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騎士は静寂に暁染めゆく 1

 空を見上げる濃紺の瞳に疲労の色を滲ませ、少し長めの……艶やかな黒髪をそよ風に流して青年は呟く。

「平穏……と言えば、そうなのだろうな」

 頭上にある太陽は大陸を囲むようにしていきり立つ山間へと引きずりこまれ、たくさんの人々で賑わう王都を扇情的に染め上げていた。

 時刻は夕暮れ。

 昼間とは違った賑わいを見せる大通りを歩きながら、春を迎えつつあるというのにいまだ冷たい風に白い吐息を吐き出す。

 白い王城と、空高く伸びる白い尖塔を抱くこの王国はクロスウィザーズヘイム……通称クロスと呼ばれている、世界で唯一つの魔法士たちが作り上げた王国であり、その中心部である王都はいつもと大差ない一日を終えようとしていた。

「こんな日は、やはり平穏だったと言っても良いのだろうが……」

 クロスは、大陸間を移動する唯一の手段である飛行船の停泊所が備えられている数少ない国の一つであるために、人の流れが多い。

 そうなれば当然、大小なりの揉め事の類も多くなるのだが、今日この時まではいたって平穏な時間が続いていた。

 それは彼自身が言うように、喜ばしい一日であるはずだ。

 それなのに表情は複雑そうで、彼は大きなため息をつくと、煉瓦で舗装された歩道の上に僅かに積もる砂礫をブーツの厚い底で踏みつけて立ち止まった。

「まったく」

 色とりどりの明りを灯し始めた外灯に艶やかに飾られた街並みの中を、黒い制服を着込んだその青年……リーディア・カーザスは、呟く言葉に次第に怒気を滲ませ背後を振り返った。

「なーに、ピリピリしてんだよリーディア。

……って、いつものことか」

 目が合えば硬直してしまいそうな鋭さを持つ両眼を前にして、大胆にも声高になって笑う青年がそこにいる。

「ディル……」

「よぉ。

 やっと話を聞いてくれる気になったか?」

 足を止め、眦を吊り上げるリーディアの心境をあおるように、持ち上げた右手をひらひらと振ってみせるこの青年はディル・ギリア。

 黒を基調としたデザインのリーディアと対を成すように、白でまとめられた制服に支給品の朱色のケープを羽織っている。

 彼等は共にこのクロス王都の一般市街区と呼ばれる区画全ての治安を守っている王国騎士団に属し、赤、白、黒の三つある騎士団のうち白と黒を束ねる若き団長だ。

「さっきから、いくら呼んでも振り返ってくれないんだもんなー」

 何が面白いのかと、理解に苦しむリーディアの渋い表情をさらに笑い。

 まとまりのない金色のクセ毛が、絡まるようにして編まれているみつあみを指で遊びながら、ディルはここぞとばかりに開いていた距離を詰める。

「一体、何の用なんだ?」

 にたにた、と。

 男にしては無駄に綺麗に整っている顔を惜しげもなくゆがませて、ディルは観念するように肩の力を抜くリーディアの目の前に立つ。

「この道を通っているってことは、だ。

 巡回もそろそろ終わりってことだよな?」

 尋ねるというよりは確信めいた声で言うディルに、隠すことでもないのでリーディアは素直に頷いた。

「お前の方こそ、国外魔法士認定試験のほうはどうなったんだ?」

 魔法士国家という異名を持つほどに、この王国には魔法士と呼ばれる人間が多く集まる所だった。

 建国の祖が魔法士であるということもあってか、全ての魔法物発祥の地とされ、知識や技術の向上と管理の場となっている。

 王都内には魔法士を育てる学園グランドや、魔法に関してのさまざまな機関――カルヌーンと呼ばれている――があるほどだ。

「始まってから今日で三日目だぜ?

 最終試験もあらかた終わったし、後は数日後に最終結果を通達するだけ。と、いうわけで試験官としてのオレの仕事は終了!

