校は一学年9クラスで、どの学級にも大体20人から30人の生徒がいる。一也はその目に写った全員に頼んで、全員から断られた。だがそれもしょうがないことだ。「塔」は危険なことが多いと初等部の頃から言い聞かせられ続けている上に、ずっと同じ人の輪の中で生活している。彼らは皆、一也がどれほどの実力を持っているか知っているのだ。
危険な塔に行くというのに、リーダーは足手まといの一也。断るのも仕方のないことだ。
「かずちゃん。塔に行くの止めようよ。危ないって」
気落ちした様子の一也に月子は優しく声をかける。月子は一也が幼い頃からずっと近くで見てきた。月子は一也のそういう真っ直ぐなところを好ましく思いながらも、同時に不安に思ってきた。最近は一向に伸びない魔法の実力に悩んでいるようだし、茶色に染めた髪を空に向けてたてたような髪形も、彼の不満を表しているように見える。
「危ないのは分かってる。だけど⋯⋯」
何が彼をそうさせるのか、一也の意思は固い。月子は廊下を歩きながら一也の説得を続ける。気づけば空は燃えるような赤色になり、運動場には魔法の練習をする生徒たちの姿を見ることができた。
深刻な顔で話していたせいか、気づけば二人は新校舎から旧校舎の方まで来ていた。国立塔魔法学校は、西暦2000年にある天才夫婦が開発した「編纂機」が世に出回ると同時に建てられた。そして時代を追うごとに塔攻略の兆しは高まり、この学校に入学する者も増えて一度校舎を建て増ししたらしい。
月子や一也が普段授業を受けているのは木で作られた温かみのある新校舎。そして今二人がいるのはコンクリート打ちっぱなしで冷たい感じのする旧校舎だ。今はあまり使われていない校舎で、そのうえ新校舎が建てられる前にも何度も増改築を行ったせいでちょっとした迷路のようになっている。
「なぁ、月子」
「何?かずちゃん」
「ここ、どこだ?」
二人の足がピタリと止まった。そう旧校舎はちょっとした迷路になっている上に普段はほとんど使わない。二人は辺りを見渡した。窓から見える光景で大まかな場所は分かるのだが、話をしながら来たせいで帰り道が分からない。秋の空は暮れるのも早く、それが二人の心を焦られる。
「かずちゃん…」
「いや、待て落ち着け。俺たちは真っ直ぐここまで来たはずだ。なら反対方向に行けば帰れるはずだ」
冷や汗まじりの一也が言う。二人は来た道を戻って行ったが、謎の三叉路と遭遇し思わず膝をつきそうになった。
「どうして校舎に三叉路が」
「知るか!急ぐぞ!」
ここは3階だ。最悪月子は『強化』の魔法を使って窓から飛び降りればどうにかなる高さだが、その『強化』が使えない一也にはそれはできない。月子に置いて行かれて孤独に体育座りする絵が想像して、一也はより一層冷や汗を流す。
とりあえず三叉路を右に曲がり、その先を行く。だがいくら道を進んでも知っている道に行くことができない。二人は完全に迷子になっていた。
「嘘だろ。俺は塔に挑む前にこの旧校舎に負けるのか?」
「かずちゃん…」
月子の呆れ声。一也がアホなことを言いながら進んでいると、目の前に明かりのついた教室が目に入った。周囲はもう暗くなっているからその明かりはよく目立つ。扉の上部には「2年11組」という文字が刻んであった。
その文字に二人は首を傾げる。
「11組?この学校って9組までだよね?」
「ああ。でも明かりがついてるってことは人がいるってことだよな」
いささか不自然ではあるが、人がいるなら道を聞けるはず。ごくりと唾を飲み、一也は扉に手をかけ、そして。
「し、失礼しま~す」
一也は変な愛想笑いを作ってその扉を開けた。