 まあ、だからこうしてフラフラしていられるんだけどよ」

 王国騎士団に所属してはいるものの、ディルは特等魔法士という魔法士としては最上級の認定を受けている。

 魔法士国家と呼ばれるクロス内にも、特等の資格者の数は限りなく少ない。

 だからこそ、国外からの魔法士認定希望者を選定する試験官としての役が抜擢されたのだが。

「まったく。

 しかし――よりにもよって試験官としてお前を選ぶとはな。よほど、人手が無かったとみえる」

「何だよ、それ」

 冗談を言っているようには見えない、表情の薄いリーディアの精悍な顔を思いっきり睨んで、ディルはぽりぽりと後ろ頭をかいた。

「まあ、正直オレ自身それは思ったが」

「思うな」

「えへへ。まあ、一応は白騎士団長だし、こう見えても――特等魔法士だしな。肩書きの上では申し分ないだろ?」

 他人事のように肩をすくめておどけてみせるディルに嘆息して、リーディアは自然と重くなる口を無理やりこじ開けて言った。

「それは、そうだが……いや、話をもどすぞ。

 それで、俺に何の用なんだ? お前はどうだか知らないが、こちらはいろいろと忙しいんだ。

 仕方がないから用件ぐらいは聞いてやるが、くだらない用だったら即座に帰らせてもらうからな」

「へいへい」

 仕事納めなのは彼等だけではなく、疲れた体を癒すために夜の街へと繰り出してくる人々によって、通りはさらに窮屈になってゆく。

 パレードにも使われるのでそれなりに広く造られてはいるが、さすがにその許容量にも限界はある。

 肩をぶつけそうなほどに窮屈な通の真ん中に立って話しているわけにもゆかず、人の流れに促されるように隅に移動しながら、ディルは拳一つぶん高いリーディアを見上げてにやりと微笑む。

 見るものによれば、それは心動かされるような不敵な笑みだが、生憎とその真意を想像できるリーディアにとっては不吉なものこの上ない。

 いいようのない不安感に身構えながら、厳しい表情になってディルの言葉を待つ。

「巡回が終わる……ってことは、仕事も終いってわけだろ。

 どうだ? そこいらの店でオレと一杯やらねぇか?」

 ディルは親指と人差し指をくっつけ丸い輪を作ると、お猪口を煽るような仕草をしてみせる。

 端整というよりは綺麗と形容した方がいいような容姿には、到底似つかわしくない動作だ。

 一体何処でそんなことを覚えてくるのだろうかと呆れながら、リーディアはゆっくりと首を横に振った。

「付き合っていられないな」

「なんで?」

 断れるとは、はなから思ってなかったのか。

 どことなく不機嫌になって首をかしげるディルに、リーディアは言い切る。

「これから書類の整理をする予定だ。だから、お前と遊んでいる暇は無い。

 分かれ」

「これからって、もう日も沈むぜ?

勤務時間外の労働は、体にも心にも毒だとおもうけどなぁ」

 諦め悪くごねるディルに、リーディアは軽く目じりを吊り上げる。

「朝まで肝臓を痛めつけるような行為こそ、俺には毒だとおもうがな。

とにかく、付き合えんことはわかったな?」

 言い聞かせるのではなく、言葉を無理やり突きつけて。リーディアは不満げなディルの視線をかわして背を向ける。

「わかんねーよー!」

 コツコツと足音を立てて去り行く背中を追いかけながら、ディルは声を上げた。

 ねだるような甘ったるい声に、何事かと周囲の通行人の視線が彼等へと集まってゆく。

「いいじゃねぇかよ、ちょっとくらい!

 明日非番なんだろ、お前!

 なぁ、リーディア! リーディア様! リーディアちゃん! りっちゃんさん!」

「……!」

 しつこく食い下がる同僚にギリリと奥歯を噛み締めたリーディアは、大声で名前を連呼されることに耐え切れずに足を止める。

「きさっ……」

「なあ、いいだろ?」

 振り返るタイミングを見計らって懐に入り込んだディルは、いきなりの至近距離に慌てるリーディアを上目遣いに見上げる。

「オレさぁ、明日から仕事だし。暇なの今日しかねぇんだよぅ」

「やめないか!」

 本気で嫌がっているリーディアを面白がってか、調子に乗るディルは器用に細い体を摺り寄せてさらに詰め寄る。

 長いまつげに守られた緑色の瞳をうっすらと湿らせる細かい芸当は、女性相手なら必殺の効果を持つだろうが、生憎とリーディアはれっきとした男だ。

 不快なだけの、なにものでもない。

「気色の悪い!」

「むぐぉ!」

 鳥肌を浮かべながら、ディルの顔面を無造作にわしづかみにし引き剥がす。

「付き合ってくれたっていいじゃんか!

……というか、気色悪いってなんだよ。失礼な奴だなっ! こんな超絶美形を捕まえておいて!」

 リーディアのしっかりとした指先から顔面を引き離し、ディルは悔しげに地団太を踏んだ。

「なんと言われようと、付き合う気などない」

「くっ!」

 ゆく手をさえぎるディルを押しのけ、リーディアは再び夕暮れの街へと足を向けた。

「そ、そうだ。思い出したっ!」

 それに向ってぽん、と両手を打つディル。

「だから……お前は」

「思い出したんだっ!」

「……」

 リーディアは己の情の深さを僅かに怨みつつ、仁王立ちで様子を伺ってくるディルを振り返り、威嚇するような低い声で続きを促す。

「なんだ? 言ってみろ?」

 殺気さえ混じるその表情をまったく意に介せず、ディルは満面の笑みを浮かべてこう言い放った。

「今日、俺の誕生日なんだよ!」

「……はぁ」

 ため息――というよりは獣が唸るような息を喉の奥から搾り出し、リーディアは低音の声を夕暮れの街に響かせる。

「先週、同じようなことを聞いた覚えがあるが?」

「……う! そ、それは」

 的確で、なおかつ鋭い指摘にぎくりと器用に胸を押さえて後退するディル。

 とりあえず、言った自覚はあるらしい。

「おっかしいなぁ~? 妹の誕生日と間違えたかなぁ~?」

「貴様に妹がいたとは、初耳だな」

「うう、オレも初耳だ」

「で? ほかに何かあるか? 無いなら俺はもう行くが」

「くぅううううううううう」

 無表情に……ただひたすら無表情になって、リーディアは動揺を隠し切れずに目線を浮つかせているディルを見返す。

「待て。もうちょっと、待て。もうちょっと待ってくれれば、納得のいく口説き文句を思いつきそうな予感がする」

「誰が待つか、ばか者」

「おやおやおや! 誰が騒いでいるのかと思えば、なんだい」

 対峙する彼等に、人ごみの中からやけに陽気な声が掛かる。

 耳に馴染まないざらついた声に、リーディアは表情を僅かに厳しくして振り返った。

「誰だ?」

 ひょこひょこと片足を引き摺って歩く男が一人、親しげに手を振りながら近付いてくるのだ。

「久しぶりだねぇ、ギリアちゃん」

 王都の顔とも言える通りの、華やかに飾られた雰囲気とはいささか不釣合いであるくたびれた身なりの男の顔はリーディアには覚えがない。

 ならば、ディルの知り合いであるのだろう。

「知っているのか、ディル」

 一体どんな関係なのかと探るように視線を向けると、その顔は滑稽なほどに引きつっていた。

「やべぇ」

「?」

 おそらくは無意識にこぼれたのだろう声に、リーディアの眉がはねる。

「こんなところで会うとは奇遇だねぇ。

 どうしたんだい? ここ最近、姿を見てなかったんだが何かあったのかい?」

 不審げなリーディアの視線を和らげるように軽く頭を下げた男は、苦い表情を浮かべるディルの肩を親しげに叩いて言った。

「オレだって、しょっちゅう暇ってわけでもねぇよ。

 仕事で三日間篭っていたんだ」

 ごつごつとした無骨な手を乱暴に払って、そっけない口調で答える。知り合いに対する態度としては、あまり感心できない扱いだ。

「とにかく。

話ならまた後でじっくりゆっくり聞いてやるから――」

 疑わしげに細められる濃紺の瞳に冷や汗を流しつつ、ディルは男を人ごみの中へと押し戻すように突っぱねる。

「何だよ、つれないな。

 まあ、オレもこれからひと勝負しなきゃならんからな」

「……勝負?」

「なんでもない。なんでもないからな、リーディア。

 ほら、折角の男前なんだから眉間に皺なんか寄せるなよ。気になるなら耳を塞いでいたっていいから! いや、むしろそれを推奨したいんだが」

「何を言っているんだ、お前は?」

 何気ない一言を反芻し、疑いの篭ったまなざしのリーディアにびくりと肩を震わせながらも、ディルは平然とした様子を、あくまでも表面上はつくろって、早く消えろと男に手を振る。

 ……それに向って。

「ギリアちゃんが来るのも、首を長くして待っているよ。

 なんたって、オレらのいい金づるなんだからね!」

「う、うるせぇ! いいから、消えろ! 今すぐ消えろ!

余計なお世話だ! こんちくしょう、今度は勝ってやるからな、みてろよー!」

 げらげらと下賎な笑いで最後までからかってくる男へ、ディルは声と腕を張り上げる。

 背後で表情を凍てつかせてゆくリーディアの気配にも気づかずに。

「そうか。賭け事か」

「はうぅ!」

 ぞくりと。

 背筋に悪寒が走ったのは、錯覚ではないのだろう。

 目にしたモノのあまりにも恐ろしいさまに、表情だけでなく思考までもが停止する。

「賭け事か?」

 地を這うような低い声に、ディルはどうすることも出来ずに引きつった笑みだけを浮かべる。

 凍てついた、というのはまだ甘い表現だろう。

 見下ろされるその視線は、見るものすべてを貫くように鋭利であり、その証拠とも言うべくディルは腕に鳥肌が立つのを感じた。

「い、いやぁ……そのぉ……」

 言い訳などむなしい行為だと。

 そう思いながらも、もしかしたらというかすかな希望にすがりつつ言葉を捜すディル。

「いや、まぁその、なんだ」

 とはいえ、適切な言い訳を即興であつらえるほどの余裕もなく。かえって煮えきれないその態度が、リーディアの逆鱗に触れてしまったようだ。

「ディル・ギリア、貴様!

民を守る立場にいながら、賭け事に手を出すとはどういうことだぁ!」

 雷のような怒声が、夕暮れ時のまったりとした街の空を揺るがせる。

「いや、ほらつい」

「つい?」

「ついって、ほら、ついだよ……つい」

 出来心で……とは、言えまい。

 そんな良い訳にもならない言い訳を口から出したら最後、彼の持つ剣で舌を切られかねない。

 ……冗談ではなく。

 どう取り繕ったところで、結果は似たようなものだろう。

 仕方なく……観念するように両手を挙げたディルは、これ以上は下がらないとばかりにうなだれる。

「まあ、なんだ。

 たしかにやってるよ。嗜み態度にな」

「賭け事を嗜むこと事体が問題だと思うが?」

 リーディアの正当なツッコミをとりあえず無視して、ディルは続ける。

「最後にやったのは六日も前のことだ。まあ、つまりは給料日以来というわけなんだが。

 ここ最近は試験にかかりっきりだったから、賭け事には手ぇ出してないし……おまけに今のオレにはその資金すらねぇ」

 大きくため息をついて、視線を持ち上げる。

「何が言いたい?」

「六日前、でたての給料全部すっちまって無一文なんだよ、オレ」

「……だから?」

 真剣な顔つきでそんなことを言われても、リーディアとしてはそっけないあいづちしかうてない。

 ディルの財布がいくら軽くても、彼にはなんら痛いところではないからだ。

「いや、だからよ。

 つまりはその……夕飯おごってくれよ。な? いいだろ?」

 ぱんと顔の前で両手を合わせて上目遣いで様子を探ってくるディルに、長いため息をついたリーディアは重い疲労感からがっくりと肩を落とした。

「面倒なことを好まないお前が、何故急に試験官の任を受けたのか不思議に思っていたんだ」

 呟き、すっかり日が落ちてしまった藍色の空を見上げる。

 国外魔法士認定試験の試験官依頼の通知が来た時、ディルは当初辞退を申し出ていた。

 王国騎士団としての職務に専念しなければならないというのが表立っての理由であったが、連日にわたる採点作業が面倒だからというのが本来の理由だろう。

「……食事目当てに、依頼を受けたんだな?」

「まあ、そんな所。

三食ついて、なおかつ個人部屋まで用意されているんだから驚いたぜ。唯一不満なところって言えば、アルコールの類が出ないってことだなっ」

 にへらと笑って声高になって答えるその様は、なぜかは知らないが得意げだ。

 よほどいい待遇だったのだろうということは、その表情から察しはつくが、どうであれ、リーディアには関係のない世界の話のことだ。

「だいたいさ。

何か特典がなきゃ、くそ面倒そうな試験官なんて誰がやるかよ」

「得意げに言うことでもない。

お前がどう思っていようと、責任のある仕事だろうに……不謹慎な」

 この男に特等魔法士という肩書きを与えたのは何かの事故ではないかと思いたくなるほどの、無責任で不道徳な言い分に肩を落とす。

「……で。

 なんで、俺がおまえなんぞに夕食を奢らなくてはならないんだ? グランドで思う存分食べてきたんだろう」

 だんだんと口調が荒くなってゆくリーディアに軽く臆しながらも、負けてはならないとディルは一歩詰め寄る。

「もちろん。怨まれるぐらいには食いだめしてきたが……ほら、あそこらへんって学生の街だろ?

 学園の知り合いに奢ってもらおうにも酒場がまったくなくってさ。もう、辛抱ならねぇんだよ……」 

「いいじゃないか、健康的で」

「オレにとっては、不健康なことなの!」

「……」

 これ以上は付き合ってはいられないと、リーディアは今度こそという意気込みで背を向ける。

 それを、ディルはしつこく追いすがってゆく。

「待った、待った!

 いいか、俺ってば今文無しなわけだ! ここでお前に見放されちまったら、来月まで酒が飲めなくなっちまうよ!」

「知るか!」

「後生だ、リーディア!」

「……」

 妙に芝居かかったディルの声が、通行人たちの足を止める。

「な、な?

 頼むよ、予備騎士時代からの腐れ縁だろ、オレ等」

 たくさんの視線が集まる中、所々でどちらが先に諦めるかと賭け話さえ持ち上がっている状況に、リーディアは一人頭を抱えた。

「なあ、リーディア!」

「……った」

 意外にも強い力で袖口をつかまれ、リーディアは不承不承ながらも立ち止まる。

「わかった。貸す……だけならな」

 苦い表情は嫌々ながら、といったところだ。

 いい加減、周囲からの好奇の視線は耐えられないものになっている。

 そんなものに無頓着なディルは平然としているが、そうでないリーディアにはこの上なく苦痛だった。

 その上、賭け事の対象になってしまっていてはたまらない。

「奢って」

「貸すだけだ!」

 どちらも気の進まないことであるなら、少しでも楽な方がいいと無理やり納得させて歩みを再開させる。

「こらこらこら。待てって、どこ行くんだよ!」

 一度決めてしまえば、その行動は誰よりも早いリーディアは、誘ってきたディルを置いて歩いてゆく。

「店、だろう?」

 足を止めて振り返るリーディアに、立場も忘れて大仰に肩をすくめる。

「なんか良い店、知っているのか?」

「いいや。適当にどこか入れば良いだろう?」

 知らないなら先に行くなよ……とはあえて口に出さず、ただ軽く首を振ってリーディアを軽い足取りで追い越すと、ディルは先頭を切って歩き出す。

「気前良くおごってくれるんなら、良い店紹介してやるぜ?」

「貸すだけだが?」

「へいへいへい……出世払いってことで、気長に待ってくれよ。

いつか、返すから」

 不満げに頷くディルを追うようについて歩きながら、リーディアはやれやれと肩をすくめた。

 彼も人間であるからには時間が来れば人並みに腹も減るし、徹夜になるだろう作業を前にして空腹で挑むような無謀なまねはしない。

 どのみち、帰りがてらに適当な店にでも寄ってなにか口にする予定だったのだからかまわないといえばそうなのだが、問題は弾んだ足取りで前を行くディルと一緒ということにある。

「面倒なことにならなければ良いんだが」

 呟いて、リーディアは星の輝く夜空を仰いだ。

 この平穏が、嵐の前の静けさとなってしまわないことを願うばかりだ。

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